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復活の日(第1回おかやまマラソン)

2015年11月8日
朝5時に起床。ホテルの部屋のカーテンをそっと恐る恐る開けた。
(あ~、やっぱり)

雨、雨、雨…
やはり予報どおりの雨だった。
(あ〜雨か。ま、仕方ない。こんなこともあるさ。条件は皆んな同じだ。皆んなが雨だ。嫌な気分なのは自分だけじゃない。だから前向きにいこう。)

ホテルの朝食はパンとゆで卵、スープ、コーヒー、紅茶、ジュースだけのセルフサービス。
昨日の倉敷は朝からバイキングでいろいろな物をたらふく食べて満足だったが、今日はマラソン当日だというのに実にしょぼい。
カフェインを摂取するとトイレが近くなるのでコーヒー、紅茶には一切手をつけずに水とジュース、スープだけにした。部屋に戻ればアミノバイタルやアミノバリューなどのスポーツドリンクと昨夜コンビニで買ったヨーグルト、バナナがある。

岡山駅東口にあるこのホテルから岡山マラソンのスタート地点があるジップアリーナまでは徒歩25分ほどかかる。いつも余裕をもって現地へ行くタイプなので6時半にホテルを出た。
折り畳みの傘をさしてゆっくりと歩き出した。土砂降りではないが42.195キロもこの雨の中を走り続けるとシューズの中も頭もシャツもすべてがびしょ濡れになるのだろう・・・どうしても後ろ向きなことばかり考えてしまう。

岡山でサブ4に復活する意気込みはたくさんの人に宣言していた。
だから、今日この地でサブ4を達成しなければならないのだ。サブ4になることを前提に岡山に来ている。もしサブ4になれなかったらどうなってしまうのだろう?

ふと嫌な思いが脳裏をよぎった・・・
サブ4になれなかったら?
万一なれなかったときの再チャレンジの場としてつくばマラソンにエントリーしている。
でも、今日失敗したら2週間後のつくばで成功できるはずがない。疲れがとれない。一番大事な心臓が回復できない。2週間後は厳しいぞ。だから何が何でも今日この岡山で決めなければならないのだ。

7時頃ジップアリーナに到着。建物内に入ってまずはトイレへ一直線・・・
まだスタートまで時間があるため行列はできておらず、すんなりと用をたすことができた。最低でもあと1回はトイレへ行くことになる。今のうちに水分補給と栄養補給のジェルを摂取しておこう。

ジップアリーナ内で着替えをしている人はたくさんいたが、自分はジャージを脱ぐだけで準備は完了する。荷物預けの場所を見ると行列ができ始めていたのでそろそろ準備をしなければと思った。
外を見ると雨が降り続いているので早くから整列している人はいつもの大会に比べるとかなり少ない。ここで状況を見つめながらいつ整列体制に入るかを見極めようと思った。
ボストンバックから白いキャップと百均で買ったレインコートをわしづかみして荷物預けの列に並んだ。(荷物は室内預かり)

レインコートを着て戦闘態勢に入った。8時になったので雨の中並ぶ覚悟をした。


あ、あ、あ、雨が降っていない・・・雨がやんだ。雨がやんだ。
ニッコリと微笑む感情を抑えきれず、そのままAブロックの中へ・・・
(この位置なら30秒以内にスタートできるぞ!)

何ということだろうか!!
今日は朝の天気予報でも一日中100%の雨だったのにスタート時間直前に雨がやんでしまった。
流石は”晴れの国おかやま”だ。
そういえば倉敷のマッサージ店の人が言っていた。
「岡山は雨が少ないんですよ。隣町で雨が降っていても岡山では降らない。雨の確率が60%~70%であれば雨は降らないと思ってもいいですよ。よく雨の通り道って言うでしょう。岡山は雨の通り道から外れるんですよ。雨雲がとれるんですよ。」
まさか雨100%の確率なのに、ついさっきまであんなに雨が降っていたのに雨がやむとは思っていなかった。
これが奇跡というやつだ。

岡山の地元の皆さんの”おかやまマラソンを成功させたい”という強い思いで雨がやんだのだろう!!

いつもの他の大会と同じようにスタート前のセレモニーが始まった。
県知事や市長などもスピーチしたのだろうが誰が何を喋ったかは興味がないので記憶にない。記憶にないというよりも聞いていない。
しかし、有森裕子さんだけは別だった。
故郷の岡山でこんな大きなマラソン大会が開催されて嬉しいと言葉を詰まらせ泣いていた。一番大きな盛大な拍手が沸き起こった。
(おかやまマラソンのホームページに載っていた有森さんのコースレポートを読みましたよ。未知の地おかやまを走るシュミレーションをしました。勿論サブ4です。有森さんの地元岡山でプンプン丸はサブ4に復活します。)

やけに落ち着いていた。
嫌な予感も払拭されていた。
サブ4に復活できる自信があったからか。
それだけの練習を積み重ねてきたので平常心で計画通りに走ればサブ4は間違いなくできると思っていた。

焦らないで走ること。
自分が決めたペースを守ること。
自信をもって走ること。
自分の力を信じること。
今まで積み重ねてきた練習は決して裏切らない。
サブ4に復活できるだけの練習を積んできたんだ。
今日はその結果が出るだけだ。

雨あがりの空を見上げて何度も深呼吸を繰り返した。
(見ていてください。ブンブン丸は今日サブ4になります。3年9ヶ月の苦悩の日々は今日で終わりです。いつもいつもどんな時でもブンブン丸を見捨てずに見守っていただきありがとうございした。今日はその恩返しができる日です。応援してください。)
天に向かって話しかけていた。Pちゃんもミラノちゃんもウエストバックの中でブンブン丸を応援している。

8時45分号砲が鳴った。
18秒後にスタートラインを通過。いい位置だった。ロケットスタートをするわけでもなく、ほぼ考えていた予定通りのペースで走り始めることができた。
岡山市街地の桃太郎大通り〜市役所筋を走り抜けて郊外へと向かって行った。雨があがったばかりなのでアスファルトが濡れている。

2.岡山スタートすぐ
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とてもいい気分だった。最初から5分を切るペースで走りたくなってしまったがそこはグッと堪えた。
(ダメだ、今ペースを上げてしまうと後で苦しむことになる。我慢しろ。焦るな❗️)

05キロ グロス26"28(計画26"45)
10キロ グロス52"45(計画53"00)

岡山市街地を抜けて住宅街を通り次第に郊外へと風景が変化してきた。田園風景の広がる中を市民ランナーの集団が颯爽と走っている。その集団の中の一人がブンブン丸だ。殆どがAかBのゼッケンをつけたランナーだ。

15キロ グロス1"19"21(計画1"20"05)
20キロ グロス1"46"16(計画1"47"10)
中間 グロス1"52"08

周りのランナーのゼッケンを再確認した。まだAかBだ。稀にCを見かけるがDEFG…といった後方からスタートしたランナーはあまり見かけない。自分のペースはいつの間にか4年弱の間にABと同等になったのだと思うと嬉しかった。
やはり練習は裏切らないのだ❗️

