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神様、神様はどこまでブンブン丸を苦しめれば気がすむのですか

2015年2月15日午前9時
京都マラソンがスタートした。目標はわからなかった。寒い+アップダウンで怖気づき、明確な目標が立てられなかったのだ。
「ゆっくり楽しく走る」という言い方は自分に自信がない証拠でもある。

akiさんにどのくらいで走るのかを聞かれたが即答できなかった。
『キロ6くらいですか?』
『そのくらいかな。』
そう返事をした瞬間後悔した。
(何言ってるんだ。走れるわけがない。4時間13分〜14分なんてとても無理だ。)

スタート時の気温は3〜4℃でダウンを脱ぐと痺れるような寒さを感じた。
Cブロックだったため号砲から1分48秒後にスタートできた。

西京極陸上競技場を出て一般道に入り流れにそってゆっくり走った。台風の被害が大きかった嵐山を抜けると坂が目立つようになった。

この辺から4〜5キロで60mも上がって行くのかと思い覚悟を決めた。コースマップの記憶を辿ると仁和寺、龍安寺まで我慢できればあとは小さなアップダウンで比較的楽になる。
道は狭いが人波をかき分けて先の方を見るとずうっと坂になっている。
(よ〜し頑張るぞ!)
Cブロックというのが自分に合っていたのか抜かれることも抜くこともさほどなく、丁度良い感じで流れに溶け込むことができた。
心筋梗塞後にこんなに長く続く坂を駆け上がるのは初めてだ。しかし苦しさは全く感じない。
目標タイムがなく、気楽にゆっくり走っていたのでプレッシャーがない。それが幸いしたのかもしれない。
1京都
(c)allsports.jp

一番寒いと聞いていた金閣寺が近づいてきたが、寒さ対策はバッチリだったので大丈夫。たくさん着すぎて暑いということもなく丁度良かった。やはり京都は冷え込んでいたのだろう。
どんよりと曇っていたが整列時に降り始めたにわか雨はすっかり影を潜めていた。
沿道にはどこまで行ってもたくさんの応援者がいる。さすがは京都だ。世界に誇る京都だ。

滅多に経験できない車道から見るゆっくりと流れる京都の景色と京都の人を楽しみながら走った。

中間地点でタイムを確認した。2時間ジャスト。心拍数も問題ない。ネットでは1時間58分だ。
こんなにゆっくり走ってこのタイム。ふと思った。あと半分頑張れば…?
2京都
(c)allsports.jp

そしてakiさんのことが頭に浮かんだ。まだ抜かれていない。それとも気づかなかっただけなのか?
最近知った初フルの話。大田原(制限時間4時間)で関門にかかり収容車に乗せられたこと。
私の会社の大先輩がマラソンをやめたきっかけは関門にかかって収容車に乗せられたからだと聞いたことがある。屈辱だったそうだ。その大先輩は屈辱をバネにすることができずにマラソンをやめた。
でもakiさんは初フルで収容車に乗せられたにもかかわらずその悔しさを屈辱をバネに頑張っている。サブ4目指して頑張っている。立派なことではないか。
自分は、自分は何だ?
とくに何の目的もなく京都に参加した。ゆっくり楽しく走ればいいだって…
何をたわけたことを…
最初から言い訳なんかするんじゃないよ。

俺も、俺もサブ4になりたい。
もう一度サブ4になりたい。
ホントは俺もサブ4になりたいんだ。
今まで必死に隠していた本心がやっと現れた。
akiさんありがとう。あなたに会わなかったらこんな気持ちになることはなかった。サブ4なんて考えることはなかった。あなたに会って応援しているうちに、あなたのサブ4に対するひたむきさを目の当たりにしているうちに自分も…と思っていたのかもしれない。
少しでもお役に立てればと思い今までの自分の経験を伝えた。そうしているうちにいつの間にか自分もサブ4になりたいと思うようになっていた。
そんな心を隠していただけ。必死に隠していただけだ。
でも、もう限界だ。
俺は、俺は、俺はやっぱりサブ4になりたい。もう一度サブ4になりたいんだ…

滅多にないこのチャンス。このチャンスを逃したくない。
前半と同じペースで走ればサブ4だ。厳しいかもしれないがやってみるしかない。一発でものにできるかやるしかない…
よっし、決まった。ペースを上げろ!

順調に4キロ5キロ6キロ7キロとペースを上げた。いけそうな気がした。
ところが誤算があった。賀茂川河川敷を走らされたのだ。
道幅が極端に狭まりたくさんいるランナーを抜くことができなくなってしまった。コースを外れて走ろうと試みたが足元が悪くてできない。このまま流れにそって走るしかなかった。せっかくキロ5分にまで上げたペースはみるみると落ちてイラつくばかり…
やっと河川敷が終わり一般道に戻ってきたのでペースを一気に上げた。

間もなくだった。33キロくらいだったと記憶する。身体に異変が起きた…
胃がむかつき、吐き気を伴い苦しくなってしまった。
右手で胃をおさえながら走っていた。ペースは急激に落ちた。今にも立ち止まりそうになるほど極端に落ちた。
(負けてたまるか。俺はサブ4になるんだ。これくらいのことで負けてたまるか。)
胃のむかつきと吐き気は治まる気配すらなく、それどころかどんどんひどくなる。気がついたら両手で胃をおさえていた。むかつくばかりか痛みも伴うような感じだった。
立ち止まってうずくまり、ゲーゲー吐いたら楽になるのかなあと思った。楽になるなら吐きたかった。

限界が近づいていた…
いや、限界だった…
(あ〜神様、神様はどこまでブンブン丸を苦しめれば気がすむのですか?教えてください。ブンブン丸は何か悪いことをしましたか?教えてください…何もしていないでしょう?なのにどうして?)

