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シンガポールマラソン後編

27キロを通過。もう未知の世界だ。
へたっているとはいえ、5分30秒ペースは着実にそして正確に守っている。
給水所にはオレンジやらバナナやら、応援する人たちも果物を差し出してくれる。
しかし、ブンブン丸には走りながら食べるという習慣がないため一切口にしない。
フルマラソンは長い。栄養補給にジェルを持った方がいいと会社のランナーさんにアドバイスされていたので小田急ハルクで買っていた。一つを取り出し封を切り口の中に押し込んだ。

なんだこれは?

超甘い! 超マズイ!
とてもじゃないが食べられない…
封を開けてないもう一つのと一緒に捨てた。

30キロ通過2時間44分(5分30秒/キロをわずかに切るペース)
中山さんのアドバイスを守り、自分が決めたペースを綺麗に守っていた。
と同時に、30キロの表示板が何と新鮮なこと…
あと12キロだ…
でも、あと12キロもある…

この辺から遅れ始めた。
必至に走ってもスピードが全く乗らない。足が上がらない。腕も振れない。

前方に中国系の大きなシンガポール人?がいたがそのランナーもへばっているようだ。
いつの間にか追いついた。
上がらないペースながら必死で抜き去ろうとするとそのランナーさん、必死でついてきた。
レベルの低いデッドヒートを二人でしばらく繰り広げた。

突然そのランナーさんはブンブン丸を見下ろし、中国語で何かを言った。
何を言っているのか意味はわからない。
喋り終わると、ブンブン丸の肩をポンと叩いて何か一言…
加油(ジャーヨウ 頑張れという意味)と言ったのか?
そしてスピードを落としブンブン丸の視界から姿を消した。



後ろを振り向くとブンブン丸に手を振って歩いていた。

Never give up!!
ブンブン丸はランナーさんに叫んだ!

きっと「俺はもう頑張れないけどあなたは頑張ってね」
と言ったのだろうと解釈した。

36キロ 37キロ 38キロ 見る表示すべてが新鮮これぞ未知の世界…と感じた。
泣きたいくらいに足が痛くハムストリングとふくらはぎがプルプルと震え、今にもつってしまいそう。

何でこんなことやっているんだ。
何でこんな辛い思いをしなくちゃならないんだ。
何でフルマラソンなんかに出ちゃったんだ。
心が折れそうだった。

心の中に潜む悪魔が耳元で囁いた。
「歩いちゃえ。止まっちゃえ。やめちまえ」

一瞬うなずきかけた…
ブンブン丸は歩かない!
今立ち止まったら今までやってきたことがパーだ。
あと20分程度の辛抱。
あと40年もある人生のうちのたった20分を頑張れなくてどうする…
歩くことで4時間を切れなかったら一生後悔することになるんだ。
ほんの一瞬楽をするだけでもその代償は大きいんだ。大きすぎるんだ。
ブンブン丸は何が何でも4時間を切る!
今頑張らないでいつ頑張る…今だ!

悪魔を追い払うことに成功した。

40キロ……それはそれは感動的だった。
表示板が10倍にも大きく映り、光り輝いているように見える!
とうとう40キロも走ってしまった。

両足から交互にビリビリビリッという音がした。

なんだこの音は?
靭帯が切れた音?
這ってゴールする破目になるのか?
ビックリして立ち止まってしまった。
足を引きずりゆっくり歩く。
つりそうだが、何とか何とかもっている。
ゆっくりと動き出し、ゆっくりと走り始めたが、歩きと錯覚してしまうほどゆっくりだった。
怖かった。靭帯が切れてしまったのでは?と
大丈夫そうだ。

何とかもってくれ。あと少し。あと1キロだ。頑張れ。

3時間57分41秒
何も知らずにぼんやりとフルマラソンを走ろうと思ったときに描いた3時間57分42秒を
1秒だけ更新する記録。

シンガポール記録証


ゴールすると泣きながら抱き合っている人などなどいたが、
ブンブン丸は嬉しい気持ちも達成感も何もなかった。
やっと終わったよ。やっとこの辛さから解放される。
それしかなかった。
フルマラソンを完走した喜びや感動、目標をクリアした達成感…何もなかった。
それよりもやっとやっとやっと終わったことに対する安堵の気持ちだけ。
心の中は空洞だった。
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シンガポールマラソン前編

