2016年2月28日 東京マラソン
大会数日前に社員食堂でFさんに声をかけられた。
『東京マラソンの目標タイムはどのくらいですか。』
『ネットで3時間48分だ。』
『そんな速く走って大丈夫ですか?そのタイム、俺より速いですよ。』
『大丈夫。大丈夫なんだ。』
『ほんとですか?医者はいいって言ってないでしょ。そんなに速く走っていいなんて言ってないはずですよ。やめてくださいよ。死んじゃいますよ。今度こそほんとに死んじゃいますよ。もういいでしょう。そんなにタイムにこだわらなくても…』
『・・・・・・』
にっこり笑ってごまかすしかない。
医師にはおかやま、つくばと連続サブ4になったことなど話していない。東京はそれより速く走ろうとしていることも勿論話せない。話せばそれは駄目ですよと言われるだけだ。
自分でこのくらいまでなら大丈夫と自己責任で走っているだけだから…
どこが限界なのかもよくわからず手探りで走っているだけなのだ。
危険な境界線がよくわからないので速く走ろうとすればするほど、タイムにこだわろうとすればするほど危険は大きくなる。
あと少しなら大丈夫と思っているといつか越えてはいけない大きな境界線を越えてしまうのかもしれない。身の危険(命の危険)が迫らないようにヤバイと感じたら
「ペースを落とす」
「歩く」
「やめる」
と決めているのだ。
ここまでくるとはっきり言って病気だ。
「走りたい病」
「速く走りたい病」
「もっと速く走りたい病」
「少しでも速く走りたい病」
誰にもこの病は治すことはできない。死んでも治らない。生まれ変わっても治らない。
マラソンを始めてから早いものでもう6年8ヶ月が経った。ゆっくりでしか走れない今の状態になってから4年。この状態の方が長くなってしまった。
インターバル練習で大の字になってハーハーしていた頃が遠い昔の夢のような出来事で、あれは真実だったのか今となっては疑いたくなってしまう。
心筋梗塞前に参加したフルマラソンが8回。心筋梗塞後に参加するフルマラソンがこれで9回目。とうとう追い越した。参加回数でも完走数でも追い越した。(心筋梗塞を発症した香港はDNF)
悔しいが、今のゆっくりペースで走る感覚がすっかり板についてしまった。
でも、こうなっても少しでも速く走りたいのだ。危ないとわかっていても速く走れるようになりたいのだ。
フルマラソンは数日前になると毎回恐怖心が芽生える。凄く怖い。前日になると明後日はこの世に存在しないのではないかと不安が先立つ。
だから、会社では1週間ほど前に後輩や部下を会議室に呼び出して仕事の引き継ぎをする。◯月◯日から会社には来ないかもしれない。この世にいないかもしれないから…
「またか」という顔をされるが突然いなくなるよりはましだろう。
今回も朝起きて、東京マラソンのパンフレットとコースマップを仏壇に供え
「無理をしないように走ります。」
と手を合わせた。
トイプードルのミラノちゃんにも別れを告げた。
(これで会えないかもしれないぞ。俺が死んでも帰りを待つなよ。もう帰って来ないんだからいつまでも玄関で待ってるんじゃないないぞ。でも安心しろ。俺は絶対死なない。夜には帰る。お前より先に死にはしない。)
数日前から左膝に違和感があり、生まれて初めてテーピングをした。
ちょっとだけ不安だった。最後まで脚がもってくれればいいがと…
今年から陸連登録のAブロックスタートの特典がなくなりEからのスタートだった。
一つ前のDブロックには最近RCに入会したYEさんがいたので途中まで一緒に行き、DとEに分かれる時にお互い頑張ろうとエールを贈った。
東京マラソンの参加はこれで3回目だが、今回はテロ対策の影響で荷物検査などがあり戒厳令といったような雰囲気。一番心配だったのは液体の持込制限があること。いつもなら500のペットボトルを片手に持って整列するのだがそれができない。苦肉の策でパックに入った水素水をこっそりとウエストバックにしのばせて検問をくぐりぬけた。脱水を避けるためにはいつでも水分を摂れる状態にしていることが重要なのだ。
総勢36,647人のランナーが所狭しと各ブロックの中でスタートを待ちわびていた。
セレモニーが終わり車椅子ランナーが先陣を切ってスタート。それを追うようにマラソンの号砲が鳴った。
allsports.jpおかやまやつくばのようにすぐに走り出すことはできなかった。少しの間は動かず、徐々にゆっくりと歩き始めた。4分30秒かかってスタートラインを越えた。予想していたより2分ほど早かった。Aブロックなら最低でも1キロ、速いランナーなら1.5キロ地点まで行っている時間差だ。この時間差を埋めるのは大変なことなのだ。公式タイムはスタートラインを通過した時からフィニッシュまでのネットタイムにして欲しいと感じる。