そして医師の言葉が聞こえてきた。
「胸が痛くなったらすぐにやめてくださいね。二度目は命がありません。」

次に頭に浮かんだのは元日本テレビアナウンサーの徳光さん。徳光さんは心筋梗塞を発症してカテーテルで助かっている。そのとき強烈な胃の痛みを感じたそうだ。胸の痛み心臓の痛みは全く感じなかったと話していたのを思い出した。心筋梗塞では胃や背中首肩などに痛みを感じる場合が多く、胸や心臓が直接痛いと感じるのは一部の人のようだ。心臓という臓器はなかなか異常を伝えてくれない。その代わり、放散痛といって心臓から近い他の場所が痛いと錯覚させるのだ。
(もしかしたら心臓の限界?心筋梗塞再発の予兆?それとも…再発…?)

苦渋の決断だった。
(今回は諦めよう。でも37キロまでは歩かない。どんなにペースは落ちてもいい。37キロまでは絶対に歩かない。歩いてたまるか。俺は歩かない。)

京都を走る前に37キロまで頑張る。それまでは何があっても歩かないと決めていた。37キロまでいければあと5キロで終わり。あと皇居1周で終わりだと思えば5キロくらい頑張れる。そう考えていたのだ。
だから歩きたくなかった。止まりたくなかった。どんなに遅くてもいい。走っている真似でもいいから走り続けたかった。
(あ〜神様、神様お願いです。最後のお願いです。37キロまでブンブン丸に力をください。ブンブン丸はへこたれません。絶対に絶対にへこたれません。だから見守ってください。助けてください。頑張ります。この試練、いつか必ず乗り越えてみせます。)

ブンブン丸はどんな状態になっても強情っ張りだ。どうしようもない強情っ張りだ。
最後の力を振り絞り、必死に超スローで悲壮感を漂わせながら走った。

気持ちが悪いという言い方はとっくに通り過ぎて命の危険を感じるくらい胃が変だった。胃が…胃が…

この胃の痛み、むかつき、吐き気、倦怠感は心筋梗塞の放散痛?
いや、心臓が限界に達した危険信号であってくれ…
祈った。危険信号であってくれ。

35キロ
給水のスポーツドリンクをとったが胃がむかついて飲めない。
36キロ
あと1キロだ。なんとか頑張れ!
沿道からハイタッチを要求されたがとても応えることができなかった。
”ごめんなさい”
37キロ
表示板が見えてきた。
あそこまで行ったら歩ける。もう少しだ。もう少しで歩ける。頑張れ!
そう思った瞬間悲しくなって必死に涙を堪えた。胃が痛いからではない。胃がむかついていたからではない。心臓が限界だからでもない。
悔しかったからだ。
せっかく掴みかけたこのチャンスをものにすることができなかった悔しさ…
(生きていなければサブ4になることはできないだろう。だから、今は生きるためにサブ4を諦めろ。もう一度サブ4にチャレンジするために今は諦めろ。生きている限り必ずサブ4になるチャンスはあるはずだ。焦るな。もう一度チャンスが来る。その時のために今日は諦めなければならない。神様、神様見ていてください。ブンブン丸は必ずこの試練を乗り越えてみせます。必ず、必ずサブ4になってみせます。今日は注意信号を灯して頂きありがとうございました。)

37キロを過ぎてから40キロまでの大部分を歩いた。しかし止まらなかった。それだけは誇りだ。40キロからのラストは超スローペースでなんとか走ることができた。
悲壮感漂う走りはボランティアの方まで巻き添えに悲壮感を感じさせてしまった。
「大丈夫ですか?頑張ってください。大丈夫ですか?」
心配そうに応援を頂いた。
ありがとうございました。
3京都
(c)allsports.jp

4京都ゴール前
(c)allsports.jp

グロス 4時間11分11秒
ネット 4時間09分23秒

この瞬間ブンブン丸のサブ4への挑戦が始まった。

(神様、香港に続いて京都でも助けて頂きありがとうございました。もう一度心臓を鍛えて出直します。必ずこの試練乗り越えてみせます。)


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京都マラソン

2015年2月15日京都マラソン
エントリー時に記入したのは過去2年のベストタイムではなく過去3年のベストタイムだった。したがって神戸のサブ4タイムが使えた。予想タイムはサブ4を狙ったわけではないが3時間59分59秒で申告した。潜在意識にザブ4があり、無意識のうちに記入してしまったようだ。想定外のCブロックでスタートできることになった。

京都の冬は寒い。そして高低差が80mくらいある。前半の10キロで80mくらい上る。そのうちの6キロ〜10キロで60mくらいなのだ。
不安だった。寒いだけでも身体に良くないのに上りだ…
大阪も東京も平坦な大会だったので非常に楽だったが、京都はそんなわけにはいかない。
出だしから心拍数がオーバーするのは必至だろう。記録なんて到底狙えないだろう。
1月のハーフ1時間53分は参考にもならないと思った。しかも80mの上りなんて心筋梗塞後に走ったことがない。平川門から半蔵門の緩い上りでさえも大変だと思っているのだから…

たくさんの人から忠告を受けた。
「京都の冬は寒いからやめた方がいいよ。再発したら危険だよ。命を大切にした方がいいよ。」
自分でさえその通りだと思っていた。東京が落選して何か大会ないのかなと探していたらたまたま京都がエントリー最終日だったので抽選に入れてみただけ。当選するなんて考えてもいなかったし、さほど出たい大会でもなかった。(寒いのもアップダウンがあるのも知っていたから)
でも当選した以上はキャンセルなんかしたくない。きっとそれはマラソンをやる者共通の思いだろう。

