神様、神様はどこまでブンブン丸を苦しめれば気がすむのですか
2015年2月15日午前9時
京都マラソンがスタートした。目標はわからなかった。寒い+アップダウンで怖気づき、明確な目標が立てられなかったのだ。
「ゆっくり楽しく走る」という言い方は自分に自信がない証拠でもある。
akiさんにどのくらいで走るのかを聞かれたが即答できなかった。
『キロ6くらいですか?』
『そのくらいかな。』
そう返事をした瞬間後悔した。
(何言ってるんだ。走れるわけがない。4時間13分〜14分なんてとても無理だ。)
スタート時の気温は3〜4℃でダウンを脱ぐと痺れるような寒さを感じた。
Cブロックだったため号砲から1分48秒後にスタートできた。
西京極陸上競技場を出て一般道に入り流れにそってゆっくり走った。台風の被害が大きかった嵐山を抜けると坂が目立つようになった。
この辺から4〜5キロで60mも上がって行くのかと思い覚悟を決めた。コースマップの記憶を辿ると仁和寺、龍安寺まで我慢できればあとは小さなアップダウンで比較的楽になる。
道は狭いが人波をかき分けて先の方を見るとずうっと坂になっている。
(よ〜し頑張るぞ!)
Cブロックというのが自分に合っていたのか抜かれることも抜くこともさほどなく、丁度良い感じで流れに溶け込むことができた。
心筋梗塞後にこんなに長く続く坂を駆け上がるのは初めてだ。しかし苦しさは全く感じない。
目標タイムがなく、気楽にゆっくり走っていたのでプレッシャーがない。それが幸いしたのかもしれない。

(c)allsports.jp
一番寒いと聞いていた金閣寺が近づいてきたが、寒さ対策はバッチリだったので大丈夫。たくさん着すぎて暑いということもなく丁度良かった。やはり京都は冷え込んでいたのだろう。
どんよりと曇っていたが整列時に降り始めたにわか雨はすっかり影を潜めていた。
沿道にはどこまで行ってもたくさんの応援者がいる。さすがは京都だ。世界に誇る京都だ。
滅多に経験できない車道から見るゆっくりと流れる京都の景色と京都の人を楽しみながら走った。
中間地点でタイムを確認した。2時間ジャスト。心拍数も問題ない。ネットでは1時間58分だ。
こんなにゆっくり走ってこのタイム。ふと思った。あと半分頑張れば…?

(c)allsports.jp
そしてakiさんのことが頭に浮かんだ。まだ抜かれていない。それとも気づかなかっただけなのか?
最近知った初フルの話。大田原(制限時間4時間)で関門にかかり収容車に乗せられたこと。
私の会社の大先輩がマラソンをやめたきっかけは関門にかかって収容車に乗せられたからだと聞いたことがある。屈辱だったそうだ。その大先輩は屈辱をバネにすることができずにマラソンをやめた。
でもakiさんは初フルで収容車に乗せられたにもかかわらずその悔しさを屈辱をバネに頑張っている。サブ4目指して頑張っている。立派なことではないか。
自分は、自分は何だ?
とくに何の目的もなく京都に参加した。ゆっくり楽しく走ればいいだって…
何をたわけたことを…
最初から言い訳なんかするんじゃないよ。
俺も、俺もサブ4になりたい。
もう一度サブ4になりたい。
ホントは俺もサブ4になりたいんだ。
今まで必死に隠していた本心がやっと現れた。
akiさんありがとう。あなたに会わなかったらこんな気持ちになることはなかった。サブ4なんて考えることはなかった。あなたに会って応援しているうちに、あなたのサブ4に対するひたむきさを目の当たりにしているうちに自分も…と思っていたのかもしれない。
少しでもお役に立てればと思い今までの自分の経験を伝えた。そうしているうちにいつの間にか自分もサブ4になりたいと思うようになっていた。
そんな心を隠していただけ。必死に隠していただけだ。
でも、もう限界だ。
俺は、俺は、俺はやっぱりサブ4になりたい。もう一度サブ4になりたいんだ…
滅多にないこのチャンス。このチャンスを逃したくない。
前半と同じペースで走ればサブ4だ。厳しいかもしれないがやってみるしかない。一発でものにできるかやるしかない…
よっし、決まった。ペースを上げろ!
