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2ヶ月ぶりの練習会

2ヶ月ぶりに練習会に参加。まずは前ランで練習会が始まる前に皇居を1周。
平川門から1キロほどは登りになるためゆっくりとキロ6分。
半蔵門を300メートルほど過ぎた2キロ地点までキロ5"33
桜田門の手前が3キロ地点でキロ4"57
やっと5分を切った。
不思議なことだが一人で走ってもそこが皇居だと自宅周辺よりスピードが上がる。何故なのか?
皇居前広場を過ぎた交番が4キロ地点でキロ4"41
更に上がった。少々苦しいが…

前方に速そうな2人組がジョギングペースで走っていた。我々からするとジョグではないのだが、どう見ても軽く走っているジョグにしか見えない。後ろを背後霊のようにピタリと張り付いて追い抜くチャンスをうかがった。
地下鉄の竹橋駅入口が遠くに見えた頃、右側に並んで徐々に前へ出た。少しずつ差を広げた。後ろに気配を感じなくなったので振り返って確認すると10メートルほど離れていた。
ここまで来ると昨日に引き続いて汗びっしょりだ。しかし何て気持ちのいい汗だろうか。やはり走ることが好きなんだと改めて感じることができた瞬間。
1周を終えてラップを確認するとキロ4"31

ベンチに置いたペットボトルの水を一気に半分飲み干して神保町のハイテクタウンにクールダウンしながらゆっくりと走って戻った。
その間、ふと今から4年半前のことを思い出した。急性心筋梗塞で冠動脈バイパス手術をしたにもかかわらずラン復帰は3ヶ月後の5月GWだった。(超スローペースのランだが)今回は疲労骨折でラン復帰に2ヶ月かかった。どちらが凄いことかと言ったらそれは前者に決まっている。心臓の大手術からわずか3ヶ月でランに復帰したなんて今考えると神がかり的なこと。あの試練に比べれば他にどんなことが起ころうとそれは試練とは言えない。比較にならない。疲労骨折なんて時間が経てば治るもの。命の危険があるわけではない。だから弱音を吐いてはいけないのだ。

準備体操をして再び練習会で皇居へ向かった。
桜田門の中の広場でランニングに必要な動きづくりと筋トレ。今までは身体がきついと感じることは一度もなかったが、ランジウォークが終わった瞬間ハムと内腿がつりそうになった。筋肉痛が即座に起こったのだ。こんな経験は初めて。筋肉には自信があったので筋トレで悲鳴をあげることなどありえなかったが、考えてみればこの2ヶ月間筋トレに励もうと思いながら筋トレはやっていない。やはり走るために必要な筋肉が完全に落ちていたことを実感した。

残り2キロ弱をゆっくり走って練習会は終了。後ランでもう1周するのが恒例だが、復帰して間もないので競争意識が芽生えて本気走りしては困る。自分の性格は自分が一番良くわかっているのでこの日はこれにて終了。9月から元の練習スタイルに戻ろうと思う。
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今の実力

2016年8月22日
53日ぶりにランを再開してから9日が経過した。皇居を走った時は自然とスピードがアップして20キロ走のラスト1キロは4分50秒ほど。
しかし、自宅周辺を走る通常の練習ではなかなか思うようにいかない。
8月いっぱいは走ることに慣れること。暫く遠ざかっていたランを再び習慣化するためにゆっくり短くでいいから無理をしないで続けること。そう考えていた。

大阪まであと2ヶ月しかない。ゆっくりでいいとは思ってもやはり焦りがある。
キロ6位かな?と感じてラップを確認すると6"30…
キロ6は切っている⁉︎ いやいや6"10…
キロ5"30はいってるぞ 5"50…

この程度でも息苦しい。
何ということだ。
俺の心肺機能はこんなに落ちてしまったのか⁈
5分以下で走ることはできないのかと悩んでしまう。4分半や4分の感覚をすっかり忘れてしまった。
(これは元に戻すのが大変だ。それにちょっと走っただけでハムに張りを感じる。こんな状態では確実にフルマラソンで足がつる。脚力も落ちている。スピード練習で4分台を思い出すべきか?それともLSDでの脚力づくりに重点を置くべきか?)

