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疲労骨折について

疲労骨折とは
正常な骨に通常は骨折を起こさない程度の負荷がかかり繰り返し加わった場合に生じる骨折。針金を同じ部位に繰り返し折り曲げたり伸ばしたりするとその部位で針金が折れるのと同じ現象。また、筋肉が疲労して骨にかかる応力を打ち消す機能が低下するとさらに強い負荷がかかることになり、疲労骨折が惹起される。応力負荷のみならず筋肉疲労も重要な関係にある。スポーツの負荷が繰り返し同一の骨にかかるマラソン競技に発生する。

疲労骨折の症状
局所の疼痛がみられる。また骨折部位の腫脹、隆起などがみられる。痛みの症状は、運動の始まりに痛みが強く出て、途中は痛みが軽くなる。運動終了時から終了後にかけて痛みが強くなる。運動を休んでいる間はほとんど痛みは出現しない。

疲労骨折の診断
●X線(レントゲン)
骨折の初期には異常を示さない。骨折1ヶ月程度で骨膜反応という骨折の修復により異常がわかる。
●CT
X線で診断がつかない場合、CTであれば診断可能。
●MRI
X線で診断がつかない場合、MRIであれば診断可能。

陸上競技で疲労骨折の多い部位
●中足骨(足の甲)
足の人差し指(第二中足骨)と中指(第三中足骨)の骨に起こりやすい。
足の裏はアーチ構造によって衝撃を吸収している。しかし外反母趾や土踏まずが消える偏平足でアーチ構造が失われたり、オーバートレーニングで足裏の筋肉が疲労してしまうと、衝撃を処理することができずに中足骨にダイレクトに衝撃がかかってしまう。これが中足骨疲労骨折の原因になる。
●脛骨(すね)
膝下にある2本の骨のうち脛骨(太い方の骨)に起こりやすい。※細い方の骨を腓骨という。
この部位の疲労骨折はシンスプリント(脛骨過労性骨膜炎)との違いを見極めるのが難しい。シンスプリントは、すねの骨に沿って10cmほどの範囲に鈍い痛みが走る。筋肉痛とは違い、筋肉がすねの骨膜を引っ張って起こるスポーツ障害。
対して脛骨疲労骨折は、痛みの範囲が局所的なものになる。
脛骨疲労骨折とシンスプリントは主な原因がすねの周辺の筋肉の疲労だといわれること。運動をやめると痛みが治まったり、レントゲンチェックが難しい場合があるなど似通っている。シンスプリントは骨膜の炎症だが、すねの部分に過度な負担がかかっている点で放っておくと疲労骨折に繋がる危険がある。

疲労骨折の治療
●安静
疲労骨折がみつかった場合すぐにそのスポーツの練習を中止する。必要に応じて固定(ギブス)や松葉杖の使用を4週間から8週間行う。しかし、激しい負荷がかかる運動選手の場合は12週間から16週間までの安静が必要になることもある。
●リハビリ
安静期間のあとはリハビリを開始する。まずは運動を禁止して日常生活だけのリハビリを行う。その後徐々に運動を再開するが、痛みが生じない範囲に制限する必要がある。疲労骨折の場合、同じ部位が再骨折する可能性が高いので慎重に運動を再開する必要がある。
●手術
転移の著しい疲労骨折の場合、手術が必要になる。ただし手術後のリハビリが最低6ヶ月必要となる。
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今の状況

予想に反して疲労骨折…
ショックだ!
まさか…

心筋梗塞後は練習もレースもゆっくりでしか走っていなかったため、かつてのようにラン後のストレッチやアイシング、冷水シャワー等ケアを怠っていた。マッサージへは行くが鍼で筋肉を緩ませることはしなくなった。
よくよく考えてみればサブ4を達成しようと決意してからは人並みに走っている。(人並み以上かもしれない)達成後は心が充実しており、練習に身が入るようになった。それなりにペースアップしたランを継続している。キロ4分台前半で走ることも日常茶判事だ。
それなのにストレッチをはじめとするケアを一切していない。これでは筋肉が硬直して元に戻らなくなるのは当たり前。怪我の大きな原因だ。
今回のことを踏まえて、疲労骨折が完治したらケアもトレーニングの一環と捉えて見直していきたい。

YEさんのハーフサブ1.5に向けた練習メニューで、自分も可能なところまでお付き合いしてサブ3.5に向けた起爆材料にしようと思っていた。YEさんの成長する姿を確認することも楽しみの一つだった。
6週間も走れない…(8月初旬まで)
すごく焦った。
今シーズンの目標は、まず3時間40分を切ること。
そしてサブ3.5に少しでも近づくこと。
それには夏が勝負と思っていた。
順調に治れば夏には走れるようになるが、怪我が癒えたばかりでは、いきなり強度なトレーニングは無理だろう。
焦った。
この大事な時期に…

そんな時、YEさんから「焦らない 腐らない 諦めない」ですよと…
そうか忘れていた。
自分で唱えていた大事な三原則をすっかり忘れていた。

焦らないで過ごしていこうと思う。
今できることは、最近全くやっていない筋トレの復活。
脛骨疲労骨折のためスクワットはできないが、腹筋・背筋・腕立て伏せを復活しよう。

ありがとう。
すっかりすっかり忘れてました。

疲労骨折…度重なる怪我

6月16日木曜日
この日の練習会は皇居2周10キロのペース走。Aクラス22分/5キロ、Bクラス24分/5キロ、Cクラス28分/5キロでBクラスに参加。雨の影響かAクラスでの参加希望者がなく普段はAの者がごっそりとBに流れてきた。
1周24分ということは4分48秒/1キロということ。余裕のはずだった。
しかし、この日先導したコーチがドンドンペースを上げて半蔵門に来た時はすでに4分30秒、桜田門に入った時は4分20秒を切っていた。まだまだペースアップする気配だった。このペースは完全にAクラス。1周で終わりなら最後までついていくが2周ある。とても心臓がもたないので危険だと判断してペースを落とすことにした。規定の4分48秒で1人孤独に走ろうと思った。しばらくは4分20秒で走ったが、Bの集団はドンドンと遠ざかっていった。
なんということだ。これじゃあクラス分けする意味がない。Bクラスに参加したはずなのに規定のペースより速く走っても置いていかれるとは何ということだ。ペースをつくっている先導しているコーチに対してすごく腹が立った。
あり得ないことだよ❗️

