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東京マラソン新コースのLSD

2016年9月17日
来年からコースが変わる東京マラソンのシュミレーションをするためにLSD計画を立てた。ご一緒させていただいたのは、サブ4復帰を目指すきっかけをつくってくれたakiさんと今年の名古屋でサブ3.5を一発ゲットした同じランニングクラブに所属するeriさん。
akiさんがいなければ私のサブ4復帰はなかっただろうし、今頃ランニングを諦めて辞めていた可能性もある。いわば恩人のような方だ。
eriさんはサブ3.5を一発でゲットした将来有望なランナーで、大阪国際女子マラソン(参加資格3時間10分)への参加を目標にしている方。
しかし、事もあろうに昨日発表があった東京マラソンに当選した者はこの3人の中にはいない。
「東京マラソン走りたかったなあ〜」という悔しい思いを胸にLSDを楽しむ事になった。

都庁前〜飯田橋〜神保町を経由して神田方面へ向かう靖国通りまでのコースは熟知している。それに新宿にはランニングステーション等の施設がないことから、新コースになった須田町に近い神田ラフィネランニングスタイルを集合場所にした。

神田ラフィネからはいったん靖国通りの司町方面に戻って東京マラソン新コース靖国通りに入った。最初の信号須田町を右折して神田駅を横目に見ながら日本橋方面へ…
永代通り→新大橋通りと走り、人形町の大観音寺で最初の寄り道。会話を楽しみながら走っていた影響で目的地をいつの間にか通り過ぎていた。すぐに気がついてUターン。ここはマラソンの神様韋駄天様が祀られていて、たくさんの市民ランナーが訪れる小さなお寺だ。もう少し早く訪れていればこの中の誰かが東京マラソンに当選していたかもしれない。そう思うと残念な気がした。


浜町中ノ橋から清洲橋通りに入り、馬喰町を右折して江戸通りへ。蔵前橋二丁目のY字路を右方向へ進み、駒形橋西詰は左方向。正面に雷門が見えた。今年走った東京マラソンの光景が鮮明に思い出される。
eriさんが「私、浅草寺へ行ったことがないんです。」というものだから予定外であったがせっかくの機会。仲見世通りを散策して境内へ。
浅草寺

だいぶ寄り道をしてしまったので少し慌てながら両国方面へ向かった。ペースを上げなければこのLSDいつ終わるかわからない。
蔵前一丁目を左折して蔵前橋通りに入り隅田川を渡った。ここからは新コース。安田学園を過ぎた石原一丁目を右折して両国〜門前仲町へと向かうのが本コースだが、今回はスポーツの神様が祀られている亀戸香取神社へ参拝するプランがあったので蔵前橋通りをそのまま直進した。
あまり距離を走っていない割には寄り道が多く時間ばかりが経過していた。目的地まではノンストップで行くことをお二人に告げてペースを上げた。数日前までは雨予報だったが、みんなの行いが良過ぎたせいか一転晴れ間が出るくらいの良いお天気。気温が急上昇していたので喉の渇きが我慢できず自販機に寄った。
亀戸一丁目の明治通りを左折して香取神社に到着。境内にある純白の小石は白星と称してスポーツをする者にとっては縁起のいいもの。リオ五輪メダリスト達も参拝に訪れている由緒ある神社。今シーズンのマラソンで己に負けないよう努力して白星を誓い両国に向かった。
香取3人

香取

走行距離の割には時間ばかりが経過しているので門前仲町までは休むことなく走ろうと思った。でも、はっきり言って遊び感覚の観光ラン。こんな楽しい練習があってもいいではないか。
石原一丁目を左折して清澄通りに入り両国へ…
若い力士の後姿を眺め、そして追い越した。びんつけ油の匂いが漂っていた。
7月に自転車で走った時は、石原一丁目から門前仲町までの距離が凄く長く感じた。しかし、今こうして3人で走っていると短く感じるのは何故だろう?
あっという間に門前仲町を左折して永代通りに入り富岡八幡宮に到着。参拝はご遠慮したが記念写真をパチリ!
富岡

自分の中ではずっと前から富岡八幡宮で折り返したら門前仲町で深川丼を食べようと決めていた。
そんなわけで無理やり???お店に入って(汗びっしょりでごめんなさい。)食べたかった深川丼を注文。トン汁つきでした。
でも、思っていたものとは違って…
自転車で来た時、違うお店で食べたのだが卵でとじてあった。それと同じものを想像していたが、今回は丼というより炊き込みご飯という感じ。
よくよく考えたらここで注文したのは「深川めし」
以前食べたのは「深川丼」
違いがわかって今頃納得!!
深川めし

汗びっしょりでお店に入って水ばかりをがぶがぶ飲んで…
ホントお店の人に申し訳なくて食べ終わったら急ぎ足で出てきてしまった。トイレにも行かなかったので走り始めてすぐに公園へ…
ここからしばらくは来た道を戻ることになる。両国を直進して蔵前橋通りを左折。蔵前一丁目を浅草と逆方向(浅草橋方向)の江戸通り。馬喰町を左折して清洲橋通り。浜町中ノ橋→茅場町一丁目→日本橋となる。
蔵前橋通りの隅田川を渡る時、ペットボトルを落として蹴飛ばしてしまった(笑)ため渋々立ち止まった。後ろを振り向くとakiさんが遅れていた。
調子が悪いのか尋ねたところ長い距離を走ると右足首が痛むそうで…
様子を見て日比谷で終わりにするかもしれないとのことだった。