極めつけの忠告は上司だった。京都に参加することは話していないが、噂が回り回って耳に入ったらしい。
2月の2週目に入った頃呼び出された。
『こんな時期にこんな話をしてはいけないのだが、あなたの昇進がほぼ決まった。何か特別なことが起こらない限り覆ることはない。特別なこととは言わなくてもわかるだろうが身体の問題だ。3年前のようなことが起こるとまた取消になる。正式に内示が出るまであと1ヶ月。身体にはくれぐれも注意して欲しい。3年前と同じ事態になって欲しくない。危険なことは控えてあと1ヶ月を注意して過ごして欲しい。このチャンスを逃したらもう3度目はない。』
直接京都に出るなとは言われなかったが、遠回しに言っていることは明らかによくわかった。
3年前に白紙になり、もう二度とないと思っていた昇進が目の前にぶらさがっている。昇進をとって京都を断念すべきか一瞬だけ悩んだ。フルマラソンの大会は京都だけではない。4月にはかすみがうらにもエントリーしている。
悩みは一瞬で解決した。京都マラソンを選択したのだ。もし何かが起こって昇進が取消される事態になってもそういう運命にあったということで腹をくくるしかない。
何も起こらないように最善の注意を払うことが自分に残された使命だ。
一度裏切られている会社に媚びを売るよりも自分はマラソンを選択したのだ。
マラソンは自分が裏切らない限り絶対に裏切らないから…
会社は忠誠を尽くしても簡単に裏切ってくる。だから信用していない。

《最善の注意を払うこと》
記録は度外視。たくさん着てゆっくり走って京都を楽しむ。
整列中は古着を着て待っているよう実行委員会からのメール連絡があった。
使い古したロングダウンを羽織ることにした。
古着はスタート前にボランティアが回収する。途上国に寄付をするそうだ。スタート前後の脱ぎ捨て禁止などと言わずずに東京マラソンも見習って欲しいと思った。
(市民ランナーは整列中が寒くて辛いんですよ。)
Tシャツを着るという選択肢は完全に消えた。暖かい素材の長袖ハイネック。トレラン用の起毛付き長袖。ウィンドブレーカーに参加賞のバフを首に巻き、暖かい素材のロングタイツに足首を温めるためのゲートル。
金閣寺あたりが一番寒く、また前年は雨に見舞われたと聞いていたので更にビニール製の雨にも強く風にも強いノースフェイスウィンドブレーカーを小さく丸めてウェストバックに吊るす。

気温は低くてもロングダウンのお陰で整列中は寒さを感じなかった。
しかし何ということか。整列している間に気温が1℃ずつ下がっていくのだ。
にわか雨が降ってきた。
「聞いてないよ。雨が降るなんて聞いてないよ。」
あちこちから天気予報に対する不満の声があがりざわついき始めた。
(俺は雨対策だってしているから大丈夫なんだ。)

サブ4は狙っていない。狙える状況でないのは重々承知だ。
遥か後方にサブ4を目指すakiさんがいる。グロス狙いは厳しいだろうからネットでサブ4を達成して欲しいと願い、応援しながら自分も走る気持ちでいた。
そのためにはブンブン丸をどこかで抜き去っていかなければならない。そうしなければサブ4はありえない。
だからどこで抜かれるかを楽しみに待つことにした。
追いついてくれたら、抜き去ってくれたらその時は大きな声で「頑張れ」と言ってあげたい。
(”頑張れ”と言わせてください。だからブンブン丸を抜いてくださいね。頼みますよ~)

号砲が鳴る9時まであと少し…

人生2番目に嬉しかった日

2015年1月11日第16回谷川真理ハーフマラソン
2月15日の京都マラソン出場が決まっていたため京都を意識して走ることにした。

この大会は4年連続しての参加になるが、Aコース(上流)からスタートするのは初めて。

真冬の河川敷大会ということで寒さを覚悟してエントリーしていた。しかしなぜかこの大会は毎年天気に恵まれて暖かい日になる。この年も例年同様暖かかった。

目標はキロ6分ペースで走ること。つまり2時間6分~7分という計算。自分にとってはこれが精一杯のタイムだろう。一昨年は制限時間オーバーの2時間42分。去年が2時間13分。いつか2時間を切ってみたい。でもそんなの無理だ。生まれ変わらない限りありえないことだ。この身体で2時間切りなんてできるはずがない。今回の目標達成だって微妙なのだから…

練習ではキロ6分で走ることはあるがハーフの距離を休まずに6分で走り続けたことはない。最初は心拍数制限内でいけても距離を踏むうちにオーバーしてしまうのだろう。無理をするつもりはないができるところまではやってみたい。どのくらいできるのか試してみたい。

走る直前まで少しでも暖かい場所で待機していたかったので1万円支払ってプレミアムエントリーをした。専用テントが張られた中はストーブで温められており、軽食や飲物などの用意もある。専用トイレもあるので並ぶ必要もない。快適な空間だったが貧乏性の性格からいろんなものをつまみ食いしてしまい走る前からカロリーとり過ぎだろうという感じになってしまった。

寒さ対策でたくさん着込んでいた。トレラン用の起毛つきノースフェイス長袖。その上に同じくノースフェイスの中が透けて見えるウィンドブレーカーを着て更にその上にTシャツを着た。心筋梗塞の再発を防ぐためにこの時期のマラソンはどうしても必要以上にたくさん着込んでしまう。それが癖になってしまった。石橋を叩いて渡るほどの注意を払うことは今の自分にとってとても重要なことなのだ。

前年までとは異なるAコースからのスタートだが、河川敷なのでアップダウンがあるとすれば堤防を上り下りするときくらい。風もなく快晴だったので不安は全くなかった。
スタート3分前まで快適なプレミアム専用テントの中にいたので整列はほぼ最後尾だった。最後尾といってもこの大会のタイム差はウェーブを採用しているので2分程度しかない。とくに神経を尖らせる必要はないのだ。
前方からロケットスタートをするよりも最初ゆっくり徐々にペースを上げるというやり方の方が今の自分の身体に合っている。

号砲が鳴り流れに沿ってゆっくりめにスタートした。Bコースはすぐに堤防の上を走るため上りになるが、上流の戸田橋方面に向かうAコースはしばらく河川敷内を走るのでずうっと平坦だった。
2015111赤羽
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大会とはいってもそこは荒川河川敷。犬の散歩に来ている人や少年野球など、のどかな風景が広がっている。

1キロ2キロ3キロと進みその度に心拍数を確認しラップをとった。ほぼ5分30秒〜40秒ペースで走っている。心拍数だって問題ない。
(このペースいつまで続くのか?そのうち心拍数も上がっていくだろうしペースは落ちるんだろうなあ)
そう思いながら期待はしなかった。

