復活の日(第1回おかやまマラソン)
2015年11月8日
朝5時に起床。ホテルの部屋のカーテンをそっと恐る恐る開けた。
(あ~、やっぱり)
雨、雨、雨…
やはり予報どおりの雨だった。
(あ〜雨か。ま、仕方ない。こんなこともあるさ。条件は皆んな同じだ。皆んなが雨だ。嫌な気分なのは自分だけじゃない。だから前向きにいこう。)
ホテルの朝食はパンとゆで卵、スープ、コーヒー、紅茶、ジュースだけのセルフサービス。
昨日の倉敷は朝からバイキングでいろいろな物をたらふく食べて満足だったが、今日はマラソン当日だというのに実にしょぼい。
カフェインを摂取するとトイレが近くなるのでコーヒー、紅茶には一切手をつけずに水とジュース、スープだけにした。部屋に戻ればアミノバイタルやアミノバリューなどのスポーツドリンクと昨夜コンビニで買ったヨーグルト、バナナがある。
岡山駅東口にあるこのホテルから岡山マラソンのスタート地点があるジップアリーナまでは徒歩25分ほどかかる。いつも余裕をもって現地へ行くタイプなので6時半にホテルを出た。
折り畳みの傘をさしてゆっくりと歩き出した。土砂降りではないが42.195キロもこの雨の中を走り続けるとシューズの中も頭もシャツもすべてがびしょ濡れになるのだろう・・・どうしても後ろ向きなことばかり考えてしまう。
岡山でサブ4に復活する意気込みはたくさんの人に宣言していた。
だから、今日この地でサブ4を達成しなければならないのだ。サブ4になることを前提に岡山に来ている。もしサブ4になれなかったらどうなってしまうのだろう?
ふと嫌な思いが脳裏をよぎった・・・
サブ4になれなかったら?
万一なれなかったときの再チャレンジの場としてつくばマラソンにエントリーしている。
でも、今日失敗したら2週間後のつくばで成功できるはずがない。疲れがとれない。一番大事な心臓が回復できない。2週間後は厳しいぞ。だから何が何でも今日この岡山で決めなければならないのだ。
7時頃ジップアリーナに到着。建物内に入ってまずはトイレへ一直線・・・
まだスタートまで時間があるため行列はできておらず、すんなりと用をたすことができた。最低でもあと1回はトイレへ行くことになる。今のうちに水分補給と栄養補給のジェルを摂取しておこう。
ジップアリーナ内で着替えをしている人はたくさんいたが、自分はジャージを脱ぐだけで準備は完了する。荷物預けの場所を見ると行列ができ始めていたのでそろそろ準備をしなければと思った。
外を見ると雨が降り続いているので早くから整列している人はいつもの大会に比べるとかなり少ない。ここで状況を見つめながらいつ整列体制に入るかを見極めようと思った。
ボストンバックから白いキャップと百均で買ったレインコートをわしづかみして荷物預けの列に並んだ。(荷物は室内預かり)
レインコートを着て戦闘態勢に入った。8時になったので雨の中並ぶ覚悟をした。
あ、あ、あ、雨が降っていない・・・雨がやんだ。雨がやんだ。
ニッコリと微笑む感情を抑えきれず、そのままAブロックの中へ・・・
(この位置なら30秒以内にスタートできるぞ!)
何ということだろうか!!
今日は朝の天気予報でも一日中100%の雨だったのにスタート時間直前に雨がやんでしまった。
流石は”晴れの国おかやま”だ。
そういえば倉敷のマッサージ店の人が言っていた。
「岡山は雨が少ないんですよ。隣町で雨が降っていても岡山では降らない。雨の確率が60%~70%であれば雨は降らないと思ってもいいですよ。よく雨の通り道って言うでしょう。岡山は雨の通り道から外れるんですよ。雨雲がとれるんですよ。」
まさか雨100%の確率なのに、ついさっきまであんなに雨が降っていたのに雨がやむとは思っていなかった。
これが奇跡というやつだ。
岡山の地元の皆さんの”おかやまマラソンを成功させたい”という強い思いで雨がやんだのだろう!!
いつもの他の大会と同じようにスタート前のセレモニーが始まった。
県知事や市長などもスピーチしたのだろうが誰が何を喋ったかは興味がないので記憶にない。記憶にないというよりも聞いていない。
しかし、有森裕子さんだけは別だった。
故郷の岡山でこんな大きなマラソン大会が開催されて嬉しいと言葉を詰まらせ泣いていた。一番大きな盛大な拍手が沸き起こった。
(おかやまマラソンのホームページに載っていた有森さんのコースレポートを読みましたよ。未知の地おかやまを走るシュミレーションをしました。勿論サブ4です。有森さんの地元岡山でプンプン丸はサブ4に復活します。)
やけに落ち着いていた。
嫌な予感も払拭されていた。
サブ4に復活できる自信があったからか。
それだけの練習を積み重ねてきたので平常心で計画通りに走ればサブ4は間違いなくできると思っていた。
焦らないで走ること。
自分が決めたペースを守ること。
自信をもって走ること。
自分の力を信じること。
今まで積み重ねてきた練習は決して裏切らない。
サブ4に復活できるだけの練習を積んできたんだ。
今日はその結果が出るだけだ。
雨あがりの空を見上げて何度も深呼吸を繰り返した。
(見ていてください。ブンブン丸は今日サブ4になります。3年9ヶ月の苦悩の日々は今日で終わりです。いつもいつもどんな時でもブンブン丸を見捨てずに見守っていただきありがとうございした。今日はその恩返しができる日です。応援してください。)
天に向かって話しかけていた。Pちゃんもミラノちゃんもウエストバックの中でブンブン丸を応援している。
8時45分号砲が鳴った。
18秒後にスタートラインを通過。いい位置だった。ロケットスタートをするわけでもなく、ほぼ考えていた予定通りのペースで走り始めることができた。
岡山市街地の桃太郎大通り〜市役所筋を走り抜けて郊外へと向かって行った。雨があがったばかりなのでアスファルトが濡れている。

