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夢を力に 大阪マラソン

大阪マラソンの1ヶ月前(9月下旬)、皇居8周40k走を決行した。走りっぱなしは無理だった。レース前で気合が入り過ぎて心拍数がオーバーしてしまう。オーバーしたらいったん歩き、下がったらまた走るの繰り返し。よくあるパターンだ。頑張り過ぎは良くないので30kでいったん休憩を入れた。どんなやり方であろうと40k走をやれば自信に繋がる。フルマラソンに向けて安心感が強くなる。だから1ヶ月前に40k走というのはブンブン丸がマラソンを語るうえで絶対にはずせない。

10月12日K大学病院へ検査に行った。担当のS医師は必要のない投薬はやめましょうという考え方で、5月の検査時に2種類の薬が減らされていた。自分としてはこれに加えて利尿剤もやめたいというのが願望。

『利尿剤は必要なのでしょうか?できれば飲むのをやめるわけにはいかないでしょうか?午前中のトイレの回数が多すぎて仕事にも支障が出ます。』
『いいでしょう。飲まなくてもいいでしょう。不要な薬は飲まない方が身体にはいいですから。』
あっさりと承認された。
利尿剤を飲むか飲まないかはフルマラソンを走るうえで死活問題だ。こんなものを当日の朝飲んだらレース中に何度トイレに駆け込むかわからない。明日の朝から飲まなくていい。すっごくホッとした。悩みが一つ減った。


2013年10月27日 第3回大阪マラソン
宿泊した心斎橋のホテルは大阪マラソンを走るランナーでかなり混雑していた。朝食会場もランナーのためにいつもより早い時間からオープン。
香港の悪夢で学んだことは水分をしっかり摂ること。トイレへ行くことを恐れて何も飲まないなんてことはもうしない。
トイレなんて何度行ってもいいんだ。記録を目標にしているわけではない。2~3回行ったところでどうってことはない…
でもコーヒー、紅茶、日本茶とかカフェインの含まれているものは飲まない。

長袖の着圧アンダーの上にPUMAのユニフォーム(ランシャツ)を着た。アンダーの下には命のバロメーターとなる大事な大事な心拍計ベルトが巻かれている。ブンブン丸の命を守る一番大事なものだ。そしてPUMAユニフォームのランパンでは短かすぎるので普通丈のPUMAショートパンツをはいた。シューズは厚底の赤いアシックス。
今までの国内フルマラソンは手ぶらで走っていた。でも今回は何が起こるかわからない。いや、何か起こってもいいようにいろんなものを持った。ゼッケンの裏には「2012年2月香港国際マラソンで急性心筋梗塞を発症。冠動脈バイパス手術」と記載した。万が一倒れるようなことがあれば、このゼッケンを見てもらえれば「既往症」ということがわかる。
iPhoneとPちゃんの写真入りキーホルダーは必需品。それに加えてEXPOで買ったグリコのジェル3個、粉末スティックタイプのアミノバイタル5袋、EXPOでもらった携帯用エアーサロンパス2本、タオルハンカチをウエストバックに入れた。迷ったが保険証とK大学病院の診察券も入れた。意識不明になったとき、診察券があればK大学病院に問い合わせてくれるかもしれないと思ったから。詳しい病状の情報がとれるから。
準備は万全だ。こんなに持ってお腹に巻いて走るのは初めて。死なないと思うが何かあれば役には立つだろう。
ビギナーなんだから仕方ない。健常者じゃないんだから仕方ない。遅いんだし道中長いから何が起こるかわからない…
念には念を入れろ…だ。
格好じゃない…命が一番大事だ。
ブンブン丸は死なない。絶対に死なない。倒れない。

あんなに楽しみにしていた大阪マラソンなのにいざとなると怖かった。地下鉄の電車の中、電車を降りて大阪城公園へ向かう途中、荷物預けの最中、トイレの行列待ちでも、Bブロック(陸連登録しているのでBだった)の中に並んだときも…
怖い…自分の意思でこの場にいるのに好き好んで何でわざわざこんなことをしているのか疑念まで生じてしまう。
何度も深呼吸をした。走ってもいないのに心拍数がやけに高い。
こんなことしていいの?10kやハーフとはわけが違う。

(お前何やってんだ。心筋梗塞経験した奴がフルマラソン走るなんて聞いたことがない。何でこんなことしてるんだよ。)
(ゆっくり走れば大丈夫だ。怖くなんかない。お前は死なない。奇跡の生還者だ。お前は絶対に死なない。元気に完走する。練習だってたくさんやったじゃないか。異常はなかったはずだ。読売新聞の取材が待っているんだよ。インタビューだぞ…)

一生懸命気持ちを落ち着かせた。
でも恐怖は治まらない。まるで死刑囚が死刑台に向かって走っていくような心境だ。死刑囚になったことはないので死刑囚の気持ちはわからないがそんな気がした。
42.195kにたどり着く前にどこかで死刑が執行される。自ら死刑になることを望んで走って行く。そんな馬鹿なことをする奴がここにいる。そいつは勇気があるように見えるが、実は恐怖で震えている。死にたくないと震えている。怯えている…

Yさんが言っていた「笑顔でフルマラソンを走れる日を楽しみにしています。」
ブンブン丸からはすっかり笑顔が消えていた。笑顔を忘れてしまった。

大阪市長の挨拶も何もかも耳に入ってこない。
時計を見ては「あと10分しかない」「あと5分しかない」「もうすぐかあ~」

2分前 1分前…
(あんなにやりたがっていたフルマラソンだぞ。お前の夢だ。サブ3に代わる夢だ。すっげーことじゃないか。あんな状態からよくここまでもってきたよ。5時間後だか6時間後だかわからないけど、走り終えれば夢が叶うんだ。奇跡じゃないんだ。お前が頑張ったからだ。涙と努力の結晶だ。お前は世界で一番頑張った。それは俺が一番よく知っている。ここにいる3万人の誰と比べてもお前が一番だ。オリンピックのメダルより凄いぞ。もう少しだから頑張ろうじゃないか。)