5キロ6キロ
ペースは落ちない。5分30秒を切る勢い。

それにしても暑い。たくさん着すぎだ。
とくに風を通さず蒸れてしまうウィンドブレーカーが余計だったと後悔したがもう遅い。脱ぐことはできない。フィニッシュまで我慢するしかない。

毎年この大会は給水が少ないのでペットボトル持参で走ったが、暑さのためすぐに飲みきってしまった。
喉の渇きも暑さも我慢するしかなかった。
2015111赤羽1
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折り返し地点が近づきタイムを確認したが殆ど落ちていない。それどころか微妙に上がっている。
いつの間にこんなにしっかり走れるようになったのか?
嬉しい気持ちと不思議な気持ちが半々だった。いつかはペースが落ちるのだろうと思いここまできても期待はしなかった。
心拍数は徐々に140を超えてきたのでペースを落とさなければいけないな…

12キロ
そろそろ落ちるのかと思ったがその兆しもない。いったいどうなっているんだ?2時間を切りそうなペースだが期待すると落胆するのが怖いのでやめておこう。
それにしても隣を走っているおじさんうるさすぎるよ。呼吸をする度息を吐く度に悲鳴をあげてうるさい。苦しそうに唸っている。何でそんなに苦しいの?
あまりにもうるさくてストレスになってきたので少しペースを上げて差を広げた。おじさんはついてこなかった。

15キロ
おじさんのうるさい呼吸と呻き声は聞こえない。随分離してしまったようだ。
このベースでいくともしかして2時間切ってしまうのか?
嘘だろう?
何かの間違いだよ。
そんなはずない。時計が狂っているのか?

2015111赤羽4
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18キロ
全くといっていいほど苦しくない。余裕の走りだ。
もっとペースを上げろと言われれば余裕でできる。
いったいどうなっているんだ俺の身体?
そう思った瞬間ハーフのサブ2を確信した。サブ2はもう間違いない。あとはどの程度まで記録を伸ばせるかだ。
ラスト3キロはペースアップしたかった。でも万一のことを考えると怖くて上げられない。


20キロ
あと1キロ少々で終わりだ。
(ここまできたらネットで1時間〇〇分を切りたい。よっし、上げるぞ。)
沿道から「あと1キロ」という大きな掛け声が聞こえた。
(あと1キロ。もう大丈夫だ。行けっ!)

必死に走った。心筋梗塞から復帰したどの大会のラストよりも速く、必死に必死に抑えながら必死に走った。思い切り走ってはいない。どんなにペースを上げても力の限り走ることはない。力の限り走ってみたいがそれは怖くてできない。もう一度心筋梗塞を発症してしまったら全てが終わってしまう。せっかくここまで頑張って戻してきたことが水の泡になる。走ることはおろか命さえも終わってしまう。だから力の限り走ることは怖くてできない。生きていなければ夢も希望も努力することも嬉しいと感じることも悔しいと感じることも全てがなくなる。基本は生きること。生きながら最大限の努力をすることだ。
抑えながら精一杯の走りをした。今できるであろう最大限の走りで心拍数は168にまで達した。
(大丈夫だ。最大心拍数まであと20も余裕があるんだ。もう少しで終わりだから大丈夫。)

2015111赤羽ゴール
(c)allsports.jp 

グロス 1時間54分27秒
ネット 1時間53分48秒

20キロ地点で思い描いたネット1時間54分切りを達成した。
ラスト1キロのラップは4分23秒
信じられない走り。
嬉しいという感情よりも
信じられない
これは現実なのか?夢なのか?
という状況だった。

深々と神様に頭を下げた。
(ありがとうございます。こんな身体になってもまだ4分半以下で走ることができるんですね。強い身体にしていただいてありがとうございます。最後は少々無茶振りでしたが以後は気をつけます。)

夢心地のまま帰宅した。
夜になったが興奮冷めやらずなかなか寝つけない。眼を閉じてもスタートから1キロ毎の光景が蘇り、頭が冴え渡ってしまう。遠い昔(わずか3年前だが)の心筋梗塞を発症した香港や少しずつ走り始めた2年8ヶ月前のことまで頭に浮かぶ。

焦らない
腐らない
諦めない


愚痴も言わずに前向きに取り組んだおよそ3年の軌跡。
努力は少しずつ積み重ねればいつか大きな花が咲く。
練習は嘘をつかない。
結果はすぐに出なくても
今はできなくても
できるようになるまで
焦らず腐らず諦めず
にやっていればいつか必ず報われるときがくる。


前向きに一歩一歩努力をすれば必ず結果が出ることを証明できた。

どっと涙が滴り落ちた。大阪マラソンチャレンジランのときに負けず劣らず涙が落ちた。
(俺がやってきたことは間違ってはいなかった。諦めない強い気持ちがあれば何だってできるんだ。俺は証明した。ハーフの2時間切りなんて生まれ変わらない限りできないと思っていたのに不可能を可能にしてしまった。人との競争に勝つことではない。大事なのは自分に負けないこと。俺は自分に負けなかった。)

ゆっくり走ることが恥ずかしくてたまらなかった。
笑われているのではないか?
馬鹿にされているのではないか?
周りの目ばかりを気にしていた時期があった。
そんな思いが吹っ切れたのは2年前の谷川真理ハーフだ。この大会だ。
マラソンをしていたおかげで自分はこんなに強くなることができた。
マラソンをやったことで自分が変わったこと。それはどんな時でもどんな状況でも諦めることをしなくなったこと。駄目だと思っても次に挑戦するときのことを考え、次に繋がる走りができるように気持ちを切り替える。投げやりになることはどんな状況でもありえない。自分の辞書から諦めるという言葉が消えた。かわりに大きく"諦めない"という言葉が太字で載っている。
マラソンをやめなかったおかげでいろんなことが経験ができた。しかもこんなに嬉しいことが次々起こるようになった。
偶然ではない。まぐれでもない。全てコツコツと努力を積み重ねた結果だ。諦めなかった結果だ。