自宅から3.3キロ地点で折り返した。残り距離を無理せず走ってキロ何分なのか試してみようと思った。速く走ることを心がけるのではなく、余裕を持ってゆっくりペースの延長線上で無理なく走れる現状のスピードを把握するためだ。

最初の1キロ…キロ5"31
無理せずというよりもかなりスピードを上げた感覚。しかし、この程度にしかならない。

次の1キロ…キロ5"02
かなり無理をして走っているように感じる。キロ5分というのはこんなに速くて息切れを感じるものなのか⁉︎

最後の1キロ…キロ4"48
やっと5分を切った。途中高校生2人組の自転車を追い抜き、抜かれてたまるかと少々ムキになった。汗びっしょりだ。このスピードを維持してハーフを走り切って1時間42分程度。今の自分にはとてもそれだけの持久力とスピードがないことははっきりわかった。
300メートルほどはクールダウンのためゆっくり走って今日の練習を終えた。

2ヶ月間走れなかったことですべての能力が落ちている。
一気に回復、元に戻ることはないので、まずは42キロを走りきる脚力を取り戻すことが先決か。

ホテル状況

大阪マラソンの宿泊先第一希望は心斎橋だったが、どこも満室で隣駅の長堀橋のホテルを確保した。駅へは徒歩2分。心斎橋へも徒歩5分。難波も徒歩圏でマラソン会場の大阪城公園へも地下鉄長堀鶴見緑地線で乗換えなしの6分。立地的には申し分ない。落ち着いて準備ができるだろう。

問題は岡山だ。大阪に比べるとホテル数がが少なく、当選発表前から岡山全域が満室状態だった。倉敷のホテルを確保してキャンセル待ちで岡山がとれればという目論見が外れ、倉敷に泊まらざるをえない状況。このホテルは倉敷美観地区内にあるものだから駅から遠い。
倉敷と岡山は隣接しているとはいっても地方都市。東京や大阪に比べると一駅の間隔が長く時間もかかるし電車の本数も少ない。徒歩〜電車〜徒歩でスタート地点へ行くにはおよそ1時間かかるだろう。

金沢や富山も同様の事態になっているようだが、片っ端から抽選するのと足並みを揃え、片っ端から当選発表前にホテルを予約しなければならない流れになってきている。これを教訓に来年からそうしたい。

皇居20キロ走

2016年8月15日月曜日
55日ぶりの皇居走。2周、つまり10キロをキロ6分半〜7分ノンストップで走れれば合格点と思い皇居に向かった。

今日までRCは休みなので神田にあるランニングステーションを利用。皇居に向かう時に「これから皇居を走るのですか」と若い男性が声をかけてきた。
話をすると山梨から家族で東京に来たそうだ。せっかく東京に来たのだから皇居を走ってみたいと思い、やっと奥さんを説得できたとか。
いつもは高低差100メートル以上ある山梨で練習。それに比べれば皇居なんて楽なものだろう。
本来なら"一緒に走りましょうか"と自分から言うのだが、今の状況でそれはできない。キロ7分程度で走りましょうとはとても言えない。
「疲労骨折から復帰したばかりで今はゆっくりでしか走れません。ここでストレッチをしてから始めたいのでお先に行って下さい。」
そう正直に言って山梨さんから感じていた一緒に走りましょうモードを拒絶した。申し訳ない限りです。

入念にストレッチをしてGPSをオン。ゆっくりと走り始めた。
久しぶりに感じる皇居の空気…ちゃんと走れるかな?

