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かすみがうらマラソン

マラソンは正直だった!
上野発7時12分の特急で土浦へ。雨だけならいいけど強風予報でファンランでさえDNSしたくなってしまう。土浦着いた時は強い雨。田舎の会場なので舗装がないから泥んこ状態。着替えをするのに行列で荷物預けようとしたらまた行列。なんで荷物預けに30分も並ぶのか腹立たしくなっちゃった。
でもスタートの10時が近づくにつれて雨は小降りになってきた。
1月から練習らしい練習をほとんどやってないので今日は完全なファンラン。とは言ってもサブ4は死守したいので20キロまでキロ5でいってそのあと落とす。ていうか落ちるだろう。普段はあまり取ることのないエイドを楽しみ食べまくるラン。
スタート30分前に痛み止めのロキソニンを飲んだ。
ガーミンで確認しながらキロ5を数秒切るペースで走ったけど2キロぐらいで気持ち悪くなってペースが極端に落ちちゃった。風邪ひいて熱が出たりその後は咳がだいぶ出ているからホントはマラソンなんかやれる身体じゃなかったなって弱い自分が現れた。走りながら咳してるし…棄権するなら今だ、今のうちだって葛藤したけど結局走り続けていつのまにか予定通りのペースに戻せた。
10キロ過ぎて辛くて辛くてこんなんじゃあファンランでさえDNF?いつもなら20キロくらいまでは辛さを感じないけどやっぱり練習不足。直前に4分前半で1000mインターバル5本程度やったって42キロ一定のペースで走れる脚はつくれない。ビルドアップ、ペース走、ロング走、LSD、いろんな練習を地道にやってマラソン走れる身体になってくる。やっぱり3ヶ月のブランクは大きい。3ヶ月でこんなに惨めな状態に落ちてしまうのか。
ファンランというのは言い訳で、今はファンラン程度でしか走れないというのが現状。15キロからペースは落ちて完全なるファンランになってしまった。
バナナ、カステラ、饅頭、チョコレート、お汁粉、キュウリ、沢庵、梅干し…と取りまくって満腹状態。走っては歩き、また走ってもエイドがあれば立ち止まってゆっくりいただくの繰り返し。こんなに何度も歩いたレースは未だかつてない。
3時間53分フィニッシュ。惨めなタイムだけど、考えようによってはこんなに歩いてもサブ4
これで今シーズンは終わり。富山→大阪→かすみがうらと結果はビルドダウン。富山から16分以上も落ち込んだかすみがうら。
昭和記念公園→静岡と2回連続DNF
富山でいいスタート切ったのにやっぱり正月に引いたおみくじが当たってた。→凶だから😱😱笑🤣
また地道に練習して今秋の富山でサブ3.5をやり遂げる。
いろいろ学んだ。ポイント練習やりすぎは怪我に繋がるし、練習は強弱をつけてやった方がいい。
マラソンの神様が与えたこの試練、必ず乗り越えます。
マラソンにまぐれは起こらない。

あ、今回一つだけいいことした。40キロ付近で脚が攣って走れなくなった人がいて、一度は通りすぎたんだけど100mほど行って後ろを見たらまだその人動けなかった。エアーサロンパス持っていたのでそれを差し上げようと思い100m逆走して渡したんだ。だから今日のマラソンは42.195km+0.2km=42.395km

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静岡マラソンDNF

去年に続いて2回目の静岡マラソン。今回はtaket さんと一緒。彼も僕と同様数年前に急性心筋梗塞で倒れた身。学生時代は陸上部で専門は800m、20年前にフルに一度出てその時は3時間15分。見てわかる通り彼だってメタボじゃない。それなの何故神様は意地悪をするんだろう。不摂生しているわけでもないのに。悔しい。
静岡
彼とは僕の急性心筋梗塞からサブ4に復活したこのブログがきっかけで知り合った。同じようにサブ4になろうと彼も頑張った。2016年11月のさいたま国際は惜しくも4時間10分。30キロから突然足が動かなくなったのだそうだ。その経験から今回は30キロ40キロのロング走を多用した。それでも今回もダメだった。