2009年12月6日日曜日午前3時に起床して前日に買ったサンドウィッチを頬張った。
スタート地点まではスイスホテルから徒歩圏内。
黄色のadidasランシャツ、CW-Xショートタイツ、黒を基調とした黄色いラインのadidasランニングシューズ、日除け用のadidasキャップ。中山さんに言われたとおり腰には汗拭き用のタオルハンカチをぶら下げた。
ハンカチ王子ならぬハンカチおじさん⁉︎

ゆっくり歩いてスタート地点へ行くとアフリカ勢がアップ。
上位入賞するとそれなりに賞金が出るらしく稼ぎどころのようだ。

SUB3 SUB4 SUB5 SUB6…
プラカードが並んでいる。
SUB3…何? SUB4…何?
ブンブン丸は3時間台目標だからSUB3?
だよな?きっとそうだよ!

でもSUB2ってのがない。きっと速いランナーは直前の割り込みが許されているんだろう。

用語の意味を知らないということは恐ろしい。何でもできてしまう。SUB3の最前列に並んだ。
少しあとからやって来た白人と地元シンガポール人らしき二人が英語で会話していた。
白人の目標タイムは3時間20分、シンガポール人は3時間30分。
間違いない。ここだ。

自分は今日必ずここで4時間を切る。3時間台で走る。あんなに練習したんだ。切れないはずがない。自信を持て。絶対にできる!
俺ならできる!
いいかあ〜気合い入れていけよ!
頬を両手のひらでポンポンポンと叩いた。

午前5時のスタートまであとわずか。
相変わらず先頭だった。さすがに異変を感じた。
こんな前からスタートするような力量じゃないよ。
招待選手のアフリカ勢が自分の目の前に割り込んできたので間違いを確信。少しだけ、5〜6列ほど遠慮して後ろに下がった。

号砲が鳴り、花火が打ち上がり、煌々と照らされたライトの中、夜明け前のシンガポールをゴゴゴゴゴっという地響きで一斉にスタート。
すぐに反対側車線に旋回して5万人の長い長い長い長蛇の列を横目に微笑んでいる自分がわかった。
初めてのフルマラソンを走っている。まるで夢の空間。苦しい練習に一人耐えてきた成果が今日ここに出るんだ。楽しくてしかたなかった。

感動で一杯。まるで自分がスターになったような錯覚!

中山さんのアドバイスを守り、キロ5分ではなく、キロ5分30秒にペースを落とすことにした。

余裕だった。逆にゆっくりすぎて疲れる感じ。直近のハーフマラソンが4分45秒ペースだったので5分30秒は落としすぎだったかもしれない。

20キロに達する頃には完全に夜が明け、陽射しが出ていた。
月間400キロも走っているのに最高に走ったのは26キロまで。
なぜなら雑誌やインターネットでハーフが走れればフルも走れる。練習は30キロを1回経験すればOKとあったから。自分は誰よりも走っているという自負があり、4キロ不足しているなんてたいした問題ではない。大丈夫だと思っていた。
しかし、26キロから先は未知の世界だった。

徐々に30℃を超える暑さと94%という湿度でスタミナを奪われ、写真のとおりうつむき加減のヘタレ走りに…



東南アジアは暑いので速い市民ランナーが少ないらしい。当時のブンブン丸でもトップレベル!
5万人もいたはずなのにブンブン丸の周りにランナーは少ない。一方往路には沢山のランナーがいる。

気温、湿度、未知の距離、やはりフルマラソンは甘くはなかった。

シンガポールマラソン前夜祭

400mハードルの為末大選手の試合前の調整は1週間前から完全休養をとること。
1週間前から慌てて練習しても何の役にも立たない。
問題なのは1ヶ月前までに何をやったか。