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とてもいい気分だった。最初から5分を切るペースで走りたくなってしまったがそこはグッと堪えた。
(ダメだ、今ペースを上げてしまうと後で苦しむことになる。我慢しろ。焦るな❗️)
05キロ グロス26"28(計画26"45)
10キロ グロス52"45(計画53"00)
岡山市街地を抜けて住宅街を通り次第に郊外へと風景が変化してきた。田園風景の広がる中を市民ランナーの集団が颯爽と走っている。その集団の中の一人がブンブン丸だ。殆どがAかBのゼッケンをつけたランナーだ。
15キロ グロス1"19"21(計画1"20"05)
20キロ グロス1"46"16(計画1"47"10)
中間 グロス1"52"08
周りのランナーのゼッケンを再確認した。まだAかBだ。稀にCを見かけるがDEFG…といった後方からスタートしたランナーはあまり見かけない。自分のペースはいつの間にか4年弱の間にABと同等になったのだと思うと嬉しかった。
やはり練習は裏切らないのだ❗️
焦らない
腐らない
諦めない
そんな風にやってきた結果だ。
中間地点の記録も谷川真理ハーフを越えていた。
間違いなくいけると思った。焦ってペースを上げて心臓がへたらない限り大丈夫だと自信をもった。
25キロ手前で笹ヶ瀬川を渡り、右側に大きく広がる水面が見えてきた。これが児島湖だろう。
25キロ グロス2"13"28(計画2"15"05)
もう少し進むと中央卸売市場らしきものが見えてきたのでこの裏手が岡山港だろうと思った。
もうすぐ30キロだ。ペースは堅実に守っている。もっと速く走ってもよかったような気がしたが焦らないで自分を信じろと決めたはず。
まだまだ余裕があるような気がした。
しかし、いつも感じることなのだがマラソンは30キロが一つの区切り。ここまで来るとさすがに疲れがみえる。
焦るな 焦るな 焦るな
余力を残せ…
30キロ グロス2"41"33(計画2"43"00)

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旭川にかかる岡南大橋だ。30キロを過ぎてランナーの疲労が出てくる精神的にも苦しい場所で登り坂を駆け上がらなければならない。
根性不足で歩いてしまうランナーもちらほら見かけられた。
一般の応援者、ボランティアの方が一生懸命親切に声援を送っていた。
まるで自分が走っているかのようにしかめっ面をして、苦しそうな表情をしている方もいた。
「苦しいのは気のせいだ。足が痛いのも気のせいだ。」
「登りはあと少しで終わりです。頑張ってください。」
「あと50mで下りですよ。頑張ってください。」
必死に走っていた。
やはり登りは心臓に堪える。どんな小さな登りでも心筋が40%も壊死しているのだからきつい。このきつさ、辛さは健常者にはわからないかもしれないが、心拍数が上がって心破裂してしまうのではないかという不安と恐怖にさらされる。無酸素運動になって心筋梗塞が再発するのではないかという恐怖にさらされる。
そういえばタイムばかりを気にしていて心拍数を気にしていなかった。
それだけサブ4のことで頭がいっぱいだったのだ。初めてといっていいくらい心拍数を確認した。
160を超えていた…
(やばい。でも大丈夫だ。もう少しで下りだ。もう少しの辛抱だ。俺の心臓よ、もう少しだ。頑張ってくれ!)

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下りになった。
あとは平坦なはずだ…
おりきった。(ホッ)

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おかやまマラソン最大の難関を終えた。このまま行けばサブ4だぞ❗️
心臓が耐えてくれた。
インターバルをしなくてもペース走、ビルドアップ、LSDを繰り返し行えば心臓は強くなる。根気はいるが強くなることが証明できた。

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ペースを落とし始めた。
30キロを過ぎたらキロ6分でいい。
そう思うと凄く気が楽だ。
ペースを落としたと言うと聞こえはいいが実際は落ちてしまったというのが正解だろう。計算通りにペースが落ちた。
しかし、京都やかすみがうらとは明らかに違うペースダウンの感覚。
心臓はまだへたっていない。疲れは出てきたが、ペースは落ちてきたが限界が近づいてきたわけではない。
それは走っている本人が一番よくわかる。
誰にも負けないくらいの練習をしてきたのだ。
恥じないだけの練習をしてきたのだ。
全ては今日のためだ。
おかやまマラソンでサブ4になるためだ。
疲れているが限界ではない。
余力も根性も残っている。
35キロ グロス3"11"33(計画3"13"00)