焦らない
腐らない
諦めない

そんな風にやってきた結果だ。
中間地点の記録も谷川真理ハーフを越えていた。
間違いなくいけると思った。焦ってペースを上げて心臓がへたらない限り大丈夫だと自信をもった。

25キロ手前で笹ヶ瀬川を渡り、右側に大きく広がる水面が見えてきた。これが児島湖だろう。

25キロ グロス2"13"28(計画2"15"05)

もう少し進むと中央卸売市場らしきものが見えてきたのでこの裏手が岡山港だろうと思った。
もうすぐ30キロだ。ペースは堅実に守っている。もっと速く走ってもよかったような気がしたが焦らないで自分を信じろと決めたはず。
まだまだ余裕があるような気がした。
しかし、いつも感じることなのだがマラソンは30キロが一つの区切り。ここまで来るとさすがに疲れがみえる。

焦るな 焦るな 焦るな
余力を残せ…

30キロ グロス2"41"33(計画2"43"00)

3.岡山橋
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3-1岡山
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旭川にかかる岡南大橋だ。30キロを過ぎてランナーの疲労が出てくる精神的にも苦しい場所で登り坂を駆け上がらなければならない。
根性不足で歩いてしまうランナーもちらほら見かけられた。
一般の応援者、ボランティアの方が一生懸命親切に声援を送っていた。
まるで自分が走っているかのようにしかめっ面をして、苦しそうな表情をしている方もいた。
「苦しいのは気のせいだ。足が痛いのも気のせいだ。」
「登りはあと少しで終わりです。頑張ってください。」
「あと50mで下りですよ。頑張ってください。」

必死に走っていた。
やはり登りは心臓に堪える。どんな小さな登りでも心筋が40%も壊死しているのだからきつい。このきつさ、辛さは健常者にはわからないかもしれないが、心拍数が上がって心破裂してしまうのではないかという不安と恐怖にさらされる。無酸素運動になって心筋梗塞が再発するのではないかという恐怖にさらされる。
そういえばタイムばかりを気にしていて心拍数を気にしていなかった。
それだけサブ4のことで頭がいっぱいだったのだ。初めてといっていいくらい心拍数を確認した。
160を超えていた…
(やばい。でも大丈夫だ。もう少しで下りだ。もう少しの辛抱だ。俺の心臓よ、もう少しだ。頑張ってくれ!)

4.岡山橋下りる
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下りになった。
あとは平坦なはずだ…
おりきった。(ホッ)

5.岡山橋降りる
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おかやまマラソン最大の難関を終えた。このまま行けばサブ4だぞ❗️
心臓が耐えてくれた。
インターバルをしなくてもペース走、ビルドアップ、LSDを繰り返し行えば心臓は強くなる。根気はいるが強くなることが証明できた。

6.岡山
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ペースを落とし始めた。
30キロを過ぎたらキロ6分でいい。
そう思うと凄く気が楽だ。
ペースを落としたと言うと聞こえはいいが実際は落ちてしまったというのが正解だろう。計算通りにペースが落ちた。
しかし、京都やかすみがうらとは明らかに違うペースダウンの感覚。
心臓はまだへたっていない。疲れは出てきたが、ペースは落ちてきたが限界が近づいてきたわけではない。
それは走っている本人が一番よくわかる。
誰にも負けないくらいの練習をしてきたのだ。
恥じないだけの練習をしてきたのだ。
全ては今日のためだ。
おかやまマラソンでサブ4になるためだ。
疲れているが限界ではない。
余力も根性も残っている。

35キロ グロス3"11"33(計画3"13"00)

7.岡山12時23分
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旭川沿いを走っていた。このまま進むと岡山後楽園や岡山城が見えてくるはず。岡山城が見えれば40キロが近い。

タイムを確認してサブ4が着々と近づいていることを認識した。
岡南大橋から心拍数は高止まりしている。ペースは落ちてきたがさすがにこれだけ走ってくると心肺が弱ってくるので無酸素運動の領域に入ったのかもしれない。
既往性の心筋梗塞者(心筋梗塞を発症したことがある者)が一番やってはいけないのが無酸素運動だ。
もう一段ペースを落とすべきか悩んだ。もう少し落としてもサブ4はいけるだろうと思った。すれすれではあるが大丈夫だろうという気がした。
何が起こるかわからない。サブ4を達成した後も元気でいなければならない。無理なくサブ4を達成したい…

しかし、すれすれの状態でペースを意識的に落とすことはそう簡単にできることではない。勇気がいる。
京都もかすみがうらも37キロで身も心も限界に達して終わってしまった。
おそらく心臓が限界になったから…
無酸素運動の領域が長く続いて危険とされる領域に入ってしまったから?
葛藤が続いた。ほんの数十秒程度だろうが、とてつもなく長い間悩んだように思える。

今回はどうなのか。
もうすぐ37キロ
鬼門の37キロだ。
今度こそ心臓の限界は来ないで欲しい。
かすみがうらが終わって約半年。焦らず腐らず諦めずにやった練習で心臓は強くなっているはず。
だから限界はまだ来ない…
余力を残して走れるはず…
俺の心臓はまだまだ限界には達しない!

自然の流れに身をまかせた。
不安、希望、期待…
いろいろな思いが脳の中を交錯している。

37キロ
大丈夫。
限界は来なかった。
やっぱり練習は裏切らない。俺の心臓は着々と強くなっている。
(あと皇居1周分でサブ4だぞ。もう少しだぞ。よくここまで頑張ってきたな。ブンブン丸よ、もう少しだ。サブ4のタイムリミットまであと36分だ。)

1.岡山城
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岡山城が見えたが景色を楽しんでいる余裕はない。
やはりフルマラソンは辛い。
景色よりもここまで来るとサブ4のことで頭がいっぱいだ。
油断はするな。最後まで何が起こるかわからないのだから…
突然胸が痛くなって倒れる危険だってある…
あの香港の二の舞はご免だ。
だから焦らず無理せずいつもの練習のように余裕をもって走ろう。
(心拍数よ、下がってくれ)

8.岡山12時33分線路
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40キロ グロス3"43"03(計画3"44"40)
(タイムリミットまであと17分、行け〜、もう少しだ。)

最後の給水も取った。コップを2つ取り、左右で少しずつ口に含んで潤した。
もう一つ取って今度は首筋にかけた。
水分が不足していると、脱水していると血液がドロドロになる…
香港のようにはなりたくない…
再発なんかしてたまるか…
だってもう少しで終わりなんだよ。
フィニッシュまであと少しなんだ。

JRの上を横断する陸橋が見えてきた。登り坂だ。もう坂はないと思って安心していたのでショックが大きい。
そういえばスタートしてすぐに反対側からこの陸橋を越えてきたなと思い出した。だから帰路にもう一度渡るのは考えていれば当たり前。スタート時は何とも思わなかったこの坂は、40キロを過ぎてから目の当たりにすると絶壁のように映る。
30キロ過ぎの岡南大橋に比べればこんなもの何ともないと言い聞かせた。
しかし、登り坂はないと思っていたのでいざ登りに向き合うと気持ちを立て直すのはたいへんだ。

