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内蔵疲労について

フルマラソンを走った後の内蔵疲労の状態、気になる方多いと思います。私は6年前に心筋梗塞を起こしているので4週間に1回病院へ行っています。通常は血圧を測る程度なので、なぜこれだけのために病院へ行く必要があるのか疑問に感じています。でも、役に立つのは年3回ほどの精密検査です。血液検査で内蔵等の状態を検査し、心電図や心臓超音波(エコー)で心臓の動きをチェック、トレッドミルなどを行っています。だからフルマラソンを走った後にこれらの検査があった場合、内蔵の状態がどうなっているのか実験のように明らかになります。いろいろなケーでの結果がわかってきました。
まずは通常のトレーニングを行っている時期、レースのない時期での検査では当然ですが何の異常もありません。全てが正常値です。
次にフルマラソンを1本だけ走り2週間後に検査をした結果です。どこも異常はありません。全てが正常値です。2週間で疲労は取れるということです。ただしレース後2週間は練習量と強度を落とすことが前提です。
次に2016年の例で10月30日に大阪マラソンを走り、2週間後の11月13日におかやまマラソンを走って1ヶ月以上が経過した12月17日に検査をした結果です。GOT・GPT・γ-GTP・CKに異常が見られます。肝臓・腎臓・膵臓・心筋が一時的に障害を起こし、筋肉破壊によって筋肉中の酵素が血液に流れ出しているということです。1ヶ月以上経っても障害が続いているということ。この時は「3週連続だって走れるぞ」なんて鼻高々になっていましたが、滅茶苦茶なことをしていたのだと反省しています。内蔵疲労は初期症状があまりないのでわかりにくいのですが、自分で自分の身体を痛めつけていたわけです。これを何度も続けていると身体を壊す原因になるでしょう。
検査前日に6分30秒ペースで45キロLSDを行ったこともあります。この時は内蔵疲労はありませんでしたが、筋肉破壊によりCKが高くなり、一時的な脱水で尿酸値が若干高くなっていました。LSDであれば問題ないということです。
最後に今シーズンの例で10月29日に富山マラソンを走り、4週間後の11月26日に大阪マラソンを走って12日後の12月8日に検査をした結果です。全て正常値でした。異常はありません。内蔵疲労と筋肉疲労は走る間隔が1ヶ月あれば2週間で回復するということです。この場合もレース後2週間は練習量と強度を落とすことが前提です。
間隔をあまりあけずに、あるいは連続で複数のレースに出るランナーの方多いと思いますが、なるべくなら避けた方がいいと思います。内蔵疲労は顕著です。どうしてもという場合は、どちらか1本はLSDにすべきでしょう。LSDの目安は概ね本命レースでの目標タイム+1時間程度だろうと思います。
身体を壊してからでは遅いです。一番怖いのは腎臓機能の低下です。人工透析なんて嫌です。
リスタートの片岡さん、石川さんが言っていた「フルマラソン後は2週間は練習量とペースを落として休ませろ」大正解。やっぱりコーチの言うことは聞くものですね。
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今年最後のadidas RUNBASE

本日仕事納め。すべてやることを済ませてしまったのでフレックスを使い15時に退社。皇居ランを楽しむために永田町adidas RUNBASEに向かった。
織田フィールドで行う練習会以外にここへはよく訪れる。外苑や東宮御所、皇居を使ったadidasランニングクリニックへの参加と自主練のため。年明けから2月14日迄はリニューアル工事でクローズになるのでしばらくお別れ。
最近リスタートの皆様にポイント練習のやり過ぎと注意されているので、火曜日も水曜日も控えめな練習をした。もっと走れ、練習が足りないと言われることはあっても走り過ぎと注意されたのはリスタートが初めて。僕のような一会員でも身体を気遣ってくれるからこそのありがたいお言葉、本当にありがとうございます。涙がちょちょぎれるほど嬉しいです。だから今日はガチンコランはせずに皇居3周15キロをキロ6の緩ラン。
RUNBASEに戻ったら受付の女性が僕のブログを見て感動したと言ってきた。いつも走らなければと思いつつ実行できていなかったのが、僕のブログを読んでやる気になったそうだ。「世界で一番遅いランナーでいいからもう一度走りたい」という言葉に感動し、投稿記事を遡って真剣に読んでしまったと…
こんなブログ、ほとんど誰も読んでないと思っていたので、なんか、なんか、すごく嬉しい。このブログは急性心筋梗塞からの復活の軌跡を忘れないうちに記録にしようと思い、日記の感覚で書いたもの。家族はブログの存在を知らない。僕が死んだらこんな気持ちで走りをやめなかったのかとわかればそれでいい。それには遺書にブログの存在を記さなければ…
だけどどうして僕のブログなんかが目にとまったんだろう。
adidasでもリスタートでもコーチをしている会津容子さん。彼女の年齢を知りたくて「会津容子年齢」とググったら僕のブログがヒットしたんだとさ!
ほんとだ、あったあった😵😵😵