遅れて走ったのは自分だけではなかった。遅れた者どおし一緒に走ることにした。
10キロを走り終えて先導したコーチが待っていたので規定のペース以上で走ったことに対して苦情を言った。
雨の中、Bの後ろを走るCクラスの人達がペース走を終えるのを待つことにした。縁石の上に乗ってしゃがもうと腰をおろした瞬間だった。もんどりと尾骶骨、腰を縁石の角に打ちつけてしまった。滑ったのだ。激痛が…
翌日整形外科へ行きレントゲンを撮ったが幸い骨に異常はなく重度の打撲。1ヶ月は痛みがとれないとの診断。

6月21日火曜日
練習会の前に皇居を2周。その後いつものように練習会に参加して皇居を1周。後ランと称してもう1周。
週末から少し右脛に違和感があり、後ランはゆっくり走ろうと思っていたのだが…
後ランの前に平川門のトイレに立ち寄っていたら一緒に走るメンバーが随分先へ行ってしまった。追いつかなくてもいいと思いながら走っていたのだが、半蔵門が近づくにつれて追いついてやろうと負けじ魂が湧き出てしまった。桜田門に入る前に4人に追いつき追い越した。あと2人前にいるはずだ。
皇居前広場の交番付近で1人背中が見えてきたので更にペースアップ。キロ4分10秒を僅かに切っていた。その時、今まで重くどんよりとした違和感があった右足に痛みが走った。あと1キロもないから大丈夫とペースを維持して大手門で捕えた。
もう1人の背中が見えた。
(どうせなら抜かしてしまえ。これで全員ごぼう抜きだ!)
更に更にペースを上げた。
(どうしても全員追い越したい!)
平川門手前で捕らえて遂に全員追い越してしまった。
走り終わった時に右足脛に激痛が走った。

翌日水曜日は歩くのも困難なほど足が痛かった。週末は那須でゴルフをしてブヨに刺されており、丁度その刺さった痕のあたりが痛くて毒がまわったのだろうと思い新宿の皮膚科へ行くことに…

足を触ることもせずに抗生物質を処方されたが全く治らない。
当たり前だ。これは虫刺されの炎症ではないのだ。このヤブ医者め…怒
痛みは引くことはなく、それどころか酷くなってくる。

6月23日木曜日
15キロビルドアップ。Bクラスで参加するつもりだったが足が痛くて走れるか不安。歩くのは痛くてもいざ走るとなると走れてしまうタイプなので大丈夫だろうと軽い気持ちでいた。とりあえずは前ランで状態を確認しよう。

ところが全く走れない。着地で激痛が走り10mですら走れないのだ。歩くのも困難なのだからそれは走るのはやっぱり無理だよなあと思い、皇居1周を歩いてその日の練習に代えることに…
練習会は欠席してびっこを引きながら歩き通した。

次の週末もゴルフ。先週に引き続き土日連チャンだ。最後は足が痛くてフォローの体制を保てずに歩くのも辛くカートに乗りっ放し。まるで骨折でもしたかのような痛み方だったので整形外科へ行った方がいいと判断。

6月27日月曜日
会社は半日休暇をとって吉祥寺の比較的大きな病院へ。皮膚科や整形外科などがある総合病院だ。
整形外科を受診し、足を見せて症状を話すとどこが痛いか医師が足の脛を押した。痛いのは一点。
『マラソンは何年やってますか。』
『7年位です。』
『疲労骨折ですね。虫刺されで痛いのは広い範囲。一点が痛いのは疲労骨折の特徴です。レントゲンを撮ります。でもレントゲンには映らないでしょう。疲労骨折はレントゲンに映らない場合が多いです。映らなかった場合はMRI検査をしましょう。今日は時間ありますか。』
『はい。』

予想通りレントゲンではわからず、午後からMRI検査をすることになった。
会社は半日休暇から急きょ有給休暇に変更した。

MRI検査の結果が出たので診察室に呼ばれた。画像を見せられ説明を受けたが、無残にもたくさんのヒビがあるのがわかる。
『脛骨疲労骨折です。疲労骨折は今回が初めてではないですね。』
『5年位前に一度あります。でも左足でしたが…』
『いや、右足も何度もありますね。疲労骨折をやった痕がたくさん残っています。気づかないうちに疲労骨折をしていた傷痕です。』
『そうですか。』
『マラソンは一点に小さな負荷が継続的にかかるため疲労骨折の度合いが高くなります。脛骨の周りにある筋肉が疲労によって硬直し、骨を引っ張ってしまうのも一因です。関節も変形していますよ。』
『どの位で走れるようになりますか。』
『最低6週間。そして3週間は安静です。松葉杖を使ってください。右足に重心を落とさないよう3週間松葉杖です。リハビリ室で松葉杖の使い方指導を受けてください。3週間後に脛骨の状況をもう一度見てその後どうするかを判断します。絶対安静ですよ。松葉杖使ってくださいね。くれぐれも歩かない。右足を使っては駄目です。』
『疲労骨折は歩くのや自転車、水泳などいいといいますが…』
『痛い時は駄目です。程度によります。痛くて我慢するのがたいへんな時は遠慮せずにいつでも来てください。受付は8時半からです。あえて薬は出しません。痛み止めは痛く感じさせないだけで治療にはなりません。治療の妨げになります。どこがどの程度痛いかわかった方が治療には有効ですから。』

笑顔でフルマラソンを走った日…2016東京マラソン

2016年2月28日 東京マラソン
大会数日前に社員食堂でFさんに声をかけられた。
『東京マラソンの目標タイムはどのくらいですか。』
『ネットで3時間48分だ。』
『そんな速く走って大丈夫ですか?そのタイム、俺より速いですよ。』
『大丈夫。大丈夫なんだ。』
『ほんとですか?医者はいいって言ってないでしょ。そんなに速く走っていいなんて言ってないはずですよ。やめてくださいよ。死んじゃいますよ。今度こそほんとに死んじゃいますよ。もういいでしょう。そんなにタイムにこだわらなくても…』
『・・・・・・』