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旭川沿いを走っていた。このまま進むと岡山後楽園や岡山城が見えてくるはず。岡山城が見えれば40キロが近い。
タイムを確認してサブ4が着々と近づいていることを認識した。
岡南大橋から心拍数は高止まりしている。ペースは落ちてきたがさすがにこれだけ走ってくると心肺が弱ってくるので無酸素運動の領域に入ったのかもしれない。
既往性の心筋梗塞者(心筋梗塞を発症したことがある者)が一番やってはいけないのが無酸素運動だ。
もう一段ペースを落とすべきか悩んだ。もう少し落としてもサブ4はいけるだろうと思った。すれすれではあるが大丈夫だろうという気がした。
何が起こるかわからない。サブ4を達成した後も元気でいなければならない。無理なくサブ4を達成したい…
しかし、すれすれの状態でペースを意識的に落とすことはそう簡単にできることではない。勇気がいる。
京都もかすみがうらも37キロで身も心も限界に達して終わってしまった。
おそらく心臓が限界になったから…
無酸素運動の領域が長く続いて危険とされる領域に入ってしまったから?
葛藤が続いた。ほんの数十秒程度だろうが、とてつもなく長い間悩んだように思える。
今回はどうなのか。
もうすぐ37キロ
鬼門の37キロだ。
今度こそ心臓の限界は来ないで欲しい。
かすみがうらが終わって約半年。焦らず腐らず諦めずにやった練習で心臓は強くなっているはず。
だから限界はまだ来ない…
余力を残して走れるはず…
俺の心臓はまだまだ限界には達しない!
自然の流れに身をまかせた。
不安、希望、期待…
いろいろな思いが脳の中を交錯している。
37キロ
大丈夫。
限界は来なかった。
やっぱり練習は裏切らない。俺の心臓は着々と強くなっている。
(あと皇居1周分でサブ4だぞ。もう少しだぞ。よくここまで頑張ってきたな。ブンブン丸よ、もう少しだ。サブ4のタイムリミットまであと36分だ。)

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岡山城が見えたが景色を楽しんでいる余裕はない。
やはりフルマラソンは辛い。
景色よりもここまで来るとサブ4のことで頭がいっぱいだ。
油断はするな。最後まで何が起こるかわからないのだから…
突然胸が痛くなって倒れる危険だってある…
あの香港の二の舞はご免だ。
だから焦らず無理せずいつもの練習のように余裕をもって走ろう。
(心拍数よ、下がってくれ)

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40キロ グロス3"43"03(計画3"44"40)
(タイムリミットまであと17分、行け〜、もう少しだ。)
最後の給水も取った。コップを2つ取り、左右で少しずつ口に含んで潤した。
もう一つ取って今度は首筋にかけた。
水分が不足していると、脱水していると血液がドロドロになる…
香港のようにはなりたくない…
再発なんかしてたまるか…
だってもう少しで終わりなんだよ。
フィニッシュまであと少しなんだ。
JRの上を横断する陸橋が見えてきた。登り坂だ。もう坂はないと思って安心していたのでショックが大きい。
そういえばスタートしてすぐに反対側からこの陸橋を越えてきたなと思い出した。だから帰路にもう一度渡るのは考えていれば当たり前。スタート時は何とも思わなかったこの坂は、40キロを過ぎてから目の当たりにすると絶壁のように映る。
30キロ過ぎの岡南大橋に比べればこんなもの何ともないと言い聞かせた。
しかし、登り坂はないと思っていたのでいざ登りに向き合うと気持ちを立て直すのはたいへんだ。