9.岡山12時33分線路
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何とか陸橋を越えた。思わず天を仰いで目線と顔を元に戻したときに体がぐらついた。
疲れている。気持ちも疲れている。3年9ヶ月の大きな思いをこの小さな体に背負って走り続けているのだ。約半分になってしまった心臓機能で走り続けているのだ。
ここまでよくやってきたと自分を褒めてあげたい。
有森さんもここにいる。自分で自分を褒めてあげたい。
ここまでこれて幸せだ。
普通だったら階段でさえも息を切らして不思議はないのにフルマラソンを走っている。しかもサブ4復活を目の前にしている。

苦しくなんかない。
神様見ていますか。ブンブン丸の勇姿を見ていますか。
思わず涙が出そうになった。
こんなに強い身体に戻って感謝でいっぱいだ。

サブ4復活の瞬間が近づいていた。
どんな気持ちでどんな感情でフィニッシュするのか自分のことではあるが興味があった。
どんな気持ちになるのだろう?
感極まって涙が流れるのか?
満面の笑みなのか?
いろいろと想像したがどうなるかはわからない。
終わってみないとわからない。

サブ4は間違いないという気持ちを必死に抑えた。
心筋梗塞が多いのは終盤。フィニッシュ目前に倒れることだってある。
だから確信してはいけないと言い聞かせながら走った。
ここまで来たら何も起こらないよう石橋を叩いて渡るほどの万全の注意を払うことが必要だと言い聞かせた。
まだ喜んではいけない。
まだ終わっていない。
終わるまで信用してはいけない。
サブ4を信用してはいけない。
確信してはいけない…

41キロを過ぎた。もう少しだ。
香港のこと。◯田さんのこと。緊急手術のこと…
いろいろな今まで起こった3年9ヶ月の間に起った出来事がくるくると頭の中を回る。
バイパス手術直後に
”世界で一番遅いランナーでいいから走りたい”
と思っていた気持ちは、今
"サブ4"という形に変わって結果を出そうとしている。
"世界で一番遅いランナー"という大きな大きな夢を越えた。
それどころか、普通の市民ランナーと同等、いやそれ以上のところまで復活した。

これは奇跡ではない!!
まぐれではない!!
1日や2日、1週間、1ヶ月の短期間で復活できた奇跡なんかではない!!
ブンブン丸の諦めなかった努力の証だ!!

これこそ軌跡だ。
俺の足跡だ!!


焦らない
腐らない
諦めない

の集大成だ!!


胸の中にいる自分が誇らしげにガッツポーズをしているのを感じる。
ホッとしてにこやかに笑っているのを感じる。
嬉しくて嗚咽しているのを感じる。

どう表現していいのか困るほどの感情が頭、脳、身体全体を駆け巡っている。

11.岡山競技場
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ついに陸上競技場に入った。

12.岡山ゴール直前
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ラストスパートをかけようと思った。
しかし、この瞬間のこの感情をいつまでもいつまでも、永遠のものにしたかった。
終わらないで欲しい。
今が一番幸せな瞬間だ。
凄く冷静だった。
誰かと競走しているわけではない。
ここまできたら、サブ4であるならば10秒程度記録が悪くてもそれは許せることだ。
この瞬間を少しでも長く感じていたい。
だからラストスパートはかけなかった。
ゆっくりと噛みしめながらトラックを走った。
嬉しいという感情はとっくにとっくに通り越している。
何事にも変えられない今までに経験したことのない感情だ。文章にすることが不可能なくらいの感情の高ぶりだ。

13岡山ゴール
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万歳するわけでもなく、たんたんと静かにタイムを見ながらいつものようにフィニッシュシュゲートを通過した。

グロス3時間56分58秒(計画3"58"40)
ネット3時間56分40秒

今まで神様はいないと思っていた。
心筋梗塞にかかるまではいないと思っていた。
そんなものはいないと思っていた。
信じたこともない。
でも、振り返ると神がかり的なことの連続だ。
香港の2キロ地点で命を落としていても何の不思議もなかった。
あの激痛は忘れることができない。一瞬で心臓が変だとわかった。
死にたくないと思った。死んでしまうかもしれないと思った。
意識が飛びそうになったのに、失いそうだった意識はなぜか失わなかった。
その後夢遊病者のように14キロまで走っていた。
症状が戻り、回復したような錯覚…
強硬退院…
喫煙、飲酒、服薬拒否、飛行機搭乗etc…
それでも神様は見放さなかった。
帰国後に行くつもりのなかった病院は神様の代弁者○田に促されて行った。
そこでも入院自主延期…
それでも神様は見放さなかった。
カテーテルから緊急冠動脈バイパス手術…
合計11時間以上も要した。
生きている。
何だかわからないが生きている…

これが奇跡でなければ何を奇跡と呼ぶのだろうか❗️
神様がいるとしか思えない。
神様が助けてくれたと信じたい。
神様はいるんだと思いたい。
神様に守られて命を繋ぐことができた。

その後は自分の信念だ。
負けるものかという強い意志だ。執念のようなものだ。

焦らない
腐らない
諦めない

三原則の強い意志だ。
危ないことはたくさんしてきたが、それを静かに見守ってくれる何かがあった。
神様はいつも無言で見守ってくれた。時には注意信号を発してくれた。

京都では「これ以上は危ないよ」と胃に不快感を与えて知らせてくれた。

苦しいと思ったことはない。
辛いと思ったこともない。
走れることが嬉しかった。
どんなに遅くても走れることが嬉しかった。

人生で一番努力した3年9ヶ月。この努力、十代でやっていればきっともっと大成していただろう。

涙はなかった。
ランナーの邪魔にならない所へ移動して一礼した。神様への感謝をこめて深々と頭を下げた。

アミノバイタル時代からのことを思い出した。たくさんのコーチの方に出会った。ご指導頂いたたくさんのコーチ、スタッフの方々にも一礼した。

"もう一度サブ4になりたい"そんな気持ちをもったのは、直向きなサブ4への思いを抱いたakiさんと話ができたから。純粋に自分もサブ4になりたいと思った。今日それをとうとう叶えた。お先に失礼してしまった。一礼した。

合わせて三礼し、完走メダルが首にかかった。
トラックの横を通って陸上競技場の出口に向かった。
トラックを眺めながら今日一日を振り返った。
口元が震えそうになった。
(ダメだ。たかがサブ4だ。サブ3ではない。ただのサブ4だ。サブ4になったくらいで涙はいけないよ。我慢しろ…)
ぐっと堪えて陸上競技場を後にした。

これで終りなのか?通過点なのか?
まだわからない。
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岡山入り

