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無理やりリハビリ

2012年2月13日月曜日
朝の回診が終わってしばらくすると看護師さんが様子を見に来た。
医師に直接聞けば良かったのだが、いつまでこのベットの上で拘束され続けるのか不満だった。
だってそうだろう。ブンブン丸はこれから復活しなければならない。日常生活に支障がない程度?とんでもない。走るためには一刻も早くリハビリを開始して、なまった身体や筋肉を目覚めさせなければならないのだ。ここで寝ているわけにはいかない。

『リハビリはいつからやるの?どうしてやってくれないの?』
『ブンブン丸さんは心臓ですから。しかも緊急だし。そんな簡単にリハビリは開始できませんよ。1週間は絶対安静です。ベットから降りることも許されません。リハビリは一般病棟に移ってからです。みんなそうです。廊下歩いてる患者さんいますか?いないでしょ。ここはCCUですから…』
『寝たままだから身体中が痛くてたまらないよ。床擦れになっているんじゃないかなあ。早くリハビリやってもらわないと身体がどんどん衰退していく。お願いだからリハビリやらせて。やりたいんだよ。』
何度もしつこくしつこくお願いした。
呆れ果てた看護師さんは
『先生に聞いてきます。先生の許可がないとできませんから。』

『少しだけですよ。』
ベットを起こしてくれた。
手術後


『早くリハビリやって。』
『ベットを起こすのもリハビリです。体力使うんです。これ以上は先生の許可が出ません。』

もう4日間も食べ物を口にしていない。点滴だけだ。こんな状態が続いていたら体力を回復できない。
午後になって妻が来たので夕飯を食べたいから看護師さんに話してきてと頼んだ。
医師が来て、点滴だけで十分な栄養を補っているから大丈夫と説明されたが、腹ペコなんだと主張して夕食にお粥を出してもらうことになった。ベットを起こして食べるのではなく、椅子に座って食べたいと主張。
ブンブン丸は他の同程度の患者に比べると驚異的な回復力を見せているらしく、医師は渋々了承してくれた。きっと言うことをきかないうるさい患者だと思っているに違いない。
しかし、ベットから降りるのは辛くて痛かった。胸が動くと切断した胸骨と肋骨がずれて強烈な痛みに襲われる。ゆっくりゆっくり支えてもらいながらやっとベットの脇にある椅子に座ることができた。これもリハビリなんだ。
久しぶりの食事は嬉しかったが、自分で食べることはできずにスプーンで口に運んでもらった。
胃がビックリして受けつけけない…食べないと明日から出してもらえないと思ったので一生懸命食べた。見かねたのか、医師が
『最初は少しでいいんですよ。残してください。無理はしないでくださいね。少しずつ食べて胃を慣らせばいいんです。』
3分の1ほどしか食べれなかった。そして気分も悪くなり、ベットに戻った。気分が悪いなんて言ったら明日は降ろしてもらえない。リハビリは禁止になる。勿論そんなことをブンブン丸が言うはずはない。
明日は歩くぞ!

翌朝看護師さんが来て、この部屋のドアまでなら歩いていいと言ってくれた。おそらくたった3mの往復だ。ドアまで行ってブンブン丸はドアを開けた。
『だめですよ。先生に叱られます。』
制止を振り切り廊下に出た。
『先生に聞いてきますから、ここで待っていてください。』

『お隣の部屋までの往復だけ。10mくらいですよ。今日はそれで終わりです。』
『わかった。わかりましたよ。』
しかし、それ以上に歩いた。点滴と血小板の輸血の台を転がしながら、尿袋をぶら下げてゆっくりゆっくり歩いた。
隣の部屋を過ぎてその隣。またその隣。皆んな心臓手術をした患者さんで文句も言わずにおとなしく寝ている様子。ベットを起こしている人すらいない。
(忍耐強い人たちだなあ〜)
そしてまだまだ進んで行った。
『ブンブン丸さ〜ん、もう戻ってください。まったく〜』
看護師さんが呆れた表情でブンブン丸の左側に来た。
『もう少し…お願い。』

ナースセンターの前に来た。
遠目に中を覗いてみたら、ひとりの看護師さんが
『あっ、ブンブン丸さんが歩いてる…』
(叱られちゃうかな?先生もいる)
またひとり
『ホントだ!ブンブンさん歩いてる…』
またひとり…
そして医師も
『ブンブン丸さん…』
どこからともなく拍手が沸き起こった。だんだん大きくなった。
『良かったですね。良かったですね…』
口々に祝福された。皆んなにこやかに笑っていた。とっても優しい表情で…
軽く会釈をしてスマイルで返した。スマイルは、すぐにくしゃくしゃに崩れそうになった。いや、崩れていた。
(ありがとう。ありがとう。皆さんのおかげです。皆さんのおかげで少しずつ元気になれました。ほんとうにありがとうございます。)

4年経った今、あの時の光景を思い浮かべるだけで目頭が熱くなる。
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宣告

2012年2月12日日曜日
手術を執刀したT医師が来た。
『今から人工呼吸器をはずしますから喋れるようになりますよ。』
(やった!やっと喋れる。聞きたいことがあるんだ。)
手術が終わってからずっとずっと考えていた。
3手術

『どうですか?楽になりましたか?』
『はい。(少し間をおいて)
4月15日にかすみがうらマラソンがあります。それに間に合いますか?』
『……………』
T医師はニコッとつくり笑いを浮かべた。
『ブンブン丸さん、あなたは生きるか死ぬかの大手術をしたんですよ。しかも心臓の緊急手術です。緊急の場合、CCUに2週間入ることになります。計画的なバイパス手術とはわけが違います。まだベットから起き上がれていないので実感できないでしょうが、CCUを出たら日常の生活ができるようにリハビリをしてもらいます。たいへんですよ。まずは日常生活に支障のない程度の回復が目標です。走る?…気持ちはわかりますが、かすみがうらなんてとんでもないです。』
『かすみがうらは無理として、これからマラソンはできますか?ランニングは続けられますか?』
ニコッと笑った。静かにゆっくりとした口調で
『現実的ではないですね。(沈黙)危険ですよ。そんなことしたら…』
(言葉を選ぼうとして沈黙した? 死ぬとでも言いたいのか?)
『危険ですよ。歩いてください。リハビリはウォーキングが主体です。歩くのが一番いいんです。マラソンは(沈黙)…危険です。自転車なら、将来的に自転車ならできます。』

予想はしていた。マラソンはできない。ランニングはできない。当然かすみがうらマラソンはDNS…
でも、自分の口で確かめて自分の耳で聞きたかった。だめだということを…
(当たり前だよな。マラソンできるなんて言うはずがない…)
『わかりました。これからは応援する方にまわります。』
T医師も妻も大きく頷いた。