にっこり笑ってごまかすしかない。
医師にはおかやま、つくばと連続サブ4になったことなど話していない。東京はそれより速く走ろうとしていることも勿論話せない。話せばそれは駄目ですよと言われるだけだ。
自分でこのくらいまでなら大丈夫と自己責任で走っているだけだから…
どこが限界なのかもよくわからず手探りで走っているだけなのだ。
危険な境界線がよくわからないので速く走ろうとすればするほど、タイムにこだわろうとすればするほど危険は大きくなる。
あと少しなら大丈夫と思っているといつか越えてはいけない大きな境界線を越えてしまうのかもしれない。身の危険(命の危険)が迫らないようにヤバイと感じたら
「ペースを落とす」
「歩く」
「やめる」
と決めているのだ。

ここまでくるとはっきり言って病気だ。
「走りたい病」
「速く走りたい病」
「もっと速く走りたい病」
「少しでも速く走りたい病」
誰にもこの病は治すことはできない。死んでも治らない。生まれ変わっても治らない。

マラソンを始めてから早いものでもう6年8ヶ月が経った。ゆっくりでしか走れない今の状態になってから4年。この状態の方が長くなってしまった。
インターバル練習で大の字になってハーハーしていた頃が遠い昔の夢のような出来事で、あれは真実だったのか今となっては疑いたくなってしまう。

心筋梗塞前に参加したフルマラソンが8回。心筋梗塞後に参加するフルマラソンがこれで9回目。とうとう追い越した。参加回数でも完走数でも追い越した。(心筋梗塞を発症した香港はDNF)

悔しいが、今のゆっくりペースで走る感覚がすっかり板についてしまった。
でも、こうなっても少しでも速く走りたいのだ。危ないとわかっていても速く走れるようになりたいのだ。

フルマラソンは数日前になると毎回恐怖心が芽生える。凄く怖い。前日になると明後日はこの世に存在しないのではないかと不安が先立つ。
だから、会社では1週間ほど前に後輩や部下を会議室に呼び出して仕事の引き継ぎをする。◯月◯日から会社には来ないかもしれない。この世にいないかもしれないから…
「またか」という顔をされるが突然いなくなるよりはましだろう。

今回も朝起きて、東京マラソンのパンフレットとコースマップを仏壇に供え
「無理をしないように走ります。」
と手を合わせた。
トイプードルのミラノちゃんにも別れを告げた。
(これで会えないかもしれないぞ。俺が死んでも帰りを待つなよ。もう帰って来ないんだからいつまでも玄関で待ってるんじゃないないぞ。でも安心しろ。俺は絶対死なない。夜には帰る。お前より先に死にはしない。)

数日前から左膝に違和感があり、生まれて初めてテーピングをした。
ちょっとだけ不安だった。最後まで脚がもってくれればいいがと…

今年から陸連登録のAブロックスタートの特典がなくなりEからのスタートだった。
一つ前のDブロックには最近RCに入会したYEさんがいたので途中まで一緒に行き、DとEに分かれる時にお互い頑張ろうとエールを贈った。

東京マラソンの参加はこれで3回目だが、今回はテロ対策の影響で荷物検査などがあり戒厳令といったような雰囲気。一番心配だったのは液体の持込制限があること。いつもなら500のペットボトルを片手に持って整列するのだがそれができない。苦肉の策でパックに入った水素水をこっそりとウエストバックにしのばせて検問をくぐりぬけた。脱水を避けるためにはいつでも水分を摂れる状態にしていることが重要なのだ。

総勢36,647人のランナーが所狭しと各ブロックの中でスタートを待ちわびていた。
セレモニーが終わり車椅子ランナーが先陣を切ってスタート。それを追うようにマラソンの号砲が鳴った。
20160228-091439_スタート
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おかやまやつくばのようにすぐに走り出すことはできなかった。少しの間は動かず、徐々にゆっくりと歩き始めた。4分30秒かかってスタートラインを越えた。予想していたより2分ほど早かった。Aブロックなら最低でも1キロ、速いランナーなら1.5キロ地点まで行っている時間差だ。この時間差を埋めるのは大変なことなのだ。公式タイムはスタートラインを通過した時からフィニッシュまでのネットタイムにして欲しいと感じる。

紙吹雪が舞った余韻の中を走り始めた。しばらくは渋滞で思うように走ることはできない。
空いているスペースを見つけては縫うようにジグザグ走行をした。少しでも早く先へ進みたくて余分なエネルギーを使ってしまう。
短気なのでいつまでも気長に待っていられない。
「焦らない 腐らない 諦めない」
とは相反するが…

青梅街道に入り歌舞伎町を横目に新宿区役所を通り過ぎた。この後は曙橋から飯田橋へと走っていく。
少しではあるが徐々に人がばらけて走りやすくなってきた。飯田橋から竹橋へ向かう途中でPUMAの応援をいただいた。Oさんの大きな声援が耳に入り、あと30数キロ頑張ろうと気合いが入った。

皇居だ。いつもは歩道を走っているが東京マラソンは車道だ。しかもいつもとは逆の時計回り。練習の時とは若干違う景色を楽しみながらランナーの集団に飲み込まれるように走っていた。
いつの間にか10キロを過ぎていた。スタートの4分30秒を差っ引けばほぼキロ5分ペース。
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皇居に別れを告げてこれから日比谷公園~増上寺~田町~品川へと向かう。
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品川の約16キロ地点で最初の折り返しがあり、そのまま反対車線をひたすら戻る。そして日比谷公園のやや手前が20キロ。
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中間地点21.0975キロの通過タイムは1時間50分15秒(ネット1時間45分45秒)でキロ5分ペースを死守していた。
しかし、徐々に不安視していた膝の違和感が増して少しずつペースが落ちたような感じがした。
20160228-111008_品川折り返し
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25キロ付近だろうか?お互いエールを交換してDとEに分かれたYEさんに追いついた。右前方に見覚えのあるゼッケンが視界に入ったので、まさかと思って顔を覗き込んだらYEさんだった。
声をかけたらビックリした様子だったが、こんなところで私と一緒に走っているレベルの人ではない。
「僕にかまわず先に行って」と言ったらそのとおり冷たくも(笑)一気に走り去ってしまった。
しばらく一緒に走りたいような気もしたが後の祭りだった。
膝の調子も良くなかったのでとても追いつくことはできず、背中がどんどんと遠ざかり、数分後には見えなくなった。
自己ベストおめでとうございます。そして直後の名古屋サブ3.5もおめでとうございます。
私がかつて目指していたものを次々といとも簡単にクリアしてしまう姿に感激です。
私の魂を差し上げるので是非私がやりたかったサブ3も達成してほしいと思った。
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浅草を過ぎて折り返し、28キロ付近で会社の方の応援があるので左端を走りながら人並みの中を探した。一番前列で手を振ってくれていたのですぐにわかり、軽くハイタッチをした。へばる前の姿だったので面目を保てたかな?と思った。