順調に4キロ5キロ6キロ7キロとペースを上げた。いけそうな気がした。
ところが誤算があった。賀茂川河川敷を走らされたのだ。
道幅が極端に狭まりたくさんいるランナーを抜くことができなくなってしまった。コースを外れて走ろうと試みたが足元が悪くてできない。このまま流れにそって走るしかなかった。せっかくキロ5分にまで上げたペースはみるみると落ちてイラつくばかり…
やっと河川敷が終わり一般道に戻ってきたのでペースを一気に上げた。
間もなくだった。33キロくらいだったと記憶する。身体に異変が起きた…
胃がむかつき、吐き気を伴い苦しくなってしまった。
右手で胃をおさえながら走っていた。ペースは急激に落ちた。今にも立ち止まりそうになるほど極端に落ちた。
(負けてたまるか。俺はサブ4になるんだ。これくらいのことで負けてたまるか。)
胃のむかつきと吐き気は治まる気配すらなく、それどころかどんどんひどくなる。気がついたら両手で胃をおさえていた。むかつくばかりか痛みも伴うような感じだった。
立ち止まってうずくまり、ゲーゲー吐いたら楽になるのかなあと思った。楽になるなら吐きたかった。
限界が近づいていた…
いや、限界だった…
(あ〜神様、神様はどこまでブンブン丸を苦しめれば気がすむのですか?教えてください。ブンブン丸は何か悪いことをしましたか?教えてください…何もしていないでしょう?なのにどうして?)
そして医師の言葉が聞こえてきた。
「胸が痛くなったらすぐにやめてくださいね。二度目は命がありません。」
次に頭に浮かんだのは元日本テレビアナウンサーの徳光さん。徳光さんは心筋梗塞を発症してカテーテルで助かっている。そのとき強烈な胃の痛みを感じたそうだ。胸の痛み心臓の痛みは全く感じなかったと話していたのを思い出した。心筋梗塞では胃や背中首肩などに痛みを感じる場合が多く、胸や心臓が直接痛いと感じるのは一部の人のようだ。心臓という臓器はなかなか異常を伝えてくれない。その代わり、放散痛といって心臓から近い他の場所が痛いと錯覚させるのだ。
(もしかしたら心臓の限界?心筋梗塞再発の予兆?それとも…再発…?)
苦渋の決断だった。
(今回は諦めよう。でも37キロまでは歩かない。どんなにペースは落ちてもいい。37キロまでは絶対に歩かない。歩いてたまるか。俺は歩かない。)
京都を走る前に37キロまで頑張る。それまでは何があっても歩かないと決めていた。37キロまでいければあと5キロで終わり。あと皇居1周で終わりだと思えば5キロくらい頑張れる。そう考えていたのだ。
だから歩きたくなかった。止まりたくなかった。どんなに遅くてもいい。走っている真似でもいいから走り続けたかった。
(あ〜神様、神様お願いです。最後のお願いです。37キロまでブンブン丸に力をください。ブンブン丸はへこたれません。絶対に絶対にへこたれません。だから見守ってください。助けてください。頑張ります。この試練、いつか必ず乗り越えてみせます。)
ブンブン丸はどんな状態になっても強情っ張りだ。どうしようもない強情っ張りだ。
最後の力を振り絞り、必死に超スローで悲壮感を漂わせながら走った。
気持ちが悪いという言い方はとっくに通り過ぎて命の危険を感じるくらい胃が変だった。胃が…胃が…
この胃の痛み、むかつき、吐き気、倦怠感は心筋梗塞の放散痛?