どっと涙が溢れた。一瞬で目が霞むほど涙がたまり、流すまいと堪えたが堪えきれなかった。聞かなくてもわかっていたはずなのに、想像していたはずなのに、納得していたはずなのに、誰が考えても当たり前のことなのに、たまらないほど悲しかった。悔しかった。ショックだった。
すべてが消えた。サブ3.5もサブ3もすべてが崩れ去った。
皇居の夜景、新潟、東京、北海道、神戸の大声援。初めてのフルマラソンシンガポール。彩湖の周りをぐるぐる戸田彩湖。2回走った香港。アミノバイタルACの苦しいけど充実した練習やコーチ陣。サブ3を目指すきっかけをつくってくれて練習方法などたくさんのアドバイスをしてくれた尊敬するYKさん…次々に今まで経験したいろんな光景が頭の中を脳の中を駆け巡った。すべてが終わりだ。ブンブン丸のランニング人生は駆け足で過ぎてしまった。あのランパンもあのランシャツも着ることはない。あのランニングシューズも履くことはない…
(だけど、マラソンはできないって断定はしていない。「危険ですよ」とか「無理でしょうね」だ。できる可能性は残されてるってことだよ?0.01%でも可能性があるならそれにかけてみたい。でもそんなこと今の状況では誰にも言えない。言えるはずがない。自分の胸にしまっておくしかない。いつか、絶対に走る。走ってみせる。復活してみせる。絶対に…)

目覚め そして 病名変更

トントン
軽く肩を叩かれた。
『ブンブン丸さん』

目が覚めた。眩しい蛍光灯の光…
(終わったか)

『終わりましたよ。たった今終わってここに来ました。CCUです。心臓患者の集中治療室のことをCCUといいます。奥さんここにいますよ。』

(あ、いた)
時計が見えた。
(1時半か。…8時間半…だいたい予定通りだ。うまくいったのかな!?)
予定より早く終わる手術は手の施しようがない。
予定より大幅に時間がかかる手術は何か想定外のことが起こった。
だから手術前に予定時間を確かめた。ほぼ言われた通りの時間…きっとうまくいったはずだ!

『私の顔がはっきり見えますか?私の手がはっきり見えますか?ぼやけていないですか?』
『……………』
(声が出ない…声が出ない…)
『今は喋れませんよ。人工呼吸器がついているので喋れません。気管まで入っていますから。YESは目を閉じてください。NOはそのままで結構です。』
(だったら最初からそう言えよ。最初から喋れないって言えよ。)
『この手が見えますね?ぼやけていないですね?』
目を閉じた。
『大丈夫そうです。』
『少し手を上げてグーパーグーパーしてください。』
(上がらない…上がらない…)
『麻酔から目を覚ますと錯乱状態で暴れる患者さんがいるので手足はベットに縛っています。だから手は上がりません。そのままの状態でグーパーしてください。』
(だったら手を上げろなんて言うな。なんだよこいつは…)
『大丈夫ですね。後遺症はないですね。脳梗塞の心配はありません。ひとまず安心です。』
詰まっていた血栓が手術によって脳に飛ぶと脳梗塞を発症する。これが怖い後遺症なのだ。その他にも造影剤等を使っているので腎臓機能が低下して人工透析という後遺症もある。

2手術DSCN1828

手術中のことは何もわからない。麻酔医が「2」と言ったところまでは記憶にあるがそこから先はわからない。

(何でこんなに足が痛いんだ。心臓の手術をしたはずなのに何で足が痛い…?何で足に包帯が巻かれている?全身麻酔前のあの足への衝撃?あれはいったい何だったんだろう?)

『右手のところにブザーを置きます。ブザーを押せばナースセンターに通報されて看護師がすぐに飛んできます。』
右手のひらでしっかりと握りしめた。
(早くこの両手両足の紐を解いてくれ。俺は人質じゃない!)

『寒くないですか?空調は調整できますから言ってくださいね。』
(どうやって言うんだよ。俺は喋れないんだ。)
微かに動く右手拳でベットのパイプを叩いた。
『寒い?』
『暑い?…』
目を閉じた。
『じゃあ温度下げましょう。』
手術の影響か?身体の体温調整が上手くできなくて、温度を下げると寒くなり、上げると暑くなりの繰り返し。自分では30分も1時間も我慢しているつもりだが、妻云く、3分おきにブザーで看護師を呼んでいたそうだ。

だんだんと麻酔が切れてきて身体中が重苦しく、もうどこが痛いのか?
少しでも胸が動くとこの世の終わりじゃないかというくらい激しい痛みに襲われる。咳でも出たら最悪だ。タンが詰まって吐き出すときは決死の思いで覚悟はするが、それでもアゥーと呻き声があがってしまう。
(いつまで我慢すればいいんだろう?)

ほとんど朝まで眠れなかった。
それは妻も同じで手術中もずっと廊下にいたらしく、麻酔で眠っていたブンブン丸より疲れていたはず。
(迷惑かけちゃってゴメンね。そしてありがとう。)

朝になると医師や看護師が入れ替わり立ち替りに来る。胸のさらしをはずし、ガーゼを剥がして消毒。目を下に動かせば傷口は見えるだろうがとても見る勇気がない。胸にメスを入れ、胸骨と肋骨を電動ノコギリで切断して開く…ブンブン丸の心臓が現れる。そんなことを連想してしまうので見たくもない。足もぐるぐる巻になっている包帯をはずして消毒。またぐるぐると包帯が巻かれる。
なぜ足が痛いのか?なぜ足に包帯が巻かれているのか?聞きたいが喋れないので疑問のままだ。

<後からわかったこと>
バイパスをつくるために自分の下肢の大伏在静脈と内胸動脈を取り出してグラフトとして使用した。左足は膝上内側からくるぶし下内側までの血管がなくなった。内胸動脈は胸の中なので胸を開いたときに取り出した。

身体を見渡すと無数の管がいたるところから出ている。口(人工呼吸器)は勿論のこと、鼻、頸動脈、鎖骨の近く、腕、尿管…
ベットの左側にはモニターがあって血圧、心拍数、心電図までがリアルタイム表示されている。テレビや映画で見るような光景が広がっているが、これは夢や空想の世界ではなくまさに現実だ。
昨夜は警報音のようなものが何度も鳴り響き、そのたびに自分は死んでしまうのかとドキドキした。たぶんだが、血圧が下がりすぎたりするとナースセンターに警報されるのではないか?
血圧は今までに見たこともない驚くほど低いものだった。こんな低い血圧で生きられるのか?