焦らない
腐らない
諦めない


やはりこの三つに辿り着く。

百点満点をつけてあげたいほど自分を褒めた。涙は止まる気配がなかった。トイプーのミラノちゃんが不思議そうに心配そうにこっちを見ている。
(大丈夫だよ。嬉しいことがあったんだ。心配しなくてもいいよ。ありがとう。)
ミラノちゃんがどうしたの?ボクがいるから大丈夫だよと言わんばかりに涙を顔を舐めまくっていた。

ふと思った。
この記録、単純に2倍すればサブ4だ。
もしかしたらサブ4…
京都でサブ4…

(ダメダメ、そんなことはありえない。滅相もないこと考えるな。サブ4を達成するのは俺じゃあない。akiさんだ。皇居40キロ走やつくばを経験して成長している。サブ4は絶対できるはずだ。応援してあげなくては…もっともっといろんなアドバイスをしてあげたい…)

自分の心の片隅に見え隠れしているサブ4を必死にかき消した。

ゆっくり気長に少しずつ

大阪で叩きのめされた結果を謙虚に受け止め初心を思い出してコツコツ努力する姿勢を取り戻した。
2015年の東京マラソンは先行、一般、2次と全てに落選。代わりに最終日に抽選申込みをした京都(2015年2月15日)が当選していた。
初めての京都マラソン。寒そうだがモチベーションは上がる一方だ。

練習時の注意点は心拍数をオーバーしないこと。記録狙いでレースに出ると後半は制限されている心拍数をオーバーしてしまう。昔と違って今は年に数回しかレースに出ない。だからレースでは多少オーバーしてもいいだろうと思っていた。しかし、週6で行っている練習では絶対にオーバーしたくなかった。140未満を厳守しようと思っていた。練習中に無理をして倒れるのが一番馬鹿らしいし一番後悔するだろう。
心拍数厳守で焦らずじっくり練習を積み重ねていけば気がつかないうちにいつの間にか速くなっているはずだ。
今までだってそうやっておよそ3年かけてここまで復活したのだから。
焦りは禁物なのだ。

心筋梗塞を患った者が無理なスピード練習を続けると不整脈の危険が増すといわれている。そうなればペースメーカーを埋め込むことになりマラソンを続けることが不可能になってしまう。
ゆっくり気長に少しずつ。やはりこれが基本なのだ。

11月下旬に30キロLSDを行い、年末は皇居を8周40キロ。年始早々の2015年1月4日にはRunners Pulse(ランナーズ・パルス)主催の山手線1周40キロ走というイベントにも参加した。ほぼ1週間で2回40キロ走を取り入れた計算になる。

ゆっくりを基本に走っているが月間走行距離は300キロにも達し、心筋梗塞を患った者がこんなに走るなんて自分でも信じられなかった。

昔と違うことは走るスピード。昔は常に足が痛くてたまらなかったが今は張りがある程度で痛くない。ゆっくり走るということはきっと心臓にも身体にもやさしいのだろう。負担を最小限に食い止めているのだろう。

叩きのめされた大阪マラソン

2014年10月26日第4回大阪マラソン
皇居40キロ走が良い結果に終わった自信から大阪マラソンに対する期待が大きく膨らんだ。
4時間20分を切れるのではないかという安易な気持ちが芽生えたのだ。

2014年から陸連登録者が前列からスタートできるという特権が撤廃され、直近2年間のベストタイムと今回のレース予想タイムを勘案した整列順に変わった。
当然サブ4だった頃のタイムは2年以上経過しているため使えない。東京マラソンの4時間27分(グロス)がベストタイムということになる。予想タイムは4時間18分で申請し、Fブロックに決まった。

3年連続で大阪に来るとさすがに勝手がわかって前日も当日も気分的に余裕がある。
逆に余裕がありすぎて何かミスを犯してしまわないか不安になるくらいだ。

ホテルで朝食を済ませてスタート地点の大阪城公園へ向かうため心斎橋駅へ行った。
念のため胸に巻いた心拍計が作動するか確認…

焦った。動かないのだ。なぜ?
電池交換しているはずなのに…
慌ててコンビニに電池を買いに行って交換した。
しかしそれでも動かない。
予備でもう一つ心拍計付きウォッチを持ってきていたので走ってホテルの部屋まで取りに帰った。
作動するか確認したら問題なかったのでこれを使うことにしたが、レース中の電池切れ不安が頭をよぎってもう一度コンビニへ走った。電池を買いに行ったのだ。
余裕をもってホテルを出たはずがいつの間にか殆ど余裕がなくなってしまった。荷物預けをしてトイレに行く時間があるか焦りを感じ始めた。
命のバロメーターとなる大事な心拍計。レース中の電池切れは最悪なので地下鉄の中で交換した。
森ノ宮駅に到着し、荷物預けの場所まで小走りした。ジャージを脱いでカバンに入れて、代わりに寒さ対策用のビニール合羽を取り出し慌ててカバンを預けた。すぐにトイレへ行きたいのだがすごい行列でゾッとした。とりあえず整列場所のFブロックまで行ってそこから一番近いトイレへ行くことにした。
さっきよりはましだがここも長蛇の列。膀胱は破裂しそうなほど満タンで我慢は限界に達していた。Fブロックの最後尾はトイレから50mくらい。走れば1分かからずに行けそうだったので整列時間2分前までに順番がこなければ諦めようと思った。
イライラしながら待ち続けFブロックの最後尾に整列できたのは20秒ほど前。間一髪セーフ!