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何とか陸橋を越えた。思わず天を仰いで目線と顔を元に戻したときに体がぐらついた。
疲れている。気持ちも疲れている。3年9ヶ月の大きな思いをこの小さな体に背負って走り続けているのだ。約半分になってしまった心臓機能で走り続けているのだ。
ここまでよくやってきたと自分を褒めてあげたい。
有森さんもここにいる。自分で自分を褒めてあげたい。
ここまでこれて幸せだ。
普通だったら階段でさえも息を切らして不思議はないのにフルマラソンを走っている。しかもサブ4復活を目の前にしている。
苦しくなんかない。
神様見ていますか。ブンブン丸の勇姿を見ていますか。
思わず涙が出そうになった。
こんなに強い身体に戻って感謝でいっぱいだ。
サブ4復活の瞬間が近づいていた。
どんな気持ちでどんな感情でフィニッシュするのか自分のことではあるが興味があった。
どんな気持ちになるのだろう?
感極まって涙が流れるのか?
満面の笑みなのか?
いろいろと想像したがどうなるかはわからない。
終わってみないとわからない。
サブ4は間違いないという気持ちを必死に抑えた。
心筋梗塞が多いのは終盤。フィニッシュ目前に倒れることだってある。
だから確信してはいけないと言い聞かせながら走った。
ここまで来たら何も起こらないよう石橋を叩いて渡るほどの万全の注意を払うことが必要だと言い聞かせた。
まだ喜んではいけない。
まだ終わっていない。
終わるまで信用してはいけない。
サブ4を信用してはいけない。
確信してはいけない…
41キロを過ぎた。もう少しだ。
香港のこと。◯田さんのこと。緊急手術のこと…
いろいろな今まで起こった3年9ヶ月の間に起った出来事がくるくると頭の中を回る。
バイパス手術直後に
”世界で一番遅いランナーでいいから走りたい”
と思っていた気持ちは、今
"サブ4"という形に変わって結果を出そうとしている。
"世界で一番遅いランナー"という大きな大きな夢を越えた。
それどころか、普通の市民ランナーと同等、いやそれ以上のところまで復活した。
これは奇跡ではない!!
まぐれではない!!
1日や2日、1週間、1ヶ月の短期間で復活できた奇跡なんかではない!!
ブンブン丸の諦めなかった努力の証だ!!
これこそ軌跡だ。
俺の足跡だ!!
焦らない
腐らない
諦めない
の集大成だ!!
胸の中にいる自分が誇らしげにガッツポーズをしているのを感じる。
ホッとしてにこやかに笑っているのを感じる。
嬉しくて嗚咽しているのを感じる。
どう表現していいのか困るほどの感情が頭、脳、身体全体を駆け巡っている。

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ついに陸上競技場に入った。

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ラストスパートをかけようと思った。
しかし、この瞬間のこの感情をいつまでもいつまでも、永遠のものにしたかった。
終わらないで欲しい。
今が一番幸せな瞬間だ。
凄く冷静だった。
誰かと競走しているわけではない。
ここまできたら、サブ4であるならば10秒程度記録が悪くてもそれは許せることだ。
この瞬間を少しでも長く感じていたい。
だからラストスパートはかけなかった。
ゆっくりと噛みしめながらトラックを走った。
嬉しいという感情はとっくにとっくに通り越している。
何事にも変えられない今までに経験したことのない感情だ。文章にすることが不可能なくらいの感情の高ぶりだ。