いや、心臓が限界に達した危険信号であってくれ…
祈った。危険信号であってくれ。
35キロ
給水のスポーツドリンクをとったが胃がむかついて飲めない。
36キロ
あと1キロだ。なんとか頑張れ!
沿道からハイタッチを要求されたがとても応えることができなかった。
”ごめんなさい”
37キロ
表示板が見えてきた。
あそこまで行ったら歩ける。もう少しだ。もう少しで歩ける。頑張れ!
そう思った瞬間悲しくなって必死に涙を堪えた。胃が痛いからではない。胃がむかついていたからではない。心臓が限界だからでもない。
悔しかったからだ。
せっかく掴みかけたこのチャンスをものにすることができなかった悔しさ…
(生きていなければサブ4になることはできないだろう。だから、今は生きるためにサブ4を諦めろ。もう一度サブ4にチャレンジするために今は諦めろ。生きている限り必ずサブ4になるチャンスはあるはずだ。焦るな。もう一度チャンスが来る。その時のために今日は諦めなければならない。神様、神様見ていてください。ブンブン丸は必ずこの試練を乗り越えてみせます。必ず、必ずサブ4になってみせます。今日は注意信号を灯して頂きありがとうございました。)
37キロを過ぎてから40キロまでの大部分を歩いた。しかし止まらなかった。それだけは誇りだ。40キロからのラストは超スローペースでなんとか走ることができた。
悲壮感漂う走りはボランティアの方まで巻き添えに悲壮感を感じさせてしまった。
「大丈夫ですか?頑張ってください。大丈夫ですか?」
心配そうに応援を頂いた。
ありがとうございました。

(c)allsports.jp

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グロス 4時間11分11秒
ネット 4時間09分23秒
この瞬間ブンブン丸のサブ4への挑戦が始まった。
(神様、香港に続いて京都でも助けて頂きありがとうございました。もう一度心臓を鍛えて出直します。必ずこの試練乗り越えてみせます。)
京都マラソンがスタートした。目標はわからなかった。寒い+アップダウンで怖気づき、明確な目標が立てられなかったのだ。
「ゆっくり楽しく走る」という言い方は自分に自信がない証拠でもある。
akiさんにどのくらいで走るのかを聞かれたが即答できなかった。
『キロ6くらいですか?』
『そのくらいかな。』
そう返事をした瞬間後悔した。
(何言ってるんだ。走れるわけがない。4時間13分〜14分なんてとても無理だ。)
スタート時の気温は3〜4℃でダウンを脱ぐと痺れるような寒さを感じた。
Cブロックだったため号砲から1分48秒後にスタートできた。
西京極陸上競技場を出て一般道に入り流れにそってゆっくり走った。台風の被害が大きかった嵐山を抜けると坂が目立つようになった。
この辺から4〜5キロで60mも上がって行くのかと思い覚悟を決めた。コースマップの記憶を辿ると仁和寺、龍安寺まで我慢できればあとは小さなアップダウンで比較的楽になる。
道は狭いが人波をかき分けて先の方を見るとずうっと坂になっている。
(よ〜し頑張るぞ!)
Cブロックというのが自分に合っていたのか抜かれることも抜くこともさほどなく、丁度良い感じで流れに溶け込むことができた。
心筋梗塞後にこんなに長く続く坂を駆け上がるのは初めてだ。しかし苦しさは全く感じない。
目標タイムがなく、気楽にゆっくり走っていたのでプレッシャーがない。それが幸いしたのかもしれない。

(c)allsports.jp
一番寒いと聞いていた金閣寺が近づいてきたが、寒さ対策はバッチリだったので大丈夫。たくさん着すぎて暑いということもなく丁度良かった。やはり京都は冷え込んでいたのだろう。
どんよりと曇っていたが整列時に降り始めたにわか雨はすっかり影を潜めていた。
沿道にはどこまで行ってもたくさんの応援者がいる。さすがは京都だ。世界に誇る京都だ。
滅多に経験できない車道から見るゆっくりと流れる京都の景色と京都の人を楽しみながら走った。
中間地点でタイムを確認した。2時間ジャスト。心拍数も問題ない。ネットでは1時間58分だ。
こんなにゆっくり走ってこのタイム。ふと思った。あと半分頑張れば…?