不安だった痛み、違和感はない。10キロだからゆっくり行こう。キロ7でいいんだ。

1キロ・・・6"02
2キロ・・・5"53
右足を開いて着地している。着地の時に右足を外側に捻っている。
脛骨が曲がっているので仕方がないのかもしれないが、ドリームハンターの時に指摘されていたフォームを矯正し内股で走るイメージで真っ直ぐ着地を意識した。

3キロ・・・5"15
4キロ・・・5"23
5キロ・・・5"21
あれっという感じだった。
一昨日は6分半でも速いと体感していたのに5分半以下で走れている。6分半〜7分でいいと思っているのに身体が勝手に反応している。

2周目は最初の登り坂1キロこそ5"45だったがその後は5"20〜5"32ペース。
予定していたよりかなり速く走っているので不安があった。
骨は確実についているのだろうか?ついていないとすればまたぶり返してしまう。手術は嫌だ。せっかく当選した大阪やおかやまを走りたい。東京だって当選するかもしれない。
医師が言っていただろう。最初はゆっくり2〜3キロから始めてください。
このスピードで10キロ走っていいものか?

10キロで終わるはずだった。しかし、2周終わった時にあと5キロはいけると感じて身体が自然に反応。止まることなくそのまま突き進んでいた。ペースも変わっていなかった。
足は、足はどうだろうか?違和感はないような気もするがあるような気もする。よくわからない。前もそうだった。走っている時は感じなかったが走り終わった時に違和感があり少し痛いなあという程度。次に走った時は走り始めに若干の痛みを感じたがそれは我慢すれば走れる軽い感じ。その次に走った時はビルドアップした最終章に強烈な痛みを感じたが残りわずかだったため走りきってしまった。おかしいぞ?と感じた。その次は走ろうという気持ちだけはあったが着地で激痛が走り3〜4歩しかできない最悪の状態。
だからきっと1〜2日経ってみないとわからないのかもしれない。
無理せず(もう無理しているのかもしれないが…)今日はこのくらいでやめておいた方がいいと思うのだが、一度身体に火がつくと抑えられなくなってしまう性格。3周目も5"30ペースで走っていた。
皇居前広場にさしかかった頃から"今度こそ終わりにしよう"と言い聞かせた。さすがにこれ以上は危ない。また怪我をする。

しかし3周目が終わる頃、その気持ちはあと1周ゆっくり行こう。キロ7分でゆっくり行こうに変わっていた。

ペースを意識して落とした。平川門からの登り1キロは6"03だった。
こんなにゆっくり走っても6分か。
これでも速いぞと思ったが次の1キロは6分を切っていた。
半蔵門を過ぎると桜田門まで下りになるため17〜18キロのラップは5"31に…

結局諦めた。
もういいや。どうせならペースを上げてしまえ。

18〜19キロ5"18
ラストは更に上げてもう軽いビルドアップ状態。
19〜20キロ4"51

満足感というよりも足は大丈夫かという不安を抱いて皇居走を終えた。
幸い今のところ足は何ともない。今無理をすると秋のレースに❓がつくので抑えていかなければならない。
以前の20キロ走に比べると足の張りが大きい。とくにハムストリングが張っている。少しずつゆっくり走り30キロ程度のLSDを加えて脚力を取り戻すことに重点を置こうと思う。
大阪、おかやまベストを尽くす。

53日振りのラン

お盆明けから様子を見ながら1〜2キロ程度のゆっくりジョグを始めていい。それが医師の言葉だった。最初は1〜2キロ…

8月に入ってすぐにドリームハンターを使ったトレッドミルを開始。前回は時速18キロまで上げた。体重が半分になるドリームハンターは、着地の衝撃をほとんど感じないためスピードを上げても足の違和感がない。18キロとはキロ3分20秒くらいで女子マラソンのオリンピック選手と同じくらいのスピード。こんな上げても心拍数は140〜145程度。体重が半減するとこんなにまで楽になるのかと改めて驚かされた。

ベルトの上でなく、道路を走りたくてたまらなかった。医師から言われたことを厳守すればラン再開は8月17日だが、4日早い今日から始めてもたいして変わりはないだろう。

ゆっくり走ろう。ゆっくり5キロ走ろう…
夜10時、ランパンとランシャツに着替えて堂々と家を出た。
最近は走るふりをしていつも自転車に乗っていたので久しぶりに感じる自分のドヤ顔だった。

エレベーターで1階に降りている間、少しだけ怖さを感じていた。
(痛かったらやめればいいんだ。)

マンションの外に出てゆっくりと走り始めた。数えてみると53日ぶり。走ることを忘れてしまった感覚だ。5キロも走れるだろうか…?