サブ4とサブ3.5二人揃って同時達成したかった。
僕は右ヒラメ筋を怪我してから4週間ノーラン。1週間前に30キロLSDをやろうとしたが途中で左腸頸に痛みが出たのでやめた。富山で痛いと感じた箇所だ。その後リスタートでジョグ、DACで4”45ペースで2000m+400mを1本だけやって静岡入りした。今シーズンサブ3.5と決めた時から静岡を想定していたので勿論本気のレース。でも足の状態を考えるるとかなり痛みと戦わなければならない感じ。両足腰から土踏まずまでテーピングでガチガチに巻いた。DACのHさんに紹介してもらったテーピングの解説本、非常に役立った。毛深いのでこんなに貼ったら剥がす時に痛いだろうなあー。

10キロ過ぎから足に違和感現れて我慢するのが精一杯。怪我した右足は重く、左アキレス腱に違和感あり、左腸頸とんでもなく痛く、尻部もパンパンで痛い。下半身がこんな距離からこんなに痛いの初めて。怪我明け練習不足がたたった結果。10キロの市街地で棄権を考えながら走ったがここでやめる勇気はなかった。でもこの痛みでは最後までもたないと感じでいた。
4分50秒〜55秒ペースで最後までという目標はなんとか中間地点までは我慢できた。でも限界。気力も根性もどんなに振り絞ってもこの痛みとあと20キロもおつき合いはできない。PB目標の3時間36分ならもしかしたら我慢できるかも?サブ4でいいなら走る歩くの繰り返しでできる。悩んだけど悪化したらかすみがうらも走れない。別大が消えていく。今シーズン最後までサブ3.5という目標は捨てたくない。今回の静岡はPBやサブ4が目的ではない。サブ3.5が目的だ。かすみがうらに夢をつなぐためにはここで無理せずやめる必要がある。勇気を出して24キロの救護センターで棄権を告げた。足が駄目ならDNFと宣言していたけど現実になるとは思わなかった。「棄権します。」と言った時、悔しくて涙が出そうになった。恥ずかしいので顔を背けた。
収容バスは最終ランナーが来ないと走らないので待ってる間が寒い。生まれて初めて乗った収容バス。この屈辱をバネに次こそ3.5絶対決めてやる。
フルマラソン、根性だけでは走れない。人生最大の敗北感。

その後病院で再検査をしたところ右ヒラメ筋は皮下血種になっており今後散らす治療をしなければならない。左は大腿筋膜張筋炎、中臀筋炎、腸脛靭帯炎と相当酷い。しばらく安静、5月連休が過ぎるまで練習はジョグのみという診断になった。今シーズンは終わった。

昭和記念公園ランニングフェスタ30キロ

2018年1月28日(日)
悔しい悔しい悔しい😖
立川のお隣昭島市で昭和記録公園ランニングフェスタ30キロ。駅に到着した時はマイナス3℃で池の水も凍ってた。あまりに寒いので😨昨日からモチベーション下がりまくり。静岡で走るサブ3.5ペースより遅くてもいいやと弱気になっちゃった。でも走り始めればきっと強気になって元々考えていた4分50秒ペース、2時間25分という調整法に変わるはず。そんな性格なんだよ✌️
寒すぎるからジャージで走ると決めていた。ジャージにネックウォーマーに手袋、ロングタイツ、レースというより練習みたい。だって今日は練習なんだ。周りの人たちも大部分が同じ格好。Tシャツやランシャツといった格好はほとんどいない。やっぱみんなも寒いよねー❄️❄️❄️
昭和記念1

スタートは10時30分だけど0℃か氷点下の境目。
このコース、箱根駅伝の予選会でも使うが1周5キロで起伏が激しく平坦ではない。登ったり下ったりを繰り返すのでハードだ。そんなハードなコースを2時間25分で走れば静岡のサブ3.5が現実味を帯びてくる。
思ったとおりスタート地点に整列していたらモチベーションが上がってきた。
よっし、頑張るぞ💪
昭和記念2