いくら心肺機能が人並以上といってもやはり心筋は40%死んでいる。フルマラソンは心臓への負担が想像以上にかかる。
30キロを過ぎるとそれを顕著に感じる。これは神様からの注意信号なのだ。
胃がおかしくなるのだ。むかむかする。吐き気がするが何も吐けない…
そんな症状が出た時に対処しなければならない方法は三つ。
①勇気をもってDNF(途中棄権)
②歩く 回復するまで歩く
③ペースを落とし、目標タイムのことは考えない(命が大事)

昨シーズンは何度も悩まされ、京都は②で対処。かすみがうらは③で対処してサブ4を諦めた。

今シーズンもつくばは②だったがおかやまを上回る3時間51分でフィニッシュできた。
今回の東京は30キロ手前から若干胃に不調を感じた。このまま頑張って35キロあたりから歩きを入れるよりも、勇気を出してペースを落とし、遅くても最後まで歩かないことを目標にしようと気持ちを切り替えた。

30キロ
グロス2時間38分29秒
ネット2時間33分59秒

20160228-114831_30キロ
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やばいと感じる前に少しペースを下げて胃の不調を最小限に抑えたい。
目標タイムをクリアするには残り12キロ強を1時間10分。平均でキロ6分ペースを下回ればいいので、よほどのことがない限り大丈夫だろう。頭の中で計算をして具合いが悪くならないようにあと12キロを走り切ろうと考えた。

38キロ付近の豊洲でおばさんとakiさんの応援がある。その時にみっともないヘタレ走りは見せたくないので1キロ程度手前から少しペースを上げて頑張っている姿を見せたいと思った。

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ひたすら道路の左端を走った。前の方で見ていてくれれば走ってくるのに気づいてくれるはず。そして、ふいに声をかけられてもわかるようにするためだ。
まだ豊洲ではないが2キロも進めば(2キロもないかな?)豊洲だろうと感じていた。
いつペースを上げてしっかり走っている姿を見せようかと考えていた丁度その時、予想に反して
『あっ、ブンブンさんだ。頑張って!』
という声援にハッとした。
まだペースを上げる前の多少ヘタレ走りをしている時だった…
『あ、どうも』
斜め左後ろを振り向き軽く会釈をして手を挙げた。
もう少し手前からペースを上げておけばよかよかったと後悔したがもう遅い。しかとヘタレ走りを見られてしまった。
応援ありがとうございました。一瞬で終わってしまったが、「頑張って」と声援されることを励みにここまで来れた。

次はおばさんの声援だ。
豊洲交差点に近づいたので必死にキョロキョロと応援者の中におばさんがいないかと探した。交差点に突入した時は必死に探した。
でも見つけられなかった。これだけ人がいるのだから仕方がないと思いながら残り約4キロを楽しむことにした。
おばさんは大きな声で何度も私の名前を叫んだそうだが、私は残念ながら気がつかなかった。声援ありがとうございました。

以前はこのくらいの距離になると
「あと4キロもあるのか」
と思っていたフルマラソン。
今回は
「あと4キロしかない」
と感じながら走ることができた。
「終わらないで欲しい」
が実感だった。

フィニッシュまで時計は見ないことにした。目標タイムは間違いなくクリアできると感じていたし、時計を見てしまうと必要以上に頑張ってしまうことがわかっていたからだ。3時間48分より速く走ることは可能だったかもしれないが、速く走る必要はないと思った。何事もなく無事に終わるのが一番の願いだから…
今日は3時間48分で十分なのだ。

40キロを過ぎた時、マラソンを始めて初めてガッツポーズをした。感情をひた隠すタイプなのでこんなことをするのは珍しい。
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41キロを過ぎた。もう少しで終わりだ。満面の笑みが自然とこぼれた。いろんなことが蘇る。
北海道の敗北、吉田選手に誘われて入会したアミノバイタルAC、神戸の敗北、香港、救急車、病院、手術、奈落の底、大阪の復活ラン、谷川真理ハーフ、大阪の復活フル、京都、おかやまの復活サブ4…
今、東京を走っている。
こんなに元気に走っている。
こんなに楽しく走っている。
苦しくなんかない。
辛くなんかない。
今感じるのは楽しいということだ。
嬉しいということだ。
幸せということだ…
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大阪マラソンチャレンジランで復活したあの日…
吉田香織さん(選手)から
”笑顔でフルマラソンを走れる日を楽しみにしています”
というメールをいただいた。
今、ここ東京でそれを実現した。
笑顔でフルマラソンを走っている。
現実のものになった。
夢ではない。現実だ。

諦めなければ夢は叶う!
笑顔でフルマラソンを走れる日が本当に訪れた❗️

焦らない
腐らない
諦めない

一歩ずつ進んでいけば夢は現実の世界へと変貌する。

涙もない
悔しさもない
あるのは満足感からくる笑顔!
満面の笑顔だけだ!