そういえば、この前のadidas朝ランビルドアップでも言われた。あなたのブログ真剣に読んじゃいましたって。苦労したんですね。食い入るように読んじゃいましたよって。

あ、「会津容子」だけでググってもヒットする😵😵😵

アリゾナ旅行

8月お盆明けから約2週間アメリカ旅行を楽しんできました。最初にサンディエゴに泊まり、飛行機でフェニックスに移動した後はずっとレンタカーでした。セドナのヴィラを拠点としてレッドロックトレイルなどを楽しみ、夜は宿泊したヴィラの周りをぐるぐるとジョグしました。1周400mで織田フィールドと同じです。朝は時間に余裕のある時、セドナの中心地までの往復ジョグも楽しみました。もちろんどこを見渡してもレッドロックばかりなので素晴らしい景色です。
セドナ1
セドナでレッドロックトレイル

セドナ

モニュメントバレーへレンタカーのJEEPで行く途中、若干遠回りをしてページのアンテロープキャニオンやホースシューベントにも立ち寄りました。砂漠の中の直線道路をひた走る大移動でアメリカ大陸が広大なことを感じました。北海道がとてもちっぽけなものに感じるほどアメリカはでっかいです。ナビを入れると120km先を右折なんて日本では考えられません。
アンテロープキャニオン
アンテロープキャニオン

ホースシューベント
ホースシューベント

神秘的なモニュメントバレーでは沢山の赤い岩山(レッドロック)を目の前に車で走りました。この地域には今でもインディアンが居住しています。
モニュメントバレー
モニュメントバレー

アリゾナは砂漠とレッドロックの大自然。日昼は暑いのですが湿度が低く乾燥しているため汗はほとんどかきません。でも、夜になると急に冷え込んで夏といえども12℃ほどまで下がります。気温差が激しく、半袖半ズボンのまま一日を過ごすと体調を崩すので注意が必要でした。

旅の最後はサンフランシスコに連泊して大都会の坂と港を楽しみました。サンフランシスコハーフマラソンを開催中、飛び入り参加OKと言われましたが残念ながら観光中なので…
アリゾナに比べるとここはたいへん寒く、日本から持ってきたダウンジャケットが活躍しました。夕方近くになると急に冷え込むため、リュックにダウンを入れて観光しないと寒さで凍えることになります。
物価は極めて高いです。サンドウィッチとドリンクだけといった簡単な朝食や昼食でも一人25ドルほどかかります。夕食は当然のことながら2倍以上になります。

たいへん楽しく2週間の休暇を過ごしましたが、やはりアメリカ旅行。気になるのは帰国後の体重です。毎食気をつけて控えめに食べましたつもりですが、やはりそれでも増加は避けられません。1.6kg増でした。フラッグスタックで18oz(約510g)のステーキを完食したのが思い出です。重くなった体重を走り込んで減らさなければならないので憂鬱です。

決めてしまいました

8月9日に最後の体験入部をしてからクラブ選びの決断をすると言っておきながら、今日決めてしまいました。リスタートランニングクラブとドリームアシストクラブ(DAC)です。どちらもレギュラー会員ではなくクーポン会員で、スケジュールを確認しながら参加したい練習を選び、ほぼ交互に参加しようと考えています。目安は2クラブで月5~6回です。adidasランニングクリニックへも週1で通うつもりなので、3クラブに属して月10回ほど練習に参加することになります。
一時はSWAC(旧セカンドウインドアスリートクラブ)という選択肢に傾きかけていましたが、やはり直感的に入部したいと思ったリスタートが外せませんでした。

DACを選択した理由…クーポン会員は年会費なしで10枚綴り12,000円(1,200円/1回)と他クラブよりかなり安価。レギュラー会員が月額7,200円(年会費なし)のため月6回以下の参加ならクーポン会員の方がお得。平日夜の練習はリスタートより走量が多く、土曜練では30キロ走も行っている。また、最遅クラスがサブ3.5とレベルが高くパフォーマンス向上に寄与すると考えた。本練習前のランニングドリルは圧巻。

リスタートを外せなかった理由…ウオーミングアップやクールダウン、ストレッチ等、ランニングの基本を重視しているクラブで怪我をしない身体づくりに役立つと考えた。また、コーチ、サポートスタッフ、会員の信頼関係が築かれており、且つアットホームな雰囲気で会員を第一に考えている姿勢が伝わった。レギュラー会員は年会費5,400円と月額7,560円。クーポン会員は年会費5,400円と6枚綴り11,664円(1,944円/1回)である。

adidasランニングクリニック…週5回程度開催し、1回500円~1,000円で誰でも参加できる。初級から上級まで対応。

一番大事なことは、これから入部しようとするクラブに自分の身体のことを隠さず正直に話すことです。つまり、心筋梗塞を発症した過去があることを申告して練習に参加することを受け入れてもらうことです。心筋梗塞の発症歴があり心筋が4割も壊死している現実をどう受け止められるかはわかりません。もしかすると入部を断られる可能性もあるでしょう。この事実、隠そうと思えば隠すことはできます。しかし、それは自分のためにはなりません。あの日以降、現在でも100%の力で練習をしたことはありません。いつも抑えて練習をしています。何も話さなければ練習はドンドン強度を増すのが普通です。私の場合、強度が増すスピードは普通の人より穏やかでなくてはなりません。命が懸かっていますから。だからそれを理解してもらう上でも過去を知ってもらうことは重要なのです。