1周目は4分40秒ペースだったので後半バテないように2周目、3周目と意識的に落とした。4周目に入ったとき、今年はハーフを入れてなかったからとりあえず今日ハーフの通過タイムを1時間38分〜39分にしておこうかなとひらめきビルドアップした。快調にハーフマラソンのランナーを抜き去り起伏をもろともせずに走った。19キロが近づいた緩やかな下りカーブで突然右足脹脛に電気が走り着地した脚を蹴れなくなった。足首も曲がらなくなり、突然脚を引きずりビッコになった。
なんだこれ?音はしてないから肉離れではない?でも肉離れ?
キロ5分をオーバーし、あっと言う間に5分30秒も6分もオーバーした。
20キロ通過は1時間35分。まだキロ5分で走れれば2時間25分でフィニッシュできる。そう思い頑張ってみたがとても痛くて走れない。
ここで無理して走っても自分に徳になることなんて何もない。今日は30キロ走るのが目的ではなく、静岡で走るペースを想定して調整するのが目的。何の怪我かわからないけど無理に走って悪化させるよりも棄権して静岡までに治した方がいい。
22キロで救護隊を発見したので棄権を告げて脚を診てもらった。救急車を呼ぶほど重症ではないが、肉離れではない。腓腹筋を痛めたか、或いは坐骨神経痛の可能性もある。坐骨神経は腰から爪先まで繋がっているんだって。電気が走るというのが特徴らしい。早急に整形外科に行くよう言われ、自転車に乗せてもらい帰ってきた。
痛くて歩けん、足首曲がらん、蹴り出せない。
あー悔しい、あのまま行けば2時間22分〜23分行けたかもしれない。
でも、それより早く病院行って診てもらわなくちゃ。
静岡間に合うように…
時間がないんだ。今シーズンやらないと時間がない。

大阪マラソン

2017年11月26日
待ちに待った2017大阪マラソン。
今日は80〜90%の力で楽にネット3時間33分という予定。4週前の富山もそのくらいの配分で3時間37分11秒なので十分にできるという自信。
Dブロックなのでスタートまでは予想通りの5分。5キロ付近になっても渋滞は緩和されず思うように走れない。
気のせいかもしれないが、いつもの大阪マラソンに比べると応援の数が少ない感じ。更におもろいおばちゃんやおっちゃんにも遭遇しない。
でも大阪は東京と比べると人が暖かくて人情味があって好きだ。できることなら移住したいとさえ思う。
走り始めてすぐに左足に違和感を感じた。最後までもつのか不安になる違和感。腸頸靭帯と腓骨筋だが騙し騙し走っていたら脹脛までパンパンに。
香港で起こした急性心筋梗塞以来、いつでも水分補給できるようにとウエストポーチに150mlの水素水2本を入れている。そう、あの急性心筋梗塞は極度の脱水が原因と言われているので水分補給にはかなり神経質になっている。
足の調子は思わしくないが何とか我慢しながら走り続けた。曇っていたため走るには丁度良い気候。汗の量も少なく水素水を取り出すこともない。給水所もパスし続けて20キロまで無給水で走ってしまった。今日初めての給水は紙コップに入った水を二口程度。1-2キロ走ったところで急激に喉が渇きウエストポーチから水素水を取り出して一気に飲み干した。
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27-28キロで手が痺れ出し、水素水を取り出したいがファスナーがあけられない。給水所で紙コップを取ろうとしたが手の感覚がなく落としてしまう。飲めなかった。
30キロ通過タイムは富山より1分速い2時間28分。今日の予定は2時間27分だったので遅れてはいるがさほどの狂いはない。
問題はここからだった。32キロあたりから手に加えて足まで痺れ着地するたびに震えがくる。何とか水素水を取り出すことに成功してわずかばかりの補給はできたが頭までクラクラしてきてまっすぐ走っている感覚がない。スピードも急激に落ちており意識朦朧とする中倒れてもいいから倒れるまで走ろう、我慢しようと思った。
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給水所を見るたびに水分を補給したが、脱水になってからでは遅い。
辛い辛い今までで一番辛い大阪マラソンとなり、何とかかんとかフィニッシュだけはできた。
辛いのを我慢して無理やり笑った記念撮影。
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ネット3時間39分14秒
グロス3時間44分03秒

マラソンは甘くない。静岡までだいぶあくので3.5を決めるべくしっかり調整していきたい。

大阪マラソンを走ってから3週間後の投稿ですが、内容は写真が加わっただけでフェイスブックと同じです。

富山マラソン(写真入り)