マラソンが楽しいと感じた。
すごく楽しいと感じた。
走ることによって笑顔になれる。
”マラソンは楽しくなければマラソンじゃない”
今、今初めてわかったような気がする。

フィニッシュしてすぐに後ろを振り向きいつものように三礼した。
今回は深々と腰から曲げてお辞儀をした。

ネット3時間48分10秒
グロス3時間52分40秒

2011年11月神戸マラソン以来4年3ヶ月ぶりのネット3時間40分台。(神戸3時間48分12秒)
目標どおりだ。
神戸を2秒上回った。
そして今シーズン走った3本のフルマラソンはすべてサブ4という結果になった。
でも、一番嬉しいことは何事もなく今日も元気でいられることだ。
笑顔でフルマラソンを走れたことだ。

ネットでの自己ベスト(PB)まであと9分少々。いつか「PBを狙います」と言えるようになることを力にしていこうと思う。
PBという夢を力に…

笑顔でフルマラソンを走った日
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第17回ハイテクハーフマラソン

2016年1月10日
第17回ハイテクハーフマラソン

目標は1時間45分に設定。ここ3年間は漠然と参加していただけだったこの大会。久しぶりに目標とするタイムを設定することができた。これもサブ4を達成できた自信からくるものなのだろうか。

今年も1月の河川敷大会だというのに暑くなりそうな気配だった。
去年までは記録に対するこだわりがなかったため、整列準備はスタート時間すれすれまでしなかった。
しかし、今年は明確な目標がある。そして東京マラソンの調整レースとしても考えている。
したがってウェーブの前の組がスタートする前からいい位置を陣取るために待機した。

①20160110-101557ハイテクスタート直後
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いい位置だった。1時間45分が目標ということはキロ5分ペースを僅かに切らなくてはならない。できる限り5分以下。折り返し地点までは4分50秒くらいで走って貯金をつくりたいというのが作戦だった。
端から見るともう誰も自分が心筋梗塞を患った半身体障害者だとはわからないほど普通に走っていた。足も綺麗に上がっている。

②10時20分
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東京マラソンで3時間48分台を出すには是が非でもハーフマラソンはキロ5分ペースを切りたいと考えていた。
これを確実に実行するにはやはりペース配分が重要だ。
前半飛ばし過ぎると心拍数が高止まりしてしまい思うように走れなくなる。余裕があっても我慢をしながら抑えて、後半になっても勝負できるような状況をつくらなければならない。

③11時52分
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暑かった。日差しも強く気温が上がり、長袖アンダーもグローブもいらないほどだった。とても暑かった。

そして、毎年思っていることなのだが、今年はとくにひしひしと感じたことがある。
それは、この大会は給水ポイントが少なすぎる。用意されているドリンクの数も少ない。
混雑しているので少し先へ行ってから取ろうと思い、一つ目のテーブルをパスすると給水ポイントが終了してしまう。取り損なってしまうのだ。
3キロ程度の間隔で水とスポーツドリンクを交互に設けて数も増やして欲しいと切にお願いする。
喉の渇き、脱水の恐怖と闘うことは心筋梗塞を経験した者にとって想像を絶するものがある。

④11時53分11
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4分45秒〜4分55秒の間で14キロまで走り続けていた。まだ一度も1キロのラップで5分は超えていない。

しかし、暑さで喉の渇きが限界に達して疲れを感じてきたのかペースがやや落ちた。14キロ〜15キロの1キロで初めて5分を超えてしまった。

今辛抱して粘らなければ目標は達成できない。
落ちそうなペースを必死に食い止めるべく頑張った。5分を僅かに2秒だけ切った。次の1キロも2〜3秒切った。

⑤11時53分22_
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(ペースを上げろ。今上げることができなければ東京マラソンで3時間48分など出せないぞ。踏ん張れ、踏ん張るんだ。)

懸命にペースを上げた。
18キロ 19キロ 少しずつペースが上がってきた。
ラストスパートをどのタイミングでかけるか迷いながら走った。19キロでは早過ぎる。20キロ?それともラスト1キロか?

気がついたら20キロを過ぎていた。
沿道からの「あと1キロ」という掛け声にハッとして慌ててラストスパートをかけた。
ここは一段目のスパート。二段目はラスト500mだ…
去年と比べるとどことなく上がっていないような気がした。

それでも今できる可能な限りの力を振り絞り、且つ心拍数を確認することも忘れずに抑えながら走った。

⑥ハイテクゴール
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グロス 1時間43分08秒
ネット 1時間43分02秒

目標を達成しフィニッシュゲートに向かって三礼した。
欲を言えば1時間42分台に突入したかったがそれは次回にとっておくと思えばいい。

⑦ハイテクスマイル
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2013年のこの大会は制限時間オーバーだった。そこからとうとう3年で1時間も記録を短縮した。
"俺は恥なんかかいていない"と気づいたあの日、今日という日が訪れることは予想すらできなかった。
もうすぐ1時間40分を切れる位置まで復活できるとはこれっぽっちも考えることはなかった。
4年間(発症から)という月日は長いように感じるが、過ぎてみるとまるで昨日のことのようだ。
ここまで来れた理由は何なのか?

やはり

焦らない
腐らない
諦めない

に尽きる。

一歩一歩少しずつ進歩している。
進歩が実感できる。

生きていて良かったとつくづく思う。

清々しい笑顔だった。
”いつでもどんな時でもその時にできる最大限の力を出し切る”
それができれば悔いなど残らない。

心筋梗塞から復活後のPBであるが、常に復活PBを狙っている訳ではない。
季節、天候、体調、コース条件などの状況を見極めてその時にできる最大限の力を出すべく自分に負けないことだ。

敵は己の心の中に潜む楽をしたいという悪魔だ!