喋れないので意思表示がうまくできなくてイライラした。

お昼前に妻が家に帰った。病院から疲れているだろうから帰宅して休みなさいと指示があったため。CCUなので看護は24時間体制。病院に任せておけばいい…

広いCCUに自分一人とり残されて、喋ることもできず、手足の自由もきかず(縛られたまま)、立ち上がること、歩くこと、何もかもできず…暇であり、不安であり…
廊下を歩く看護師さんが見えると(ドアがガラス張りになっているので外の様子がわかる)ここに来てくれないかなと願いごとをした。

夕方医師が来て、急性冠症候群から「急性心筋梗塞」に病名が変更されたことを告げられた。

緊急の冠動脈バイパス手術

2012年2月10日金曜日
午後1時に内科手術のカテーテルを行うことになっていた。
今日は朝食も昼食も抜きなので空腹に耐えなければならない。
手術は怖いがメスを入れるわけではないので大丈夫だと自分に言い聞かせた。
看護師さんが励ましに来てくれる。そして妻も朝早くから病院に来てくれた。

12時00分 あと1時間だ。
12時40分 看護師さんが迎えに来た。
「そろそろ行きましょう。」
今回は車椅子ではなく、移動式ベットでエレベーターに乗った。
手術室の前までは妻も一緒だったが、待っている場所を指定されたらしく「頑張ってね」と言って姿を消した。

足の付け根の動脈からカテーテルを通すため、足の付け根に局部麻酔が打たれた。痛いけどこのくらいは我慢だ!
意識ははっきりしているので目を開けていればどんな状況なのかがわかる。昨日説明してくれた医師とその助手と思われる若い医師。そして初診でブンブン丸を診てくれたK女医がいた。あとは看護師。

足の付け根からカテーテルを通したが、モニターの映りが悪いみたいだ。
「おかしいなあー どうしちゃったんだろう 映らないよー まいったなー」
患者にとっては不安になる会話…
結局カテーテルが途中まで刺さったまま手術室を移動することになった。

今度はしっかりモニターに映るようだ。
カテーテルは少しずつ心臓に向かって通されていくが、進んでいる感覚がわかって何とも気持ち悪い。目を開けているとモニターが視界に入ってしまうので閉じることにした。いつの間にかうとうとと眠りについてしまった。
『ブンブン丸さん』
大きな声で慌てた医師の声で起こされた。
時計を見ると午後4時半くらいだったので終わったのかと思った。
『モニターを見て下さい。』
『はい』
『昨日の夜説明しましたね。カテーテルができないのはどんな時かなのか。モニターを見ればわかりますが、ブンブン丸さんは血管が分岐するところが詰まっています。しかも1本ではありません。3本です。ほとんど血液が流れていません。これでよく生きていられる。生きているのが奇跡です。どうして生きているの不思議です。』
顔をやや左に傾けて横目でモニターを見た。
初めて見る自分の心臓と冠動脈。
血管が影になって映っていないところがある。途切れているところがある。心臓が苦しそうに膨らみしばらく静止する。そして少し時間をおいて苦しそうに収縮して血液を送り出す。血流が見える。しかし、血管が途中で途切れて映っていない。血流が途絶えている? しばらくするとその先の血管からスーッと苦しそうに流れる様子がわかる。まるで助けてくれと叫んでいるようだ。

医師の声が大きくなった。
『内科医はここまでです。カテーテルはできません。これから先は心臓血管外科に引き継ぎます。バイパス手術をしないと助かりません。外科手術です。』
『いつやるんですか?』
『何を言っているんですか。今です。今。時間がありません。あなたは今私と話している最中に死んでもおかしくない状況です。今すぐに死んでも何の不思議もありません。今です。今。時間がない。』
看護師さんに向かって
『早く心臓血管外科に連絡して。手術室はどこが空いている?すぐに手術だ。緊急だ。準備しろー』

事の重大さに気がついた。
(やばいぞ、これは)

カテーテルを静かに抜いた。
『もう麻酔はきいていません。麻酔の注射も痛いです。このまま麻酔なしでカテーテルの傷跡を縫合しても痛さに変わりはありません。我慢してください。麻酔なしでやります。』
『はい』

うううっ…
(嘘だー 麻酔注射の方が痛くないじゃないか)
ううっ…
麻酔なしで5針縫合…

『奥さんはどこだ?早く奥さんを探して連れてきてー。話がある。』
医師の声が響いた。

あっという間に体毛を剃られて手術室への移動が始まった。
ベットを押されてエレベーターに乗り込むと妻がいた。
『会社に連絡して。◯◯さんが外出でいなければ総務部の◯◯さん。しばらく会社へは行けないって伝えて。大変なことになってしまったみたいだよ。』

妻は冠動脈バイパス手術の同意書に署名するため医師の説明を受けに行った。
『バイパス手術の説明は手術と並行して詳しくします。今はここに署名してください。時間がないんです。』
『説明なしに署名なんてできません。』
『ご主人亡くなってもいいんですか.。時間がないんです。緊急なんです。署名した後に医師が詳しくわかりやすく説明します。だから…』
『でも…説明してください。』

ブンブン丸は数十人(20〜30人くらい)の医療スタッフに囲まれて救急で使用する手術室に向かっていた。さらしのふんどし1枚でほぼ全裸状態。
年配の看護師が、
『マラソン中に倒れたんですって。でも、すごい筋肉しているわねー。見て、この足の筋肉。こんなすごい筋肉見たことないわー。人間って鍛えればここまでなれるんだねー。お兄さん、頑張ってね。頑張って。もう大丈夫よ。良かった良かった。手遅れにならないうちにわかって良かった。もう大丈夫。助かるわよ。』
手術を前に筋肉を褒められてしまうと思わずニッコリしてしまう (^O^)

手術室の前に来て突然止まった。ブンブン丸は目を閉じていた。普通なら怖いであろうこの大手術も訳のわからぬうちに進んでいるので怖さを感じる暇がない。バイパス手術なんて予想もしていなかったのでどんな事をするのかまるでわからない。昨日はカテーテルの説明を受けただけでバイパス手術については何も聞かされていない。
執刀医らしき医師が
『これからブンブン丸さんが行う手術は一生で一度あるかないかの大手術です。死亡するリスクがあります。成功しても後遺症が残るリスクがあります。しかし日本の心臓外科は世界トップクラスです。しかもここは大学病院です。必ず成功します。ご安心ください。』
(今更ジタバタしても仕方ない。俺の命、この先生に預けよう。)
『はい。』大きく頷いた。
同時に自動扉が開いた。