目を閉じて気持ちを落ち着かせた。
30秒前…10秒前…5 4 3 2 1
号砲が鳴った。

紙吹雪が舞う中、ブンブン丸の復活を期す大阪マラソンが始まった。上空を見上げるとTV用のヘリコプターが飛んでいる。長いと感じるか短いと感じるかはブンブン丸次第だ。
あんなに怯えていたのにいざスタートするとすべてを忘れ、手を振る大観衆に「ありがとう」とつぶやきながら手を振り返した。

いろんな思い出が蘇る。
香港国際の2k地点
胸をおさえながら苦痛に顔を歪めて今にも倒れそうに走っている姿
手術室の扉の前で医師に言われた言葉
「死亡するリスクがあります」
集中治療室の光景

2手術DSCN1828

もう一度走ってやろうと決意した瞬間
「走ってもいいですよ」G医師の言葉
おっかなびっくり自転車道RUN
嬉しかった皇居RUN
大阪マラソンチャレンジラン
有馬温泉での涙
谷川真理ハーフマラソン
初心者クラス復帰
普通クラス復帰

俺は、俺は、今日夢を成し遂げる。
夢が夢でなくなる…

大観衆の応援を身体いっぱいに感じて走った。千日通りから御堂筋に入り心斎橋もわかった。
ここを左に曲がると宿泊先のホテルだ。もう大阪の地図も頭の中に入っている。
大阪市役所も過ぎた。去年はここで終りだった。
心拍数を気にしながらキョロキョロと大阪の街を見てハイタッチを楽しんだ。
気合いが入り過ぎてハイタッチが痛い大阪のおばちゃんもいた。
もう恐怖はない。
でも大阪のおばちゃんは恐怖だ…ハイタッチが痛い

俺は死刑囚ではない。
夢の世界へ向かって走る誰よりも幸せなランナーだ!

どや、わいは復活したんや!
フルマラソンや!
夢は叶うんや‼︎
諦めなければ夢は叶うんや‼︎

2013大阪ー2-1
(c)allsports.jp ウエストバックをランシャツの下に隠して…どや顔

何が起こるかわからない。胸が痛くなったら終わり。命が終わる。だから石橋を叩いて渡るくらい細心の注意が必要だ。
心拍数を上げないためにはすり足走法しかない。地面をするようにひたすらすり足を心がけた。シューズの底が減ってしまうことも計算のうちだ。
すり足 すり足…
A2013大阪
(c)allsports.jp 皆んなですり足走法・ペンギン走法

10kあたりからトイレへ行きたくなった。利尿剤をやめて約2週間。やはり1年8ヶ月もの間飲み続けていたのでやめたからといってすぐに利尿作用が減るわけではない。長い間の習慣が身体に染みついている。
トイレに行くのは想定内だったので14kと30kあたりで合計2回行った。ロスタイムは(3~4分)×2回
逆に上がってしまった心拍数を下げるのにトイレ待ちが効果的に働いてくれた。プラス要因になったかもしれない。
トイレ以外は歩くことも立ち止まることも一切なかった。一度もなかった。

20k、25kと進むにつれて緊張が高まった。
だって、夢の夢のフルマラソン完走が刻一刻と近づいているんだ。もう半分以上も走ってきたのだから。
諦めなくて良かったという思いからくる満足感?達成感?何なのかよくわからないが、身体中から今まで感じたことのない何かが湧き出て大観衆の声援も周りにいるたくさんのランナーの足音さえも耳に入ってこなくなった。
動いているのは自分だけ。周りの景色は止まっている。そんな感じがしばらく続いた。
耳鳴りのようだ。ボーっと耳鳴りがして他のどんな大きな音も叫び声も聞こえない…
ホントにこのまま何も起こらずに終わることができるのか?
不安を感じた。
今は何ともないがもう少し時間が経つと突然具合が悪くなってしまうのではないか…
顔がこわばっているのが自分でよくわかる。
笑顔がない。笑顔が消えた…
凄く怖い顔をしているように思えた。
2013大阪4-1
(c)allsports.jp ダメだよ 笑顔を取り戻せ

マラソンで腹いっぱい給食を楽しんだのは初めてだった。食べ過ぎて気持ち悪くなるくらいたくさん食べた。バナナも丸ごと1本何度もいただいた。しかしウエストバックに入れたジェルはまずくて食べることができず、ただの余計な荷物になってしまった。アミノバイタルの粉末スティックも遅いランナーには不要だった。
脱水で血液の粘度が増すことを恐れていたので、香港の二の舞だけは絶対に嫌だと思っていたので給水所では必ず水分補給を多めにした。水分摂り過ぎでお腹はポコポコだ。走りながらジャブンジャブンと水が胃の中を移動する音がする。(笑)

30k、35kと進んできた。この辺がフルマラソンにとって一番辛いポイント。
そしてここ住之江地区は大阪マラソンで応援者の数が多いポイントでもある。
「マラソンは30k過ぎてからがマラソンだ」
30kを過ぎると徐々に徐々にペースが落ちて気力も失われてくる。
するとだんだん諦めムードになってしまう。
一度気持ちが切れると、折れるとマラソンは修正がきかない。どんどんどんどん落ちてくる。これでもかというくらい落ちてくる。

Nコーチが言うには、30kを過ぎると疲労困憊で酸素が脳にいかなくなり頑張ろうという気力が保てなくなるのだそうだ。思考能力がなくなるそうだ。これを脱出するには練習で何度も何度も疲労困憊状態を脳に経験させて疲労困憊状態に慣れさせることしかないそうだ。40k走や50k走の重要性はここにもある。

コースマップで確認していたフィニッシュのインデックス大阪に向かう最後の登り坂「南港大橋」が見えてきた。これが最後の関門になる。この橋を渡って海の向こうに行くと38k地点。
しかし走って登ると心拍数がオーバーすることは必至だろう。ここまできたらもう歩きたくはない。走って登ると決心した。
走りながら大きく深呼吸をして少しずつ息を吐いた。何度も走りながら深呼吸を繰り返した。
少しずつ、口を蛸のようにして息を吐いた。こうすれば心拍数が下がるような気がした。神頼みかもしれないが?
遅くてもいい。ペースは落ちてもいいから絶対歩くまいと心に決めた。
2013大阪ー1-1
(c)allsports.jp  37k最後の坂
ゴールはすぐそこだ 頑張れ 深呼吸!

