fc2ブログ

ミラノちゃん

2012年5月 GW最終日に雄のトイプードルを購入。名前をミラノと命名しました。
右側がミラノちゃん。左側はミラノちゃんのお友達です。
ミラノちゃん


とてもお利口ですが、大きくなりすぎて現在6.8kgもあります。もはやトイではなくてミニチュアプードルです。
スポンサーサイト



2016東京マラソン 魂に焼きつけるまで走る

東京マラソンエキスポ
昨日はたくさんの応援ありがとうごさいました。
毎回レース前日になると恐怖心が芽生えます。ハーフは恐怖心はないのですが、フルはやはり怖いです。

大丈夫だろうか?
何事もなくフィニッシュできるだろうか?

だからいつも仏壇に手を合わせてレースの場所とスタート時間を報告します。タイムの希望は言いません。
「見守ってください」と報告(お願い)するだけです。
危険を承知でやっているので目標タイムの達成や命を落とさないようにというお願いはできません。ただ見守ってほしいだけです。
今回も勿論Pちゃんの写真と一緒に走りました。現在の相棒トイプードルのミラノちゃんはiPhoneの待ち受け画面で一緒に走っています。

数日前から左膝に違和感があり、生まれて初めてテーピングをしました。
今年から陸連登録のAブロックスタート特典がなくなり、Eからのスタート。
目標はネット(スタートゲートを通過したときからゴールまでの本来のタイムだか参考記録扱いになる)で3時間48分。いつもはグロス(号砲が鳴ってからゴールまでのタイムで公式記録)で目標設定するのですが、36,647人のランナーでEブロックでは号砲から何分後のスタートになるのかわからなかったので…

ゴルフのグロスは自分が打った数で本来のスコア。ネットはグロスからハンデを引いたスコアなのでネットの方が当然良い記録になります。弱者にやさしい仕組みです。
マラソンは逆です。マラソンは強者ほど有利です。整列は基本的に速い順です。数万人いるレースでは前と後ろのタイム差は数十分。でも、号砲が鳴った時点でタイムはカウントされます。後ろのランナーはかなり不利です。「悔しかったら速くなれ」ということなのでしょうか?

キロ5分を切るペースでハーフ過ぎ22キロまで頑張りましたが、膝の違和感が悪化、徐々に落ちてきました。
25キロ付近でしょうか?最近PUMA RCに入会したYさんに追いつきました。声をかけましたが私は膝が限界でした。
「僕にかまわず先に行って」と言ったらそのとおり一気に行ってしまい、もはや追いつくことができませんでした。
自己ベストおめでとうございます。最後まで諦めなかった精神力と今まで積み重ねたトレーニングの成果です。
あそこからもう一度自分を奮い立たせる強い精神力に脱帽です!
精神力を生かすには、それに耐えうる脚力が必要です。それができたということは、トレーニングの成果です。
心技体すべてが一致して記録が生まれます。すべてに脱帽しました!
3~5年後にはサブ3になるんだろうなあと感じて後姿を追いました。
一つだけ気になる点があったので、ずうずうしく忠告させていただきます。
一気に行った時、腰が落ちているのがよくわかりました。次レースでは腰が落ちないように気をつければもっと記録が伸びると思います。腹筋やってますか?

いくら心肺機能が人並以上と言ってもやはり心筋は40%死んでいます。フルマラソンは心臓への負担が想像以上にかかります。
30キロを過ぎるとそれを顕著に感じます。神様からの注意信号です。

胃がおかしくなるのです。むかむかする。吐き気がするが何も吐けない…
そんな症状が出た時に対処しなければならない方法は三つ。
①勇気をもってDNF(途中棄権)
②歩く 回復するまで歩く
③ペースを落とし、目標タイムのことは考えない(命が大事)

昨シーズンは何度も悩まされ、京都は②で対処。かすみがうらは③で対処してサブ4を諦めました。
今シーズンも、つくばは②でしたが岡山を上回る3時間51分でフィニッシュ。

昨日の東京は30キロを過ぎたところで若干胃に不調を感じました。このまま頑張って35キロあたりから歩きを入れるよりも、勇気をもってペースを落とし、遅くても最後まで歩かないことを目標に切り替えました。