2015年11月6日金曜日
せっかくの岡山遠征。観光を組み入れるため金曜日〜月曜日までの3泊4日で日程を組んだ。
実に36年振りの岡山である。倉敷や岡山後楽園など何となく記憶にはあるがぼやけた感じであまり覚えていない。
妻は広島出身なので一足先に帰省して、土曜日に岡山で合流することにした。
マラソンについてくるのはこれで4回目だが、(香港2回と京都)まだ一度も応援してもらったことがない。今回はコースマップに5キロ毎の予想タイムと予想通過時刻を記入して渡した。ランナーアップデートの検索方法も教えた。岡山駅から近いゴール付近で応援するようなことを言っていたが果たして来るのだろうか?
多分来ないと思うので期待はしなかった。

金曜日は東京駅7時台ののぞみで岡山へ行き、在来線に乗り換えて倉敷へ…
美観地区を観光するためホテルに荷物を預けに行ったがチェックインOKとのことでしばし休憩。こんな早い時間にチェックインができるとは驚きだった。
午後から半日使って倉敷美観地区を歩いて観光を楽しんだ。

夕方は天満屋倉敷店のマッサージ店へ行って身体のケア。おかやまマラソンの話で盛り上がった。
EXPOのランナー受付からスタート時間、ゲストランナー、招待選手、コースのことなどありとあらゆる情報を事細かに知っている。お隣の倉敷までおかやまマラソンのことで話題がもちきりのようだ。それだけ地元の方々が注目している真剣に取り組んでいる大イベントだということがよくわかった。

2015年11月7日土曜日
早めにEXPO会場のジップアリーナへ行って受付を済ませた。東京マラソンに比べるとかなり規模は小さいが岡山県にとっては念願だった全国規模のマラソン大会であり、このイベントを成功させたいという願いがひしひしと伝わってくる。
町中にマラソンの横断幕や看板などが掲げてあり期待度が伺える。

心配なのは天気た。
予報が雨100%の確率なのだ。
「晴れの国おかやま」というキャッチフレーズだが、さすがに100%では雨間違いないだろう。
数十回もマラソンレースに参加しているが一度も雨の経験がない。シューズが濡れて中までびっしょり。靴擦れの不安があるので雨に強そうな品質の良いソックスを買い求めた。
雨初体験になることは間違いないと覚悟をした。

午後から岡山後楽園、岡山城などを観光し、2日連続マッサージを受けて準備は万全だ…

おかやまマラソンのペース計画

整列の陸連登録者優先はないはずだったがなぜかAブロックスタートが決まったおかやまマラソン。(2年以内のベストタイムはかすみがうらの記録を記入。予想タイムは3時間50分で申請していた。)参加人数から考えるとAブロック最後尾でも1分30秒以内にスタートできると予想した。
少々並ぶ覚悟をして30秒以内のスタートを目標にすればネット3時間58分程度で十分グロスのサブ4が狙える。
おかやまで確実にサブ4を達成するためのペースについて緻密な計算を行った。

5"25ペースで30キロまで走りたい(ネットで2"42"30)と考えていた計画は、まず最初の10キロを5"15ペースで走り次の10キロ〜20キロを5"25ペースに落とす。20キロ〜30キロを更に落として5"35ペース。こうすることによって平均5"25ペースをキープできて最初の計画をクリアできるのだ。

30キロを過ぎてから最初の5キロは6"00ペース。35キロ〜40キロは6"20ペース。ラスト2.195キロは6"30ペース。

京都、かすみがうらの経験から42キロまでは心臓がもたないことが明白であった。
下手に最初からペースを上げたり途中の20キロあたりからペースを上げたりすると心臓に負担がかかり過ぎて限界に達する。
そうならないための現時点における最善の方法は、余裕をもって心臓の負担を徐々に軽減していくビルドダウンである。
そのために健常者には理解不能な10秒ずつペースを落とすビルドダウン(自分で考案したもの)の練習をしてきたのだ。
心臓を最後までもたせるために、無理なく目標を達成するための手段としてはこれしかないと思っていた。
5分ペースで20キロまで行けと言われればおそらくできる。しかし、それをやってしまうと30キロ前後で心臓が限界を迎えてへたってしまう。
もう同じ失敗は繰り返さない。

走りながら自分を信じてペースを上げ過ぎないことが重要なのだ。下げる勇気が必要なのだ。キロ5秒〜10秒程度のほんの僅かなペース差が命取りになりかねないのだ。
30キロを過ぎてからは更にペースを落とさなければならない。(限界がきて落ちるかもしれない?)

「焦らないで走ること」
「自分がやってきた練習を信じること」
「自分の身体能力を信じること」

自分に絶対的な自信がなければレース中のビルドダウン(意識的にペースを下げていく)などできない。
だから一生懸命練習を重ねた。自信がつくまで徹底的に繰り返したのだ。

マラソンを始めた頃に気がついたことがある。
それは、不安があったら練習をしろということだ。不安に感じていたことは練習を重ねることによって次第に自信に変わっていく。できなかったことができるようになると自信になる。
「自分に出来ないはずがない。」
「自分ならできる。」
「この目標、達成できないはずがない。」
練習に勝るものはないのだ❗️
練習は、自信を生む。

一に練習ニに練習。三四も練習九まで練習だ。十でようやくレースになる。

大切なのはレースに出ることではない。レースに向かってどんな練習をどれだけやってきたかだ。
ただやみくもに距離を走る練習ではない。内容のある中身の濃い練習だ。

そんな練習ができればレースでどんな結果が出るかは予想ができる。予想はまず外れない。
スタートラインに立つまでの期間が勝負なのだ。スタートラインに立つまでにどんな努力をしたかで結果は決まる。

【おかやまマラソンペース計画】
(スタート)0"0"30 号砲から30秒後
(〜10キロ)5"15ペース 0"53"00
(〜20キロ)5"25ペース 1"45"10
(〜30キロ)5"35ペース 2"43"00
(〜35キロ)6"00ペース 3"13"00
(〜40キロ)6"20ペース 3"44"40
(〜ラスト)6"30ペース 3"58"40

グロス3"58"40
ネット3"58"10

これは賭けではない。自分の現在の身体能力を理解した上での作戦だ。

東京30k・10k

2015年10月10日
堀切水辺公園荒川河川敷の東京30kと10kにダブルエントリーした。
これは秋のフルマラソンに向けすたシュミレーションと脚づくりを目的とするトレーニングでキロ4分15秒〜7分までほぼ15秒単位でクラス分けして行われる。
おかやまマラソンの30キロ通過タイムを5分25秒ペースに設定していたため5分30秒クラスでエントリーした。
30kが午前9時、10kが午後3時のスタートだった。

しかし、せっかくエントリーしたのにどうも気分が乗らない。最大の原因は30kと10kのスタート間隔が開き過ぎていること。
30kを5分30秒クラスで午前9時にスタートすると11時45分に終了する。それから10kのスタート午後3時までいったい何をして時間を潰せばいいのだろうか?
間隔がありすぎて合計40キロ走ってもおかやまの役に立つのか疑問だった。