明日リスタート、明後日DAC、木金adidasに申し込みました。リスタートの片岡純子ヘッドコーチには今日心筋梗塞のことをメールで伝えました。とりあえずは明日織田フィールドで待っていますということです。その時詳しく話すことになると思います。仮に入部を断られても恨むことはしません。それが普通のことだと思いますから。
adidasには既に告げているのであとは明後日行くDACということになります。結果はどうなるか、期待と不安でいっぱいです。

リスタートの片岡純子ヘッドコーチ、現役時代のあだ名は「超快速女」だそうです。3000m、5000m、10000m、ハーフマラソン、1時間走の5種目で日本記録を樹立したそうです。1時間走の記録は20年以上経った今でも破られていないそうです。

クラブ選び

クラブ選びの体験入部は残すところあと一つになりました。8月9日外苑で行うペース走が最後です。adidasを含めて8クラブもよく通ったものだと思います。ほとんどが代々木(織田フィールドや代々木公園)を練習拠点にしているクラブ。adidasは皇居三宅坂まで400mと近いのですが、外苑や東宮御所で練習することが多いのであまり皇居へ行くことはありません。これからは皇居が疎遠になることでしょう。

体験入部を始めた頃は、今年度いっぱい会費を納めているAQRCの木土曜日(各々隔週2回)は参加して他の曜日に新規入部するクラブでという選択肢でした。しかし、その選択肢はあっけなく崩れ去り、今ではAQRCに復帰しようという気持ちは皆無です。よほどのことがない限り行くことはないと思います。

そんな気持ちにさせたのは、最初に行ったリスタートの影響です。ストレッチを含むウオーミングアップとクールダウンに時間を費やし、走ることだけではなく怪我をしない身体づくりに注意を払っていることを感じました。また、コーチ陣を始め会員の皆さんのアットホームな雰囲気に魅了されました。男女の分け隔てなく一人一人に親切なわかりやすい指導を行い、コーチ陣とサポートスタッフ、会員の信頼関係が築かれていることを感じました。直感的にこのクラブに入りたいと思ったのです。他のクラブでの体験をすべてキャンセルしたい気持ちでしたが、後々あそこへ行っていれば良かったと後悔するのが嫌だったので一通りクラブに通いました。DAC、SWAC、皆良いクラブです。どこにしようか迷っています。リスタートの練習日は火木土(木曜日はビギナー)。DACが火水土(火はサブ3以上・土は隔週)。 SWACが火水土(平日の参加は1回のみ)です。土曜日はどのクラブも代々木公園で10キロ~20キロのクロカンをやっているようですが、私は土曜日参加はあまり重視していません。平日重視です。20キロの練習であればペース走、ビルドアップ、どんな形であれ一人でできます。20キロならともかく、10キロクロカン程度で休日わざわざ代々木まで行こうという気にならないのです。往復する時間でもっともっと走れますから。

「リスタート」再出発という意味です。ヘッドコーチの片岡純子さんがOLを辞めて(陸上を引退後会社勤めをしていた)クラブを立ち上げたので再出発という由来のようです。
リスタート…私にもピッタリではありませんか。心筋梗塞を発症してしまったので昔の自分の身体に戻ることはできません。2012年2月10日(冠動脈バイパス手術をした日)に再出発をしました。コツコツと一歩一歩、今思うと気が遠くなるような先の見えないことに対して(もう一度走るということ)夢を諦めず、”もう一度走りたい” ”もう一度フルマラソンを走りたい” ”世界で一番遅いランナーでいいからもう一度フルマラソンを走りたい” そんな夢を力に変えて進んできたのです。まさにリスタートです。私にもピッタリな言葉です。
そして、かつてもう少しで手の届くところにあった、手が届くはずだったサブ3.5が目の前の目標として蘇っています。こんなことになろうとは、あの手術が終わった時には想像すらできませんでした。
東京オリンピックが決定した日、東京オリンピックの年にサブ4になりたい…そう思いました。でも、そんなことは夢の夢のそのまた夢の遠い遠い遥かかなたの夢の世界。生まれ変わらない限りありえない。とその思いをかき消しました。そんな夢のようなサブ4、東京オリンピックより5年も早い2年前に達成しました。
サブ3.5…この目標、是非ともリスタートで現実にしたい。達成したい。そう考えています。

最終的には8クラブの体験をすべて終了してから決めることですが、おそらくこの決断は変わらないと思います。
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