次のハーフマラソンの目標ができた。
まずは1時間42分台…
そして、1年後のこの大会では1時間40分を切る。

夢ではない。目標だ。

東京マラソンに向かって

11月8日と11月22日、中1週間で2本のフルマラソンを走り2本ともサブ4を達成できたことで自信に繋がった。心にゆとりができた感じでいい意味で緊張が解された。

休む間もなく11月24日から通常通りの練習を再開。次の目標は東京で3時間48分台を叩き出すことだ。

年末には毎年恒例となった皇居40キロ走を実行し、年が明けた1月にはこれも恒例のハイテクハーフマラソンに参加した。
そして1月下旬にはRC練習会の30キロ走を利用してプラス15キロの45キロ走。
東京マラソンでの目標達成に向けて着々と進んでいったのである。

新しい病院

入院手術から4年間通ったK大学病院を今年2月で卒業しました。今後は地元でかかりつけの病院をつくって4週に1回ペースで診察や検査を受けることになりました。大学病院へは年1回行けばいいそうです。

ということでゴールデンウィーク明けの土曜日に病院を変わりました。初診ということもあって血液検査、心臓超音波、心電図、胸部レントゲンなどを行い、6月11日の診察時に結果を聞きました。

全項目全て基準値内で異常はありません。
現在飲んでいる薬は下記の4種類です。
①バイアスピリン
血を固まりにくくするための薬です。手術後1年間はワーファリンも飲んでいましたが現在はこのバイアスピリンだけです。
②アイトロール
冠動脈を拡げるための薬です。心筋梗塞の再発を防ぐためには冠動脈を拡張させることが重要です。
③クレストール
コレステロールを下げるための薬です。心筋梗塞発症前からコレステロールは基準値内でしたが、再発を防ぐためには悪玉コレステロールを90以下に抑えることが重要なのだそうです。90以下という数値は健常者でも滅多にない数値のようで薬を使わないと下げられないようです。私の服薬後の数値は70です。そしてLH比というのが重要で、善玉コレステロールと悪玉コレステロールの比が2倍以上になると心筋梗塞発症リスクが高くなるそうです。私の現在のLH比は1.1です。
しかし、この薬は筋肉を破壊するという副作用があり、その場合はCKの値が高くなります。私の場合は左上腕部から脇の下、肩甲骨、背中と常に筋肉痛のような凝りがあり副作用と思われます。(CKは正常値)
④タケプロン
胃酸の分泌を抑える薬です。

これらの薬は悲しいことに一生涯飲まなくてはなりません。

薬ということで1年少々前に大学病院で勧められたもう一つの薬について思い出しました。
これは「β遮断薬」です。
高血圧の治療として血圧を下げるために服薬するものですが、私の血圧は極めて正常です。110 - 70くらいです。
当時の担当医が言うには、血圧云々ではなく心臓の働きを助けるために心拍数を上げないように抑制することが再発を防ぐために重要なのだそうです。
一瞬心拍数を上げないためと聞いてマラソンに役立つ。心拍数を気にせず走ることができる。と考えそうになりましたが、自分なりに出した結論は服薬拒否でした。
至極正常な血圧が下がって低血圧になる危険をはらんでいます。そして現在の安静時心拍数が45前後なのに更に下がってしまうことが考えられます。そんなに下げていいものなのか疑問でした。また運動中に心拍数が上がらなくなってしまうことが考えられ、危険とされる領域がわからなくなってしまう恐れがあります。
担当医からは、心臓に負担をかけないため。心臓に余計な労力をかけないため。と力説されました。心筋梗塞患者には一般的な薬だという説明もありましたが、自分が服薬する必要があるのか納得がいかなかったので最終的にも拒否しました。
自分の決断は間違っていないと確信しています。

今回新しい病院で医師がポツリと語りかけてきました。
『あなたはどうして心筋梗塞にかかってしまったんでしょうね?』

何度考えても悔しいです。何故?

『心筋梗塞を起こした人とは思えないくらい心臓の音がきれいです。心電図も健常者と変わらない。肝臓も腎臓も全てが正常。中性脂肪も50と低い。太ってもいない。全ておいて合格点。何故あなたが心筋梗塞に?このままの身体を維持してください。何も心配ありません。』

(マラソンもっと思い切り走ってもいいですか。)
そう聞いてみたかったのですが、いきなりそんなこと言えませんでした。
いつか聞いてみたいと思います。

サブ3.5の夢に向かって…(夢~目標~現実へと変えていきます。)

タイトルの変更

本日ブログタイトルを変更しました。

『急性心筋梗塞からサブ4復活までの軌跡』
去年12月12日にブログを始めて今年5月23日におかやまマラソンを公開。
ようやくタイトルに内容が追いつきました。

その後つくば、東京と2本のフルマラソンに参加しました。

東京マラソンを公開した時点でブログはTHE ENDかなと考えていましたが…

今の心境は「サブ3.5を目指したい」

非情なまでの難題です。
できるかできないかはわかりません。
しかし、可能な限りやってみたいと思います。

まずは3時間40分切りです。

ということでブログ継続
タイトル変更です。
『急性心筋梗塞からの生還 サブ4復活の軌跡とサブ3.5への挑戦』
チャレンジのレベルアップです。

つくばマラソン

2015年11月22日第35回つくばマラソン
午前3時半に起床。4時30分頃の中央総武線で秋葉原へ向かい、つくばエキスプレスに乗り換えて研究学園へ。
秋葉原ではガラガラ状態だった車内だが、各駅に停まるたび次第に人が増えてきた。
研究学園に着いたのは6時20分頃。ここからシャトルバスでスタート地点まで行く。つくばマラソン経験者からこのシャトルバスの行列がすさまじいと聞いていたが、時間が早かったため空いていた。待つことなくすぐにバスに乗ることができて何のストレスもかからなかった。
おそらく少し遅くなるだけで混雑具合が変わってしまうのだろう。

目標は3時間59分59秒でいいから再びサブ4になること。勿論グロスタイムである。
サブ4の座は死守してみせる…それが今日の最低限の仕事だ。

大学病院の検査は概ね3ヶ月に1回。前回行った夏の検査の時につくばマラソン1週間前の11月14日を予約していた。この検査で指摘されたのはCKの値。CKとはクレアチンフォスフォキナーゼで脳、骨格筋、心筋、平滑筋などが損傷し処理できなかったCKが血液に流れるもの。この値が高い場合に疑われる病気は心筋梗塞、狭心症、脳梗塞、筋ジストロフィーなど。しかし、激しい筋トレやマラソンをすると高くなり異常数値になる。これは筋肉が破壊されるためだ。筋肉痛がある時はCKが高いと思ってほぼ間違いない。