この気分は前日になっても変わらず、皇居10周一人でやった方がいいと思うようになってしまった。

30キロを5分30秒ペースでペーサーについて走るのは意味がある。しかし自分の目的はおかやまマラソンに向けて40キロを走ることで30キロではない。プラス10キロが3時間以上も時間が開いては意味がないのだ。

考えた末、皇居を10周自主練することで決定した。

今回はキロ6分のLSDではない。東京30kを棄権する以上は、最低でも6周30キロは5分30秒ペースで走る。その後の2周は6分に落としてもいい。
10キロ毎にベンチに置いたペットボトルで給水をするが、この時間も時計は止めずに走っいる時間として換算し、レースと同じ条件にする。

集団での5分30秒ペース30キロ走に比べると一人孤独に走る同じペースの30キロ走は根気がいる。このペースでのロング走は本当に久しぶりだった。心筋梗塞を発症した2012年2月の香港国際に向けた練習以来だろう。
とうとうここまで自分の身体は回復したんだと思うと感慨深いものがある。
5分30秒で30キロ…こんなペースで走れるようになるとは想像もできなかった。再びサブ4を目指すようになるとは夢にも思わなかった。例えサブ4ができなかったとしてもここまでやってきた努力は誇りにしていい。

ダメだそんなことを考えては…
まるでサブ4が叶わないから慰めているみたいじゃないか…
俺はサブ4になる!
絶対にサブ4になる!
おかやまで決める❗️

今、その頃のおかやまを前にしていた頃の自分の正直な気持ちを暴露する。

サブ4はおかやまで絶対に決めてやるという強い意志があった。
しかしその後はどうなのか?
サブ4はおかやまの1回限りでいいかな❓という気持ちが80%以上。
自分にとってサブ4にチャレンジするということは並大抵のことではないのだ。
健常者でさえ辛いフルマラソン。健常者でさえなかなかなれないサブ4に心筋が40%も壊死している者がチャレンジするのだ。それは想像を絶する命懸けのことなのだ。大げさな表現ではない。事実だ。
命懸けで走るのは京都に始まってかすみがうら、これで3回目。もういいだろうという気持ちになるのが普通だろう。
次は4時間20分程度で無理せず走りたいと考えるのが自然の流れだ。
命を懸けるのはこれが最後でいい。
自分だって長生きがしたい。そんなに強い人間ではないんだよ。
あと一歩進めばサブ4…しかしサブ4を達成するとその瞬間死が待ち受けている。あと一歩をやめて棄権すれば命は助かる…
そんな状況になった時、自分はどちらを選択するのか疑問だった。
もしかして死を選択してしまうのでは?という不安があった。
自分が怖い。
そんな根性出さなくてもいいんだよと思うが、いざとなるとどうなるのか想像がつかない。
それでもお前はサブ4になりたいのか?
命と引き換えでもサブ4になりたいのか?
だから、だから…サブ4は一度限りでいいと思った。
自分には、何をするかわからない突発的な判断…怖さがある。

【皇居自主練】
最初の10キロは5分30秒を若干オーバーして56分ほどかかった。給水で数十秒止まった後3周目に入った。ここで頑張らないと東京30kを棄権した意味がないぞと自分を奮い立たせた。
4周終わったところで2回目の給水。だいぶ喉が渇いていたのでがぶ飲みした。
残り10キロは給水なしでいく予定だったが7周終わったところで3回目の給水。喉の渇きを我慢すると脱水になり血液ドロドロ。香港の二の舞?という嫌な予感がしたからだ。
そして30キロは2時間46分で終了した。
しかし、レース時の給水は立ち止まって飲むことはないのでそれをさっぴけばほぼ目標どおり。1分オーバーは合格点である。

コンビニで軽食を買ってランチにし、20分後にキロ6分ペースで再び10キロ走。
5分程休憩してキロ7分で5キロ走。
合計45キロ走っておかやまマラソンのシュミレーションと調整を終えた。

本番まであと1ヶ月。10月25日くらいまではビルドアップとビルドダウンの練習を繰り返し、その後は休養体制に突入しておかやまを万全の身体に整えて挑むつもりだ。
記念すべき復活のサブ4はもうすぐそこまで来ている。
サブ4になったらどんな気持ちになるのだろうという興味があった。
サブ4は奇跡ではない。達成したとしてもそれはまぐれではない。
自分はそれだけの練習を積んでいる。
大きな声で叫んでも恥じないだけの自信があった。

葛西臨海公園7時間耐久レース

2015年7月26日
大会というよりも耐久性を身につけるためのトレーニングとして参加した。

午前9時〜午後4時までの7時間で1周4キロの葛西臨海公園を何キロ走れるかを競う大会だ。どこで休憩をしようが何を飲食しようが自由な大会だ。1周走る毎にチェックがあり、決められた時間内に決められたコースをできる限り多く走ればいいだけだ。

真夏なので目標は10周40キロとした。7時間も走り続けようとは思っていなかった。この日の最高気温は38°C。こんな暑い中を40キロも走れば上等だろう。

夏休みということもあって葛西臨海公園に遊びに来ている家族連れの方がたくさんいた。マラソンをしている我々を見て、
「えっ⁈…こんな暑い中マラソン大会があるの?」
ビックリして目を丸くしているのがよくわかる。そんな表情を感じるのがなんだかとても面白かった。

とにかく暑い。
1周毎に大きなポリバケツに入った水をボールですくって頭からかぶった。一瞬身体は冷えるが半周もすれば乾いてしまう。

大会側が用意したドリンクは暑さのため温かくなっており(水もスポーツドリンクもコーラも麦茶も全てホットドリンクになっていた。)飲めば飲むほど冷たいものを身体が欲してしまう。
結局何度も公園内にある売店でかき氷を食べたり冷たいドリンクを飲んだりした。

そんなことをしているうちに目標だった10周は終わってしまった。多くの参加者は身の危険を感じてすでにリタイアしている。
7時間も続けようなんて普通は考えない。

10周40キロが終わった時に歩くのが多くてもいいから4時まで頑張ってみようと思ってしまった。途中でやめるのが自分に負けてしまうようで許せなかったのだ。あとは意地というか最後まで続けたいという執念だった。

ゆっくり走る
歩く
売店に寄る

の繰り返しで14周56キロを午後3時40分頃完了。大会関係者に1周単位でカウントするので時間内(あと20分)にあと1周できる自信がなければこれで終わりにした方がいいと言われたため終了した。
十分に耐久性を身につけることができた大会であった。

サブ4達成のための練習

おかやまマラソンでサブ4を達成するための練習メニューとレース時のペースについて計画した。

【練習メニュー】
5月〜6月中旬
①隔日でキロ5分40秒10キロペース走
②隔日でキロ6分10キロジョグ
③週末はペース走+ジョグ(①+②)

6月中旬〜8月
①平日は3キロ〜4キロ毎にペースを上げるビルドアップ(5分50秒→5分30秒→5分15秒→5分)
➁週末は炎天下でのキロ6分LSD(20キロ以上)
➂7月26日葛西臨海公園7時間耐久レース