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万歳するわけでもなく、たんたんと静かにタイムを見ながらいつものようにフィニッシュシュゲートを通過した。
グロス3時間56分58秒(計画3"58"40)
ネット3時間56分40秒
今まで神様はいないと思っていた。
心筋梗塞にかかるまではいないと思っていた。
そんなものはいないと思っていた。
信じたこともない。
でも、振り返ると神がかり的なことの連続だ。
香港の2キロ地点で命を落としていても何の不思議もなかった。
あの激痛は忘れることができない。一瞬で心臓が変だとわかった。
死にたくないと思った。死んでしまうかもしれないと思った。
意識が飛びそうになったのに、失いそうだった意識はなぜか失わなかった。
その後夢遊病者のように14キロまで走っていた。
症状が戻り、回復したような錯覚…
強硬退院…
喫煙、飲酒、服薬拒否、飛行機搭乗etc…
それでも神様は見放さなかった。
帰国後に行くつもりのなかった病院は神様の代弁者○田に促されて行った。
そこでも入院自主延期…
それでも神様は見放さなかった。
カテーテルから緊急冠動脈バイパス手術…
合計11時間以上も要した。
生きている。
何だかわからないが生きている…
これが奇跡でなければ何を奇跡と呼ぶのだろうか❗️
神様がいるとしか思えない。
神様が助けてくれたと信じたい。
神様はいるんだと思いたい。
神様に守られて命を繋ぐことができた。
その後は自分の信念だ。
負けるものかという強い意志だ。執念のようなものだ。
焦らない
腐らない
諦めない
三原則の強い意志だ。
危ないことはたくさんしてきたが、それを静かに見守ってくれる何かがあった。
神様はいつも無言で見守ってくれた。時には注意信号を発してくれた。
京都では「これ以上は危ないよ」と胃に不快感を与えて知らせてくれた。
苦しいと思ったことはない。
辛いと思ったこともない。
走れることが嬉しかった。
どんなに遅くても走れることが嬉しかった。
人生で一番努力した3年9ヶ月。この努力、十代でやっていればきっともっと大成していただろう。
涙はなかった。
ランナーの邪魔にならない所へ移動して一礼した。神様への感謝をこめて深々と頭を下げた。
アミノバイタル時代からのことを思い出した。たくさんのコーチの方に出会った。ご指導頂いたたくさんのコーチ、スタッフの方々にも一礼した。
"もう一度サブ4になりたい"そんな気持ちをもったのは、直向きなサブ4への思いを抱いたakiさんと話ができたから。純粋に自分もサブ4になりたいと思った。今日それをとうとう叶えた。お先に失礼してしまった。一礼した。
合わせて三礼し、完走メダルが首にかかった。
トラックの横を通って陸上競技場の出口に向かった。
トラックを眺めながら今日一日を振り返った。
口元が震えそうになった。
(ダメだ。たかがサブ4だ。サブ3ではない。ただのサブ4だ。サブ4になったくらいで涙はいけないよ。我慢しろ…)
ぐっと堪えて陸上競技場を後にした。
これで終りなのか?通過点なのか?
まだわからない。
朝5時に起床。ホテルの部屋のカーテンをそっと恐る恐る開けた。
(あ~、やっぱり)
雨、雨、雨…
やはり予報どおりの雨だった。
(あ〜雨か。ま、仕方ない。こんなこともあるさ。条件は皆んな同じだ。皆んなが雨だ。嫌な気分なのは自分だけじゃない。だから前向きにいこう。)
ホテルの朝食はパンとゆで卵、スープ、コーヒー、紅茶、ジュースだけのセルフサービス。
昨日の倉敷は朝からバイキングでいろいろな物をたらふく食べて満足だったが、今日はマラソン当日だというのに実にしょぼい。
カフェインを摂取するとトイレが近くなるのでコーヒー、紅茶には一切手をつけずに水とジュース、スープだけにした。部屋に戻ればアミノバイタルやアミノバリューなどのスポーツドリンクと昨夜コンビニで買ったヨーグルト、バナナがある。
岡山駅東口にあるこのホテルから岡山マラソンのスタート地点があるジップアリーナまでは徒歩25分ほどかかる。いつも余裕をもって現地へ行くタイプなので6時半にホテルを出た。
折り畳みの傘をさしてゆっくりと歩き出した。土砂降りではないが42.195キロもこの雨の中を走り続けるとシューズの中も頭もシャツもすべてがびしょ濡れになるのだろう・・・どうしても後ろ向きなことばかり考えてしまう。
岡山でサブ4に復活する意気込みはたくさんの人に宣言していた。
だから、今日この地でサブ4を達成しなければならないのだ。サブ4になることを前提に岡山に来ている。もしサブ4になれなかったらどうなってしまうのだろう?
ふと嫌な思いが脳裏をよぎった・・・
サブ4になれなかったら?
万一なれなかったときの再チャレンジの場としてつくばマラソンにエントリーしている。
でも、今日失敗したら2週間後のつくばで成功できるはずがない。疲れがとれない。一番大事な心臓が回復できない。2週間後は厳しいぞ。だから何が何でも今日この岡山で決めなければならないのだ。
7時頃ジップアリーナに到着。建物内に入ってまずはトイレへ一直線・・・
まだスタートまで時間があるため行列はできておらず、すんなりと用をたすことができた。最低でもあと1回はトイレへ行くことになる。今のうちに水分補給と栄養補給のジェルを摂取しておこう。
ジップアリーナ内で着替えをしている人はたくさんいたが、自分はジャージを脱ぐだけで準備は完了する。荷物預けの場所を見ると行列ができ始めていたのでそろそろ準備をしなければと思った。
外を見ると雨が降り続いているので早くから整列している人はいつもの大会に比べるとかなり少ない。ここで状況を見つめながらいつ整列体制に入るかを見極めようと思った。
ボストンバックから白いキャップと百均で買ったレインコートをわしづかみして荷物預けの列に並んだ。(荷物は室内預かり)
レインコートを着て戦闘態勢に入った。8時になったので雨の中並ぶ覚悟をした。
あ、あ、あ、雨が降っていない・・・雨がやんだ。雨がやんだ。
ニッコリと微笑む感情を抑えきれず、そのままAブロックの中へ・・・
(この位置なら30秒以内にスタートできるぞ!)
何ということだろうか!!
今日は朝の天気予報でも一日中100%の雨だったのにスタート時間直前に雨がやんでしまった。
流石は”晴れの国おかやま”だ。
そういえば倉敷のマッサージ店の人が言っていた。
「岡山は雨が少ないんですよ。隣町で雨が降っていても岡山では降らない。雨の確率が60%~70%であれば雨は降らないと思ってもいいですよ。よく雨の通り道って言うでしょう。岡山は雨の通り道から外れるんですよ。雨雲がとれるんですよ。」
まさか雨100%の確率なのに、ついさっきまであんなに雨が降っていたのに雨がやむとは思っていなかった。
これが奇跡というやつだ。
岡山の地元の皆さんの”おかやまマラソンを成功させたい”という強い思いで雨がやんだのだろう!!
いつもの他の大会と同じようにスタート前のセレモニーが始まった。
県知事や市長などもスピーチしたのだろうが誰が何を喋ったかは興味がないので記憶にない。記憶にないというよりも聞いていない。
しかし、有森裕子さんだけは別だった。
故郷の岡山でこんな大きなマラソン大会が開催されて嬉しいと言葉を詰まらせ泣いていた。一番大きな盛大な拍手が沸き起こった。
(おかやまマラソンのホームページに載っていた有森さんのコースレポートを読みましたよ。未知の地おかやまを走るシュミレーションをしました。勿論サブ4です。有森さんの地元岡山でプンプン丸はサブ4に復活します。)
やけに落ち着いていた。
嫌な予感も払拭されていた。
サブ4に復活できる自信があったからか。
それだけの練習を積み重ねてきたので平常心で計画通りに走ればサブ4は間違いなくできると思っていた。
焦らないで走ること。
自分が決めたペースを守ること。
自信をもって走ること。
自分の力を信じること。
今まで積み重ねてきた練習は決して裏切らない。
サブ4に復活できるだけの練習を積んできたんだ。
今日はその結果が出るだけだ。
雨あがりの空を見上げて何度も深呼吸を繰り返した。
(見ていてください。ブンブン丸は今日サブ4になります。3年9ヶ月の苦悩の日々は今日で終わりです。いつもいつもどんな時でもブンブン丸を見捨てずに見守っていただきありがとうございした。今日はその恩返しができる日です。応援してください。)
天に向かって話しかけていた。Pちゃんもミラノちゃんもウエストバックの中でブンブン丸を応援している。
8時45分号砲が鳴った。
18秒後にスタートラインを通過。いい位置だった。ロケットスタートをするわけでもなく、ほぼ考えていた予定通りのペースで走り始めることができた。
岡山市街地の桃太郎大通り〜市役所筋を走り抜けて郊外へと向かって行った。雨があがったばかりなのでアスファルトが濡れている。