検査結果を見ながらT医師の質問が飛んできた。
『何か激しい運動をしましたか?』
『はい、やりました。』
『それならいいですけど。CKがだいぶ高いですよ…運動のせいですね。問題ないでしょう。』
ニッコリ笑いながら答えたので、自分もニッコリと笑い返した。
T医師は執刀医を除いて3人目の担当医。マラソンをやっていることは前医師からの引き継ぎで知っている。勿論カルテにも書かれている。
しかし、"おかやまマラソンを走ってきました"なんてことは言えない。
まさか"1週間後もフルマラソンに出ます"とも言えない。
でも、何も言わなくてもT医師はわかっている。激しい運動がマラソンだということはお見通しなのだ。暗黙の了解みたいなものなのだ。

とりあえず異常がなかったので安心してつくばマラソンに挑めるのでホッとした。

スタートはDブロックだが、今回からウェーブスタートを採用しておりABが9時、CDEが9時10分、それ以降が9時20分という具合。

グロスでサブ4を狙うために比較的早くからDブロックで待機した。モチベーションが上がらずに困っていたのが嘘のような張り切りようだ。吉田さんに感謝しなくてはならない。
Dブロックの前から10列目あたりを確保できたのでほぼCの最後尾といっても過言ではない位置だった。
失敗したのは早く並びすぎてトイレに行きたくなってしまったこと。これはもう我慢するしかない。

9時10分
号砲が鳴った。39秒後にスタート。まあまあの位置だ。
紅葉で銀杏の黄色が鮮やかな中をややゆっくり目に走り始めた。道路が狭いのでスピードは出せない。心配していたおかやまの疲労はもう感じない。CKは高いが筋肉痛がないので大丈夫。もしかしたら心筋梗塞発症前より強い身体になってしまったような気がした。

おかやまで走ったペースを思い出し、それとほぼ同じか若干ゆっくりでもいいんだぞと自分に語りかけた。

05キロ
グロス26"10(ネット25"31)
10キロ
グロス51"05(ネット50"26)

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順調だった。
初めてのつくばマラソン。平坦な地形と聞いていた通り、登り坂は1箇所程度しかなかった。
たくさんいたランナーは15キロも走ってくると次第にばらけてくる。
ペースを上げる上げないは自分の気持ち次第。作戦を守るか守らないかの判断だ。

15キロ
グロス1"16"23(ネット1"15"44)
20キロ
グロス1"42"01(ネット1"41"22)

キロ5分05秒くらいで走り続けていた。
おかやまの20キロ通過タイムがグロス1"46"16だったので4分以上も速い。
別に無理をして走っているわけではない。まだまだ余裕がある。
心臓に不安がなければもっともっと突っ込んで走ってみたかった。走りながら悔しいという気持ちが湧いてきてしまう。
あの香港の悪夢さえなければ自分は今もっとペースを上げて走っているはず。
息も切れんばかりにマシンガンのようにダダダダッ…と突っ走っているに違いない。
だから悔しかった。走れるだけで幸せだと思っていたはずなのに、レースに出られるだけで十分満足だった気持ちがどんどんどんどんエスカレートして欲ばかりが膨らんでくる。
人間とは何て身勝手な生き者なのだろうか。現状に満足することがない…(欲の塊だ)
もし、もしあの香港の悪夢がなければこのつくばで自分はどのくらいの記録を目標にしていたのか?
悔やんでも悔やみきれないが、どんなに悔しがっても現状を打破することはできないのだ。この現状は何も変わることがない。心筋梗塞を発症すると完治することがないので一生上手に付き合っていくしかないのだ。

それにしても不思議だった。2週間前におかやまで42.195キロを走ったばかりなのにそのペースを上回って走っている。
この身体はいったいどうなっているんだ?
俺の心臓はどうなってしまったんだ?
これって吉田香織さん効果なの…?

25キロ
グロス2"08"06(ネット2"07"27)
30キロ
グロス2"35"34(ネット2"34"55)

30キロが近づくにつれて徐々に胃のあたりがムカついてきた。
あの京都と同じような現象だ。京都の胃のムカつきに似ている。あれを少し軽くした感じ…
次第に胃を掌で押さえながら走ることが多くなった。
(やばい、やばい、やばいぞこれは)

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32~33キロで立ち止まりたくなるほどの不調が襲った。
表現が難しいが、胃が痛い。そして何か重いような胃のムカつき。吐き気も伴う…
表情も硬ばっている?すぐにでも横になって仰向けになって休みたい感覚だ。
(これはいったん歩かないとやばい。早めに歩けば何とか立ち直れるかもしれない。我慢はしない方がいい。)

そうは思ってもなかなか歩く勇気が出ない。
フルマラソンの目標は、勿論記録のこともあるがそれ以上に”一度も歩くことなく完走する”というのが最も大きい。一度歩いてしまうとたとえ記録の目標をクリアしても納得できないわだかまりが残ってしまう。
だから「もう少し、もう少し」と頑張ってしまう。我慢してしまうのだ。

葛藤が続いた。
この胃の不調は神様が危険を知らせている信号だ。だから、だから素直に従わなければならない。
自分の最終的な目標はサブ4を達成し続けることではない。
いつまでもいつまでも長く長くこれから何十年も走り続けることだ。
だから危険だと思ったら、これ以上は危険だと思ったら歩く勇気と時にはやめる勇気(DNF)が必要なのだ。
これからも走り続けたいのならば決断しなければならない…

34キロを過ぎたあたりでようやく決断できた。
(これ以上は無理するんじゃない。いったん歩かないと駄目だ。)

悔しかったが命が大事。これからも走り続けるために身体をいたわらなければならない。
勇気を出して歩いた。
(よっし、そうだ。これでいいんだよ。)
歩いた瞬間写真を立て続けに撮られた。こんなみっともない姿を写真に撮られたくないと思ったが連写されていた。せめてもの抵抗は具合の悪い顔はしないこと…
ぐっと我慢をした。

35キロ
グロス3"05"37(ネット3"04"58)