9月
①平日は3キロ毎にペースを上げるビルドアップ(5分40秒→5分20秒→5分→4分50秒)
➁週末はキロ6分LSD(20キロ以上)

10月
①5分40秒〜4分50秒までの10秒毎のビルドアップ(各200m)と4分50秒〜5分40秒までの10秒毎のビルドダウン(各200m)を合計10本行い各ペースを身体に記憶する
②10月10日東京30k+10k(5分30秒ペース)
③レース2週間前から徐々に練習量を減らして疲れを抜く
④レース1週間前からPUMA. RCの練習会以外は一切走らない

【レース時のペース】
①心臓が限界に達する30キロまでを勝負と位置づけ、平均ペースを5分25秒に設定
(30キロ通過タイム2時間42分)
②心臓が限界に達した30キロからは無理をせずペースを落とし35キロまでの5キロをキロ6分に設定
(35キロ通過タイム3時間12分)
③35キロから更にペースを落としても良いことにし平均ペースをキロ6分20秒〜30秒以内に設定
(40キロ通過タイム3時間44分)
④ラスト2.195キロはキロ6分30秒ペースで13分〜14分以内に設定
(目標タイム3時間57分〜58分)

【理由】
①心筋40%壊死では30キロまでしか心臓がもたないため、30キロまでで勝負をし、残りはペースを落としながら心臓の衰えを最小限に抑える
②ラスト12.195キロは平均キロ6分超に落ちるため、30キロの通過タイムを2時間45分以内に設定する(理想が2時間42分)
③練習時にキロ6分以内で走る習慣をつけることで、本番での6分超を極力短くする
➃30キロまでキロ5分半ばで走るには、キロ5分程度で20キロまで走れる脚力と心肺機能が必要だが、5分ペースのロング走は心臓への負担が大きいので短かめのペース走とビルドアップで代用する
⑤心肺機能を高めるインターバル練習は心臓への負担が大きすぎるため、小刻みなビルドアップ練習で代用する
⑥真夏のLSDで持久力と耐久性を身につける(葛西臨海公園7時間耐久レース)
⑦本番でペースダウンをする時に10秒刻みで徐々にダウンしていく習慣を身体に記憶させる
⑧本番1ヶ月前にスピードと持久力の調整具合を確認する(東京30k+10k)

心臓が限界に達する30キロまでをいかにペースを抑えながら走りぬき、その後の心臓の衰えを最小限にくい止めて走れるかがサブ4達成のキーポイントである。
残り12.195キロを75分以内で走りぬく力を温存できるかである・・・
京都もかすみがうらも30キロ以降の余力がなかったことが敗因であり、心臓を強化しなければならない。

そのためにはこのメニューやるしかない!!
サブ4できないはずがない。

このメニューをやりきれればレース時のペース設定は厳守できるはずで、余裕はないがサブ4は間違いないという確信があった。

サブ4を決めるレース

11月1日開催の第1回富山マラソンは抽選ではなく先着順だった。平日の12時にエントリー開始だったため、ランチを遅らせてタブレットと睨めっこ。5分ほど繋がらなかったが見事成功し、とりあえずは1レースを確保できた。

毎年抽選を入れている大阪、神戸と初開催の金沢、おかやまにも抽選を入れた。

しかし本命は先着順の制限時間4時間さいたま国際マラソンだ。
この大会の前身はハーフマラソンのさいたまシティ。横浜国際女子マラソンが昨年で打ち切りになったことから大きなフルマラソン大会がない埼玉県が手を挙げて後継することになった。
女子のリオデジャネイロオリンピック選考レースとして位置づけており、女子チャレンジャーの部がスタートした後に市民ランナー5,000人が走る。第1回は制限時間4時間だが第2回から6時間程度に緩めて定員も増やすようだ。
第1回はサブ4を達成するかDNFかという究極の結果しかない。サブ4復活は自分の出身地埼玉県で果たしたいという願望が強くなっていた。

最終結果は、おかやまが当選したが他は全て落選。さいたまはエントリー開始10分後にやっと繋がったもののエントリー項目を打ち込み途中に
「定員に達しました」というテロップが流れて終了してしまった。

富山11月1日、おかやま11月8日という日程でのサブ4チャレンジマラソンになった。
しかし、2週連続は無理があるのでどちらかに絞る必要がある。
とりあえずは参加料の支払いを済ませて決断は先延ばしすることにした。

富山は高岡をスタートして中間地点付近の射水で富山湾にかかる新湊大橋を渡る。ここが難所で一気に50mを駆け上がらなければならない。さらに30キロを過ぎた苦しいところで呉羽山を越える。この峠越えは新湊大橋よりも辛いとの情報かあった。その後富山市内に入り環水公園でフィニッシュするコース。

一方のおかやまは岡山市のジップアリーナをスタートし、小刻みなアップダウンを繰り返して30キロまで進む。30キロ付近で児島湖に流れ込む旭川を越えるが、この岡南大橋が最大の難所のようだ。とはいってもたったの20mである。その後は40キロまで緩やかに15mほど高くなっており、旭川沿いに後楽園や岡山城を眺めながらジップアリーナに戻るコース。

全体的にコースを検証すると比較的平坦なのがおかやまだ。
やはり心臓への負担を考えると必然的におかやまを選択することになる。

北陸新幹線が開通した富山もすごく魅力的だったが最終的に"おかやまマラソン"で決定した。

おかやまでサブ4
絶対にサブ4
もうサブ4以外は考えられなかった。

サブ4を成功させるためのペースも考案していた。

(おかやまの2週間後11月22日につくばマラソンにもエントリー)

サブ4の決意

京都マラソンでは突然湧いてきたサブ4復活チャンスを一発でものにしてしまうのか走りながら期待してしまったが、37キロで心臓が限界に達した。

かすみがうらマラソンは投げやりな姿勢で走る前から諦めモード。途中で修正はできたものの37キロで足が限界に達した。

奇しくも2大会とも37キロで力尽き、感動の復活はならなかった。

心臓が限界というのは納得できるが、足が限界というのが納得できず悔しくてたまらなかった。

考えれば考えるほど、思い出せば思い出すほど悔しさがこみ上げてくる。


次シーズンは一発で必ずサブ4になってやるという思いが沸々と湧いていた。

10月〜11月にかけて開催される秋のフルマラソンラッシュ。富山、金沢、おかやま、さいたまが記念すべき第1回の開催。そしてすっかり定着してきた大阪や神戸も控えており片っ端から抽選することにした。
抽選に全て漏れた場合は新潟、つくば、大田原などを視界に入れた。

かすみがうらマラソンの2日後、PUMA RCの練習会に参加。
いつものようにNコーチの「週末レースに出た方はいますか?」という質問で始まった。
次の質問は「自己ベストを出した方はいますか?」だった。