ブンブン丸は共感した!
そのとおりだ!
一夜漬けの練習をしたところでマラソンはごまかせない。まぐれは起こらない。練習した者だけが満足な結果を残せる。

そしてブンブン丸理念では3日前に鍼を打つのが効果的・・・12月3日鍼灸院へ行く

12月4日休暇をとって一人シンガポールに旅立った。

シンガポールマラソンはソウル・バルセロナオリンピック連続4位の中山竹通さんがゲストランナー。

5日朝は中山竹通さんと走ろうという練習会に参加。夜は中山さんを囲むような形で日本人専用の前夜祭に参加した。

ハワイで自主練


5万人参加のアジア最大級マラソンなのに、赤道直下の影響か?気温30°C超え、湿度90%超えの暑さの影響か?日本人はたったの50人位しかエントリーしていないという。
なんと不人気な…

前夜祭も10人少々しかいなかったので気軽に中山さんに話を聞けた。

市民ランナーがフルマラソンを走るためのアドバイスをしていただきたいと頼んだ。

最後まで走り通せるよう力を温存しなさい。マラソンは30キロ過ぎてからがマラソンだというとおり30キロ過ぎてからが勝負。前半飛ばし過ぎると後半へばって歩くことになる。
6時間かかりましたというのは歩いているから。走り通せば6時間はかからない。
走れ。ゆっくりでもいいから走れ。歩くな。
もう一つ、汗を拭くハンカチかスポンジを持っているといい。汗を放っておくと熱中症になる。シンガポールは暑いので必需品です。

ブンブン丸は絶対歩かない。必ず4時間を切る!

ブンブン丸計画ではキロ5分でいけるところまでいく。だったが・・・中山さんのアドバイスを受け入れるべきか(キロ5分30秒ペースに落とす)悩んだ。

夕方足裏マッサージに行ってケアも万全。
今日は早く寝ようっと!

シンガポールマラソンツアー成立せず

シンガポールマラソンツアーはインターネットで見つけた大阪の旅行会社に発注していた。
発着地点から徒歩数分で行けるホテルに滞在し、料金も一番安かったからだ…

シンガポールパンフ


夜8時頃自宅に帰ると旅行会社から電話

ブンブン丸さん、申し訳ないのですがこのツアーは最低5名のお客さんが集まらないと成立しないのです。
その5名が集まらなかったので中止になってしまいました。本当に申し訳ありません。

えっ…… (言葉を失った!)
申込者は何人だったんですか?

それが、ブンブン丸さん一人だけなんです。
弊社は毎年2月に香港国際マラソンツアーを企画しており、今回はシンガポールもやってみようと初めての試みでした。
でも、シンガポールは赤道直下なので敬遠されてしまったのか…
問い合わせは結構あったのですが申し込む方がいなくて…
本当に申し訳ありません。

間髪入れずに
じゃあ行けないってこと?

そこで提案なのですが、ブンブン丸さんが申し込みをされた時点で往復の航空券とホテルは抑えました。
フルマラソンにもエントリーしています。
ツアーは成立しないので添乗員なし。
コース視察や最終日(マラソン翌日)の観光もありません。
空港からホテルの送迎もありません。
完全なお一人様個人旅行(自由旅行)になりますが、それでもよろしければ手配できます。

行きます行きます。自分はシンガポールマラソンを目指して一生懸命練習してきたんです。
個人旅行なんてどうってことないです。問題ないです。
そのまま手配してください。

ハラハラドキドキ…
シンガポール初フルマラソン参加はなんとか現実のものになった。
どうにか掴んだシンガポール…
結果を出さなければ!