2017年10月29日(日)
横浜マラソンは台風の影響で中止になりました。富山は北に位置するため、今回の台風の影響は関東に比べるとかなり小さいようです。それでも昨日の夕方から雨になり、それなりの雨量が続いているのでずっと憂鬱でした。まだマラソンにおける雨の経験がありません。8年も走ってかなりの回数レースに出ていますがマラソンに関しては晴れ男なのです。いや、正確には雨降らない男なのです。朝起きて、雨がやんでいないか期待しながらカーテンを開けましたがそれは無理でした。やはり台風ですから…

6時から45台出発する高岡行きのマラソンバスに乗り込むため、遅くても5時50分にはこの富山のホテルを出たいところです。
今日のレースはadidasのオレンジノースリーブを着るつもりでしたが雨で身体が冷えるのではないかと不安になり、同じオレンジのTシャツに変えました。ワセリンを身体中に塗りたぐって雨をはじくよう処置をしました。念には念を入れてアームとゲーダーもつけて寒さ対策です。
ユニフォーム
(着るはずだったノースリーブ)

ホテルを出るときもバスの中でも高岡に着いてからもずっと雨が降り続いていました。重たい気分で男子更衣室で身体が冷えないよう時間待ちをしました。頭の片隅には横浜と同じように中止になれという弱気な自分が見え隠れしていました。
そろそろ8時が近づいたので荷物預けとトイレへ行くため外に出ました。霧雨に変わっていました。
荷物

整列のためスタートブロックに向かう頃には雨がやんでいました。さすがは晴れ男、いや雨降らない男です。台風なのにスタート前に雨がやむなんて奇跡です。直前のリスタート練習会で自分は晴れ男だからきっと雨は降らないよと大ボラを吹いていましたが、どうやらホラではなくなったかもしれません。
でも、モチベーションはさっぱり上がりません。DAC30キロ練習会で長い距離の練習が不足していることを痛感していたため、サブ3時間40分に目標を下方修正していました。それに加えて台風でマラソン自体が中止にならないかなあと考えてしまっていたので走る気力がないのです。雨の中など走りたくないのでどうせなら土砂降りで中止を期待していました。中止にならなくても土砂降りならDNSしようと考えていました。雨がやんでしまったこの状態では何の言い訳もできないのでスタートするしかありません。やる気なしのまったく緊張感のないスタート待ちでした。

今回は左足の腸脛靭帯が痛くて直前のリスタート練習会は途中でリタイヤしました。鍼をブスブスさしたり、指圧で柔らかくしたりと日夜応急措置を施しました。テーピングもバッチリしてあります。
その甲斐あってスタートしてみると違和感はあるもののまあまあ我慢できる範囲。なんとか20キロまでもってくれれば30キロまでは我慢できる。その30キロまではサブ3.5ペースで走って、後は足の状態に任せようと考えました。4分55秒前後のペースで30キロでいいのです。30キロをサブ2.5
あんなにやる気がなかったのにいざ走り始めるといつの間にかやる気が出ていました。やはりマラソンが、走ることが好きなのです。
走行

リスタート、DAC、adidasでのインターバル成果から心肺余裕で楽に走ることができました。心拍数は140程度と有酸素運動の領域です。キロ4分半くらいで走りたくなるような気分に紅潮してきましたが、今日はスタミナと足を温存しなければなりません。今シーズンサブ3.5を達成するために抑えた走りで後半どのくらい余力があるのかを試して調整しなければならないのです。極端な失速だけはしたくないのです。Yさんから言われていた4分55秒というペースを忘れないよう頭に刻みました。4分50秒より遅く、5分よりは速く、…そうすれば自然と4分55秒くらいになるはずです。