もう一人のブンブン丸が天井からこの光景を眺めていた。
まるでテレビドラマを見ているような光景だが、これは現実だ。

妻に…俺は絶対に死なないぞ。死んでたまるか。後遺症?そんなもの残さない。また海外旅行へ行こうな。
Pちゃん…会いたいなあ。でもまだそこには行けないんだよ。まだやりたい事があるんだ。あと40年待ってくれ。だから見守ってくれないか。俺はまだ死ねないんだ。
母…お母さんが死んで27年か。あと4年でお母さんが死んだ歳に追いつくよ。再会するにはまだ早すぎる。だから見守ってよ。
父…41年も経っちゃったなあ。顔忘れそうだよ。天国行って見つけられるかな?でも、俺はまだまだ行かないからね。
祖父母…じいちゃん、ばあちゃん、大変な事になっちゃったみたいだ。だけど、絶対に絶対に俺は生きて帰る。元気で帰る。マラソンまだやりたいんだ。

手術室に入り執刀医に手術にかかる時間を質問した。緊急で手探り状態になるため8時間前後という答えが返ってきた。時計を見ると午後5時を回っていた。

その頃、妻は署名しろ説明しろで大奮闘していたらしい。
署名が終わるまで全身麻酔はできない。手術にはとりかかれない。執刀医の『まだか?』という声が何度か飛び交った。
肩か背中かよくわからないが、いきなり物凄く痛い注射を刺された。

うううっ…
とてつもなく大きな呻き声。
麻酔なしの縫合なんかよりも痛い…
胸から下が見えないようについたてのようなもので隠され左足に大きな大きな痛みが走った。

ビリビリビリッ…
ビリビリビリッ…
ビリビリビリッ…

うううっ…
うううっ…

さっきにも増して大きな呻き声…
(何をしてるいるんだ。俺の左足に何をしているんだ…)
バイパス手術の説明など受けていないので、グラフトとして使うための静脈を取り出していることなど知る由もない…
手術の同意書に署名がもらえてないため業を煮やした医師団が下半身麻酔でブンブン丸の足の静脈を取り出した。
しかし、麻酔注射→即血管取り出し…麻酔がきいていない?
縫合→麻酔注射→血管取り出し…どんどん痛みがエスカレート

麻酔医が静かに言った。
『これから私が五つ数えます。私の指を見てから目を閉じてください。1.2.3.4.5. でも、3まで聞かないうちに意識はなくなると思います。目が覚めた時は手術が終わっています。いいですね…』
数え始める前にまずは目を閉じた。
(俺は絶対死なないぞ。死んでたまるか。絶対に、絶対に元気で目を覚ます。元気で戻ってくる。いいかブンブン丸、意識はなくても気力は保て。生きるという信念を捨てるな。死んでたまるか。後遺症なんか残してたまるか…俺はまだまだやり残していることがある。まだまだ走るんだ…)
目を開けて
『はい』 大きく頷いた。
(俺の命、皆さんに預けます。)
指を見て目を閉じる…
『1 2…』

カテーテル療法(内科手術)と冠動脈バイパス手術(外科手術)

<カテーテル療法(内科手術)>
カテーテルと呼ばれる2mmほどの細い管を足の付け根などの動脈から入れ、冠動脈内までカテーテルを通した上で血行を改善させる治療法。心臓にメスを入れずに局部麻酔だけで行えるため、患者の身体への負担が小さい。
代表例としては冠動脈内ステントがある。カテーテルの先端にバルーン(風船)をつけて冠動脈まで通す。このバルーン部に金属の網でできたステントと呼ばれる筒をつけ、バルーンが膨らんだ際にはステントも広がって血管内を内側から補強する治療法。治療後もステントは血管内に残って冠動脈の狭窄部位を支えている。治療後6ヶ月以内の再狭窄率は15%くらい。

<冠動脈バイパス手術(外科手術)>
狭窄した冠動脈はそのままにして、そこをまたぐように自分の血管で新しいバイパスをつくり、心臓への血流を改善する治療法。この手術は胸を開いて行う外科手術で、心臓血管外科の担当医が執刀する。開胸(胸骨と肋骨を切断)して手術を行うため患者の身体への負担が大きい。心筋梗塞の発作が起きている急性期に行われることはあまりなく、通常は冠動脈カテーテル療法で急性期の発作を乗り切ってから手術が行われる。動脈硬化によって冠動脈の狭窄が広範囲に及んでいる場合や、カテーテル療法を行っても狭窄を繰り返す場合、カテーテル療法では治療ができない場合(血管が分岐している部位が狭窄している場合)に行われる。冠動脈バイパス手術によって治療を行うかの判断は緊急の場合を除き、医師と患者、家族が十分に話し合ったうえで行うのが基本である。
バイパスに使用する血管のことを「グラフト」といい、グラフトは患者の身体の他の部位から健康なものを取り出して使用する。使用する血管には動脈血管と静脈血管があり動脈血管で主に使われるのは内胸動脈、橈骨(とうこつ)動脈、胃大網動脈など。静脈血管で主に使われるのは下肢の大伏在静脈などがある。
グラフトに使用する血管はなくなっても他の血管が役割を補える場所から採取するため、グラフトのために切り取っても問題はない。ただし、しばらくはむくみなどが生じる。

入院

2012年2月8日水曜日
週明けの火曜日か水曜日には退院できる。退院翌日から出勤だ。そんな軽い気持ちで入院した。今年度は仕事が忙しくて休日出勤が多く北海道や神戸、香港の休暇は全て振休。夏休みだって1日もとっていない。このくらいの入院休暇なら会社に文句など言わせるものか。それ以上にブンブン丸は働いているんだ。

病室は4人部屋でフロア全部が心臓疾患の入院患者。担当医と担当看護師の名前がベットに書かれており、その担当看護師からいろいろと説明を受けた。気の強そうな美人タイプ。名前は覚えてないので気が強そう…キキさんと呼ぶことにする。

カテーテルは明後日だが、入院早々早速検査が始まった。点滴を数時間した後、これを読んでおくようにとキキさんに心臓の病気に関する本を渡された。狭心症、心筋梗塞、大動脈瘤解離やカテーテル、心臓バイパス手術などのことが書かれている本を…
今まで心臓病は自分とは無関係だと思っていたので生まれて初めて知ることばかり。

でも、なぜ俺が…?
なぜ俺が心臓…?