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1キロ以上歩いたと思う。
一度歩いてしまうとなかなか走ることができなくなる。もう少し歩きたいと思ってしまう。
目標をつくってあそこまで行ったら走ろうと考えるが、そこまで行くとやっぱりあそこまで…
京都のように極限まで我慢はしなかったので回復は意外と早かった。
1キロ少々歩いたら心臓がだいぶ休まったようで胃のムカつきが落ち着いてきた。吐き気もしなくなってきた。あとは再び走ろうという気力を取り戻すことだけだ。
さいたま国際での吉田さんを思い出した。あのレースを見て「つくば頑張ります」と誓ったはず。
(だから頑張れ。今頑張れ。もう一度走れ。走るんだ。ゆっくりでいい。まだまだサブ4は十分に間に合う。)

走り始めた。ゆっくりと走り始めた。
ペースを上げてまた胃に不調が出るのであれば、ゆっくり確実に亀のように最後まで走り続けた方がいい。

焦るな
腐るな
諦めるな

結果は自然とついてくる…

40キロ
グロス3"38"34(ネット3"37"55)

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フィニッシュの陸上競技場が近づいてきた。最後くらいはペースアップしたいと思い重い脚を必死に回転させることを心がけた。Nコーチが常々言っているタイヤが回転するように…
自分の意識ではタイヤをイメージしたが実際は脚が上がっていない。疲労ありありで理想と現実のギャップである。

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どんな状況でも全力を尽くす。その瞬間瞬間を大事にする。今頑張らなければ後になって頑張っても遅い。
今できる精一杯の力を振り絞って走る。

陸上競技場に入った。
1キロ以上歩いたが、再び走り始めた後はかなりのペースダウンをしてしまったがそれでもおかやまより速かった。

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不思議な気持ちでフィニッシュした。
グロス 3時間52分30秒
ネット 3時間51分51秒

普通なら"あそこで歩いてなければ"という思いがあるのかもしれない。
しかし、精一杯やった。
これ以上は1秒たりとも短縮することができない精一杯のところまで頑張った。
不満はない。後悔もない。
あそこで歩かなかったら京都のように具合が悪くなってラスト7~8キロの大半を歩くことになっていただろう。いや、DNFだったかもしれない。

そして1週間前のさいたま国際での吉田さんの走りがなければ今日の自分はいなかったに違いない。
吉田さん様様だ。

次の目標もできた。
2016年の東京マラソンで
ネット3時間48分台

明確な目標だ。
ブンブン丸の挑戦はまだまだ続く!

突然現実の世界へ

6月2日はRCの普通クラス練習会だった。
去年の秋口(おかやまマラソンの前)から普通クラスに復帰するようになったが、ずっとCクラスでの参加。
6月の練習日程と練習内容がわかった時点で6月に3回ある普通クラス練習会はBクラスにしようと決めていた。

昨日の練習内容は皇居3周15キロ変化走。前回参加した同じ内容のCクラスは3周とも自分がトップだった。少し自信がついたのでBに格上げしたいと思っていたのだ。

Aクラスは平川門〜桜田門までの約3キロをキロ5分ペースで走り桜田門〜平川門までの約2キロを思い切りペースアップして走るもの。これを3回繰り返す。
Bクラスはキロ5分30秒ペースからラスト2キロを思い切り。同じく3回繰り返す。
Cクラスはキロ6分30秒ペースからラスト2キロを思い切り。同じく3回繰り返す。

Bクラスの顔ぶれを見ると普段はAでいける人が多くいたのでこれはついていけるかなと不安になった。苦しいようなら途中でCに落としてもいい。そう思ったが、負けず嫌いな性格なので意地でもやり通すのだろう。Cに落とすことは現実的にはないはずだ。今は負けず嫌いといっても身体のことがあるので人との競争に負けたくないという考え方ではなく、自分に負けたくない。
決めたことは最後までやる。楽をしたいという己の心の中に潜む悪魔に負けたくないのだ。

予感は当たった。まず最初の3キロがキロ5分30秒というのは真っ赤な嘘で概ねキロ5分。瞬間的に5分を切ることもあった。
ラスト2キロを思い切り…
火曜日のRC練習会では、最後の1周をビルドアップしているが、調子のいい時は半蔵門〜平川門までを徐々にキロ4分10秒くらいに上げる。しかし、これはあくまで1周で終わり。今回は3周ある。だからいくら思い切り走れと言われてもペース配分しないと自分は3周続かない。
1周目はペースアップ最初の1キロを4分25秒、ラスト1キロ(桔梗門の交番から)を4分20秒で走ったがビリから3番目くらい。
2周目も同様だった。もう少し上げることは可能だが、心拍数が完全にオーバーしているのでこれ以上は怖くて上げられない。悔しいがこれが限界だ。
3周目は更に心拍数が上がってしまい、4分25秒から上げることが出来なかった。
ビリではなかったのが僅かな慰めだ。

悔しい。
悲しい。
思い切り走りたいのに走れないことが凄く悔しい。
心拍数が気になってしまう…
これ以上ペースを上げるとどうなってしまうかわからないので怖い…
既に無酸素運動の域に達していると思う。
もっと速く走りたいが走ることができない現状が悲しい。

生まれ変わったら倒れるまで限界まで思い切り走ってみたい。
今はそれができないので息があがっても立ち止まればすぐに回復してしまう。

走り終わった時に大の字になって暫くは起き上がれなくなるくらいまで限界まで走ってみたい。
昔はこの練習会(インターバル)でそんなことをしたことがあった。
何でこんな身体になってしまったのかと考えると悔しいが、それはいくら考えても何も変わることはない。


焦らない
腐らない
諦めない

でやってきてここまでどうにか辿り着いたのだ。
たとえビリでもBクラスで頑張っていけば今よりは速くなるはずだ。

だから諦めない。

そういえばキロ5分の繋ぎジョグが楽に感じた。キロ5分でも話しながら走って息があがらなかった。
もしかして、キロ5分ペースで30キロまでいけるのかもしれない。2時間30分…
そうなればそこからペースダウンしてもフルマラソン3時間30分台が可能?
悔しい中にも希望の光を見い出すことができた意味ある久々のBクラスだった。

Bクラスで走っている人には足手まといになって申し訳ないが、これからもBクラスで頑張って少しずつ心肺機能を高めていきたいと思う。

諦めない。
絶対に何があっても諦めない。
可能な限りもっと速くなりたい。
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