ラップを見たら6分12秒。医師の言葉を思い出してペースを落とした。
6分36秒…6分半ってこんなに速かっただろうか?
ペースを上げてみたつもりが次のラップは6分38秒と2秒遅れていた。
(こんなんで大阪マラソン走れるのか?おかやま走れるのか?いったい何時間かかってしまうんだ?)
マイナスのことばかりを考えてしまう。
今日はこれでいいんだと言い聞かせながら次のラップを見ると6分18秒。
予定距離を5キロから6キロに増やして次のラップが6分02秒。最後は5分57秒で終えた。

気のせいであって欲しいが少し足に違和感が…

もっとゆっくり走った方が良かったのか半信半疑で53日ぶりの6キロランを終えた。
入念にストレッチを行いエレベーターに乗り込んだ。

すぐにお風呂に入ったが腕がガタガタ震えている。一生懸命腕振りをしたものだから腕が筋肉痛になってしまったようだ。おそらく腕だけではなく、身体中の筋肉が落ちてしまったのだろう。これを取り戻すにはいきなりスピード練習をするのではなく、やはりゆっくりジョグからLSDで走れる身体をつくっていかなければならない。

大阪とおかやまで奇跡が起こって欲しいがマラソンに奇跡はない。時間はなくても焦らず諦めないで練習するしかない。

日焼け

先週日曜日にゴルフへ行ったときのこと。
私のドライバーとパフィーには、毎年行っているハワイコオリナゴルフクラブのヘッドカバーがかかっている。
ご一緒したメンバーさんのひとりも毎年ハワイへ行かれるようで、いつの間にか自然とハワイ談義で盛り上がった。

「ブンブン丸さん、頭が日焼けで困ったことはないですか?」
私の薄くなった頭頂部と後退した額を見ながら問いかけた。
(失礼な…少しムッとしたが事実なので受けとめた。 笑)
「いや、とくにないですよ。私は一年中黒いので日焼けには強いです。」
その方はかぶっているキャップを脱いでこう続けた。
「私はこんなふうに髪が薄いものですからハワイでうっかり帽子をかぶらずにゴルフをしたら日焼けで頭が真っ赤になってしまいましてね。女房に笑いながら"あなた、頭が真っ赤よ"って、言われてしまいました。頭痛がしていたので変だなあと思ってましたがそれは頭痛ではなくて日焼けのせいでした。日本に帰ったら頭の皮が剥け出してフケのようにポロポロ剥けて。もうみっともないったらありゃしない。」
私はニッコリ笑いながらこう切り返した。
「私はマラソンとゴルフの影響で一年中日焼けしているんですよ。いつも肌が露出しているところは自然と強くなってましてね。ハワイで日焼けしたからといって皮が剥けることはないんです。ヒリヒリすることもありません。」
「それはいいですね。羨ましい。それ以来ハワイでのゴルフは帽子が必需品になりました。」
「私はハワイで日焼けしても背中や胸くらいしか剥けないのです。ハワイに着いたその日によく言われます。"随分日焼けしましたね。明日お帰りですか?"今日来たばかりです。"」 笑

ご覧のとおりいつもブンブン丸は真っ黒です。


ひとつだけ嘘をついた。
何度か頭頂部の皮が剥けたことはある。
私は10年くらい前から丸坊主だが、そのきっかけは髪が薄くなってきたから。
それを気づかれないよう一生懸命髪を後ろに流したりしていたが、いつも髪のことを気にしている自分に嫌気がさして思い切って信州一のマルコメ味噌にした。そうすれば隠しようがないので堂々としているしかない。
思いは当たった。以来髪が薄いという事実を恥ずかしいことだと感じなくなり、堂々とできるようになった。