(あの頂点まで登りきれば下りだ。下りが待ち受けている。大好きな下りだよ。それが終わればあとは最後まで平坦だ。フィニッシュだってすぐだよ。すぐに終わる。夢の世界がすぐそこだよ。夢だと思っていたことが夢じゃなくなるんだよ。もうすぐ現実になるんだよ。いや~凄い凄い。凄いよお前、やったじゃないか!)
口元が震えた。
(やばい。こんなところで泣いちゃだめだっ!) o(`ω´ )o 
沿道にいるたくさんの応援者から自分の表情を隠すため、見られるまいと思ってうつむき加減(下を向いて)で走った。
その時だった。パンフレットのようなものを一生懸命振って応援してくれている人の気配を感じた。ふと顔を右に向けて歩道に目をやると、そこにいたのはPUMA RCのOさんだった。ブンブン丸が気がつかないものだから沿道を一緒に走って一生懸命何かを振りながら声をかけてくれていた。たくさんの人の声にかき消されて何を言っているかはわからなかったが笑顔で手を振ってくれた。
Oさんはブンブン丸よりちょっと早く入会し、入会した頃のベストタイムはブンブン丸とほぼ同じ。それが今ではサブ3だ。月とスッポンほどに差が開いてしまった。Oさんは自分がゴールした後、わざわざこんなところまで戻って応援してくれていた。
嬉しかった。一気に嬉しくなった。会釈をして手を振り返してゆっくりと(速く走れないので)走り去った。堪えていた泣き顔は一瞬のうちに笑顔に変わった。Oさんの笑顔も満開だった。
両手をどんなに広げても、つかみきれないほどの溢れるほどの元気がもらえた。
元気があれば何でもできる!
笑顔も戻った!
もう一度気を引き締めよう!

橋を渡りきって、海を渡って平坦になった。40k表示板が見えてきた。
もう少しだ。万歳 \(~o~)/ したくなるほど嬉しい気持ちになって笑顔も満開だ!🌸
満面の笑み! ((⊂(^ω^)⊃)) ♪♪♪
(ダメだ。まだ何が起こるかわからない。喜ぶのはまだ早い。最後まで何が起こるかわからない。安心するな。気を引き締めろ。マラソン中の心筋梗塞が一番多いのはゴール間際だ。油断は禁物だ。)
はやる気持ちを懸命に抑えた。本当にフルマラソンを走りきってしまうのか?完走してしまうのか?ここまできてもまだ半信半疑だった。信じられない。何かが起こって中断してしまうのではないか?そんな悪夢が蘇るのでそれをかき消すように一生懸命目線も気持ちも前を向いて走った。いつの間にか悪夢は後ろに消えていった。もう振り向かない。
「悪夢さんさようなら」

気がついたらすり足走法から一転腿を引き上げて走っていた。
タイヤが回転するようにとまではいかないが、昔を思い出して一生懸命昔走っていたような走り方をしていた。
一歩一歩進むごとに夢の世界がどんどん近づいてくる。
足を上げるごとにゴールがフィニッシュが引き寄せられる。

見えた 見えた とうとう見えたぞ…
夢のゴールが見えてきた
やった やった!
ついにやった!
どうだ、俺はやったぞ!
どうだ!
もう夢じゃない 夢じゃないよ!
皆んなやったぞ!
やったんだよ!
俺はやったんだよ!

ゴール① 7249214_ALLDATAx1
(c)allsports.jp どうだ俺はやったぞ!

マラソンの神様に、大阪マラソンの神様にお礼を言った。
「ありがとうございます。チャレンジランから11ヶ月。とうとうフルマラソンを完走しました。いろんなことがありました。全て乗り超えることができました。自分の努力もありますが、それを支えてくれたたくさんの人がいます。皆さんに感謝します。家族(妻)、友人知人、会社の諸先輩、PUMA RCをはじめアチープRC、アミノバイタルACに至るまでたくさんのスタッフの方々、K大学病院の病棟の看護師さん、理学療法士さん、初診時に診てくれたK医師、カテーテル担当の〇医師、執刀医のT医師、手術に立ち会っていただいたたくさんの医師団と看護師さん、復活の手助けをしてくれたG医師、循環器内科のKO医師と現在のS医師、他にもたくさんたくさん…大阪マラソンの神様、あなたにも感謝します。大阪マラソンを走らせていただきありがとうございました。最後まで見守ってくださりありがとうございました。今日は新しい一歩の始まりです。夢の終わりではありません。新たなランニングライフのスタートです。夢の始まりです。」
お礼① 321-905424_ALLDATAx1
(c)allsports.jp ありがとうございます 大阪マラソンの神様に一礼 (矢印に注目)

お礼②1-1_2321-921493_ALLDATAx1
(c)allsports.jp

ネット 4時間50分44秒
グロス 4時間52分11秒
(10,998位/27,669人)

サブ5は予想外だった。記録は考えないように気にしないようにしていたが、サブ5で走れるとは思ってもいなかった。

焦らない
腐らない
諦めない

一歩一歩少しずつ努力を重ねれば必ず夢は実現する
夢は叶う
夢は夢でなくなり、次の夢への過程に変わる


「夢を力に」
夢があれば力にできる
夢を力にできるから
焦らないで
腐らないで
諦めないで
前向きな気持ちで進んでいける

走りたい
もう一度フルマラソンを走りたい
夢を力にできたからここまで来れた

夢は見るものではない
夢は超えるものだ‼︎

「夢を力に」
なんていい言葉なんだろう
ありがとうYさん
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大阪マラソンを前にして

大阪マラソンの10日くらい前だった。読売新聞からメールがきた。エントリーするときに大阪マラソンにかける想いなどを記入する欄があったので香港で起こった出来事から現在に至るまでを書いた。急性心筋梗塞を克服しての復活RUNであることを書いた。どうやら採用されるらしい。フィニッシュしたら取材があるので協力してくださいといった内容。心筋梗塞のことを告知してしまうと大会事務局から出場を取りやめるよう勧告される不安があったが、どうやら今回は大丈夫。それどこれか取材がある。少しだけヒーローになったような気分がした。