1年前はビニール合羽で寒さをしのいでスタート直前に脱ぎ捨てた。しかし今回は暖かい。暖かいというより暑いくらい。それもそのはず、気温は27〜28℃にまで上昇。ビニール合羽は袋から取り出すこともなくそのままボランティアに回収してもらった。

今回はイエローのTシャツにブルーのショートパンツ、レッドのシューズにイエローのハイソックスというスタイル。自分では信号機をイメージしていた。皇居を走っているときにこの配色のランナーさんを見てすごく目立っていい感じと思ったので真似をしたのだ。

整列ブロックからはスピーチも何もかも全く聞こえなかった。号砲でさえ聞こえなかった。気がついたらスタート時間を過ぎており、時計を作動させることさえ遅れてしまった。これでは正確なタイムがわからない。

スタート時間は過ぎているのに動く気配すら感じない。結局スタートラインをまたぐまで実に9分も要した。
その後も動かない。歩くような速度で進むことしかできない。前回までとは違って明確な目標タイムがあったのでイラついた。
1キロ程進んだところでようやく流れてきたが、こんなにロスがあったのでは目標タイムは微妙かな?無理かな?と思い早々に諦めムードが漂ってしまった。

なんば〜心斎橋〜大阪市役所と過ぎて少しずつ走りやすくなった。
前回は果物やアンパン、チョコレート、飴
など給食を楽しみながらお腹一杯食べまくり気持ちが悪くなるほどだった。
しかし今回はタイムを重要視しているので水分以外はとらなかった。

①2014大阪
(c)allsports.jp

10月とは思えないほど燦々と降り注ぐ太陽はまるで真夏だ。
暑いのは好きなので特に嫌気はなかったが季節外れの暑さで大量の汗をかいていた。

復帰後3戦目になるフルマラソン。淡々とひたすら淡々と走っていたように思うが、それとは裏腹にスピードは思うようには上がらなかった。
残念ながら走っている最中の記憶があまりないのだ。暑かったということは鮮明に覚えているのだが、それ以外のことが記憶にない。
37キロの南港大橋もただ淡々と上りスタスタと下った記憶しかない。
前年はここで感動の応援があった。心拍数を気にしながら決死の覚悟で駆け上がった大阪マラソン最大の難関も今回は残り5キロの単なる通過点の上り坂にしか感じない。
それだけ身体が回復基調にあるのか暑さでぼーっとしているだけなのか定かではないが…

③2014大阪37キロ
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走りながら不思議に思った。最近のフルマラソンはいつもトイレへ2回行くのに今回は一度も行っていない。
やっと体質改善されて元に戻ったのかと考えると嬉しい気持ちだ。
ふと時計を見ると目標タイムには到底届かない散々たる結果。
いつもいいことばかりは続なかい。こんなこともあるさと言い聞かせ、最後はできる限りたくさんのランナーを抜かしたいと思い持てる力を振り絞って懸命に走った。

⑤2014大阪最後に抜け
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フィニッシュの時計を見ながら懸命に走った。
グロスタイムはとっくに4時間30分を過ぎていた。ネットタイムが東京(4時間26分)と比較してどうかという問題だ。
今更頑張ってもタイム的には数秒しか変わらないのだろうが、なぜかいつも最後の直線になると短距離走のようにスピードを上げたくなる。

④2014大阪ゴール瞬間
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グロス4時間32分14秒
ネット4時間23分32秒

ネットタイムはかろうじて東京より3分速い…
しかし実質的には東京の方が速かったのだろう。東京はトイレに2回行って4時間26分。今回の大阪はトイレには行っていない。それなのに4時間23分。

自信満々で挑んだはずの大阪マラソンは見事に叩きのめされてしまった。
言い訳をするならば、かろうじてネットタイムは東京より速いですよということだけ。
冬に向けて鍛え直さなければ…

大阪前の皇居40キロ走

2014年夏
秋の大阪マラソンに向けて運動時の心拍数制限が緩和されるか期待を込めて心臓負荷検査を行った。
しかし結果は135まで。これ以上の緩和はこれから先もないことをはっきりと告げられた。これで頭打ちだ。
上限の緩和が期待できない現状では安静時の心拍数を下げなければ幅ができない。したがって引き続きLSDを中心に根気強くトレーニングに励まなければならない。
自分なりに心臓負荷検査の結果を解読したところ140以内ならOKという結果に辿り着いた。医師は安全をみてスレスレでの数値は言っていないのだ。

毎年夏になるとNコーチの口癖が始まる。
「暑い夏にどれだけたくさん走り込んだかで秋以降のマラソンに変化が見られる。走り込んだ人は走力も心肺機能も高まってレースで必ず良い結果が出る。」

自分は夏が好きだし暑い中でのトレーニングは苦にならない。週末は最も暑い陽射しを浴びる正午から14時前後にかけて20キロLSDを実行した。
全ては大阪マラソンのためだった。

心筋梗塞から2年半も経ってしまうとゆっくり走ることにすっかり慣れてしまった。誰に抜かれても当たり前と思うようになり、抜き返すこともなくなる。遅い自分に腹を立てることもない。元気だった頃のランニング期間と今のランニング期間がほぼ同じになってしまったので今のペースでのトレーニングが普通と思うようになってしまった。

皇居8周40キロ走はakiさんと相談して
2014年10月4日(土)に決まった。

キロ7分ペースでやると言ったもののそんなに遅くていいのかという思いがあり、可能な限りペースを上げたいと思っていた。
6分30秒かできれば6分…

ちょうど台風が接近していたが、土曜日はなんとか天気はもった。
10時に集合して5周したところで一旦お昼休憩を30分くらいとり、その後3周走って合計40キロ。
休憩なしで8周いきたいところだが、自分の心臓がもたないと思ったのでそこはわがまま言って合わせてもらった。
akiさんはフルマラソンの完走経験もなく、40キロは未知の世界のようだった。
11月のつくばマラソンにエントリーしており、サブ4目指して燃えたぎっていた。情熱いっぱいのように見えた。

自分は初フルのときは30キロまでしか走ったことがない。30キロ以上は未知の世界。距離表示を見るたびに感動していた思い出がある。未知の世界に突入すると疲れ具合だって予想がつかないし、走り方だってどうしたらいいのか(ペースなど)全くわからない。
だからフルマラソンと同程度の距離を事前に経験しておくということはすごく意味のある事だと思う。
実際に走ってみれば40キロがどんなものなのか体感でわかるだろう。あとは自分が経験したこと、サブ4達成のためには何をしてどんな心構えで臨めばいいのかを伝えようと思った。成功談に限らず失敗談も話してあげたいと思った。