紙吹雪が舞った余韻の中を走り始めた。しばらくは渋滞で思うように走ることはできない。
空いているスペースを見つけては縫うようにジグザグ走行をした。少しでも早く先へ進みたくて余分なエネルギーを使ってしまう。
短気なのでいつまでも気長に待っていられない。
「焦らない 腐らない 諦めない」
とは相反するが…
青梅街道に入り歌舞伎町を横目に新宿区役所を通り過ぎた。この後は曙橋から飯田橋へと走っていく。
少しではあるが徐々に人がばらけて走りやすくなってきた。飯田橋から竹橋へ向かう途中でPUMAの応援をいただいた。Oさんの大きな声援が耳に入り、あと30数キロ頑張ろうと気合いが入った。
皇居だ。いつもは歩道を走っているが東京マラソンは車道だ。しかもいつもとは逆の時計回り。練習の時とは若干違う景色を楽しみながらランナーの集団に飲み込まれるように走っていた。
いつの間にか10キロを過ぎていた。スタートの4分30秒を差っ引けばほぼキロ5分ペース。
allsports.jp皇居に別れを告げてこれから日比谷公園~増上寺~田町~品川へと向かう。
allsports.jp品川の約16キロ地点で最初の折り返しがあり、そのまま反対車線をひたすら戻る。そして日比谷公園のやや手前が20キロ。
allsports.jp中間地点21.0975キロの通過タイムは1時間50分15秒(ネット1時間45分45秒)でキロ5分ペースを死守していた。
しかし、徐々に不安視していた膝の違和感が増して少しずつペースが落ちたような感じがした。
allsports.jp25キロ付近だろうか?お互いエールを交換してDとEに分かれたYEさんに追いついた。右前方に見覚えのあるゼッケンが視界に入ったので、まさかと思って顔を覗き込んだらYEさんだった。
声をかけたらビックリした様子だったが、こんなところで私と一緒に走っているレベルの人ではない。
「僕にかまわず先に行って」と言ったらそのとおり冷たくも(笑)一気に走り去ってしまった。
しばらく一緒に走りたいような気もしたが後の祭りだった。
膝の調子も良くなかったのでとても追いつくことはできず、背中がどんどんと遠ざかり、数分後には見えなくなった。
自己ベストおめでとうございます。そして直後の名古屋サブ3.5もおめでとうございます。
私がかつて目指していたものを次々といとも簡単にクリアしてしまう姿に感激です。
私の魂を差し上げるので是非私がやりたかったサブ3も達成してほしいと思った。
allsports.jp浅草を過ぎて折り返し、28キロ付近で会社の方の応援があるので左端を走りながら人並みの中を探した。一番前列で手を振ってくれていたのですぐにわかり、軽くハイタッチをした。へばる前の姿だったので面目を保てたかな?と思った。
いくら心肺機能が人並以上といってもやはり心筋は40%死んでいる。フルマラソンは心臓への負担が想像以上にかかる。
30キロを過ぎるとそれを顕著に感じる。これは神様からの注意信号なのだ。
胃がおかしくなるのだ。むかむかする。吐き気がするが何も吐けない…
そんな症状が出た時に対処しなければならない方法は三つ。
①勇気をもってDNF(途中棄権)
②歩く 回復するまで歩く
③ペースを落とし、目標タイムのことは考えない(命が大事)
昨シーズンは何度も悩まされ、京都は②で対処。かすみがうらは③で対処してサブ4を諦めた。
今シーズンもつくばは②だったがおかやまを上回る3時間51分でフィニッシュできた。
今回の東京は30キロ手前から若干胃に不調を感じた。このまま頑張って35キロあたりから歩きを入れるよりも、勇気を出してペースを落とし、遅くても最後まで歩かないことを目標にしようと気持ちを切り替えた。
30キロ
グロス2時間38分29秒
ネット2時間33分59秒
allsports.jpやばいと感じる前に少しペースを下げて胃の不調を最小限に抑えたい。
目標タイムをクリアするには残り12キロ強を1時間10分。平均でキロ6分ペースを下回ればいいので、よほどのことがない限り大丈夫だろう。頭の中で計算をして具合いが悪くならないようにあと12キロを走り切ろうと考えた。
38キロ付近の豊洲でおばさんとakiさんの応援がある。その時にみっともないヘタレ走りは見せたくないので1キロ程度手前から少しペースを上げて頑張っている姿を見せたいと思った。