そして1週間前になった。
カレンダーには大阪マラソンの予定は書いてあるが、念のために
『来週末は大阪だからね。』
と妻に言った。
『わかってるけどどうして10k程度のマラソンにわざわざ大阪まで行くの?この辺のに出ればいいじゃない。』
『10k?10kじゃないよ大阪は。大阪はフルマラソンだよ。去年は8.8kだったけど今年はフルだよ。』
『フルマラソンなんていつ言ったの?聞いてないよ。』
『カレンダーに大阪マラソンと書いてあるだろう。去年はチャレンジランと書いたよ。大阪マラソンと書けばフルだよ。フルマラソンに決まってる。』
『私はマラソンのことは知らないからそんな屁理屈言ってもわからない。何を考えてるの?フルマラソン走るなんて私は聞いてない。あれから2年も経ってないでしょ。心筋梗塞で死ぬ寸前だった人がフルマラソン走るなんて聞いたこともない。せっかく助かった命を…何考えてるの?』
『医者が大丈夫だって言ったんだよ。ちゃんと許可はもらってるよ。』
『それはあなたが走りたい走りたいって言い続けてたからでしょ。医者が根負けしただけよ。大学病院の実験台になってるだけよ。心筋梗塞を発症した者がどのくらいの運動に耐えられるか実験台になってるだけよ。死んだって病院の責任じゃないから。あなたが好きで走っているだけ。病院からすればそんなことする人いないから稀に見るいい実験台よ。』
物凄い形相で、物凄い剣幕になってきた。声はどんどん大きくなり、マンションの隣室に届くのではというほどまでの怒鳴り声になった。何を言われたかはここから先記憶にない。
しかし、じっと我慢の子で耐えた。耐えて耐えて耐え忍んだ。あの手術以来耐えるのは慣れっこになっているから耐えた・・・
でも、怒鳴り声は終わらない。終わる気配もない。

(俺はどんなことがあっても大阪マラソンには出る。手術から目覚めたときから決めていた。絶対に走ってやるって・・・こんなことくらいで諦めるなんてできない。たとえ0.01%でも可能性があるならそれに賭けてみようとここまで頑張ってきた。チャンスは目の前に来ているんだ。俺は死にはしない。そんなやわな奴じゃない。俺は走る。ここまできて引き下がれない。)

土下座してもいいと思った。何としてでも走る。折れてたまるか。

『俺のマラソンの目標はサブ3だった。それに向かって一生懸命やってきた。まずは香港でサブ3.5…それから3~4年かけてサブ3…』
『なによ、サブ3とか意味がわかんない。』
『サブ3.5はフルマラソンで3時間30分を切ること。サブ3は3時間を切ること。サブ3を達成できるのはオリンピック選手とか頂点のトップアスリートを含めても3%くらいなんだ。それを目指してた。絶対にやってやろうと本気だった。でも手術が終わったときにサブ3はできないとわかった。当たり前だ。じゃあサブ3に代わることは何だ?って考えた。自転車もゴルフも違う。やっぱり走ることしかない。サブ3に代わることは走ることしかない。でもサブ3は不可能だ。そんなことはわかってる。サブ3に代わることは、匹敵することは…それはフルマラソンをもう一度走ること。完走することだと思った。だから頑張ってきたんだ。人前では弱音だって一切吐いてない。愚痴だって一切言ってない。全てはフルマラソンをもう一度走るためだ。絶対に諦めない。サブ3に代わることは、この体でもう一度フルマラソンを走ること。少しずつ少しずつトレーニングしてたの知ってるだろう。退院のときに歩いて帰ったのも自転車道を毎日歩いたのも全てフルマラソンのためだ。俺の夢だ。サブ3に代わる俺の夢だ。究極の目標だ。俺の信念だ。俺の執念だ。一回だけでいい。フルマラソンをもう一度走ること、完走することが今の俺の人生の集大成だ。今までの人生の中でこの2年弱が一番努力した。夢を叶える。夢が夢でなくなる日がすぐそこまで来ているんだ。頼む。走らせてくれ。一回だけでいい。完走したら、マラソンはやめるつもりだ。何としても走る。走らせてくれ。この日のために2年弱頑張ってきたんだ。走る。走りたい。走らせてくれ。』
『………死ぬ準備をして走って。葬式はどうするかとか、どうしてほしいとか?誰を呼んで欲しいとか。その他にも突然死んでも私が途方にくれないように準備をしてから走って。』
『わかった。でも、俺は死なないよ。死ぬとわかってたらやらない。俺は死なない…』
(ヘヘ~ン 東京マラソンだって当たってるんダ~イ! 一回だけじゃないよ~んだ)

何とか切り抜けられた。
待望の大阪行きが決まった。

東京オリンピックとすり足走法

朝起きたら2020年の東京オリンピック開催決定のニュースでもちきりだった。
1964年の東京オリンピックは2歳だったので記憶にはない。
札幌オリンピックでスキージャンプの日の丸飛行隊が金銀銅を独占(笠谷、今野、青地)したのは小学校3年生のとき。学校では皆んなこぞって金メダル笠谷選手の真似をした。
長野オリンピックではスキージャンプ(船木、原田、岡部、斎藤)に加えてスピードスケート(清水、岡崎)も強かった。予想外のモーグル金メダル(里谷)が衝撃だった。
夏のオリンピックが東京で開催される。自分が生きている間では日本で見れる最後のオリンピックだろう。
数年前ならレスリングや柔道などの格闘技に興味がいっていたが、今はやはりなんといってもマラソンだ。
でも真夏の東京でマラソンなんかできるのだろうか?
35℃くらいになるだろうしゲリラ豪雨だってある。落雷の危険もある。選手に酷だ。せめて釧路とか少しは涼しいところでやってもらわないと…
なにも東京でなくてもいいだろう。マラソンは…

東京オリンピックまであと7年。その頃自分はどうしているかとイメージした。
できれば走っていたい。そして、できればサブ4に、サブ4になっていたい…
そんなことあるわけない!!