自分はサブ4が不可能な身体になってしまった。だからなのか?なぜかサブ4とかサブ3.5などを目指していると知ると無性に応援したくなってしまう。アドバイスしたくなってしまう。余計なお世話なのかもしれない。でも放っておけなくなってしまうのだ。少しでも役に立って目標達成して欲しい…
そう思うのだ。もしかしたら自分に置き換えて自分が夢に向かっているつもりになっているのかもしれない⁈
だからつくばで経験を積んで冬にはサブ4になって欲しい。サブ4は努力すれば必ず達成できること。だから諦めないで欲しいと思った。

皇居40キロ走は自分一人で走るよりかなりペースアップして7周できた。そして最後の1周はなぜか二人とも無口になり必死に走ったような記憶がある。
走り終わった時に「最後の1周はキロ5分30秒ペースでした。」と嬉しそうに話していたのが印象的。
自分もビックリだった。まさかそんなタイムで走れるとは…

そしてakiさんに言った。
「つくばで37キロの距離表示が見えたらあと皇居1周だと思って頑張って。皇居40キロ走の最後の1周はキロ5分30秒で走れたんだということを思い出して自信にして欲しい。」



3年連続大阪が当選

春になり大阪マラソンと神戸マラソンの抽選に申し込んだ。どちらかが当選すれば4年連続の関西遠征になる。神戸は海を渡るときの最後の坂がきついので大阪が第一希望だ。しかし3年連続での大阪当選は確率的には厳しいだろう。

PUMA RCの練習は復帰以来殆ど休んだことがない。仕事でどうしても都合がつかない限り休まない。

この頃akiさんと1年ぶりくらいに練習が一緒になった。そしてサブ4という目標を持っていることを知った。
自分もかつてはサブ4だったが、もうその領域に復帰することは不可能だ。だから自分がかつて経験したことをできるだけ伝えてお役に立てればいいなあと思った。
「目標はサブ4です。絶対に達成したいです。」
サブ4の話題になるとやけに眼が輝いていたのが印象的で本気度がひしひしと伝わってきた。素直に応援したいと思った。
自分も初フルの前はきっと同じだったに違いない。昔の自分を見ているようで自然と気持ちが和んだ。
自分がサブ4を目指していた頃の練習方法などを走りながら雑談した記憶がある。

そして3年連続で大阪が当選した。練習会で走りながら他の会員さんと話をしていた。
『私はフルマラソンの1ヶ月前に必ず最低でも40キロ走をやるんですよ。入会した頃YKさんに40キロ走の重要性を聞いたのでそれ以来ずっと守り続けているんです。』
『じゃあ大阪の1ヶ月前も40キロ走るんですか?』
『勿論です。9月下旬に皇居を8周か9周しますよ。』
それを聞いていたakiさんが
『私もご一緒していいですか?』
断る理由は何もなかった。それに一人より二人で走った方が辛く感じない。
『勿論いいですよ。9月下旬くらいにやりたいので近づいてきたら日程を調整しましょう。』
と快諾した。

しかし不安だった。それはこれからサブ4を目指そうとする方と同じペースで皇居を8周も9周もできるのかということ。
自分はキロ7分でのLSDを考えている。そんな遅いペースでやったら申し訳ない。これだったらやらない方がよかったと思われるのではと考えてしまったからだ。
念のため確認した。初心者クラスと同じキロ7分程度でやるつもりだがそれでもいいのかと…
まだ40キロを走ったことがないので一緒に走りたいとの返事だった。

初めて複数で走る40キロLSD
大阪に向けて俄然やる気がみなぎったのを覚えている。

精力的にゆっくりJOGを中心とした練習を繰り返す日々が続いた。
秋のマラソンは今回も大阪と神戸に抽選を入れる予定。二つとも落選した場合は静岡のしまだ大井川マラソンにエントリーするつもりでいた。

東京マラソンのネット4時間26分を更新することを目標とし、あわよくば4時間20分切りも念頭に入れた。

人間というのは欲の塊だ。
世界で一番遅いランナーでいいからもう一度走りたいと思っていたのに少しでも走れるようになると欲が出る。
大阪で復活したら東京は大阪の記録を更新したいと思い、今はまた東京の記録更新を狙っている。きっと走るたびに欲が出てくるのだろう。
欲がなければ成長はないのでそれが人間の特権だと思うが…

将来はキロ6分ペースの4時間13分で走りたい‼︎
でもまだそれは遠い先の話。今はとにかく4時間20分切りだ。

上限心拍数の緩和が不可能ならば平常時の心拍数を下げなければならない。そうすれば幅ができる。今より速く走れるはずだ。
絶対に走れるはずだ。
平常時の心拍数は手術前が42前後。手術直後は80超。それが70に下がり、今は60台後半。50台後半でいいからあと10くらい下がって欲しい。

平常時の心拍数を下げるには心機能を高めなければならない。つまり心臓を強くすること。心臓が強くなれば1回に送り出す血液の量が増えるので当然心拍数は下がる。
そうなるにはインターバル練習が一番手っ取り早いのだが、それをやったら自分は命がない。結局はLSDとゆっくりJOGで気長に地道に根気よくやっていくしかないのだ。
しかし、1日の練習のうちほんの少しは速く走ってみるのもいいだろう。1キロでいい。ほんの1キロでいいからキロ5分30秒〜45秒で走ることを取り入れようと思った。制限心拍数をオーバーすることは必至だ。でも練習時間のうちのほんの5〜6分にすぎない。病院の心臓負荷検査では20分近く真剣に目一杯自転車をこいで最大心拍数まで上げているのだからこれくらいならきっと大丈夫だろう。

一人皇居練習をするときは拮梗門〜平川門までの1キロを5分40秒程度で走ろうとしたが、なかなか目標には達しない。どうしても6分を少々切る程度にしか上げられないのだ。
やはり心筋40%壊死というのは相当なハンデだ。
東京より良い記録を出すには壁がある…
大きな壁がある…
情けない話だ。
これが現実…