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とてもいい気分だった。最初から5分を切るペースで走りたくなってしまったがそこはグッと堪えた。
(ダメだ、今ペースを上げてしまうと後で苦しむことになる。我慢しろ。焦るな❗️)
05キロ グロス26"28(計画26"45)
10キロ グロス52"45(計画53"00)
岡山市街地を抜けて住宅街を通り次第に郊外へと風景が変化してきた。田園風景の広がる中を市民ランナーの集団が颯爽と走っている。その集団の中の一人がブンブン丸だ。殆どがAかBのゼッケンをつけたランナーだ。
15キロ グロス1"19"21(計画1"20"05)
20キロ グロス1"46"16(計画1"47"10)
中間 グロス1"52"08
周りのランナーのゼッケンを再確認した。まだAかBだ。稀にCを見かけるがDEFG…といった後方からスタートしたランナーはあまり見かけない。自分のペースはいつの間にか4年弱の間にABと同等になったのだと思うと嬉しかった。
やはり練習は裏切らないのだ❗️
焦らない
腐らない
諦めない
そんな風にやってきた結果だ。
中間地点の記録も谷川真理ハーフを越えていた。
間違いなくいけると思った。焦ってペースを上げて心臓がへたらない限り大丈夫だと自信をもった。
25キロ手前で笹ヶ瀬川を渡り、右側に大きく広がる水面が見えてきた。これが児島湖だろう。
25キロ グロス2"13"28(計画2"15"05)
もう少し進むと中央卸売市場らしきものが見えてきたのでこの裏手が岡山港だろうと思った。
もうすぐ30キロだ。ペースは堅実に守っている。もっと速く走ってもよかったような気がしたが焦らないで自分を信じろと決めたはず。
まだまだ余裕があるような気がした。
しかし、いつも感じることなのだがマラソンは30キロが一つの区切り。ここまで来るとさすがに疲れがみえる。
焦るな 焦るな 焦るな
余力を残せ…
30キロ グロス2"41"33(計画2"43"00)

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旭川にかかる岡南大橋だ。30キロを過ぎてランナーの疲労が出てくる精神的にも苦しい場所で登り坂を駆け上がらなければならない。
根性不足で歩いてしまうランナーもちらほら見かけられた。
一般の応援者、ボランティアの方が一生懸命親切に声援を送っていた。
まるで自分が走っているかのようにしかめっ面をして、苦しそうな表情をしている方もいた。
「苦しいのは気のせいだ。足が痛いのも気のせいだ。」
「登りはあと少しで終わりです。頑張ってください。」
「あと50mで下りですよ。頑張ってください。」
必死に走っていた。
やはり登りは心臓に堪える。どんな小さな登りでも心筋が40%も壊死しているのだからきつい。このきつさ、辛さは健常者にはわからないかもしれないが、心拍数が上がって心破裂してしまうのではないかという不安と恐怖にさらされる。無酸素運動になって心筋梗塞が再発するのではないかという恐怖にさらされる。
そういえばタイムばかりを気にしていて心拍数を気にしていなかった。
それだけサブ4のことで頭がいっぱいだったのだ。初めてといっていいくらい心拍数を確認した。
160を超えていた…
(やばい。でも大丈夫だ。もう少しで下りだ。もう少しの辛抱だ。俺の心臓よ、もう少しだ。頑張ってくれ!)

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下りになった。
あとは平坦なはずだ…
おりきった。(ホッ)

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心臓が耐えてくれた。
インターバルをしなくてもペース走、ビルドアップ、LSDを繰り返し行えば心臓は強くなる。根気はいるが強くなることが証明できた。

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ペースを落とし始めた。
30キロを過ぎたらキロ6分でいい。
そう思うと凄く気が楽だ。
ペースを落としたと言うと聞こえはいいが実際は落ちてしまったというのが正解だろう。計算通りにペースが落ちた。
しかし、京都やかすみがうらとは明らかに違うペースダウンの感覚。
心臓はまだへたっていない。疲れは出てきたが、ペースは落ちてきたが限界が近づいてきたわけではない。
それは走っている本人が一番よくわかる。
誰にも負けないくらいの練習をしてきたのだ。
恥じないだけの練習をしてきたのだ。
全ては今日のためだ。
おかやまマラソンでサブ4になるためだ。
疲れているが限界ではない。
余力も根性も残っている。
35キロ グロス3"11"33(計画3"13"00)