髪が長い時は帽子をかぶらなくても髪でガードされているので頭が日焼けすることはない。しかし、髪の薄い者がマルコメ味噌にすると地肌が見える部分があるので日焼けする。
ハワイから帰った後に出勤したら言われたことがある。
「頭が日焼けしてますよ。」

事実、私の枕は毎日剥けた皮で溢れていた。 笑

川越八幡宮

昨日ゴルフ帰りに川越八幡宮を参拝してきました。
夕方ということもあって道路が大渋滞でしたが、何とか陽が落ちる前に無事到着することができました。

足腰の神様と呼ばれている川越八幡宮は、地元の東洋大や城西大陸上部が参拝しているようです。
疲労骨折という怪我をしている自分にとっては最も適した参拝場所です。
私は子供の頃から神頼みというのができない性格で、ここに参拝に来ても"足を早く治してください"とお祈りすることはできませんでした。
"今疲労骨折をしています。お盆明けには走れます。10月に大阪マラソン、11月におかやまマラソンを予定していますがだいぶ出遅れてしまったので記録は望めません。でも、死力を振り絞って頑張りますので見守ってください。最低でもサブ4だけは死守します。"そう話しかけていました。



神仏に祈っても自分がそれに見合うだけの努力をしていなければ願いは叶いません。苦しいときの神頼みという言葉がありますが、私は苦しくても神頼みはしないというのが信念です。できることを精一杯やって努力して、最後に神仏に見守ってくださいと話しかけるのが私の参拝の仕方です。

受験のときにも神社を参拝しましたが、合格祈願はしませんでした。"一生懸命勉強して努力するから見張っていてください。努力しなかったら叱ってください。"と話しかけていました。

もう少し。1週間後にまずはゆっくり5キロ走りたい。

大阪とおかやまの目標

8月17日からラン復帰をする予定。16日のRC練習会は送り盆のため行けるか微妙だが本心は行きたい。16日からの復帰が希望だ。
それまではドリームハンターで試運転をしてしっかりと準備しておこうと思う。

およそ2カ月間の遅れをどう取り戻すかが課題。それには復帰後精力的に走るしか方法はない。
残された練習期間はわずか2カ月。すぐに本格的に走れる訳ではないので多く見積もっても実質1カ月半だろう。
この期間でビルドアップ、ペース走、ロングのペース走、LSD等を行ってフルマラソンに対応できる脚力と心肺をつくりあげなければならないのだ。
正直な気持ちとしては無理だと思う。間に合ったとすればそれは奇跡に近い。

当初の目標は、大阪が2016東京を上回るサブ3時間48分。おかやまはサブ3時間45分で設定していた。

マラソンを知らない人は、今までの練習貯金があるから大丈夫だよと軽く答える。
でもそれは通用しない。フルマラソンは、私の経験では3カ月前から1カ月前までが勝負の期間。6カ月前から準備を始めて3カ月前から追い込んだ練習でレース日にピークをもっていく調整を繰り返す。インターバルはできないのでビルドアップを繰り返し行って心肺を強くする。本番よりも速いペースで走る15キロ〜20キロペース走。本番と同程度のベースで走る30キロペース走。脚づくりを目的としたゆっくり走る40〜50キロLSD…
これらをわずか1カ月半で何度も繰り返すのは不可能だ。

マラソンを熟知した人には、大阪とおかやまは来冬に向けたフルマラソンの練習と捉えてロング走感覚で走るのがいいと言われる。自分でもそう思う。記録を狙った走りはできないと思う。
でも、そう考えてしまうとモチベーションが上がらない。上がらないどころか下がってしまう。

どんな状況であろうと全力を尽くさなければならない。それが自分の理念だ。最初から諦めてレースに挑むことは許されない。そんなことをしたらマラソンの神様に見捨てられるだろう。

絶対に諦めない。諦めたら終わりだ。諦めなければいつか夢は叶う。そうやって4年半やってきたのだ。
最低でも2レースともサブ4を目標としてノルマとして来冬には3時間40分前半を達成する。