富山の難関は何と言っても日本海を渡る新湊大橋。天気が良ければ青く澄み渡った日本海と前方にそびえる雪景色の立山連峰が楽しめますが、今日はあいにく何も見えません。19キロから概ね2キロに渡って続くこの橋は、天気が悪いとただの急坂です。きついと感じる以外の何者でもありません。徐々に6分半にまでペースが落ちてしまいそれまでの貯金を食いつぶす形になりました。
中間地点が見えた頃、あと半分かあと思いましたが冷静に考えると静岡よりも心肺がかなり楽です。水溜まりを避けながら走り続けているせいか足に疲労が出始めましたが心肺はかなり楽です。後半足がばてることを考えて、水溜まりを避けるジグザグ走行をやめてそのまま直線で突っ込んでもいいと判断しました。足はびしょびしょになりますが、その方が負担が少ないと…

25キロでサブ3.5ペーサーに追いつかれてしまいました。しばらく並走しましたが、30キロが近づくにつれて遅れ出しました。30キロで置いていかれました。
富山1
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30キロ 2:29’41
今日はサブ3.5が目標ではないので無理にペースを維持することはやめて、3時間40分以内を計算した走りに変えました。心肺は余裕ですが腸脛靭帯が少し変です。
DACの岡崎コーチが言っていたフルをキロ5で走る人がキロ4のインターバルを繰り返すことでフルのキロ5が凄く楽に感じる。確かにその通りだと実感しました。今までのフルマラソンの中で今日が一番楽な走りです。心拍数も上がらず腸脛靭帯を除けばすべてが余裕です。走りながら今シーズン中にはサブ3.5は必ずできると確信しました。大事なときに怪我が多いので怪我をしない足づくりをしなければなりません。
富山2
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35キロを過ぎてからは腸脛靭帯が痛くて何度も膝がカックンカックンと落ちてしまう始末。その度に最後までもってくれと祈りました。ウエストポーチに入れたPちゃんのお守り写真、川越八幡宮の足のお守り、静岡マラソンの時にもらったYさんからの激励文、そしてミラノが待ち受け画面になっているiPhoneを触ってもう少しだぞと祈りました。記録のことはあまり考えまないようにしましたが、ペースが5分半を超えないことを心がけました。心肺的にはもっと速く走れるのですが、5分半ペースだと腸脛靭帯の影響なのか膝が落ちてしまうので次第にそれより遅くなりました。

40キロで自己ベストを確信しました。思わず泣きそうになってしまいました。香港国際マラソンで突然襲った急性心筋梗塞。バイパス手術で九死に一生を得た代償として心筋40%壊死という現実が残されました。たった数段の階段上り下りから始めたリハビリ。そしてウォーキング。医師も理学療法士も走ることなんて無理、考えない方がいいと…
それでも絶対に走ってみせると決めて、走るためにウォーキングをして、スロージョギングで心肺を強くしていきました。世界で一番遅いランナーでいいからもう一度走りたいという夢は、5年8カ月経って考えられないほどに速く走れるようになりました。そんなことが自然と頭に浮かび、スライド写真のように次々とあの頃の光景が映し出されます。涙こそ流れなかったものの目の前が曇って見通しが悪くなりました。
もうすぐ生まれるこの記録は心筋梗塞から復活後のベストではありません。正真正銘の自己ベストです。過去の自分を超えようとしているのです。もうすぐ、もうすぐ、あと195m…

グロス3:37’28
ネット3:37’11

初めて何度もガッツポーズをしながらフィニッシュしました。小さい頃から感情を表に出すことが苦手でガッツポーズなんてしたことがありません。考えられない行為です。でも感情が、感情が抑えられません。控えめですが小さく何度もガッツポーズをしました。
フィニッシュ後にトイレの片隅で一人静かに泣きました。
20171029-富山ゴール
all sports 後から見ると大きなガッツポーズ

今の自分があるのは良くも悪くも心筋梗塞のおかげです。心筋梗塞が私の心を変えてくれました。心筋梗塞とマラソンが私を強くしてくれました。

「先の見えない努力でも、諦めなければ夢や願いは叶う」
「焦らない 腐らない 諦めない」
の賜物です。

まだまだ課題は沢山ありますが、3月の静岡で必ずサブ3.5を達成します。
リスタート、DAC、adidas、、、これからも一生懸命練習に通います。
11月25日の大阪はネットタイムで富山超えを目指します。
富山マラソンでサブ3.5は達成できませんでしたが、私の人生の中で記憶に残る素晴らしい一日でした。

ゴール2
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