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allsports.jpひたすら道路の左端を走った。前の方で見ていてくれれば走ってくるのに気づいてくれるはず。そして、ふいに声をかけられてもわかるようにするためだ。
まだ豊洲ではないが2キロも進めば(2キロもないかな?)豊洲だろうと感じていた。
いつペースを上げてしっかり走っている姿を見せようかと考えていた丁度その時、予想に反して
『あっ、ブンブンさんだ。頑張って!』
という声援にハッとした。
まだペースを上げる前の多少ヘタレ走りをしている時だった…
『あ、どうも』
斜め左後ろを振り向き軽く会釈をして手を挙げた。
もう少し手前からペースを上げておけばよかよかったと後悔したがもう遅い。しかとヘタレ走りを見られてしまった。
応援ありがとうございました。一瞬で終わってしまったが、「頑張って」と声援されることを励みにここまで来れた。
次はおばさんの声援だ。
豊洲交差点に近づいたので必死にキョロキョロと応援者の中におばさんがいないかと探した。交差点に突入した時は必死に探した。
でも見つけられなかった。これだけ人がいるのだから仕方がないと思いながら残り約4キロを楽しむことにした。
おばさんは大きな声で何度も私の名前を叫んだそうだが、私は残念ながら気がつかなかった。声援ありがとうございました。
以前はこのくらいの距離になると
「あと4キロもあるのか」
と思っていたフルマラソン。
今回は
「あと4キロしかない」
と感じながら走ることができた。
「終わらないで欲しい」
が実感だった。
フィニッシュまで時計は見ないことにした。目標タイムは間違いなくクリアできると感じていたし、時計を見てしまうと必要以上に頑張ってしまうことがわかっていたからだ。3時間48分より速く走ることは可能だったかもしれないが、速く走る必要はないと思った。何事もなく無事に終わるのが一番の願いだから…
今日は3時間48分で十分なのだ。
40キロを過ぎた時、マラソンを始めて初めてガッツポーズをした。感情をひた隠すタイプなのでこんなことをするのは珍しい。
allsports.jp41キロを過ぎた。もう少しで終わりだ。満面の笑みが自然とこぼれた。いろんなことが蘇る。
北海道の敗北、吉田選手に誘われて入会したアミノバイタルAC、神戸の敗北、香港、救急車、病院、手術、奈落の底、大阪の復活ラン、谷川真理ハーフ、大阪の復活フル、京都、おかやまの復活サブ4…
今、東京を走っている。
こんなに元気に走っている。
こんなに楽しく走っている。
苦しくなんかない。
辛くなんかない。
今感じるのは楽しいということだ。
嬉しいということだ。
幸せということだ…
allsports.jp大阪マラソンチャレンジランで復活したあの日…
吉田香織さん(選手)から
”笑顔でフルマラソンを走れる日を楽しみにしています”
というメールをいただいた。
今、ここ東京でそれを実現した。
笑顔でフルマラソンを走っている。
現実のものになった。
夢ではない。現実だ。
諦めなければ夢は叶う!
笑顔でフルマラソンを走れる日が本当に訪れた❗️
焦らない
腐らない
諦めない
一歩ずつ進んでいけば夢は現実の世界へと変貌する。
涙もない
悔しさもない
あるのは満足感からくる笑顔!
満面の笑顔だけだ!
マラソンが楽しいと感じた。
すごく楽しいと感じた。
走ることによって笑顔になれる。
”マラソンは楽しくなければマラソンじゃない”
今、今初めてわかったような気がする。
フィニッシュしてすぐに後ろを振り向きいつものように三礼した。
今回は深々と腰から曲げてお辞儀をした。
ネット3時間48分10秒
グロス3時間52分40秒
2011年11月神戸マラソン以来4年3ヶ月ぶりのネット3時間40分台。(神戸3時間48分12秒)
目標どおりだ。
神戸を2秒上回った。
そして今シーズン走った3本のフルマラソンはすべてサブ4という結果になった。
でも、一番嬉しいことは何事もなく今日も元気でいられることだ。
笑顔でフルマラソンを走れたことだ。
ネットでの自己ベスト(PB)まであと9分少々。いつか「PBを狙います」と言えるようになることを力にしていこうと思う。
PBという
夢を力に…
笑顔でフルマラソンを走った日
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