同部屋の3人は狭心症でバイパス手術待ちの人。1ヶ月前から入院しているが、減量しないと手術ができないそうで15kgも落としたそうだ。同じく狭心症のバイパス手術待ちで大動脈瘤解離の手術経験もある人。『俺はいつ死んでもいいんだ。煙草が吸いたい。隠れて煙草買いに行こうかな。あー酒が飲みたい。』と騒いでいる意志の弱そうなブンブン丸が大嫌いなタイプ。もう一人は今日カテーテル手術をした人。

夕食を食べ終わった頃、キキさんがカテーテル手術の担当医を連れてきた。

『 香港マラソンで倒れたんですって。マラソン速そうですね。トップアスリートでもサッカーの松田は急性心筋梗塞で亡くなってますからね。メタボだけのものではないんですよ。心臓は…』
『倒れてはいないです。倒れる一歩手前でした。』
『カテーテルの詳しい説明は明日の夜にしますからキキさんに渡された本をよく読んでおいてください。』
『わかりました。』

翌日も手術前日ということで簡単な検査があり、キキさんもちょくちょく様子を見に来てくれた。
そしていろんな看護師が入れ替わり立ち替わりに来てくれる。
『香港で倒れたんですって。マラソン速いんですってね。サブ3なんでしょ。』
みんな勘違いしている。初診時Kドクターに尋ねられた時、PBが3時間38分でサブ3を目指していたとは言ったけどサブ3ですとは言っていない。噂が拡大している⁉︎
この心臓疾患専用の病棟でブンブン丸が有名人になっていたことだけは確かだ。廊下を歩いていても知らない医師や看護師にブンブン丸さんと声をかけられる。まんざら悪い気はしなかった。

夜になってカテーテル担当医の手術説明があった。

冠動脈が3本あることの説明。カテーテルの説明。ステントの説明等々。
万一冠動脈が分岐するところで狭窄が起こっていた場合はカテーテルができないのでバイパス手術になるが、ブンブン丸さんはその心配はないから大丈夫。狭窄はこの部分だと思う。とスライドの図で説明を受けた。医師もブンブン丸も看護師のキキさんも、そして妻も明日起こる緊急事態のことなど誰も想像していなかった。

命の恩人

羽田に着いたのは2月6日月曜日夜9時か10時頃だったと思う。
久喜の上司◯田さんに電話した。マラソンの時はいつもブンブン丸のたわいもない話を最後まで聞いてくれて、記録のことも真っ先に尋ねてくれた。
香港から「アクシデント発生」とだけメールを送っていたが、詳しいことは何も伝えていない。
「何があったんだ?」という返信メールにも答えていなかった。
ありのままを詳しく伝えた。

「2日間休暇(振休)貰っちゃったし、10日金曜日に市役所へ提出する書類が未整理だし、明日から会社へ行きます。元気いっぱいだから病院は土曜日診療しているところを調べて行きます。」
「おい、ブンブン丸、お前ろれつが回ってないぞ。喋り方が変だぞ。いつもと違うぞ。大丈夫か?普通じゃないぞ。仕事はいい。気にかけてくれるのはいいけど自分の体を大切にしろ。もし自分の体に何かあっても会社は何もしてくれないぞ。会社は冷たいもんだぞ。会社っていうのはそういうもんだ。だから自分の体は自分で守れ。仕事なんか今はどうでもいい。明日はすぐに病院へ行け。会社は休め。」語気が強まった。

◯田さん、昔何かあったのかな?何か苦い経験してるのかなあ?
でも、お言葉に甘えて明日は病院へ行く決心がついた。

◯田さんの言葉がなければ土曜日まで病院へ行くことはなかっただろう。
◯田さんの一言がブンブン丸の命を救ったのである。

香港の病院を出てから煙草は3~4本しか吸っていない。
家に着いて煙草をくわえ、火をつけようとしたが思いとどまった。
検査結果が出るまではやめよう!

明日病院へ行くとしても、これから先通院することになるだろうから土曜日も診療しているところへ行った方がいい。通院の度に会社を休むわけにはいかないからな。

心臓は何科だろう?…循環器科
循環器で良い病院、家の近く……M病院 。ダメだ。土曜日は休診だ。
他に……あった。K大学病院。循環器内科の評判は……いいじゃないか。ここに決めた。ここへ行こう。

翌朝起きて煙草が吸いたかったが我慢した。朝食も食べてしまうと検査に悪影響かなと思い我慢した。

大学病院へ行くのは初めてだ。
ブンブン丸は超健康体で、風疹・おたふく・水疱瘡にもかかっていない。(かかったのははしかだけ)インフルエンザでさえも未経験。毎年受ける人間ドッグも異常なし。それどころかマラソンを始めてからは40歳代後半なのに体内年齢24歳という驚きの結果。風邪もここ10年で1度くらいしかひいていないし、病院といえば歯医者か整形外科くらいしか行っていない。

大学病院というのは原則紹介状が必要だそうだ。それがないと初診時に5,000円くらい加算される。そして長時間の順番待ちになる。
ブンブン丸は香港のドクターに渡された封書を持っていたので大丈夫かな?と思っていた。受付でそれを渡した(勿論いきさつも話した)が、紹介状扱いにはしてくれなかった。
「循環器内科の受診になりますのでこの封書は4Fの受付に渡してください。予約していない方は空いたスペースで診察をすることになるのでかなり待つと思いますよ。」

4Fの循環器内科で受付をして封書を渡した。
10分ほど経った頃だと思う。名前を呼ばれたので受付に行くと、
「緊急を要するので先生がすぐに診てくれるそうです。間もなく呼ばれますからここを離れないでください。」

Kという女医さんがブンブン丸を診てくれた。
「大変だったみたいですね。すぐに検査をしますから。」
「何て書いてあるんですか?」
「一番心配なのはトロポリンの値が0.99と高いことです。」
「トロポリンて? 正常値は?」
「0.01が正常値。この値が高いと心筋梗塞の可能性があります。トロポリンが検出されたということは心筋の壊死が始まっていることを意味します。」
「えっ…でも元気ですけど…」
「そう見えますね。すぐに検査します。地下1Fの受付へ行って指示に従ってください。緊急なので優先して検査と診察をします。」
いきなり車椅子に座らされ、看護師に押されて付き添われながら検査に向かった。

香港と同じような検査だった。血液検査・胸部レントゲン・心臓超音波・心電図 他…

「このまますぐに入院してください。家族の方に連絡してください。おそらく急性冠症候群だと思います。急性心筋梗塞も考えられますが、その場合は血栓で詰まりかけた冠動脈が何らかの衝撃によって開いたのだと思います。血栓が飛んだ理由はわかりません。だから元気なように見えるのです。内科手術のカテーテルを行います。明日は手術室に空きがあるのですぐにできます。」
「入院は何日くらいですか?」
「容態次第ですが来週月曜日くらいまでかな?」
「金曜日にやらなければならない仕事があります。これから会社へ行って引継ぎをしたいので明日まで待ってもらえませんか?マラソンで会社を休んでしまったしどうしてもやらなければならない大切な仕事なんです。来週月曜日までの入院だと会社に迷惑をかけます。電話での引継ぎは難しいのでこれから会社に行かせてください。お願いします。」
「私も仕事をしている身。ブンブン丸さんの気持ちは良くわかります。でも、一刻を争う事態かもしれません。命がかかっているかもしれません。気持ちを鬼にして駄目ですと言いたいところですが、ブンブン丸さんを尊重します。明日入院ですと木曜日は手術室が空いてないので10日金曜日のカテーテル手術です。今日は無理をしないで引継ぎが終わったらすぐに帰宅してくださいね。楽観できるような状態ではないですから肝に命じてください。明日は8時までに家族の方と入院の準備をして来てください。」