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旭川沿いを走っていた。このまま進むと岡山後楽園や岡山城が見えてくるはず。岡山城が見えれば40キロが近い。
タイムを確認してサブ4が着々と近づいていることを認識した。
岡南大橋から心拍数は高止まりしている。ペースは落ちてきたがさすがにこれだけ走ってくると心肺が弱ってくるので無酸素運動の領域に入ったのかもしれない。
既往性の心筋梗塞者(心筋梗塞を発症したことがある者)が一番やってはいけないのが無酸素運動だ。
もう一段ペースを落とすべきか悩んだ。もう少し落としてもサブ4はいけるだろうと思った。すれすれではあるが大丈夫だろうという気がした。
何が起こるかわからない。サブ4を達成した後も元気でいなければならない。無理なくサブ4を達成したい…
しかし、すれすれの状態でペースを意識的に落とすことはそう簡単にできることではない。勇気がいる。
京都もかすみがうらも37キロで身も心も限界に達して終わってしまった。
おそらく心臓が限界になったから…
無酸素運動の領域が長く続いて危険とされる領域に入ってしまったから?
葛藤が続いた。ほんの数十秒程度だろうが、とてつもなく長い間悩んだように思える。
今回はどうなのか。
もうすぐ37キロ
鬼門の37キロだ。
今度こそ心臓の限界は来ないで欲しい。
かすみがうらが終わって約半年。焦らず腐らず諦めずにやった練習で心臓は強くなっているはず。
だから限界はまだ来ない…
余力を残して走れるはず…
俺の心臓はまだまだ限界には達しない!
自然の流れに身をまかせた。
不安、希望、期待…
いろいろな思いが脳の中を交錯している。
37キロ
大丈夫。
限界は来なかった。
やっぱり練習は裏切らない。俺の心臓は着々と強くなっている。
(あと皇居1周分でサブ4だぞ。もう少しだぞ。よくここまで頑張ってきたな。ブンブン丸よ、もう少しだ。サブ4のタイムリミットまであと36分だ。)

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岡山城が見えたが景色を楽しんでいる余裕はない。
やはりフルマラソンは辛い。
景色よりもここまで来るとサブ4のことで頭がいっぱいだ。
油断はするな。最後まで何が起こるかわからないのだから…
突然胸が痛くなって倒れる危険だってある…
あの香港の二の舞はご免だ。
だから焦らず無理せずいつもの練習のように余裕をもって走ろう。
(心拍数よ、下がってくれ)

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40キロ グロス3"43"03(計画3"44"40)
(タイムリミットまであと17分、行け〜、もう少しだ。)
最後の給水も取った。コップを2つ取り、左右で少しずつ口に含んで潤した。
もう一つ取って今度は首筋にかけた。
水分が不足していると、脱水していると血液がドロドロになる…
香港のようにはなりたくない…
再発なんかしてたまるか…
だってもう少しで終わりなんだよ。
フィニッシュまであと少しなんだ。
JRの上を横断する陸橋が見えてきた。登り坂だ。もう坂はないと思って安心していたのでショックが大きい。
そういえばスタートしてすぐに反対側からこの陸橋を越えてきたなと思い出した。だから帰路にもう一度渡るのは考えていれば当たり前。スタート時は何とも思わなかったこの坂は、40キロを過ぎてから目の当たりにすると絶壁のように映る。
30キロ過ぎの岡南大橋に比べればこんなもの何ともないと言い聞かせた。
しかし、登り坂はないと思っていたのでいざ登りに向き合うと気持ちを立て直すのはたいへんだ。

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何とか陸橋を越えた。思わず天を仰いで目線と顔を元に戻したときに体がぐらついた。
疲れている。気持ちも疲れている。3年9ヶ月の大きな思いをこの小さな体に背負って走り続けているのだ。約半分になってしまった心臓機能で走り続けているのだ。
ここまでよくやってきたと自分を褒めてあげたい。
有森さんもここにいる。自分で自分を褒めてあげたい。
ここまでこれて幸せだ。
普通だったら階段でさえも息を切らして不思議はないのにフルマラソンを走っている。しかもサブ4復活を目の前にしている。
苦しくなんかない。
神様見ていますか。ブンブン丸の勇姿を見ていますか。
思わず涙が出そうになった。
こんなに強い身体に戻って感謝でいっぱいだ。
サブ4復活の瞬間が近づいていた。
どんな気持ちでどんな感情でフィニッシュするのか自分のことではあるが興味があった。
どんな気持ちになるのだろう?
感極まって涙が流れるのか?
満面の笑みなのか?
いろいろと想像したがどうなるかはわからない。
終わってみないとわからない。
サブ4は間違いないという気持ちを必死に抑えた。
心筋梗塞が多いのは終盤。フィニッシュ目前に倒れることだってある。
だから確信してはいけないと言い聞かせながら走った。
ここまで来たら何も起こらないよう石橋を叩いて渡るほどの万全の注意を払うことが必要だと言い聞かせた。
まだ喜んではいけない。
まだ終わっていない。
終わるまで信用してはいけない。
サブ4を信用してはいけない。
確信してはいけない…
41キロを過ぎた。もう少しだ。
香港のこと。◯田さんのこと。緊急手術のこと…
いろいろな今まで起こった3年9ヶ月の間に起った出来事がくるくると頭の中を回る。
バイパス手術直後に
”世界で一番遅いランナーでいいから走りたい”
と思っていた気持ちは、今
"サブ4"という形に変わって結果を出そうとしている。
"世界で一番遅いランナー"という大きな大きな夢を越えた。
それどころか、普通の市民ランナーと同等、いやそれ以上のところまで復活した。
これは奇跡ではない!!
まぐれではない!!
1日や2日、1週間、1ヶ月の短期間で復活できた奇跡なんかではない!!
ブンブン丸の諦めなかった努力の証だ!!
これこそ軌跡だ。
俺の足跡だ!!
焦らない
腐らない
諦めない
の集大成だ!!
胸の中にいる自分が誇らしげにガッツポーズをしているのを感じる。
ホッとしてにこやかに笑っているのを感じる。
嬉しくて嗚咽しているのを感じる。
どう表現していいのか困るほどの感情が頭、脳、身体全体を駆け巡っている。