飯田橋を過ぎたあたりでPUMAのOさんの応援がありました。その後何度もPUMAの応援がありました。28キロで会社の方の応援がありました。30キロ過ぎで偶然応援の中に友人を発見しました。お互いに「やあー!」とハイタッチ。37キロ過ぎでakiさんの応援があり、疲れているところで力をいただきました。ありがとうございました。38キロ過ぎの豊洲交差点ではおばさんの応援を楽しみにゆっくりとあたりを見渡しながら走りましたが、残念ながら見つけられませんでした。「どこかで応援しているはず。見ているはず。」と思ってあと4キロを頑張り、楽しみました。応援ありがとうございました。

以前はこのくらいの距離になると「あと4キロもあるのか」と思っていたフルマラソン。今回は「あと4キロしかない」と感じながら走ることができました。「あ~もう少しで終わってしまう。終わらないで欲しい。」
フィニッシュまで時計は見ませんでした。見ると頑張ってしまうことが自分でわかっていたので見ませんでした。何事もなく終わるのが一番の目標ですから…
フィニッシュしてすぐに後ろを振り向きいつものように3礼しました。今回は深々と腰から曲げてお辞儀をしました。

ネット3時間48分10秒
グロス3時間52分40秒
2011年11月神戸マラソン以来4年3ヶ月ぶりのネット3時間40分台です。(神戸3時間48分12秒)
目標どおりです!!
そして今シーズン3本のフルマラソンはすべてサブ4という結果になりました。
でも、一番嬉しいことは、何事もなく今日も元気でいられることです。
ネットでの自己ベスト(PB)まであと9分少々。いつか「PBを狙います」と言えるようになることを力にしていこうと思います。
PBという夢を力に…

サブ3.5もサブ3も不可能です。
生まれ変わったら必ずサブ3になります。
今できることは、生まれ変わったときにマラソンでサブ3という目標があったことを思い出せるように
魂に焼きつけるまで走ることです。

皇居RUN復活

GW明けに皇居RUNを復活した。アミノバイタルACの練習会は初心者クラスでさえもついていくことはできないので、自分一人だけの自主練だ。勿論着替えのロッカーはアミノバイタルACを利用させていただいたが、いつの間にかクラブの名称が変わっていた。
「アチープRC」

なぜここへ来たのか?
クラブの練習に参加できるはずはないのでわざわざ皇居へ来る必要などない。自宅近くの自転車道に通えばいい。
皇居でいろんなランナーさんを見て刺激を受けたかった。

いつかはレースに出たい!

サブ2.5や3の凄い人。サブ3.5や4、5、6…そして初心者の方々。いつかは初心者の方々と肩を並べられるようになりたい。それを間近で見て、間近で自分の身体で感じることが大切だ。自分が今、どのくらいのレベルにいるのかを怖がらずに認識することが大切だ。

1周5キロを走りっぱなしというわけにはいかない。1キロまでだ。GPSと心拍計のついたランニングウォッチを購入した。
平川門から時計と逆回りに進むと登り坂。ここを走ると心拍数が高くなる。最初の交番を過ぎて次の電話ボックスほどの小さな交番までの1キロは歩いた。その後半蔵門までの0.7キロをゆっくり走って下り坂に突入し、プラス0.3キロを走る。0.2キロほど歩いて桜田門までの下りをまた走りだす。桜田門で3〜4分の休憩を入れて拮梗門の交番まで走る。0.2〜0.3キロ歩いて平川門まで走る。
これを2周繰り返した。
ウォーキング以外の全てのランナーさんにぬかれて悲しいような?せつないような?複雑な気持ち。いつかはこの方ぐらいに追いつきたいという目標のようなものができて有意義だった。たくさんの人の背中を見つめて走った。歩いた。背中を見つめていると徐々に遠くなり、遠くなったと思うとすぐに次の背中が現れる。たくさんの人にぬかれた。

あまりに遅すぎて涙も枯れるほどだ。(泣)

「プライドを捨てろ!」と心の中で叫びながら…

皇居2周がこんなに時間がかかるなんて数ヶ月前までは想像もしていなかった。

自主練が終わってロッカールームへの階段を上ろうとしたとき、Tコーチが
『ブンブン丸さん、なんてことを…心臓でしょ?心臓の手術したばかりでしょ?ダメですよ。危ないですよ。怖くないんですか?』
『大丈夫です。超ゆっくりですから。かなり歩きを入れてますから。医者の許可ももらってますから。初心者クラスに復帰できるよう暫くは一人で頑張ります。』
『なんて強い人。なんて気持ちの強い人なんですか、ブンブン丸さんは…こんな気持ちの強い人、見たことないですよ…』