湘南新宿ラインで久喜へ向かい、引継ぎが終わったのは夜9時をまわっていた。

月曜日には退院できるという軽い気持ちだった。カテーテルなんて知らなかったが、聞くところによるとそんなにたいしたことはないみたいだし・・・
朝から食事が禁止なのと24時間安静にしているくらい。少しの辛抱だよ。3時間程度の辛抱だ。フルマラソン走るより短い。


私を病院に連れてって

高速道路の中央分離帯を乗り越えて救護用テントに必死で向かった。まだ復路にランナーは走っていない。

I feel strong pain in my heart
I want to abstain this marathon

すぐに簡易ベットに寝るよう指示され、毛布を掛けられた。陽射しも出てきて20℃以上あるはずなのに、しかも14k走ってきたはずなのに寒かった。
ゆっくり目を閉じた。心地良い永遠の眠りにつきそうになるほど落ち着いた。
すぐに起こされ、懐中電灯で眼を照らされた。眼孔を見ているのか?
そして血圧を測り、酸素濃度を測り、脈を測り、聴診器を胸にあてられた。
携帯電話か無線かわからないが何やら連絡をとっていた。

『救急車を呼んだから待っていて』

早く病院に連れてってと願っていたブンブン丸にとって、救急車が来るまでの時間がすごく長いものに感じたし、実際なかなか来なかった。

けたたましいサイレンの音がブンブン丸の前で突然止んだ。
ドアが開く音がして救急隊員が降りてきた。
ガチャン ガチャガチャ ガチャン
ブンブン丸が寝ていた簡易ベットの脚を立ててすぐさま転がして救急車の中へ…

サイレンを鳴らして再び高速道路を走り始めた。復路にはチラホラとランナーの姿があり、往路は大群だった。

救急車の中でいろいろと質問を受けたがどんな内容だったか記憶にない。
高速道路を降りてしばらく走り、大きそうなすごく大きそうな病院に着いた。日本にも滅多にないような大病院だ。

しかし、なぜかブンブン丸の容態は回復していた。もう胸も痛くない。背中が押し潰されそうな重みも感じない。治ってしまった。

アー、もう少し我慢すればよかった。サブ4ならいけたかも?
今からでもいい。今から14k地点に戻ってもう一度走りたい。制限時間すれすれならまだ間に合うかもしれない?完走メダル欲しかったなあー!

検査が始まった。これでもかというくらいたくさんの血液を採られた。
なんだこの血は?
今まで見たこともないドロドロでどす黒い、こげ茶色っぽい血。
チョコレートフォンデュの溶けたドロドロのチョコレートのような血。
色といいドロドロ加減といい、まるであのチョコレートだ。

これ、俺の血?
ほんとに?
でも間違いない。
ブンブン丸の右腕から採られている血だ。
だって今自分で見ているじゃがないか。腕から採られている血を…

胸のレントゲン、心電図、超音波、CTスキャン……
結果を待った。
しかし、ブンブン丸は元気満々で既に回復していた。
走れないならホテルに帰りたい。でもお金持ってない。どうしよう?ここはどこだ?

若い女性看護師に「もう治ったから早く帰りたい」と言った。
ブンブン丸は元気なんだ。どこも悪くないんだ。

少し偉そうな看護師がブンブン丸のところに来た。
「検査途中ですが心電図と血液検査に異常があります。今ドクターに見てもらっているのでもう少し待ってください。」

「えー、ブンブン丸はもう元気なんだよ。早く診てって言ってよ。早く帰りたいよ。いつ帰れるの?…」

しばらくしてさっきの看護師が、
「ドクターがもっと詳しい検査をすると言っています。異常があります。すぐに診察室へ行きますからね。」

ブンブン丸は車付きの病院のベットに寝かされていて、ベットを転がされながら病院内のあちこちを移動している。
大きな広い診察室にベットごと連れていかれた。そこには優しそうだけどちょっと優秀そうなドクターが座っていた。
ブンブン丸を見るなりニコリと微笑んだ。
「私は英語が喋れるから大丈夫ですよ。中国語(広東語?)しか話せない看護師が多くて困ったでしょう?
異常があるので明日詳しい検査をします。入院です。今日はゆっくり休んでください。昼食を出してもらいます。薬を飲んでください。点滴もしますから…」

えー、ブンブン丸元気なのに…

6人部屋の病室につれて行かれ、食事とスープ、お茶、水が出てきた。ブンブン丸はランシャツに丈の短いランパン姿なので入院患者や見舞い(付き添い?)の人など皆がゲテモノでも見るような目でこっちを見ている。

俺は見世物じゃねー!

麻婆豆腐だったと思うが、二口三口食べて食欲がないことに気づき半分以上残してしまった。よくよく考えると今日は朝から一度も水分を摂っていない。トイレだってバスに乗り込む直前に行ったきりだ。スープ、お茶、水は全部飲み干した。
点滴が始まった。

ここはいったいどこなんだ?
何ていう病院?
香港島のホテルまでのアクセスは?
タクシーに乗るとホテルまでいくら?
(帰ると主張しようと思っていた。海外は自己主張をしっかりしないとダメだから。)

何もわからなかった。
でも連絡しなければ…
連絡して迎えに来てもらおう。
普通に走っていればマラソンはとっくに終わっている時間で、フィニッシュのビクトリアパーク目の前にあるホテルに戻っていたはずだ。シャワーも浴びてショッピングに出かけている時間かもしれない?