昔を思い出してため息をつくことが増えてきたが、それでもいつも諦めてなるものかと思った。ここまでくるのに2年以上かかっている。今の壁なんてそれに比べれば大したことはない。

焦らない
腐らない
諦めない

三つの精神があれば絶対にできないはずがない。コツコツとマイペースでトレーニングに没頭する日々が続いた。

周りから見ると何が面白くてとりつかれたように練習しているのだろうと見えるかもしれない。
でも、どう思われたっていい。
今より1秒でも記録を縮められるのなら1年の努力だって惜しまない。たった1秒のために1年を費やしてもそれは無駄な努力ではない。

いつもそんな風に考えていた。
よくよく考えれば走れるだけで幸せなんだ‼︎

再生治療

2014年東京マラソンの後だったと記憶している。深夜テレビを見ていたら大阪大学医学部が研究している心臓の再生治療を特集していた。
就寝しようとしていたのだが、自分に関係のあることなので見入ってしまった。

自分の心臓では生命を維持できないほど心機能が悪化した患者では、補助人工心臓を装着し、心臓移植を待つ以外に方法はない。心臓移植は極端なドナー不足のため限られた数の患者しか受けることができず、長期に及ぶ心臓移植待機期間中に補助人工心臓の合併症で命を落とす場合が多いのが現状。

これら従来の治療にかわる治療法として、再生治療が現在世界中で注目されている。自分の足の筋肉から採取した筋芽細胞とよばれる若い細胞が、弱った心臓の筋肉を再生させる力があることがわかってきた。さらに組織工学技術を応用して培養皿で育てた細胞シート状に形成する方法を用いて、足の筋肉から採取した筋芽細胞を細胞シートにして心臓に移植する方法を確立した。そして、この方法を用いた再生治療を大阪大学が世界で初めて行った。この治療は人工心臓を装着された重症心不全の患者に行われたが、患者は人工心臓が外せるほどに心機能が回復し、現在は普通の人と変わらない生活をしている。

人工心臓に限ったことではない。テレビで実際に手術の様子などを映していたのは20歳前の女の子。心筋梗塞で心筋が壊死、命は落とさなかったものの自分の足では歩けないほどの重症だった。夢は自分の足で歩いて友達とお買物に行くことだそうだ。世の中にはこんな些細なことでさえ夢と思つている人がいるのだ。
自分ももう少し病院へ行くのが遅れていればこの女の子と同じ運命だったのかもしれない。

この再生治療を受けるには2回の手術を必要とする。
1回目は自分の足の筋肉から筋芽細胞を採取すること。この筋芽細胞を数週間かけて培養させてシート状にする。
2回目は開胸手術で、この細胞シートを心臓の壊死した部分に貼りつけるのだ。動いている心臓にシートを貼りつける作業はとても難易度が高いのだそうだ。
合わせて2ヶ月の入院になるが、女の子は普通の人と変わらない生活ができるようになった。

この頃はまだ実験段階で、この手術を受けるには命を落としても医師の責任は問いませんという念書が必要だった。
手術は10例に満たないほどしか行われていないが失敗は1例だけだという。


壊死した心筋は二度と元に戻ることはないと当たり前のように思われていた現実が覆されたのだ。
まだ厚労省の認可を受けていないので健康保険は適用外。100%実費ということはいくらかかるのだろう?
2千万円?3千万円?

健康保険が適用されるようになったら自分もこの手術を受けたい。壊死した心筋の40%がどこまで元に戻るかわからないが受けてみたい。
生きていれば医学は進歩するんだなあと思った。

これからも全てにおいて

焦らない
腐らない
諦めない

で生きていけばきっと明るい未来があるに違いない!!

いつも前向きなブンブン丸であった。



そしてついに、ついに

2016年1月1日
厚労省の認可がおりた。健康保険が適用になったのだ。
費用は3割負担でおよそ500万円だそうだ。高額医療費を申告すれば負担はもっと減る。
大阪大学医学部と医薬品メーカーテルモの研究成果である。

しかしここで喜ぶのはまだ早い。まだ保険適用は重症患者だけが対象のようだ。

もう少し
もう少し待たねばならない。

決意の撤回

2014年2月24日(月)
出勤するなりランナーのIさんに声をかけられた。
『あんなに速く走れるものなんですか?大丈夫なんですか?』
ランナーアップデイトで見ていてくれたので東京マラソンの記録のことは既に知っていた。
『大丈夫、大丈夫。別に真剣に走ったわけではないから大丈夫。』
『でも普通の人でも4時間30分を切れない人はたくさんいますよ。目標は5時間を切ることなんて言っている人、たくさんいますよ。4時間26分なんてブンブン丸さんの心臓のことを考えたら出しえない記録じゃないですか。だって心筋40%も壊死しているんでしょ?』
『そうなんだけど目いっぱい走ったわけではなくて抑えて走っているんだ。自分でもビックリ。サブ4.5は想像もしていなかった。でも身体も心臓も大丈夫。問題ない。』
『考えられないですよ。でも気をつけてくださいね。だけど奇跡的ですよね。誰もこうなることは想像していなかったでしょう…』
目を丸くしながら褒めてくれた。

東京マラソンが終わった直後から迷っていたが、やはりマラソンはやめたくない。これが本心だ。
「焦らない 腐らない 諦めない」でコツコツ積み上げた成果が昨日の東京マラソンだ。
これからも「焦らない 腐らない 諦めない」でコツコツ前向きに努力を積み重ねていけばもっともっと嬉しい成果が出るはずだ。
別に成果が出なくてもいい。現状維持でもいい。やっぱりマラソンが好きだ。走ることが好きだ。きっと死ぬまでやめられないだろう。心臓が続く限りマラソンはやめられないだろう。

幸いにも東京を最後にマラソンをやめるという決意はTさんにしか話していなかった。
だから、だからこれからマラソンを続けても嘘つき呼ばわりをされることはない。

やっぱりやめられない!!
マラソンは麻薬みたいなものだ!!
ブンブン丸はマラソンが大好きだ!!
せっかく生き返った命、この命はマラソンに捧げたい!!

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