ささやかな抵抗

今までの人生で経験したことがないくらい会社に対して怒りを感じた。この怒りをどこにぶつければいいのか…学生ならば言いたいことを言って場合によっては取っ組み合いの喧嘩になるのだろう。でも、そこはやっぱりサラリーマン。サラリーマンは弱い。情けない。

2ヶ月に1回のペースで病院の検査結果票をPDFで少々過激なコメントを添えて送りつけた。勿論人事部と総務部担当取締役へ。

私の心筋は40%壊死している。しかし、心筋梗塞発症前から鍛え上げてきたこの身体、発症後も努力を怠らないこの身体は貴方方のようにアルコール漬けされたなまった身体に比べればよっぽど強い。健常者比124%の心肺機能(以前よりアップしていた)188の最大心拍数(これもアップしていた)はおそらく貴方方よりよっぽど強いだろう。私は少しぐらいのことでは負けない…
と、まあ喧嘩を売るような内容だった。評価は最低に落ちたのだからこれ以上は下に落ちようがない。降格は会社に甚大な被害を与えない限りありえなかったので開き直りだ。
上司にそのことが耳に入り、「あなたは度胸があるな。俺には真似ができないよ。」応援してくれてるのかな?

しかし、喧嘩を売った以上仕事はきっちりやらねばならない。必要以上のことは神様に誓ってやらないが、給料分のことは確実にこなした。
プライドだ。
仕事に対してだってプライドはある!

俺の心筋を返せ!!

毎年6月20日と12月20日は賞与(ボーナス)支給日だ。昨年度の成績で今年1年分の賞与額を査定会議で決定する。ブンブン丸はここ3~4年トップクラスで1年前はS査定という最高ランクだった。
ある日上司に呼び出された。
『2月にあんなことがあったんで総務部の強い意向が反映されてしまった。突然の手術、入院で久喜勤務を急きょ他の者に代わってもらった。多数の者に迷惑をかけた。心筋梗塞は自己管理がなってないということだと主張されてしまった。長年に渡って大型プロジェクトチームに属し、重要な業務の成果をあげ続けてきた功績は大きいと担当取締役はじめ援護してしてくれた人はたくさんいた。でも総務部には勝てなかった。言いずらいが、あなたの評価は最低ランクだ。』
『そうですか。』
そう答えるしかなかった。他に何と答えればいいのかわからなかった。今まで積み上げてきたものが一瞬で消えた。去年は夏休みも取らずに会社のためにと思って頑張った。手術だって延期した…
自己管理がなっていない?それは違うよ。(カツーンときたが)いずれにしても迷惑をかけたことだけは確かだ。反論する余地はないと思った。
『それからもう一つ。あなたの4月からの昇進は決まっていたんだよ。心筋梗塞さえなければ…数々の大規模プロジェクトを滞りなくこなし、ずっと会社に貢献してきた。お客さんからの評判もいいし昇進は決まっていた。確実だった。でも、それは2月の心筋梗塞で取消になってしまった。1年待てば昇進できるというものではない。白紙だ。完全な白紙だ。ゼロから、マイナスからのスタートだ。取り戻すのは容易ではないだろう。自己管理がなってない。急きょ代役が必要になった。代わりに久喜に配属された人や久喜に勤務している人にまで多大な迷惑をかけた。それが総務部や人事部の主張。もうどうにもならない。』
『自己管理がなってない?私はメタボではない。メタボで心筋梗塞を発症してしまったのなら自己管理のことをいわれても反論できない。でも違う。サッカーの松田と同じように突然発症してしまった。運悪く突然発症してしまった。日々肉体を鍛え上げ、食事だって気を使っていた。それを自己管理がなってないなんて…それは違う。心筋梗塞はメタボだけが発症するものではない。誰でもいつどこで発症するかわからない危険をはらんでいる。そんなのは運だ。何もわからずに決めつけるのはやめてほしい。』
『あなたの言い分はわかる。でも、そう判断されてしまったんだ。それにマラソンレース出過ぎだよ。年に何回出ているんだ?トップ選手だって2~3回だろう。』
上司に反論したところで何も変わらないと思った。久喜の〇田さんの言うとおりだ。会社は冷たい。会社は何もしてくれない。サラリーマンとしての自分は終わったと感じた。