ドリームハンター

医師に言われたことを守ってお盆明けの8月17日からランを再開する計画でいた。しかし、同じRC所属で同じく故障中のYEさんがNコーチに故障中だからこそドリームハンターを活用した方が良いというアドバイスを頂戴し自分もハッと気がついた。
骨はついている。痛みはない。まだ普通に走るわけにはいかないが体重が半減するとっておきのマシンを使わない手はない。走ってみよう。ドリームハンターというマシンに乗って走ってみよう。痛みがあったらすぐにやめればいい。
ということで、8月1日に走るにはまだ2週間早いが30分間だけドリームハンターを使用してみることにした。

【ドリームハンターとは】
下半身をドームで覆い、空気圧を上昇させることにより身体を押し上げ、体重負荷を最大50%まで軽減する。重力負荷が少ない状態を疑似的につくって高レベルなトレーニングを行うことを可能とした装置である。通常では継続しにくい速いスピードでのランニングが長時間可能になり、速く走るフォームの習得に繋がる。
次のような目的で使用する人が多い。
①速いスピードに対応できるランニングフォームを習得したい。
②故障明けでそろそろ走りたいがまだ不安。
③体重が重い。
④膝の痛みがあるが走りたい。
⑤未知のスピードを体験してみたい。

ほぼ1ヶ月半ぶりのラン。体重が半減するということは28キロになるということ。小学生時代の体重だ。
着地の衝撃がないから大丈夫だと言い聞かせてもやはり疲労骨折したという事実があるので恐怖があった。走ってしまっていいのだろうか?
マシンを使う前に血圧測定をしたが年甲斐もなく緊張してしまい上が146・下が90という高血圧状態に…

疲労骨折という事実を知っていたスタッフが気をきかせたのか時速5キロで設定。
「これって歩く速度ですよね?」
「そうですね。」
「上げていいですか?」
「いいですけど徐々にですよ。無理のないところで止めてくださいね。故障中でしょ。」

少しずつ速度を上げて10キロにした。思い切って12キロ、いや15キロにしたかったが”また折れてしまうぞ”という嫌な予感が頭をよぎり勇気が出なかった。(正解)
不思議な感覚だった。走っていることは事実だが、着地するときの衝撃を感じない。無重力状態で宙に浮いているような感覚。下半身がすごく軽い。走りながらフォームをチェックしようという気持ちになった。(前面に鏡がある)
もっと腿を上げよう。身体が宙に浮いている時間を少しでも長くすれば速く走れるようになる。

楽しかった。たった30分で終わりたくないと思った。
もう一つ不思議な感覚があった。
時速10キロ・・・つまりキロ6分設定なのに速く感じるのだ。キロ5分以下(4分半くらい)で走っているようなスピード感覚。
1ヶ月半走らなかったためにこんなに衰えてしまったのか?
こんな状態では復帰できたときに確実に前より遅くなっている。4分半くらいで走ることは無理なのでは?いったい何ヶ月かかって元に戻れるのか?
嬉しいという気持ちと同時に不安が襲ってきた。大阪や岡山には到底間に合わないのではないか?

そうこうしているうちに30分が経とうとしていた。スタッフが私のことを忘れてマシンを止めに来ないでほしいと願った。
頼む。来ないでくれ。・・・願いはむなしくしっかりと覚えていたので止められてしまった。(笑)

床に降りたとき、急に重力のようなもの感じて思わずふらつき倒れそうになった。
トレッドミルでは普通に走るよりも速く感じるので心配ないとのこと。YEさんも同じ感覚だったと聞いて安心した。
8月3日もドリームハンターを使って30分走ることにした。
痛みは全くない。週2回程度使用してお盆明けにはロード復帰しようと思う。

練習後に測った血圧は、上が108・下が72で正常に戻っていた。
久しぶりに汗を流して気分の良い一日だった。

大阪、岡山まで時間がない。早く復帰してたくさん走りたい。
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