国内マラソンはいつも手ぶら状態で走っているが(中山竹通さんにアドバイスされた汗拭き用のタオルハンカチだけパンツに挟んでいる)海外は何かあった時のためにと携帯電話を持っていた。
今あるのは携帯電話とタオルハンカチとPちゃんの写真入りキーホルダーだけ。

看護師に「絶対歩かないように。トイレに行きたくなったらこのボタンを押せばすぐに来るから」と言われていた。

携帯電話を取り出し、ベットの上で周りに気を遣いながら小さな声で妻に電話をした。
今日の出来事をかいつまんで話した。

ここがどこだかわからない。病院名もわからない。香港国際マラソンの事務局に連絡をとってゼッケン番号を言えばどこの病院に救急車で運ばれたかがわかるはず。だから添乗員のFさんに電話して調べて欲しいと伝えてよ。ここに迎えに来て欲しいと懇願した。

しばらくしてFさんに依頼された通訳から電話があった。
誰でもいいからそばにいる香港人にかわってくれと言われ、通訳が病院を聞き出した。

ドクターが様子を見に来たので病名を聞いた。
明日詳しい検査をしないとはっきりとは言えないらしい……紙に漢字で「冠心病」と書いた。

冠心病…よくわからないけどやはり心臓?心筋梗塞?でもブンブン丸は元気だ。

妻、Fさん、通訳の3人がタクシーて到着した。通訳を介してやっとドクターや看護師と言いたいことが言えるような雰囲気に。

【ドクター】 保険入っていますか?(旅行保険)
【ブンブン】入っていません。昔は海外旅行のたびに入っていましたが使ったことがないのでもったいないから入るのをやめました。
【ドクター】明日検査をしてその結果によりますが、おそらく1週間は入院になると思います。
【ブンブン】こんなに元気ですよ。こんなにぴんぴんしてますよ。どこも悪いところなんてないですよ。冠心病て何ですか?心臓ですか?心筋梗塞のことですか?
【ドクター】○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○………
医療用語を日本語にするのが困難で通訳が四苦八苦。でも、心筋梗塞と関連はしているようだがそうなのか違うのか?…結局よくわからなかった。
【ブンブン丸】ブンブン丸はこんなに元気です。この通り元気です。だから帰してください。入院なんてしません。
【ドクター】駄目です。今病院を出てしまったらあなたの命はどうなるかわかりません。検査してしっかり治療しましょう。
【ブンブン丸】ほんとに悪いところがあるんですか?今日は途中棄権(DNF)になってしまいましたが4月15日にもマラソンがあります。(かすみがうらマラソン)それには間に合いますか?参加できますか?
【ドクター】検査で異常が出てますからね。次のマラソンのことは今はわかりません。だからきちんと治療しましょう。治療して日本に帰らないと、このまま帰ると命を落とすリスクがあります。
【ブンブン丸】死なないですよ。ブンブン丸は死なないです。それに死んだとしてもあなたを訴えたりしません。だから帰してください。たぶんどこも悪くありません。こんなに元気なんだから。
【ドクター】あなたの今の体は飛行機に耐えられないと思います。死亡のリスクが高まります。それでもいいのですか?
【ブンブン丸】いいです。ブンブン丸は死にません。
【ドクター】わかりました。今用紙を持ってきますからそこにサインしてください。何があっても自分の責任において処理しますという内容です。我々は一切責任を負いません。
【ブンブン丸】わかりました。サインします。

険悪な雰囲気になったが、あくまでも帰ることを主張したブンブン丸にドクターがおれた形。

数十分待ってサインを終えた頃、のり付けされて中が見えない白封筒を手渡された。
【ドクター】今日の検査結果と私の所見です。日本に帰ったらすぐに大きな病院に行ってこれを渡してください。どこでもいいからとにかく大きな病院に行ってください。もう一度言います。日本に帰ったらすぐに大きな病院に行ってください。(心配そうな表情で…)
【ブンブン丸】病院へは行きます。でもどこも悪くないって診断されるに決まっています。だってこんなに元気なんですから…(先生、強情っぱりでごめんなさい。親切にしてもらってありがとうございました。あれから4年経ちましたがブンブン丸はこんなに元気になりました。)

会計を済ませ、薬を5日分処方されて病院を後にした。薬はおそらく血液をサラサラにするものや血栓ができないようコレステロールを下げるもの、冠動脈を拡張させるもの等々だったと思う。そして、胸が痛くて苦しくなったら、呼吸困難になったらこれを舌の下に入れなさいと…ニトログリセリン

でも、これらの薬はどれ一つ飲むことなく、飛行機内にも持ち込まず、スーツケースに入れて預けてしまった。
どこも悪くない。こんなものいるものか…
今考えると危険だらけ。よくぞ日本に帰れたものだ。よくぞ生きていたものだと思う。
運が良かったとしか言いようがない…
しかし、こうしている間に心筋はどんどん壊死していたのだ。

ホテルに帰ってすぐさまショッピングや観光に出かけ、翌日も観光。
マラソン談義に花を咲かせる昼食会もあったが、DNFしているブンブン丸はみっともなくてそんなこと誰にも話したくない。極力誰とも話をしないよう、話をしても記録のことには触れないように逸らし、なるべく妻とだけ話をしながら端っこの方で食事をし酒を飲んだ。…苦痛だった。

2月6日月曜日の夜(夕方? あまり記憶にない)、香港を出発して日本(羽田)への帰路についた。

その瞬間は突然やってきた(2012香港国際マラソン)

香港島から九龍ネイザン通りに向かう道路が大渋滞。
ネイザン通り付近に着いたのは何とスタート時間の10分前だった。

あそこに見える長蛇の列がスタートを待っているランナーです。ここからは走って行った方が早いのでバスを降りてください。

だから思ってたんだよ。だいたい出発する時間が遅すぎる。もしもグロスでサブ3.5達成できなかったらツアー会社の責任だぞ(怒)

口々に不平不満を言いながらそそくさと全員バスを降り、必死で走った。
もの凄い大群だ。先頭がここからどのくらい前なのか?最後尾がどのくらい後ろなのか?まったく見当もつかない。
それはそうだ。5万人以上が参加する大会なんだから…

整列しているランナーの大群の外でしばし呆然と立ち尽くした。
マナーを考えれば最後尾につくべきだ。
しかし、そんなことをしたら何十分ロスになるかわからない。30分、40分、いやもっとかも?