自己ベストではないが手を挙げた。
『自己ベストではありませんが、3年前の心筋梗塞から復活して復活後のベストではあります。二度と走れないだろうと思われた心臓手術からどうしても諦められなくて歩くリハビリから再スタートしました。ゼロからのスタートではなくマイナスからのスタートです。心筋が4割壊死しているので心拍数制限があってゆっくりでしか走ることができません。それでももう一度サブ4を目指せるところまできました。かすみがうらはサブ4目標でしたがグロス4時間6分、ネット4時間2分で届きませんでした。37キロで足が限界になりサブ4ペーサーに抜かれました。悔しいです。でも、次は必ずサブ4になります。もう一度練習をやり直して10月から始まる秋のフルマラソンの大会で必ずサブ4になります。一発で必ず絶対にサブ4になります。』

たくさんの人の前でサブ4宣言をして自分にプレッシャーを与えようと思った。そうすれば後には引けなくなる。何があっても次は必ずサブ4を達成しなければならなくなる。そんな状況に追い込もうと思った。有言実行の考え方だ。

Nコーチも補足してくれた。そして激励してくれた。
『彼は大きな心臓の手術から復活して走っています。すごいことだと思います。ネットならあと2分でサブ4ですか。横浜だったらサブ4だったかもしれませんね。(後に横浜はフルマラソンの距離に足りていないことが判明)あと1分、あと10秒、あと1秒という言葉をよく耳にします。あそこで頑張っていれば1秒くらいは短められた…。でも、それができなかったから現実の記録があるのです。それが今の実力です。精一杯やった結果です。あと1分、あと10秒、あと1秒のために練習を積んでください。マラソンはまぐれのないスポーツですから練習をしなければ結果は出ません。』


もうへこたれたりなんかしない。
どのレースが当たるかわからないが、次に出るときはサブ4だ。
それ以外は考えられない。
何があってもサブ4を達成する。
お前ならできる。
出来ないはずがない。

神様に与えられた罰 かすみがうらマラソン

2015年4月19日午前10時かすみがうらマラソンがスタートした。
動き出したのは号砲から4分37秒後だったが、大渋滞で走るというよりも歩く感じだった。半年前の大阪マラソンより動きが鈍く、今までのマラソン大会の中で最悪だった。2万人近くもいる大規模大会の割には道路が狭くて前に進まない。スタートラインを過ぎても走れない。挙句の果ては歩くこともできずに止まってしまうというハプニングもあった。こんなマラソンは初めてだった。
結局5キロ走るのに33分14秒もかかってしまい、走る前から既に崩壊していた「焦らない 腐らない 諦めない」の三原則は更に追い討ちをかけて崩壊した。完全にやる気が失せてしまったのだ。

このコースの最大高低差は25mで最初の3.5キロで20mを上がる。その後小刻みなアップダウンを繰り返して霞ヶ浦が見える23キロあたりに来ると平坦になる。

最初からやる気が失せていたとは言っても練習はきっちりと積んでいたのでそれなりの脚力と心肺機能は備わっていた。5キロ以降は流れもだんだん良くなり1キロ5分20秒ペースで走れていた。

自分ではそんなペースで走っているつもりは毛頭なく、ただなんとなく惰性で走っていたような感じだった。やる気がなかったのでラップなんてとっていなかったのだ。

2 かすみがうら
(c)allsports.jp

都市型マラソンと違って田舎の田園風景の中を走るこの大会は、農家の庭先に用意した椅子におじいちゃん、おばあちゃんが腰かけて「頑張れ〜」と声援を贈るのどかな雰囲気だ。
いつの間にかそんなアットホームな応援に気持ちが乗せられて、不貞腐れていた心に直向きさが戻っていた。

中間地点が近づいていたのでタイムを確認したところ、あんなにスタートに戸惑っていたにもかかわらず京都マラソンより良いタイムになっていることに気がついた。ネットでは、あの感動の谷川真理ハーフより1分程度遅いだけ。

スタート      ( 4分37秒)
05キロ 28分37秒(33分14秒)
10キロ 26分36秒(59分50秒)
15キロ 26分39秒(1時間26分29秒)
20キロ 26分53秒(1時間53分22秒)
中間地点 5分52秒(1時間59分14秒)
中間地点 ネット (1時間54分37秒)

最初から「焦らない 腐らない 諦めない」で挑んでいればもっと良いタイムが出ていたに違いない。
些細なことからやる気を喪失してしまった弱い自分を責めて後悔した。
しかし、今更そんなことを言っても何も始まらない。すぐに気持ちを切り替えなければ駄目だ。
(このペースを保てれば十分にサブ4はいけるぞ!)
やる気がみなぎってきた。

3 かすみがうら
(c)allsports.jp

一生懸命に走った。
諦めかけていたサブ4への期待が一気に膨らみ気持ちが躍動しているのを感じる。
ワクワクしてきた。なんて自分勝手な奴だと思い自分で自分を叱った。

(前半より5分程度遅れてもグロスでサブ4だ。30キロまではこのペースを守りたい。その後はペースが大きく落ちないように粘ろう。何とか37キロまで粘れれば残り5キロで勝負だ。あとは気持ちの問題だ。)

4 かすみがうら
(c)allsports.jp

25キロ 26分45秒(2時間20分07秒)
30キロ 28分04秒(2時間48分11秒)

25キロを過ぎてから少しずつ落ちた。
30キロを通過した。懸命に踏みとどまろうと頑張り続けた。
(今だ、今頑張らなければサブ4はない。あと1時間だ。たった1時間10分辛抱すればいいんだ。お前がやってきた3年2ヶ月の月日に比べれば僅かなもんじゃないか。さあ~気力を振り絞っていこうじゃないか‼︎)

5 かすみがうら もう少しだ
(c)allsports.jp

35キロ 30分13秒(3時間18分24秒)

とうとうキロ6分台にまでペースが落ちてしまった。
このペースでいくと4時間を少しだけオーバーしてしまう。サブ4には届かない。
(何のためにたくさんの練習をしてきたんだ?…サブ4に復活するためだろう。だったら今頑張れ!今頑張らないと努力が水の泡になるぞ。あと皇居1周プラスPUMA RCから平川門までの往復分の距離だ。頑張れ。ペースを上げろ。上げろ。上げろ。上げるんだ。上げろ〜)

6 かすみ2015限界
(c)allsports.jp

自分が関門としていた37キロまであと2キロに迫っていた。

しかし、足が限界だった。
足が…足が…
足が上がらない…
(何故だ?あんなにたくさん走り込んだのにどうして足が限界なんだ?)