(だめだめ、そんな事ありえない。考えるだけ無駄だよ。不可能だ。滅相もない事考えるなよ。)

首を何度も左右に振って妄想を振り払った。
しかし、その度に笑顔で万歳しながらフィニッシュするブンブン丸の姿が脳裏に浮かぶ。
タイムは3時間台が刻まれている。

どうしても頭から離れない。7年後にはサブ4に復活しているブンブン丸の姿が…

(そんな事あるはずがない。奇跡が起こらい限りあるはずがない。…でもマラソンには奇跡なんてないんだよ。)

脳裏に浮かんだとんでもない夢を慌てて消そうと必死に頑張った。なかなか消えてくれない。

(一度だけでいい。サブ4になりたい…もう一度)

妄想の世界を忘れるためにゆっくり走った。心拍数を上げないようにゆっくり走った。

どういう走り方が一番心拍数が上がらないのかとあれこれ試してみた。

Nコーチが言うタイヤが回転するように足を回転させろ…
これは速く走るための理想の走り方。心拍数は上がってしまう。

腿を引き上げて地面への接地時間をなるべく短くする…
これも速く走るための走り方。心拍数は上がってしまう。

あまり腿は上げずに脹脛の筋肉を使って地面を蹴る…
前二者より心拍数は上がらないが脹脛の負担が大きくて怪我をしそう。

そうだ。間寛平がアメリカ横断でやっていたすり足走法だ…
見た目は格好悪そうだが意外といいぞ。意外と心拍数が上がらない。
足は極力上げずに体力消耗を防ぐような走り方。忍者の抜き足差し足忍び足みたいなものだ。
足を上げずに地面をするように、腕は拳を胸の前にもってくるのではなく腰のあたりで構える。
腕振りは腰のあたりからふりこを振る感じ。何かに似ている?
…そうだ、ペンギンだ。ペンギンが走っているような走り方だ。

決まった。格好悪いが心拍数を上げないように長く走るにはこれしかない。
大阪も東京もこの走法だ!
すり足走法
別名 ペンギン走法

東京マラソン当選と大阪の計画

先行エントリーをしていた第8回東京マラソン(2014年2月23日開催)が当選した。大阪マラソンから4ヶ月後のレースは丁度いい間隔だ。1シーズンに2大会も都市型の大型マラソンに出られるなんて想定外だった。

まだ大阪マラソンに出ることも東京マラソンが当たったことも妻には話していない。マラソンの話題になると極端に機嫌が悪くなるので家ではなるべく走る話はしない。毎週火曜日のPUMA RC練習会でさえ当日の朝から機嫌が悪いのがわかる。夜に帰宅しても超機嫌が悪い。腫れ物に触るようだ。

我が家ではそれぞれの予定をカレンダーに記入することになっている。口頭で「〇月〇日〇〇の用事があるから」と伝えると「カレンダーに書いてくれればいい」と言われるので、大阪マラソンもそうした。カレンダーに「大阪マラソン」と大きく記入した。去年は「大阪マラソンチャレンジラン」と記入した。この違いが後で大喧嘩になるのだがこの時は知る由もない。
東京マラソンは2月開催なので2014年のカレンダーがない。当然記入はしていない。

去年の大阪は大阪駅(梅田)から徒歩10分くらいのホテルに宿泊したが意外と不便だった。今年は繁華街でもあり大阪城公園へ行きやすい心斎橋のホテルに宿泊することにして、とりあえず当選直後に予約した。心斎橋からは地下鉄の長堀鶴見緑地線で5駅目の「森ノ宮」で下車すると大阪城公園だ。8分で到着する。
夜食べる(飲む)ところも心斎橋の「だるま」という串カツ屋さんが美味しいと関西出身の人から聞き出した。マラソンの翌日は「難波」から近鉄電車で奈良へ行こう。「そうだ、京都へ行こう」でもいいのだが、京都より奈良へ行きたかった。東大寺にするか法隆寺にするか迷っているのだが…

今回はチャレンジランではないので走りながら大阪を思いっきり楽しみたい。速く走ることはできないから給食も楽しみだし(たこ焼きあるのかな?)大きめのウエストバックでもつけてジェルやエアーサロンパスも入れようと考えた。
PUMAの会員だからあのユニフォームやっぱり着ようかな!?
でも、その下にTシャツを着てビギナーであることをアピールしないと…

いろんなことを考えた。1年8ヶ月ぶりのフルマラソン。まだまだ2ヶ月以上も先なのにまるで小学生の子供が遠足を待ち切れずにウキウキしているような状況だ。

そして東京マラソンのこともあれこれと考えた。
東京マラソンの頃にはもっと心拍数制限が緩和されているといいなあとか…
でも、よくよく考えると心拍数制限は無酸素運動をしてはいけないということの限界値。有酸素運動でいられる限界値だからそれほど上がらないのではないか?これ以上期待できないのではないか?…と思った。
今までのウキウキ気分から一気にモヤモヤとした気分になってしまった。

変に中途半端に心肺機能が高いからもどかしいんだ。
心筋が40%壊死していたら普通は心肺機能は60%だろう。
それが124%って、それって心筋がまったく壊死していなかったら200%以上っていうことだろう!?
余裕がありすぎるからもどかしいんだよ。

ウキウキしたりモヤモヤしたりの繰り返し。
でもフルマラソンを走れる。2回も走れるということに変わりはない。
だからなんだかんだ言ってもやっぱり楽しみだ。嬉しい。
だって、夢が、夢が実現しようとしているんだから…
♪(o・ω・)ノ))

フルマラソンの予想タイム

アチープRC(ハイテクタウン)の店内ナイキ商品が一掃処分されてPUMA商品に入れ替わった。クラブ名もPUMA RCに変更されて大阪と神戸にもRCが創設された。入会後3回目の名称変更だ。

ユニフォームも作られた。赤が基調のランシャツでPUMA RCの大きなロゴが入っている。そしてショート丈の黒いランパン。
ちょっと前までなら好みのスタイルだったが今は抵抗を感じる。速そうに見えるので、遅い自分が着るには抵抗があるのだ。大阪マラソンで着てみたいが少し勇気がいる。

暑い夏がやってきた。真夏の暑い時期にどれだけ追い込んだ練習をしたかで秋以降のマラソンが進化すると常々Nコーチは言っている。だからやらねばならない。
自分は暑いのが好きだ。全然苦にならない。大阪マラソン完走に向けて休日は自転車道を徹底してLSDをやることにした。勿論日中の暑い時間帯だ…
タイムを測るとどうしてもタイムばかり気にしてしまうので、LSDのときは心拍数だけを見ることにした。タイムは5kとか10k程度の練習をするときのみ測る。
LSDではいかに心拍数130以内で長く走り続けられるかを主眼とするためだ。