会社は邪魔者のように重大な病を発症した者を排除しようとする。
3月中旬に会社復帰しようとしたときに快諾したように装っていたが、今考えるとそれは違う。
「久喜へは出勤しなくていい。新宿でいい。」
遠距離通勤で万一倒れると会社の責任を問われるからだ。労災適用になり、裁判になったら会社側は不利だ。自宅から近い新宿に勤務させて心遣っているように見せかけて実は会社の責任逃れだけを考えていた。新宿勤務になってからだってそうだ。極力外出させないように圧力をかけてきた。経理部などの外出のない部署に異動させようとしていた。会社の産業医に診断してもらうと親切なふりをして内勤で飼い殺しにしようとしていた。
「外出中に倒れるリスクがあるから内勤の方がいいですよね?」
「倒れるとしたら社内(内勤)にいても同じですよ。」
「社内で倒れればすぐに救急車を呼べるから助かる可能性が高いですよね。外出のない内勤に代わることが最善と考えた方がいいですよね?」
「外で倒れたって救急車は呼べます。日本中どこで倒れたって救急車は呼べます。外を見てください。あんなに人がいるでしょう。埼玉県に行っても千葉県に行っても同じです。人は沢山います。倒れたら放っておくはずがありません。倒れた人を横目に知らんぷりして通り過ぎたりはしません。病院だってあります。必ず誰かが救急車を呼んでくれます。外出禁止などといったら出勤できないでしょ。違いますか?会社に行けない。買物にも行けない。散歩もできない。何もできない。家から一歩も出られないことになってしまうでしょ。内勤が最善だなんて何を馬鹿なこといっているんですか。心筋梗塞から復帰している人は世界中にたくさんいますよ。」
産業医が強烈に人事担当者に反論してくれたおかげで、勤務地こそ新宿に変わったが今も外回り中心の仕事をしている。

会社のために、会社のためを思ってあのとき入院を手術を延期してもらった。自分を犠牲にした。今すぐ入院、翌日カテーテルと言われたのを無理にお願いして延期してもらったんだ。そのせいで手術は2日遅れた。心筋梗塞発症から5日経過して手術をしたために心筋は40%も壊死してしまった。もし、もしあのとき医師の言うとおり即入院していたら…
会社のことなど関係ない。仕事のことなど関係ない。自分のこと。自分の身体のことだけを考えて業務の引き継ぎもせずに即入院していたら、間違いなく翌日カテーテルからバイパス手術へと進んでいた。5日間で40%壊死。40%÷5日=8%(1日)壊死。あのとき即入院していたら心筋壊死は24%ですんでいた。
俺は、俺は、会社のために、こんな最低な会社のために自分の心筋を16%も無駄にした。
16%も無駄に殺してしまった。
ふざけるんじゃない。どうしてくれる。俺は会社のためを思ったからこそ業務が円滑に進むように夜21時まで引き継ぎをしたんだ。そのことを総務の奴らは、人事の奴らはわかっているのか…ふざけるな…俺の心筋を返せ…(怒)

左ジャブから右フックで奴らの左頬を打ち砕き、左右ストレートの連打で鼻骨をへし折る。そのあとはボディブローでみぞおちをえぐり息ができないほどの苦痛を味あわせてやる。それくらいに腹が立った。アッパーでダウンを奪うと意識が飛んで苦痛が半減するのでボディブローが一番いい。息ができない。立ち上がれない。のたうちまわるほどの苦痛を味あわせてやるのが一番いい。(ブンブン丸は高校時代ボクシングをやっていた)

もう会社のためになんか働くものか。給料をもらっている以上は給料に見合う分だけはきちんと働く。でもそれ以上はやってやるものか。これからは自分のために働く。自分が生活するため。家族のため。趣味を続けるため。家族が、自分が豊かになるためだけに働く。会社になんか尽くすものか。尽くすことなどしない。するものか…
〇田さんの言うとおりだった。「会社は冷たいぞ。会社は何もしてくれない。自分の身体は自分で守れ。」
俺の、俺の心筋を返せ

ご安心あれ。2015年4月に昇進しました。

トレックス

実は病院で走ってもいいといわれる前にアメリカ製トレックスの自転車を購入していた。定価20万円のものがモデル落ちのため60%OFF8万円。走れるようになるまでにまだまだ時間がかかると思っていたので、それまでの間はウォーキングと自転車を併用しようと目論んでいたからだ。片手で楽々持ち上げられるほど軽いもので一漕ぎするだけでグーンと前に進む。
GWはこの自転車で遠出しようと計画していた。