良くないこととは知りながら行列の前の方に進み、かなり前まで進んでサッと大群の中に潜り込んだ。
スタートまであと1分だった。

2012年2月5日午前6時45分
号砲とともに香港国際マラソン42.195キロのレースが始まった。

号砲の音は聞こえたので案外前の方かもしれない?
ブンブン丸の目標は3時間20分以内(3時間16分~19分)。最悪でも3時間24分のサブ3.5

神戸マラソンが終わった後、50キロLSD、45キロLSD、40キロペース走2回を行い、更にハーフマラソンも走っていたので目標をクリアできる自信があった。

30kまではキロ4分30秒ペースを維持して、30k~35kは5分以内。35k~40kは5分30秒以内。ラストは6分以内。
しかし、実際には30kを過ぎても5分はオーバーすまいと心に決めていた。
それが実行できれば3時間16分くらいは可能だ。

スタート地点に達するまでジャスト2分だった。
遅れを取り戻すにはキロ10秒速く走って12キロ…

この日は体が軽くて調子がいい。
前方にいるランナーを軽快に次々と追い抜いた。

1キロ表示は無かったのか?或いは見落としたのか?わからないがラップを取り損ねてしまった。
2キロ表示板が左前方の視界に入ってきたのでラップを取る準備をした。

9分ジャスト
ロスタイムの2分を引けば キロ3分30秒ペース 速っ

2分の遅れはたった2キロで取り戻してしまったのだ。
いつの間にこんなに速く走れるようになったんだろうと嬉しくなった。
流石はアミノバイタルACの練習に耐えただけのことはある。

「このままは無理だ。潰れてしまう。少しづつ4分30秒に近づくようペースを落とそう。」

その瞬間は突然やってきた。

なんだこりゃあ~
あと40キロも走れね~よ!

胸を押さえつけられるような
胸を締めつけられるような
今までに経験したことのない痛み

次に襲ってきたのは背中にゴーンと大人が飛び乗ってきたような重み。思わず腰をかがめてしまいそうになる感じ。
気がついたら左手で胸をおさえていた。

もしかして…心臓?
心臓?
早くやめないと死んでしまう…

辺りを見渡した。大会関係者らしき人はいない。沿道にいるのは皆応援している人か。
必死で大会関係者がいないかキョロキョロと捜した。
そして、一瞬意識が遠のき、フラフラっと右か左かわからないが傾いたような、倒れそうになったように思う。

凄い剣幕で怒られた。後方から走ってきたランナーとブンブン丸の背中が交錯したのだ。中国語なので何を言っているかわからない…

飛びかけた意識が元に戻った。でも胸は痛い。締めつけられるように痛い。何かが破裂しそうに痛い。(もしかして心臓が…)そして100kgの重りを背負っているような倦怠感。

アー、早くやめないと死んでしまう…
こんなところで、たったの2k過ぎで、3kもいっていないのにDNF(Did not finish)したらみっともない…
5kの給水所付近に救護用テントがあるはずだ。そこまでの辛抱だ。

5kの給水所まで来た。水は飲みたくない。飲む気にもならない。テント、テント…
あ~、テントがない…

給水を担当している大会ボランティアに声をかけようと思った。
でも、でも何も言えなかった。
たった5kで棄権…なんてだらしのない奴だそうと思われるのが嫌だった。
こんな状況になってもプライドを気にしている。

心臓がおかしいのに、とても走れる状況ではないのに、このまま我慢したら命がどうなるかわからないのに、夢遊病者のように走り続けた。

サブ3.5は無理だけど、サブ4ならまだいけるかもしれない。
もしかしたらこれから回復するかもしれない。回復すればサブ4ならまだいける…
痛いのは心臓じゃないかもしれない。きっと心臓ではない。
心臓が痛いと勘違いしているだけかもしれない。

痛みは治らなかった。
10kの給水所に辿り着いたが今度もDNFを告げられない。水も飲みたくない。
アッ、テントが、テントがあった…
ここでやめよう…通り過ぎてしまった。

やばいよ。お前何やってんだ。何で行かないんだ?何でやめないんだ?命が危ないぞ…

次のテントで必ずDNFを告げなければダメだ。
もう頑張るのやめよう。
最後だ。最後。せめて最後の1kくらいはキロ5分を切ってやめようよ(何を馬鹿なこと考えてる)…ガンバレ!

12k~13k なな何ということだ。キロ5分切り…キロ5分を切ってしまった。
もう思い残すことはない。もう限界だ。もう走れない。
急速にペースダウン。フラフラと走り続け、14k表示板が左前方に見えた。同時に復路(右前方)の救護用テントが視界に入った。

助かった???
もう走れない 走れない 走れない
もう歩けない 歩けない 歩けない
助けてくれ 助けてくれ 助けてくれ…
苦しい 苦しい 苦しい…

高速道路の中央分離帯を乗り越えて必死にテントへ向かった。
最後にキロ5分切りができた余力などどこにも残っていない。

2回目の香港国際マラソン

香港でサブ3.5
サブ3.5はチャンスがありながらことごとく跳ね返されていた。新潟、北海道、神戸、怪我やアクシデントで達成できず今度こそはという気持ちが強い。
1週間前から食事に神経質になり、そして整列中にトイレに行きたくならないためにはどうしたら良いかを考えた。
香港は日本のように整列時のブロック分けは行わず、行った順に並んでいる。
ブロック分けされていないからこそ、一旦トイレで抜けた時はどこに並び直したら良いのかが難しい。(日本なら自分の決められたブロックの最後尾)

トイレに行かないためには?
答えは簡単・・・水分を摂らなければいいのだ。
朝起きてから摂らない。一切摂らない。前日夜もなるべく控える。だって5kで給水があるんだよ。喉が渇いたって5kまで我慢すれば飲めるんだ。朝から暑いわけじゃない。脱水症状にはならない。
たとえ立ち止まってしっかり飲んだとしても整列を抜けるよりも、或いはスタート後にトイレに行くよりもタイムロスは小さくてすむ。
インターバルでコーチが言ってるじゃないか。
「苦しくても死なないから大丈夫。一瞬の辛抱だ。」

喉が渇いても死なないから大丈夫。5kまでの辛抱だ!

朝起きて昨夜いただいた弁当を食べた。一緒にいただいたお茶は飲まなかったので喉に詰まってしまい飲み込むのに一苦労。
足の調子を確かめるために真っ暗な香港を(ホテルの周りを)軽く10分程度のジョグ。
足も体も軽快!

調子いいなあ 今日は期待できるぞ!

ジョグを終えた後、煙草(マルボロライトメンソール)を3本一気吸い。
ブンブン丸は日に40本も吸うヘビーで、YKさんにたびたび指摘されていた。

「ブンブン丸さん、煙草をやめればもっともっと伸びますよ」

いつかはやめなければと思いつつ、30年近く吸い続けているとなかなか実行できない。
煙草をやめると走っていて苦しくないよと言われても、やめたことがないので苦しいという実感がない。
そろそろ潮時だとは思っていた。サブ3を目指す者が喫煙者だなんて…

午前5時半頃、スタート地点の九龍ネイザン通りに向かってツアーバスが出発。
スタート時間が6時45分なのになぜこんな遅い時間に行くのか不満だった。もっと早く行って良いスタート位置を確保したいんだ。
バスに乗り込む前に煙草をもう2本吸い、勿論Pちゃんの写真入りキーホルダーをランパンの腰の部分にある小さなポケットに忍ばせた…
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