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ついに陸上競技場に入った。

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ラストスパートをかけようと思った。
しかし、この瞬間のこの感情をいつまでもいつまでも、永遠のものにしたかった。
終わらないで欲しい。
今が一番幸せな瞬間だ。
凄く冷静だった。
誰かと競走しているわけではない。
ここまできたら、サブ4であるならば10秒程度記録が悪くてもそれは許せることだ。
この瞬間を少しでも長く感じていたい。
だからラストスパートはかけなかった。
ゆっくりと噛みしめながらトラックを走った。
嬉しいという感情はとっくにとっくに通り越している。
何事にも変えられない今までに経験したことのない感情だ。文章にすることが不可能なくらいの感情の高ぶりだ。

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万歳するわけでもなく、たんたんと静かにタイムを見ながらいつものようにフィニッシュシュゲートを通過した。
グロス3時間56分58秒(計画3"58"40)
ネット3時間56分40秒
今まで神様はいないと思っていた。
心筋梗塞にかかるまではいないと思っていた。
そんなものはいないと思っていた。
信じたこともない。
でも、振り返ると神がかり的なことの連続だ。
香港の2キロ地点で命を落としていても何の不思議もなかった。
あの激痛は忘れることができない。一瞬で心臓が変だとわかった。
死にたくないと思った。死んでしまうかもしれないと思った。
意識が飛びそうになったのに、失いそうだった意識はなぜか失わなかった。
その後夢遊病者のように14キロまで走っていた。
症状が戻り、回復したような錯覚…
強硬退院…
喫煙、飲酒、服薬拒否、飛行機搭乗etc…
それでも神様は見放さなかった。
帰国後に行くつもりのなかった病院は神様の代弁者○田に促されて行った。
そこでも入院自主延期…
それでも神様は見放さなかった。
カテーテルから緊急冠動脈バイパス手術…
合計11時間以上も要した。
生きている。
何だかわからないが生きている…
これが奇跡でなければ何を奇跡と呼ぶのだろうか❗️
神様がいるとしか思えない。
神様が助けてくれたと信じたい。
神様はいるんだと思いたい。
神様に守られて命を繋ぐことができた。
その後は自分の信念だ。
負けるものかという強い意志だ。執念のようなものだ。
焦らない
腐らない
諦めない
三原則の強い意志だ。
危ないことはたくさんしてきたが、それを静かに見守ってくれる何かがあった。
神様はいつも無言で見守ってくれた。時には注意信号を発してくれた。
京都では「これ以上は危ないよ」と胃に不快感を与えて知らせてくれた。
苦しいと思ったことはない。
辛いと思ったこともない。
走れることが嬉しかった。
どんなに遅くても走れることが嬉しかった。
人生で一番努力した3年9ヶ月。この努力、十代でやっていればきっともっと大成していただろう。
涙はなかった。
ランナーの邪魔にならない所へ移動して一礼した。神様への感謝をこめて深々と頭を下げた。
アミノバイタル時代からのことを思い出した。たくさんのコーチの方に出会った。ご指導頂いたたくさんのコーチ、スタッフの方々にも一礼した。
"もう一度サブ4になりたい"そんな気持ちをもったのは、直向きなサブ4への思いを抱いたakiさんと話ができたから。純粋に自分もサブ4になりたいと思った。今日それをとうとう叶えた。お先に失礼してしまった。一礼した。
合わせて三礼し、完走メダルが首にかかった。
トラックの横を通って陸上競技場の出口に向かった。
トラックを眺めながら今日一日を振り返った。
口元が震えそうになった。
(ダメだ。たかがサブ4だ。サブ3ではない。ただのサブ4だ。サブ4になったくらいで涙はいけないよ。我慢しろ…)
ぐっと堪えて陸上競技場を後にした。
これで終りなのか?通過点なのか?
まだわからない。
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