復活への第一歩を刻んだRUNの翌日5月3日に決行。
まずは新宿へ向かい山手線を半周する計画。(新宿~池袋~上野~秋葉原~市ヶ谷~新宿)
自転車を購入したときに「必ず車道を走ってください」といわれていたが、いざ車道を走ると怖いものがあった。青梅街道や明治通り、外堀通り、靖国通りなど大きな道路では車に抜かれるたびにひやひやする。怖いからといって左に寄りすぎると道路とL字溝の段差にトレックスの細いタイヤがはまりそうになって転倒の危険を感じる。日本もオランダ(アムステルダム)やカナダ(バンクーバー)のように自転車専用レーンがあればいいのにと感じた。
自転車は自転車なりに楽しい。でも、やっぱり自分にとって楽しいと感じるのは走ることだ!
走ることに勝るものはない・・・改めて感じた。

なぜなのかを考えた。(自転車との比較)
①RUNは道具を使わない。頼れるのは自分の足。
②RUNは足を止めたら進まない。自転車は漕ぐのやめても惰性で進むことができる。
③RUNは人と人との勝負。自転車は身体能力と練習量が同じなら高価な自転車を使用した方が勝算が高い。つまり道具に左右される。

プライドは捨てろ!

10分を1.2kmのペースと言われてもピンとこない。キロ〇分と言ってくれないとわからない。
え〜と、5分で600m 600mを300秒で走る。
100mを50秒 ⇒ つまり1kmを500秒 = ということは1kmを8分20秒

遅い。なんて遅いんだ。今までそんなに遅く走ったことはない。一番遅いのがアミノバイタルAC初心者クラスのキロ7分。
そんなに遅く走るなんてできるだろうか?ペースがわからない。走るというレベルではない。早歩き⁈
みっともない。恥ずかしい。人から笑われる。
「あいつ遅いなあ〜。あんな運動音痴見たことないよ。あれでよく走る気になるなあ。」
そんな風に囁かれるのではないか?と考えてしまい、明るいうちに走る意欲が一気に失せた。なるべくなら人に見られたくない。

夜を待った。
人には走っている(早歩き?)姿を見られたくないが、やはり記念すべき復活への第一歩を刻む日だ。超ゆっくりJOGだが、きっと一生記憶に残るだろう。
複雑な気持ちでいつも走っていた自転車道に向かった。ここは100m毎に距離表示があるので走った距離が明確になって便利だ。
GW狭間の夜ということもあり、普段に比べるとランナーの数はかなり少ない。ホッとした。
神戸マラソン参加賞Tシャツの下に胸部ベルトを巻き(骨がつくまでの半年間装着)、アシックスの黒いショートパンツ、ニューバランスRC1300の赤いシューズ
見た目にはそこそこのランナーだ。

「1km以上は走るな」と忠告されていたのでまずは200mを走ってみよう。
大きく深呼吸をした。走ってもいいといわれたものの、つい3ヶ月前に生きるか死ぬかの大手術をした身体。大手術をした心臓。本当にこんなことをしてしまっていいのか怖かった。
香港のときのように胸が押さえつけられるようになったらどうしよう?
身体全体に重みがのしかかってきたらどうしよう?
今度こそ死んでしまうのではないか?
計画的バイパス手術ならできなくはないが、二度目の緊急バイパス手術は不可能と言われていたのでそのことが頭をよぎった。
走りたいとずっと願って、今こうして走れる日が訪れたというのに…
心臓が張り裂けるほどの恐怖を感じた。…違う意味で胸を押さえつけられた。
(大丈夫、大丈夫、ゆっくり走れば大丈夫…でも、でも、やっぱり怖い!)