その体で走るの辛いでしょう?苦しいでしょう?
とよく聞かれる。

でも辛くはないんですよ。
苦しくもないんですよ。
だって目一杯走っている訳ではないんですから。
控えめに走っているだけなんですから。
余裕なんですよ。
ただもどかしいだけです。
たまらなくもどかしです。
発狂したくなるほどもどかしいです。
それを抑えるのが大変です。
我慢するのが辛いです。 (;д;)

心筋が40%壊死しているということは、今まで60分で走れていた距離を走るのに100分かかるということ。
50%壊死していると坂道を歩いたり階段を上るだけでも息が切れると医師が言っていた。
でも、自分は走って坂道を駆け上がっても息は切れない。なぜなのかよくわからない。
心臓が強いということ?
心肺機能が高いから?
息が切れるまで運動をしてみたい。
息が切れると感じるまで走ってみたい。
こんなに元気なのに心拍数が制限されている。
変に最大心拍数が高いから今の規制された心拍数では楽すぎて物足りない。
心拍数が高い状態を継続すると心筋梗塞の再発や心破裂…

谷川真理ハーフが2時間42分ということは、昔ならハーフマラソンを
162分×0.6=97分(1時間37分)で走れたという計算だ。ほぼ合っている。
では現状でフルマラソンが谷川真理ハーフの2倍とすると5時間14分。
でも単純にハーフの2倍がフルマラソンのタイムではない。

昔のブンブン丸の実力が3時間30分程度だとすると
210分÷0.6=350分(5時間50分)が現状のフルマラソンのタイム。
もし香港で目標の3時間16分を達成していたとしたら、その実力があったと仮定したら
196分÷0.6=326分(5時間26分)
なんとなく合っているような気がする。
結局大阪マラソンの予想タイムが見えてしまって
「あ〜こんなにかかるの」
 。゚(゚´Д`゚)゚。
と落胆した。
5時間30分〜5時間50分?という予想。

何度もいうが心筋は40%壊死している。
しかし心肺機能は124%と高い。 (^∇^)ノ
この事実をどう評価していいのかがわからない。

でも絶対にブラス要因にはなるはずだ。だから少しは期待もしていいはずだ。
でもきっと大したことはないのだろう。いったい何分のマイナスになるの?

記録が目標ではないと言いながら、結局は記録のことばかり気にしている自分がいた。
完走が目標、歩かずに走り切ることが目標というのは見せかけだけのものだった!?
タイムのことばかり考えてもっと速く走れないものかと思い描いていると気が狂いそうになる。
ε=ε=(怒゚Д゚)ノ

葛西臨海公園ナイトマラソン

フルマラソンに参加する場合は2週間〜4週間前にハーフマラソンで調整するのが一般的だ。
しかし、自分は健常者ではない。ただでさえ心臓に負担がかかるフルマラソン。その直前にハーフマラソンに参加して更に負担をかけることなどしたくなかった。だから迷ったあげく調整レースは行わないことに決めた。

1月の谷川真理ハーフから10月の大阪まで何もやらないというのもレース感が鈍ってしまう。考えた結果7月5日(金)葛西臨海公園ナイトマラソン10kにエントリーすることにした。

練習は自宅周辺でも皇居でもひたすらLSDだ。
皇居1周を32分30秒 つまりキロ6分30秒で走れることを目標とした。1周だけではなく2周3周4周と…
長く走れば走るほどゆっくりでも心拍数は高値で推移する。
いろんな方法を試した。
130をオーバーしたらいったん歩く。心拍数が下がったらまた走り出す。
130を超えないように注意しながらゆっくり走り続ける。
後者の方が効率的だった。じれったい走り方だが大阪はこれでいこうと思った。最後まで歩かないという自分の理念にも合っている。

葛西臨海公園は、とりあえずレース慣れをすることが目的でとくに目標は定めていない。梅雨時なので雨が心配されたが日中は曇り空で気温もとびきり高いというほどではなく、夜も多少蒸し暑いという程度で心配していた雨も降らなかった。

夜8時スタートなので金曜日開催だが会社を休む必要はない。
公園内を2周する10kマラソンでビギナーからセミアスリートまで様々なランナーが参加している。
公園内の芝生の上にテントが張られ、そこが更衣室兼荷物置場だ。
海岸に近い方がスタート地点なのだが、初めて足を踏み入れた公園であり、おまけに夜で真っ暗(薄暗いライトで照らされているだけ)なのでどこが海なのかよくわからない。
パンフレットによるとこの公園を時計と反対回りに2周する。若干の上りはあるが上りがあるということは下りもあるということだ。

緊張することもなく練習感覚で最後尾の方に並んだ。

自分が成長したのか周囲が遅いのかは不明だが、結構な数のランナーを抜いた。ランナーを抜くのは久しぶりのことなので気分は爽快だ。

記録が目標ではないのでいつもの練習のような感覚で走った。1周目の半分あたりに来た時給水ポイントがあったので脱水にならないうちにと早速水分を補給した。
大きな観覧車が見えていた。

そのままぐるっと1周して元に戻るのかと思いきや、いったん右折して暗闇の狭い道路をひたすら進んで突然Uターン。また元の公園内道路に戻って来た。どうやら単純に公園内1周では5kに足りないので調整をしているらしい。

1周終わって2週目になった。また同じポイントで給水をした。
右折して暗闇の狭い道路へ…
そしてUターン。チラッと時計を見た。

(少し頑張れば1時間切れるかも⁉︎)
(タイムなんか気にするな。気にしちゃ駄目だよ。)
(1時間が60分が10kレースで切れるなんて二度とないと思ってたのに…それが、それがもしかしたら…?)