シンガポールは赤道直下…知らなかった






予告

予告
ランニングを始めた頃の出来事から順を追って公開してきました。
タイトルの記事公開に辿り着くには、この調子でいくとおそらく来年1月頃になると思います。
詳しくは本編で紹介させていただきますが、ここに掲載するのはその予告編です。

≪香港国際を走ったときのユニフォーム≫
香港ユニフォーム

2012年2月5日午前6時45分
号砲とともに香港国際マラソン42.195キロのレースが始まった。

私の目標は3時間19分、最悪でも3時間24分。
11月20日第1回神戸マラソンが終わった後、50キロLSD、45キロLSD、40キロペース走2回をこなした。更にハーフマラソンも走っていたので目標タイムをクリアできる自信があった。

30キロまで4分30秒/キロペースを描いており、30キロ~35キロは5分以内。35キロ~40キロ5分30秒以内。ラストは6分以内。しかし、可能な限り30k過ぎても5分以内を目標にしていた。

スタートラインに達するまでジャスト2分だった。
遅れを取り戻すにはキロ10秒速く走って12キロ…

この日は体が軽くて調子がいい。
前方にいるランナーを軽快に次々と追い抜いた。

1キロ表示は無かったのか? 或いは見落としたのか? ラップを取り損ねた。
2キロ表示板が左前方の視界に入ってきたのでラップを取る準備をした。

9分ジャスト!
ロスタイムの2分を除けばキロ3分30秒ペース 速っ!

2分の遅れはたった2キロで取り戻してしまったのだ。
いい意味で予想外だったが、ほくそ笑んでいる自分を感じた。

「このままは無謀だ。潰れてしまう。4分30秒にペースを落とそう」

その瞬間は突然やってきた。

なんだこりゃあ~ あと40キロも走れね~よ!
胸を押さえつけられるような
胸を締めつけられるような
今までに経験したことのない痛み

ハーフマラソン

ハーフ、ハーフ、10キロ、フル、いよいよ4週連続の大会参加が始まる。尻上がりに調子が上がっていくか尻すぼみになるかどっちかだろう。
きっと尻上がりになるに違いない。変に自信があった。
たいした期間ランニングをやっているわけでもないのに、マラソンは己との闘いだ。楽をしたいという己の心に勝つことだ。敵は己の心の中に潜んでいる。と悟っていた。

上尾シティは以前フルマラソンだったらしいが今はハーフ。自分はJR高崎線沿線の出身なので上尾は地元みたいなもの。昔埼玉国体を開催したときに造られた陸上競技場が発着点。
3回目の大会出場となるとさすがに勝手がわかってきたので緊張も少ない。駒大や東洋大、日大、順大といった伝統校の選手が多数参加。伊奈学園総合など地元高校の生徒も参加しているようだ。
やはり初のハーフマラソン、徐々に緊張感が増して期待と不安の中号砲が鳴った。

上尾は関東平野の真っ只中なので地形は平坦だ。陸上競技場から上尾駅方向に北へ向かい更に北上、北上尾駅の手前を左折して高崎線をくぐったと記憶している。線路の西側に場所を変え、景色は住宅地から郊外へと変化する。大宮ゴルフ場の脇をすり抜けながらまた陸上競技場に戻るコースだ。

ハーフマラソンは初めてだが21.1キロの練習は沢山やったので自分のペースは掴めていた。
誰からアドバイスをもらったわけでもないが、気がつくと自分と同じか少々速そうなランナーの後ろをストーカーしていた。少し速くてついていけなかったり、或いは自分の方が速くて追い抜いてしまったときなどは次々とストーカーするターゲットを変えていった。

当時は1キロ毎にラップをとるなんてことはしなかったので、キロ何分ペースで走っているかなんてわからない。単純に通過したタイムを通過した距離で割って計算した。ランニングウォッチは宝の持ち腐れだ!

あかぎやグリーンリボンよりも応援者が多く、ハイタッチを要求されたり頑張ってくださいと声をかけられるたびに感動。
これがマラソンてやつだ!

残り数キロ、上尾駅近くの市街地にさしかかったとき、見覚えのある後姿が飛び込んできた。最初の頃にストーカーしていたがついていけなかった人だ。

やった〜 この人には負けたくない!