記念すべき第一歩は右足から。二歩、三歩・・・
笑顔はない。おそらく顔がひきつっていたはずだ。
100mを50秒 ⇒ 200mを1分40秒 調整しながら走った。
心拍数(脈)はほぼ110…守れた!
このペースでいけば忠告どおりの心拍数になるんだなあ。医者ってやっぱり優秀だなあと感心した。

1km以上は走ってはいけない ⇒ そういえば連続で1kmなのか合計で1kmなのか聞いていない。どっちだろう?どうしよう?
自分なりに悩んで連続で1km走らなければいい。いったん休憩を入れれば合計が1km以上になってもいいと勝手な解釈をした。
もう1本200mをやり、次は500mを4分10秒で走り300m歩いて心拍数を落とす。(歩きながらの休憩)…この超ゆっくりインターバルを4本繰り返して復帰JOGを終了した。
今までは小馬鹿にしていたような遅いランナーさんに簡単にぬかれ、ダイエット目的でJOGをしていると思われる太ったおばさんにさえもぬかれ、ブンブン丸が築きあげてきたプライドはぐしゃぐしゃに傷つけられた。
「世界で一番遅いランナーでいいからもう一度走りたい」と言ったのは誰だ。お前じゃないか。希望どおりお前は今世界で一番遅いランナーだ。何か文句あるか?ないだろう?これでいいんだ。これ以上のことを望むのはやめろ。もう昔のことは忘れろ。遅いのは仕方がない。お前に、ブンブン丸にはもうプライドなんてないんだ。プライドなんていらないんだ。
プライドは捨てろ!

いつからですか? 今日からです!

担当医には繰り返し何度もこれから走れるようになるのか聞いてみたが、いつも返ってくる答えは「無理でしょう」「危険ですよ」「遠い将来ファンランなら」「自転車なら可能です」だった。
リハビリも相変わらず緩いもので、思わず口にしてしまった。
『こんな汗もかかないようなリハビリじゃ来る意味がないですよ。もっと負荷をかけてくれませんか。』
『心筋梗塞を発症した方は汗をかくような運動はできません。汗がにじむ程度の運動です。』
男性理学療法士にハッキリとした口調で跳ね返されてしまった。
『……』
(この人だって一生懸命やっている。マニュアルや医師の所見、今までの経験などで最適なリハビリをやってくれている。それなのに何ということを言ってるんだ。失礼じゃないか。ブンブン丸よ、焦るんじゃない!)

悔しい!
悲しい!
でも仕方がない。これが現実なのだ。
この程度の運動しかできない、やってはいけない身体になってしまったのだ。

焦るな!
腐るな!
諦めるな!
いつか必ず走れる日がくるはずだ!
ぐっと我慢するしかない!

ある日リハビリ中に女性理学療法士に言われた。
『ブンブン丸さん、走りたいんでしょ?スポーツに明るい医師がいます。走りたいなら一度診てもらえるか聞いてみましょうか?』
『えっ、是非、是非お願いします。』
希望の光が見えた瞬間…(^O^☆♪
Gさんという医師で診てもらえるのは平日のみ。5月2日水曜日に予約を入れて会社は休暇をとった。

期待と不安が入り混じる中、これからの運動程度を処方してもらうための心臓負荷検査(エルゴメーター法)を行った。
心臓負荷検査とは、医師の監視下で自転車をこいで運動負荷(徐々に重くする)を行う。運動中の症状・心電図変化・心拍数測定・血圧測定に加え、専用のマスクをつけて酸素消費量、二酸化炭素排出量を同時測定し、呼吸・循環・代謝の総合的な判定を行う。運動中の有酸素/無酸素代謝の境界を判定することで、日常生活における心臓のポンプ予備機能力を評価でき、どの程度の運動が適しているかを指導する「運動処方」の程度を測定するもの。

自転車をこいでいると徐々に負荷がかかって重くなる。限界がきたら手を上げてそこでストップしてもらう。しかし、ブンブン丸になかなか限界は訪れなかった。本当の限界が来るまでかなり我慢した。
医師と理学療法士が二人で監視している。
『すげ〜考えられない。すげ〜、すげ〜信じられない。』
理学療法士が何度もつぶやいた。

★心肺機能114%(49歳健常者の心肺機能平均値比)
もし心筋が40%壊死せずに100%あった場合114÷0.6=190% つまり1.9倍ということ。
40%心筋壊死でも健常者より心肺機能が高い。
★最大心拍数184
最大心拍数は220-年齢が標準といわれている。220-49歳=171
健常者の平均値が171に対して40%心筋壊死しているブンブン丸はこれを軽く超えている。(1.08倍)
★無酸素運動の境界
心拍数110
現状では110を超えると無酸素運動の領域に入り、再発リスクが高まる。

心筋梗塞経験者の運動は有酸素運動でなけれなならない。したがって現状では心拍数110を超えるような運動は不適格。しかし、これからのリハビリ効果次第ではますます高まる可能性があるので期待していいものだった。