おそらく残りは2k程度だ。心拍数はいっぱいいっぱい〜130をオーバーして130中盤になっている。
心拍数厳守で挑んだはずの大会だったが60分を切りたいという願望がだんだんだんだん強くなっていく。

(どうしよう?頑張っちゃうか?でも大丈夫か?心破裂したらイチコロだぞ。即死だぞ。)
(やめろ)
(やりたい)
(やめろ)
(やりたい)

心拍数はとうとう140後半にまでなっていた。

それでも控えめに走った。全力ではない。
無謀にも頑張ってしまった。

無事だった。

ホッ‼︎

ラスト100mはなるようになれとドキドキしたが、掲示板を確認しながらゴールした時は小さなガッツポーズが出た。

そして満面の笑み(^O^)

たいした記録ではないが嬉しい。
二度とないだろうと思っていた、生まれ変わらない限りないと思っていた10kのサブ1を達成した瞬間だ。

59分45秒

第3回大阪マラソン当選

第3回大阪マラソンが当選した。つい8ヶ月前の大阪マラソンチャレンジランでマラソンの神様に誓ったことが現実のものになろうとしている。
「いつの日かここ大阪で大阪マラソンを走りたいと思います。フルマラソンを走りたいと思います。必ず復活します。」
大阪の神様がチャンスを与えてくれた。願いどおりになった。

あの悪夢からたった1年8ヶ月で再びフルマラソンを走れるなんて誰が想像しただろうか…
自分だって信じられない。絶対に走ってみせるという執念のようなものはあったが、こんな短期間でチャンスが訪れようとは思ってもみなかった。

目を閉じると香港での出来事が鮮明に映し出される。手術室の光景や無数の管(くだ)で覆われた自分の体…

遠い先の夢だと思っていたものかすぐそこまでやってきた。
凄く嬉しい。言葉にするのが難しいほどに嬉しい。

本当にいいの?
こんなことしてしまっていいの?
香港の二の舞にならないの?
取り返しのつかないことにならないの?
という不安や恐怖もつきまとった。

フルマラソンを走るには、スピードに関係なく42.195キロに耐えうる脚力や体力が必要だ。
今の自分にはそれが無い。
だから10月27日の大阪マラソンにピークをもっていけるように計画的な身体づくりをしなければならない。
心臓だって今より強くしないといけない…
でも、だからといって焦って必要以上に負荷をかけることは禁物だと思った。

「無理をしてはいけない」
医師の言葉が深く胸に突き刺さっている。

せっかく練習会は普通クラスに復帰したのだが、以後普通クラスに参加することを疑問に感じた。
なぜなら本番前に無理をして、無理なスピードでの練習をして逆効果になる懸念があるからだ。結局合計で2回しか普通クラスには参加しなかった。

規制されている心拍数130を厳守して焦らず一歩一進んだ方が絶対に良いはず。
半年先、1年先、2年先、それ以上先までのことを考えて焦らずじっくりと鍛えていった方が良い。フルマラソンを走るのは1回だけが目標ではない。可能な限り何回でもチャレンジしたい。

練習は心拍数130を厳守することに専念した。130を超えないように走り続ける訓練をした。超えてしまった場合は110に下がるまで歩き、それからまた走り出す。

同じペースで42.195キロを歩かず最後まで走り続けることを大阪の目標にした。記録が目標ではない。歩かずに完走することが目標だ。完歩ではなく完走だ。あくまで完走。歩きたくない。マラソンとは走ること。歩くことではない。だから歩かない。

心拍数130の感覚を記憶させようと思い、必死にそして徹底的にやった。
この感じは120、これはほぼ130、これは130を超えてるな…
そんなことを考えながら、感じながら時計を確認する。だいたい当たるようになった。

「ホントはもっと速く走りたい」
本音だ。


でも焦ったら駄目。
焦るな!
焦ったら今までやってきたことが無駄になる。
今は辛抱だ!

いつもイメージするものは一緒。
大阪マラソンを笑顔でフィニッシュして満足感いっぱいの自分の姿。

だから、そのために、そのためには

焦らないで
じっくり
鍛えてく‼︎

すぐには効果は期待できないけれど、
半年後は今よりきっと良くなっているはずだから…

効果がすぐに出ないからといって
投げ出さない
腐らない
しつこく粘り強く鍛えていく!

諦めない
フルマラソンを走る夢は絶対に諦めない…
夢を夢でなくするために諦めない


今日の失態

今日はPUMA RCの30キロペース走がありました。
あいにくの雨でどうするか迷いましたが雨のレースもあるだろうと思い、雨を経験するのもいいだろうと前向きな気持ちに切り替えました。

東京マラソンが終わってからまったりとした生活になってしまいあまり真剣に走っていません。

気持ちを入れ替えないと雨の30キロは厳しいです。いつもの30キロより疲れた気がします。
ラスト5キロは23分40秒でいけました。

問題はここからです。
練習会を終わり腹ペコだったのでカバンの中にあったジェルを二つ食べました。ナッツも一袋食べました。
シャワーを浴びようとしたらタオルを持ってきていませんでした。雨と汗で体はビショビショなので使用しなかったTシャツをタオル代わりにしました。

シャワーが終わってTシャツで体を拭いてパンツをはきました。
ロッカーのキーがないのです。23番のキーがないのです。シャワーブースにも着替えを入れる籠にも周辺にも落ちていません。勿論ロッカーにもキーはついていません。もしやと思い23番ロッカーを開けてみましたが鍵がかかっています。開きません。
鍵がかかっているのに鍵がない。キーがない。焦りました。
私はパンツ1枚しかはいてない。
恥をしのいでパンツ1枚で1Fへ行って「ロッカー開けて」て頼もうと思いました。
そっとドアを開けていつも体操するスペースを覗いたら女子がたくさんいたのでとてもこの格好では出られません。
男子更衣室に誰もいません。誰かが来るのを待つか、女子がいなくなるのを待つか?

更衣室内をしばらく探し続け、もう一度そっとドアを開けたら女子はいませんでした。
男性に頼んで1Fにキーの落し物がないか聞いてもらいました。ありませんよと言いながら2Fに上がってきました。
(スペアキーで開けてくれることを期待していたのに…)

(そうだ、もしかしてゴミ箱に…?)