必死にペースアップして抜き去り、陸上競技場に入りトラックの直線で猛ダッシュ。何人もごぼう抜きして初ハーフが終わった。
1時間44分56秒

翌週のさいたまシティではランナーズハイを経験。10キロ過ぎまで苦しかったのに突然ふっと楽になる瞬間があった。1キロは続いていたと思うが、また苦しくなってしまった。
1時間41分8秒

那須も終えて次の目標は10キロ45分切り、ハーフ1時間40分切り、そしてフルのサブ4

シンガポールにむけて心技体全てが充実していた。



ホノルルマラソン断念

旅行会社へ行ったりインターネットを見たり、ホノルルマラソンツアーの価格を調査した。
3泊5日で26万円とかピックリするくらい高い。ホイホイと簡単に出せる金額ではなかった。
諦めようか
でも、一度心はハワイに飛んでしまいそれを国内に戻すのも難しい。
コオリナ
あ〜ハワイ行きたかったなあ!

もっと安い海外マラソンはないものか?
シンガポールマラソンが12月第1日曜日、つまりホノルルの1週間前にあり3泊4日10万円。5万人参加のアジア最大級のマラソン大会。
妻はハワイなら一緒に行きたいと言っていたが、シンガポールは興味がないらしく一人で行くことになった。

決めた。シンガポールだ!

その前の調整として10/4.グリーンリボンランニングフィスティバル10キロ、11/15上尾シティハーフ、11/21さいたまシティハーフ、11/29那須10キロと次々エントリー。
本番の12/6シンガポールまで4週連続だったが、そのくらいのことは出来るという自信のようなものがあった。

グリーンリボンはサブ50分目標を難なくクリア。那須もサブ50分を大幅にクリアして46分台、30位という成績だった。

次回は初ハーフマラソンについて語ります。

ハーフ対策とフルマラソンの作戦

上尾シティは制限時間2時間20分。経験のない自分にとってこのタイムがどんなものなのかわからない。
9月に入ると5.2キロの周回コースは26分台で走れていた。
ハーフは長丁場で何が起こるかわからないので21.0975キロを1時間50分以内で走らないとダメだ。30分余裕があれば何があっても大丈夫だろう。足切りにはならない。

所沢航空公園にランニングコースがあって100m間隔の距離表示がある。毎週土日は必ずここで21.1キロをレース感覚で走った。
自分はゴルフが大好きで年50回くらい行くのだが、ゴルフに行っても夜は航空公園で走った。
初めての航空公園練習から21.1キロを2時間以内で走れていたが、1時間50分を切ることもなかった。不安でたまらなかった。自分は遅いのか普通なのか?(1時間51分~52分)

フルマラソンに向けては「完走することが目標」というのが嫌だ。タイムにこだわりたい。
何となくだが、理由もなかったが3時間台で走りたい。4時間を切りたいと思った。勿論サブ4とかサブ3なんて用語は知らない。実際に耳にしてもその意味すらわからなかっただろう。

4時間を切るための作戦を練った。
キロ5分で20キロ走る。キロ10分で1キロ早歩き。キロ5分30秒で10キロ走る。キロ10分で1キロ早歩き。キロ5分30秒で5キロ走る。キロ10分で1キロ早歩き。キロ6分で4.195キロ走る。

3時間57分42秒でフィニッシュ!
問題は号砲からスタートラインまでのタイム差だけだ。(2分ならOK)

歩かずに走りとおす自信はないが計算上は歩いても4時間切りできる!
そのためにはハーフマラソンは余裕をもって1時間42分〜43分で走れるようにしよう。
日々走って走って走りまくった。月間400キロに迫る勢いで…

体のケアはマッサージと鍼。
さすがに鍼を打った後は走れないと思ったので、行きは走って通院した。
汗が引くのに時間がかかり先生に少し待ってもらうのだが、
「長いこと鍼灸院やってますが走って来た人はあなたが初めてですよ。」