『ブンブン丸さん、私の言うことは絶対に守ってくださいね。そうしないと命を落とすことになります。』
『はい。わかりました。』
10分を1.2kmのペースで且つ心拍数110を超えないように走るのならいいでしょう。但し、1km以上は絶対に走らないでください。1kmまでです。心拍数110という意味は、現状で有酸素運動と無酸素運動の境界が110です。無酸素運動をすると心筋梗塞再発リスクが高まるので禁止です。絶対に守ってください。』
『わかりました。守ります。必ず、必ず守ります…』
(やった~走れるぞ。走れる。走れる。走れる。…)
『いつからですか?いつから走っていいのですか?』
『今日からです。今日から走っていいですよ。』
『えっ、ホンとですか?!!ありがとうございます。』
『その代り私が言ったことは絶対に絶対に守ってくださいね。』
『わかってます。』

まさか、まさか今日から走っていいなんて想像もしていなかった。今にも飛び上がりたくなるほど嬉しく、そして満面の笑みが浮かんだ。万歳を連発したいくらい気分が高揚した。
『ありがとうございます。ありがとうございます。』
今までの苦悩がすべて払拭されて、希望に満ち溢れた将来が約束されているかのような錯覚に陥り、いつまでも笑顔が消えることがなかった。帰りのバスの中でもニタニタとにやけている自分が良くわかり、この嬉しさは誰にも止められるものではなかった。
諦めなくて良かった。
手術後すぐに諦めていたら今日という日はなかった。
0.01%でも可能性があるならばそれに賭けてみたいと思った自分は間違っていなかった。
走りたい、走りたい、ただ走りたいということだけを考え、走りたいという、走れるようになりたいという「夢を力に」変えてきた。
人間、何かをやりたいという願望があればどんな苦悩でも我慢できる。実現するまではどんな努力も惜しまない。
あの大手術からこんな短期間(わずか3ヶ月)で走る許可が出たなんて夢のようだった。
でも、今まで体験してきた悪夢のような現実とは違って正反対の良い意味で夢のような現実だった。

真価が問われるのはこれからだ。これからの努力次第でブンブン丸のランニング人生は大きく変貌する。ひとまずは有頂天のまま帰ってもいいが、それは家に着くまでの間だ…
\(~o~)/\(~o~)/\(~o~)/\(~o~)/\(~o~)/\(~o~)/\(~o~)/

復帰

退院後は順調に回復。足のむくみもだいぶ取れてきて革靴も履けるようなった。
家でくすぶっているのが退屈で、医師に相談したところ条件付きでの会社復帰が許可された。条件とは、胸骨肋骨がついていないのでラッシュ時の通勤を避けること。幸い自分の会社はフレックス制度を採用していたので弊害はなかった。3月中旬から出勤することにし、会社に報告したところ当面の出勤先は新宿本社でいいとのこと。予想外に早い復帰が決まった。
もしマラソンをしていなければ急性心筋梗塞の発症はなかったかもしれない?でも、マラソンをやっていたからこそこんなに早く回復ができて、こんなに早い社会復帰が可能になったのだ。マラソンの神様がいるのなら感謝しなければならないと思った。

妻の提案で会社復帰する前に伊東温泉に行くことにした。河津桜が丁度見頃の時期だった。
温泉は胸の傷、足の傷が生々しいためタオルで胸を隠しながら入ったが、首までつかって温まっていたら目まいで気分が悪くなってしまった。
後からわかったこと・・・水圧が胸(心臓)にかかるので半身浴が基本。

会社出勤時は当然胸部ベルトを巻いているが、ワイシャツの下に付けてしまうと第三者から見て何もわからない。健常者と見分けがつかないのでワイシャツの外側に付けた。そして、電車に乗る時はコートのボタンをかけずに周囲の人に警戒してもらえるよう胸部ベルトが見えるようにした。

会社復帰を果たすようになり、どうしてもやっておきたいことがあった。それは仕事ではなくアミノバイタルACに挨拶へ行くこと。まずはOMさんにメールを送った。
以下はその時のメール。


OM様

ご無沙汰しています。

突然練習に行けなくなってから1ヶ月半が経ちました。
香港国際マラソンのレース中に急性心筋梗塞を発症し救急車で国立病院に搬送されました。
香港で治療することを勧められたものの拒否して帰国。K大学病院で緊急大手術・・・