(c)allsports.jp
そしてakiさんのことが頭に浮かんだ。まだ抜かれていない。それとも気づかなかっただけなのか?
最近知った初フルの話。大田原(制限時間4時間)で関門にかかり収容車に乗せられたこと。
私の会社の大先輩がマラソンをやめたきっかけは関門にかかって収容車に乗せられたからだと聞いたことがある。屈辱だったそうだ。その大先輩は屈辱をバネにすることができずにマラソンをやめた。
でもakiさんは初フルで収容車に乗せられたにもかかわらずその悔しさを屈辱をバネに頑張っている。サブ4目指して頑張っている。立派なことではないか。
自分は、自分は何だ?
とくに何の目的もなく京都に参加した。ゆっくり楽しく走ればいいだって…
何をたわけたことを…
最初から言い訳なんかするんじゃないよ。
俺も、俺もサブ4になりたい。
もう一度サブ4になりたい。
ホントは俺もサブ4になりたいんだ。
今まで必死に隠していた本心がやっと現れた。
akiさんありがとう。あなたに会わなかったらこんな気持ちになることはなかった。サブ4なんて考えることはなかった。あなたに会って応援しているうちに、あなたのサブ4に対するひたむきさを目の当たりにしているうちに自分も…と思っていたのかもしれない。
少しでもお役に立てればと思い今までの自分の経験を伝えた。そうしているうちにいつの間にか自分もサブ4になりたいと思うようになっていた。
そんな心を隠していただけ。必死に隠していただけだ。
でも、もう限界だ。
俺は、俺は、俺はやっぱりサブ4になりたい。もう一度サブ4になりたいんだ…
滅多にないこのチャンス。このチャンスを逃したくない。
前半と同じペースで走ればサブ4だ。厳しいかもしれないがやってみるしかない。一発でものにできるかやるしかない…
よっし、決まった。ペースを上げろ!
順調に4キロ5キロ6キロ7キロとペースを上げた。いけそうな気がした。
ところが誤算があった。賀茂川河川敷を走らされたのだ。
道幅が極端に狭まりたくさんいるランナーを抜くことができなくなってしまった。コースを外れて走ろうと試みたが足元が悪くてできない。このまま流れにそって走るしかなかった。せっかくキロ5分にまで上げたペースはみるみると落ちてイラつくばかり…
やっと河川敷が終わり一般道に戻ってきたのでペースを一気に上げた。
間もなくだった。33キロくらいだったと記憶する。身体に異変が起きた…
胃がむかつき、吐き気を伴い苦しくなってしまった。
右手で胃をおさえながら走っていた。ペースは急激に落ちた。今にも立ち止まりそうになるほど極端に落ちた。
(負けてたまるか。俺はサブ4になるんだ。これくらいのことで負けてたまるか。)
胃のむかつきと吐き気は治まる気配すらなく、それどころかどんどんひどくなる。気がついたら両手で胃をおさえていた。むかつくばかりか痛みも伴うような感じだった。
立ち止まってうずくまり、ゲーゲー吐いたら楽になるのかなあと思った。楽になるなら吐きたかった。
限界が近づいていた…
いや、限界だった…
(あ〜神様、神様はどこまでブンブン丸を苦しめれば気がすむのですか?教えてください。ブンブン丸は何か悪いことをしましたか?教えてください…何もしていないでしょう?なのにどうして?)