慌ててジェルを捨てたゴミ箱をあさりました。

出てきました。23番ロッカーキーはゴミ箱の中にありました。

今日はパンツ1枚で長い間更衣室から出れなくなって焦りました。

普通クラス復帰

「マラソンは楽しくなければマラソンじゃない」初心に帰って気が楽になったはずだった。しかし潜在意識の中にあるのは速く走りたいということ。忘れようとすればするほど、考えないようにすればするほどモヤモヤとした気分になる。いわば宿命のようなものだ。

しかし焦らずに少しずつやってきた成果は少しずつだが出てきている。それは事実なのだ。

2013年5月23日(木)
普通クラスに参加した。ABCの3クラスに分かれた皇居2周のビルドアップだ。いきなり普通クラスで2周耐える自信はないので1周だけCクラスで参加することをNコーチに了承していただいた。

普通クラス復帰の日はできればYKさんに立ち会って頂きたかった。でも訳あって最近出てきていない。

Nコーチの「今日初めての人はいますか」の問いかけに手を挙げた。初めてではない。しかし1年4ヶ月ぶりの普通クラス。勿論知っている方もいるが知らない方も多数いる。そして、今日自分は皆さんについていけるかわからない。だから自分の身体のことを話しておいた方がいいと2〜3日前から決めていた。

1年4ヶ月前に香港国際で心筋梗塞にかかったこと。バイパス手術で助かったこと。もう一度走りたくて諦めなかったことをたくさんの会員さんの前で話した。

『YKさんのサインに書かれている「夢を力に」が自分にとって大きな励みになりました。YKさんなくして今の自分はありません。運動できない時期があり辛いことはたくさんありました。でも、その度にいつかは走りたい。走れるようになりたい。どんなに遅くてもいいから走れるようになりたい。と気持ちだけは負けないようにしてきました。走りたいという夢を力にできたから今日という日を迎えることができました。
今はフルマラソンを走りたいという夢を力にしています。心拍数が制限されているので思うようには走れません。今日はCクラスで1周だけ走らせていただきます。皆さんについていけないかもしれません。やってみないとわかりません。もしついていけなくても私に構わず先に行っていただいて結構です。私がいないものと思って走ってください。』
そんな感じの挨拶をした。

Cクラスは平川門〜桜田門までの3k少々をキロ6分ペースで走り、桜田門〜平川門までの2k弱を個々の力に応じてできる限りペースアップをする走り方。
桜田門までついていけるか不安があったがそこは何とかクリアした。
桜田門に着いてNコーチの
『平川門までペースアップしてください。自分ができる限りでペースアップしてください。』
というかけ声で一斉に散らばった。

皆んなそれぞれ一生懸命ペースアップしてブンブン丸を徐々に離していった。

心配していたほど皆んなに引き離されることはなく、ビリ2で平川門に到着した。
1周だけならなんとかCクラスでできるんだと思うと嬉しかった。
満足感いっぱいで
『今日はこれで終わりにします。ありがとうございました。』
とお礼を言って一人神保町方面へ歩いて行った。思っていたよりできたので、成長している自分が確認できて身体中でその喜びを表現していたような気がする。

夜遅く、YKさんから連絡が入った。
「普通クラス復帰おめでとう。ブンブン丸さんの普通クラス復帰には是非参加したかったけど、今は訳あってしばらく休んでいます。後でお話しします。笑顔でフルマラソンを走れる日を楽しみにしているので徐々に徐々に進んでください。私もブンブン丸さんの努力を見習って頑張ります。」
といったもの。
「訳は知ってますよ。勿論知ってます。あなたが悪い訳じゃない。辛いだろうけど、ブンブン丸なんかより数千倍も数万倍も辛いだろうけどなんとか耐えてください。フルマラソン絶対笑顔で走ります。だからまた元気に戻ってきてください。」

アチープRCのOHさんがブンブン丸が普通クラスに復帰したことをYKさんに伝えたらしい。

そんなこともあったのでYKさんのさいたま国際での復活劇は嬉しかった。リオの選考には漏れてしまったけれど2年間のブランクを感じさせない走りは素晴らしかった。テレビで応援しながら涙が出てきました。

希望と失望の繰り返し

心臓負荷検査の結果
心肺機能は健常者と比較して124%
有酸素と無酸素運動の境界心拍数130

つまり心拍数は130まで上げて良い。
心肺機能の124%は心筋が40%死んでいることを考えると驚異的としかいえない。

フルマラソンに向けて希望の光が見えてきた。あとはもっともっと心臓を強くすれば平常時の心拍数が下がってくるので引き続きゆっくりRUNを多様して鍛えていかねばならない。
今は平常時70、昔は40、せめて65になれば130まで65の幅ができるのだ。将来的には40台は不可能としても50台にしたい。それが心拍数に関する目標値だ。

心臓を強くするにはインターバルの練習が理想で効果的。しかし、それをやってしまうと自分は命がない。命を落とす。だからゆっくりRUNを長く、つまりLSDを多様して強くする以外にない。
そして短い距離を走るときはもう少しスピードを上げよう。たとえ1kでもスピードを上げて走って昔の記憶を蘇らせよう。
キロ3'30. 4'00. 4'30. 4'45. 5'00. 5'30とブンブン丸の身体と脳には記憶が残っているはずだ。
時計なんて見なくても体感でわかる。

いろんなことを考えると楽しい。楽しくてしかたない。

でも、現実はやはり違う。4分だの5分だなどで走れるはずがない。
夢と現実のギャップに苦しみ、落胆しながらもフルマラソンを走れるんだという希望を頼りに練習に明け暮れた。

初心者クラスの練習会のある日、YKさんに本音を吐露してしまった。
『ほんとはもっと速く走りたい。』
沈黙だった…
(こんなこと言っちゃいけないよ。走れるようになっただけで凄いことなのに、幸せなことなのに、どうしてそんなに欲をかく?皆んなが言葉に困るだろう)
でも、これは紛れもないブンブン丸の本音だ。

もし明日死ぬことがわかっていたら何をする…?

今思いきり走って、
思いきり速く走って、
倒れるほどに速く走って、
そのまま倒れて死んでもいい。

今死んでもいい。
明日死ぬことがわかっていれば、
今思いきり走って死んでもいい。

でも、明日死ぬかなんてわからない。
だから今は思いきり走れない。

ブンブン丸はどうすればいいんですか?
神様、神様はどうしてこんなにブンブン丸を苦しめるのですか?
どこまで苦しめたら許してくれるのですか?
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