人工心肺を使用した11時間の大手術で5日間心筋梗塞を放置したため心臓の40%が壊死しています。
でもマラソンをしていたおかげで驚異的な回復。昨日から会社に復帰です。
当初は40日入院、自宅療養も40~50日という診断でした。

神戸が終わったあと納得のいく練習ができていたので残念です。
YKさんに40キロのロング走を取り入れるよう言われていたので直近の2ヶ月間で4回(50キロ1回、45キロ1回、40キロ2回)実行。42.195キロに対応できる脚ができあがっていました。
アミノバイタルに入部した目的3時間30分を切れるという思いもありました。
悔しいです。

医師からはマラソン(ジョギングを含めて)禁止勧告を受け、ショックで涙してしまいましたが、落ち込んでいても仕方ありません。
泣き言を言っても何の進歩もありません。

今は医師の忠告を素直に受け入れてウォーキング主体のリハビリで心臓機能を高めるしかないのです。
長い年月がかかろうが、私はいつか必ず絶対に復活します。

しばらくは練習に参加できませんが必ず復帰できる体に仕上げるのでその時まで待っていてください。

名古屋ウィメンズはテレビでYKさん、HEさんの応援をしました。
二人の頑張る姿を見て自分もやらなければという決意が沸き、HEさんの走りにはとくに感動しました。
アミノバイタルACで練習できたことを誇りに感じています。

明日会社帰りに立ち寄ろうかと思います。(体調が良ければ)
皆様によろしくお伝えください。


翌日アミノバイタルACへ元気になったブンブン丸を見せに行くことができた。OMさんもOHさんもいた。久しぶりに皆さんの顔を拝見し、絶対に絶対に復活したい。走れるようになりたい。と強く決意することができた。

心臓を心筋を強くする

退院後はほぼ5日おきに診察とリハビリで通院することになっていた。
会社への復帰は医師と相談した結果、ゴールデンウィーク明けくらいがいいだろうとのこと。3ヶ月も休むことになるが、保存休暇と有給休暇を合わせれば90日間あるので欠勤になることはない。復帰するまでの間は無理をしない範囲で積極的なウォーキングをして心臓機能を高めていかなければならない。
運動時の上限心拍数が90がのため、まず最初に用意しなければならないのが心拍計。マラソン用のタイメックス製を持っていたが、胸にベルトを巻かなければならない。手術の傷口に当たってしまい違和感が我慢できず、脈拍計を購入することにした。
ウォーキングは自宅近くにある自転車道と遊歩道が並行しているコースで行うことにした。始点から終点まで往復すると20キロ以上ある。今まではここをトレーニングコースとして一人で走っていたが、これからはウォーキングコースに変貌する。
退院の翌日から歩き始めた。走るのとは違い始点から終点までの往復というわけにはいかない。区切りのいいところで6キロを毎日歩く目標にした。ランニングは週1で休みが必要だが、ウォーキングに休みはいらない。
ダウンジャケットにマフラー、ニット帽、手袋と完全防備で毎日歩き続けた。雨が降ろうが雪が降ろうが1日も休まなかった。
病院へ行くときは往復13キロを歩くこともあった。
走れば6キロなんてすぐに終わってしまうが、歩くと1時間では終わらない。楽しみは折り返し地点の駅前のミスドでコーヒーを飲むこと。(コーヒーも1日2杯くらいならOK)
歩いていて落胆したのが心拍数。心筋梗塞発症前は平常時40程度だったが、今では80もある。歩いただけで簡単に90に届いてしまう。こんな状況では走れるようになるまでいったいどのくらいの期間を要するのか?
「5年かかろうが6年かかろうが10年かかろうが走ることを諦めないと言ったのはどこのどいつだ?」
それはまぎれもないブンブン本人。今ここで泣き言を言っても何も始まらない。何の進歩もない。辛抱して少しずつ前に進むしかない。少しずつ心臓を強くしていくしかない。

焦っちゃダメだ!
腐っちゃダメだ!
諦めちゃダメだ!

悲しい。悔しい。
でも、前を向いて頑張るしかない。

いつか絶対に走りたい。それがどんなに危険なことかは知っていた。それでも走りたかった。

心筋が40%も壊死していると、心拍数が高い状態を継続してしまうと心臓が耐えきれずに破裂する。即死らしい。
でも、それでも走りたい。そうならないために心臓を強くしていく。できるはずだ。必ずできる。気が遠くなるほど長い期間かかるかもしれないが、今は歩くしかない。
GO TOP