そして医師の言葉が聞こえてきた。
「胸が痛くなったらすぐにやめてくださいね。二度目は命がありません。」
次に頭に浮かんだのは元日本テレビアナウンサーの徳光さん。徳光さんは心筋梗塞を発症してカテーテルで助かっている。そのとき強烈な胃の痛みを感じたそうだ。胸の痛み心臓の痛みは全く感じなかったと話していたのを思い出した。心筋梗塞では胃や背中首肩などに痛みを感じる場合が多く、胸や心臓が直接痛いと感じるのは一部の人のようだ。心臓という臓器はなかなか異常を伝えてくれない。その代わり、放散痛といって心臓から近い他の場所が痛いと錯覚させるのだ。
(もしかしたら心臓の限界?心筋梗塞再発の予兆?それとも…再発…?)
苦渋の決断だった。
(今回は諦めよう。でも37キロまでは歩かない。どんなにペースは落ちてもいい。37キロまでは絶対に歩かない。歩いてたまるか。俺は歩かない。)
京都を走る前に37キロまで頑張る。それまでは何があっても歩かないと決めていた。37キロまでいければあと5キロで終わり。あと皇居1周で終わりだと思えば5キロくらい頑張れる。そう考えていたのだ。
だから歩きたくなかった。止まりたくなかった。どんなに遅くてもいい。走っている真似でもいいから走り続けたかった。
(あ〜神様、神様お願いです。最後のお願いです。37キロまでブンブン丸に力をください。ブンブン丸はへこたれません。絶対に絶対にへこたれません。だから見守ってください。助けてください。頑張ります。この試練、いつか必ず乗り越えてみせます。)
ブンブン丸はどんな状態になっても強情っ張りだ。どうしようもない強情っ張りだ。
最後の力を振り絞り、必死に超スローで悲壮感を漂わせながら走った。
気持ちが悪いという言い方はとっくに通り過ぎて命の危険を感じるくらい胃が変だった。胃が…胃が…
この胃の痛み、むかつき、吐き気、倦怠感は心筋梗塞の放散痛?
いや、心臓が限界に達した危険信号であってくれ…
祈った。危険信号であってくれ。
35キロ
給水のスポーツドリンクをとったが胃がむかついて飲めない。
36キロ
あと1キロだ。なんとか頑張れ!
沿道からハイタッチを要求されたがとても応えることができなかった。
”ごめんなさい”
37キロ
表示板が見えてきた。
あそこまで行ったら歩ける。もう少しだ。もう少しで歩ける。頑張れ!
そう思った瞬間悲しくなって必死に涙を堪えた。胃が痛いからではない。胃がむかついていたからではない。心臓が限界だからでもない。
悔しかったからだ。
せっかく掴みかけたこのチャンスをものにすることができなかった悔しさ…
(生きていなければサブ4になることはできないだろう。だから、今は生きるためにサブ4を諦めろ。もう一度サブ4にチャレンジするために今は諦めろ。生きている限り必ずサブ4になるチャンスはあるはずだ。焦るな。もう一度チャンスが来る。その時のために今日は諦めなければならない。神様、神様見ていてください。ブンブン丸は必ずこの試練を乗り越えてみせます。必ず、必ずサブ4になってみせます。今日は注意信号を灯して頂きありがとうございました。)
37キロを過ぎてから40キロまでの大部分を歩いた。しかし止まらなかった。それだけは誇りだ。40キロからのラストは超スローペースでなんとか走ることができた。
悲壮感漂う走りはボランティアの方まで巻き添えに悲壮感を感じさせてしまった。
「大丈夫ですか?頑張ってください。大丈夫ですか?」
心配そうに応援を頂いた。
ありがとうございました。

(c)allsports.jp

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グロス 4時間11分11秒
ネット 4時間09分23秒
この瞬間ブンブン丸のサブ4への挑戦が始まった。
(神様、香港に続いて京都でも助けて頂きありがとうございました。もう一度心臓を鍛えて出直します。必ずこの試練乗り越えてみせます。)
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