足が痛いのが慢性化して鍼を打つと呻き声を上げてしまうほど…
鍼そのものが自分に合っていないのかもしれない?
6月下旬にランニングを始めてアッという間に走る距離が増していったので足は悲鳴をあげていた。
今考えると多分練習過多だと思う。

初めての大会

初めての大会ということで前の晩から興奮していた。早起きして車で赤城へ向かうのだが、目覚まし時計が鳴る前に起きていた。

赤城に着くと8月なのに寒いくらい。さすが標高1400m…
ランニングクラブに入っているわけでもなく、ランニング仲間がいるわけでもなく、ずっと一人で走っているので大会がどんなものなのか、当日はどうしたらいいのかなど全くわからない。
朝食を食べると走っている最中吐きそうな気がして終わるまでは水以外口にすまいと思った。

8月の走行距離は今日の10キロを含めると350キロに達する。足がたまらなく痛かった。びっこを引いて歩いているが、走るとなると気持ちの持ちようなのか普通に走れた。

箱根駅伝常連の大学や有名実業団の選手たちが練習がてらエントリー(招待?)している。
マラソン大会が初めての自分にとって、市民ランナーたちでさえ速く見えてしまう。
ビリになってしまったらどうしよう。ビリだけにはなりたくない。
近くにいた明らかに自分より年上の人が「俺の目標は40分切りだ」と話しているのが聞こえた。
自分は人に言える目標なんてなかったが、密かに狙っていた目標らしきものはあった。
練習で大沼の周りを走った感覚がトラウマになっているせいか55分を切れれば上等。

号砲が鳴ると一気に緊張が増した。
スタートラインを過ぎたとき、ある種の感動があった。大会に出ている感動なのか?
緩やかにずいぶん先まで上っているのがわかる。
1キロ少々走った頃だと思う。前方に遅いランナーがいたが、道路が狭くて追い抜き出来ない。
「何やってんだよ~こいつ、邪魔くせい奴だな~」
怒り心頭やっとの思いで追い抜きをかけて振り向きざまに相手を睨んだ。
盲人ランナーで伴走者もいた。
心の中とはいえ、酷いことを言ってしまった自分を責めた。申し訳なくて涙が出そうになった。
気がつかれないようスピードを落として並走し「頑張ってください」と声をかけた。
少し気が楽になった。

心臓破りの坂を駆け上がり、呼吸ができないほど苦しかった。心肺の限界か?
その頃救急車がサイレンを鳴らして走っていた。1台ではないようだ。
広い道路に出たとき、大会関係者の車のスピーカーから
「このコースは標高が1400m以上です。皆さんが普段練習しているところに比べるとかなり酸素が薄いです。危険ですので無理をしないよう走ってください。」
「そうか。だから練習から苦しかったんだ。だからペースが上がらなかったんだ。」当たり前のことにやっと気がついた。

その後は無理せず苦しくない範囲で走ってフィニッシュ!
54分55秒

ホノルルマラソンに向けて

ホノルルマラソンに向けて何か大会に出ないとなあ〜

夏場のため大会が少なくて、群馬県の「 あかぎ大沼白樺マラソン」というのを見つけた。

10キロと20キロ
20キロに出たいけど自信がない。
悩んだあげく10キロにエントリー。

何でお前は20キロにしないんだよ 。この弱虫め〜 (怒)

妻と愛犬ピーちゃんを道連れに真夏の赤城へ日帰り練習。
快晴だったが標高が1400mもあるとかなり涼しい。

コースマップを片手にまずは大沼の周りを流しで1周。
本番はこれを2周するので次はペースアップ。

苦しかった。
思うようにペースが上がらない。
いつもの練習より遅いじゃないか。

苦しい理由、ペースアップできない理由は大会当日に気がついた。

あかぎが終わった後は、秋の大会でハーフマラソンに出ることを決心しており、「上尾シティ」と「さいたまシティ」(さいたま国際の前身)の2週連続が候補。あと2〜3本は追加しようと思っていた。

7月の月間走行距離は300キロを超え、8月はそれを上回る勢いで走りまくった。

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