ペースがどんどん落ちていくが心拍数は反比例で余裕が有り余っている。
心拍数制限いっぱい(多少はオーバーしてもいいのに…)で走りたいのに心拍数を上げようと試みても足が言うことを聞かずペースが上がらない。
心拍数はどんどん下がっていく…
足が限界、心拍数は余裕…
(なんていうことだよ…俺は何のために練習してきたんだ?どうしてこんなことになるんだ?)
理由が、原因がわからなかった。

その時だった。
後方からサブ4ペーサーの大きな声が響いてきた。

『残りあと5キロです。5分40秒ペースで走ります。サブ4になりたい方は私についてきてください。グロス(公式記録)でサブ4です。サブ4を達成したい方は頑張って私の後ろをついてきてください。さあ~頑張りましょう。5分40秒ペースです。』

37キロまで自分はサブ4ペーサーよりも前にいたことに気がついた。
でも残り5キロで追いつかれ、抜かれようとしている。

頑張ってついていきたい…
抜かれずに並んで走りたい…
鴨の親子のようにペーサーの後ろをピッタリ離れず走りたい…

そんな気持ちとは裏腹に足は言うことを聞いてくれなかった。
悔しい…
悲しい…
情けない…

どうしようもなかった。
サブ4と大きく書かれたペーサーの背中を眺め、その後ろをついていく集団を眺めながら悔しさと悲しさ、情けなさを噛み締めていた。

サブ4集団は徐々に徐々に前へと離れていった。
そして少しずつ遠くなるサブ4集団を後ろから眺めているうちついに心が折れた。
(もう駄目だ。サブ4は今回もできなかった。とてもじゃないが追いかけられない。ついていけない。もう駄目だ。限界だ。)

次第にサブ4集団は視界から消えた…

マラソンは心が折れると終わりだ。
一度諦めるとペースはみるみると落ちてくる。
なんとかネット(参考記録)でサブ4を…と気持ちを切り替えようとしたが身も心も限界に達していた。
最後の砦だったネットでサブ4…強い気持ちを持ってしても足が伴ってくれなかった。
ペースは上がるどころか落ちる一方…

最後に残された執念は
"絶対に歩かない"


エアーサロンパスを左手に握りしめ、足にジェット噴射しながら超スローで走り続けた。
情けなかった。何故足に限界がきたのか?
心肺は問題ないのに何故…何故だ?

京都とは逆の現象だった。
悔しかった。
ペーサーについていきたいのに足が痛すぎて重すぎて泣きたくなるほど辛かった。
歩かないでなんとか走っているのがやっとだった。
ペースを上げたい気持ちはあるが気力が残っていないことが悔しかった。

これはきっと神様が与えた試練だろう。

走る前から崩壊していた三原則
「焦らない 腐らない 諦めない」

こんな投げやりなブンブン丸に神様が与えた試練に違いない。

神様は前向きな人だけを見守ってくれる。
投げやりな姿勢になった者には試練を与える。
その試練に気がつかなかった者には試練すら与えない。見放してしまうだろう。
(神様、ブンブン丸はもう投げやりになんかなりません。どんなことがあっても何が起こっても、もう二度と不貞腐れたり諦めたりしません。)

今のこの身体でもう一度サブ4目指して頑張るのは並大抵のことではない。
しかし、もう一度一からやり直さなければならない。

(諦めてたまるか。今日はできなくても次は必ずやってやる。次はどんなことがあっても絶対に決めてやる。もう二度と不貞腐れたりしない。諦めたりしない。投げやりになったりしない。初心に帰ってもう一度一から練習をやり直す。)

(神様、やはりそう簡単にサブ4は達成できないものですね。ここ何日かの気持ちを反省してやり直します。今日の罰はしかと受け止め、試練として必ず乗り越えます。)

身も心もポロポロに叩きのめされ、歩かずに最後まで走り続けることだけで精一杯だった。それ以上は何もできなかった。

40キロ 33分18秒(3時間51分42秒)
ラスト 15分05秒(4時間6分47秒)

7 かすみゴール
(c)allsports.jp

グロス4時間06分47秒
ネット4時間02分10秒

サブ4は簡単には達成できなかった。

焦らない 腐らない 諦めない が崩壊した日

かすみがうらマラソンでサブ4を目指すには・・・

京都の教訓
"サブ4を達成するためにはLSDだけでは無理がある"

では、打開するには何をすればいいのか⁉︎
キロ5分30秒で走り続ける心臓の強さが必要だ。

そのための練習方法・・・
インターバルをやれば心臓は強くなるが、それだけは心臓への負担が大きすぎるのでできない。
高地トレーニングや今流行りの低酸素トレーニングも無理だ。できない。

①LSDのペースをキロ6分に上げる。
②1キロ若しくは2キロ毎に徐々にペースを上げるビルドアップを頻繁に取り入れてラストはキロ5分20秒程度になるよう設定する。
③キロ5分30秒〜40秒程度のペース走を行う。



大会でいきなり5分台で走っても心臓がついていけないということは既に京都で実証された。キロ5分台で走る練習を行い、今までのゆっくりペースから打開しなければならない。要は心臓に5分台を記憶させて慣れさせなければならないのだ。

ハーフマラソンでは練習なしでごまかせてもフルマラソンでは普段練習していない領域の力を出すことは不可能である。30キロが近づくと急激に心臓が弱ってしまう。

キロ6分ペースのLSDは本番1ヶ月前にやることにして、②ビルドアップ③ペース走の練習を繰り返し行った。

5分台で走る練習は心臓のことを考えるとかなり不安だった。心拍数が上限値またはそれをオーバーしてまうからだ。
無理な運動負荷を与えることによって不整脈になる危険がある。
従来は冠動脈や心臓に過度な負荷をかけることを極力避けてゆっくり走ることを基本としていた。適度な負荷を根気よくかけることで徐々に心臓機能を高めてきたのだ。

その根本が崩れた。
4月のかすみがうらでサブ4を目指すとなるとそんなことはいっていられなかった。なんとしてもかすみがうらで決めてその後は元の練習に戻ろうと考えていた。

大病をすると急に強気になったり急に弱気になったり精神的にかなり落ちつかないことがある。しかしサブ4になりたいという気持ちは事実であり、その感情はもはや抑えることができなくなっていた。

ここまできたらやるしかない!

そして1ヶ月前にはキロ6分ペースでの50キロLSDも実行した。(休憩2回)

待ちに待った大会の案内が届いた。封を開けるとなぜかゼッケンは1枚しか入っていない。整列ブロックもD…
(なんで?)
陸連登録者でエントリーしていたのでゼッケンは2枚のはず。しかもDはないだろうと思った。
(何かのミスだ…)
クレームを入れようかと考えたが、心筋梗塞後初めて不貞腐れてしまった。
(どうせ俺はこんな身体だ。たいした記録なんて期待できないのだからどうでもいいよ。クレームなんか入れたところで受け入れてくれるはずがない。かすみがうらなんかどうでもいい。)

20,000人参加の大会で整列はA〜Hまでの8ブロック。自分より前に7,500人〜10,000人もいる計算になる。
グロスでサブ4は厳しい現実だと思った。ネットはあくまで参考記録なので公式記録のグロスでサブ4をとらないと意味がない。グロスでとれないならどうだっていい。
もう無理だと思い投げやりになってしまった。やる気が失せてしまった。
(ネットでサブ4じゃ意味がないんだよ。俺はグロスでサブ4狙ってるんだよ。なんだよ、冗談じゃないよ。もうどうだっていい。なんだこの大会、最低だよ。)

神様はそんなブンブン丸を許すはずがなかった。
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