日本橋を左折して中央通り銀座に向かった。歩行者天国のため唯一車道を走れる場所だ。3人一列になって車道のど真ん中を気持ち良さそうに走り、すぐに銀座は終わってしまった。銀座四丁目を右折し晴海通りへ。山手線のガードを越えた辺りでakiさんはリタイアすることになった。でも、せっかくの東京マラソン新コースLSD。フィニッシュ地点までは案内したいと思ったのでペニンシュラホテルを右折して東京駅方面へ直進。行幸通りを左折して和田倉門まで。どのへんに着替えのテントが並ぶのかなあと雑談しながら記念撮影をパチリ。
ゴール

akiさんとはここでお別れしてこれから先はeriさんと品川方面へ。
品川まで行ってもあまり魅力ないよね〜と話しながら、結局増上寺でUターンすることになった。新コースと同じようにペニンシュラホテルを左折してもう一度ゴール地点へ行った。当然40キロに達してなく、これで終わりにしては悔しいから40キロになるよう皇居(桜田門まで)を走ることにした。
ゆっくり走ったとは言ってもやはり40キロ近く重ねてきたので脚はだるくなっていた。暑くて暑くてかき氷が食べたくて…
2人で必死に日比谷公園内などかき氷を探しながら走ったが残念ながらどこにもなかった。皇居を走り終え、平川門から神田ラフィネへ。40キロは超えていたが2人とも負けず嫌いな性格。42.2キロを走らずにこのLSDは終えられない。周辺をぐるぐる走ってピタリ42.2キロになったところで終了。
東京マラソン新コースは湾岸エリアがなくなったことで今までにも増して更に平坦なコースに変わった。高速レースになることは間違いないだろう。
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15km変化走

2016年9月8日
およそ3ヶ月ぶりの普通クラス練習会への参加。メニューは15km変化走。
平川門〜桜田門の3.2kmをジョグ。桜田門〜平川門の1.8kmを各自でスピードアップして変化をつけるもの。これを3回繰り返す。
ジョグの部分はAクラスが5分/km。Bクラスが5分30秒/km。Cクラスが6分/km。
どのクラスで参加しても1.8kmの部分に変化をつけるだけなので各自の走力によって変化できる速度が大きくなるか小さくなるかの違い。
久しぶりの普通クラス練習会のためゆっくりジョグで繋ぐことができるCクラスを選択した。

1周目は少々雨に降られる場面があったが変化する1.8kmは4分37秒/kmで余力を残して終わらせた。
変化の部分は"思い切り走れ"なので余力を残してはいけないはずだが、誰一人として全力で走っていると感じる人はいない。3周繰り返すので皆それぞれペース配分しているように思う。

2周目は半蔵門と桜田門の中間地点でシューズの紐が両足とも解けるというハプニングがあったが、そこは6分/kmジョグ。すぐに追いつくことができた。これがAクラスだったら早めの変化走突入になっていたことだろう。久しぶりの普通クラス参加。もう1周ついていけるか不安があったため、変化の部分はだいぶ抑えて4分48秒/km。

3周目は入りのジョグから遅く感じた。時計を確認すると6分30秒/kmを超えている。しかし半蔵門あたりから6分/km程度に戻り、瞬間的に5分50秒/km台前半に持ち直してきた。
ラストの変化。皆の後ろをついていこうと考えていたが誰も突出して前へ行こうとしない。速いわけではないのだが、いつの間にか先頭を走ってペースダウンするわけにもいかなくなった。予定外にもしばらく先頭を走り続けたが、大手門で残り600mになった頃、ひたひたと右後方に迫る人影を感じた。Nコーチだ。このまま抜かれないように頑張ろうかと葛藤したが、頑張らなくてもいいよという悪魔に負けて竹橋駅入口手前で力尽き二番手でフィニッシュ。
4分31秒/kmペースなので決して速くはないが、ブランクを吹き飛ばすきっかけになってくれればと感じる15km変化走だった。

可能性は無限大

大阪マラソンまで残すところあと52日。おかやまマラソンまで66日に迫ってきた。
疲労骨折によって重要な夏場のトレーニングができなかったため、どんな結果になるのか不安がある。
最低でもサブ4は死守したい。そのために疲労抜き期間をさっ引いた残り1ヶ月間で脚作りを中心としたトレーニングに励む。具体的にはLSDを多用すること。
10月に参加を予定している小松菜マラソン(ハーフ)は、本来復活後のPB1時間42分を狙っていた。しかし、今の状況では記録にこだわるよりも大阪をどのくらいのペースで走れるかを占う意味で42.195キロを意識したペース配分を重視することに変えた方が良さそうだ。キロ5分、1時間46分を余裕を残して走ることができれば大阪に望みができる。

最終目標は何なのか?
サブ3.5なのか…
違う。サブ3.5ではない。

急性心筋梗塞で絶望の淵に立たされたとき、自分は絶望的だと悲観はしなかった。例え小指の爪半分くらいの望みしかなくても可能性があるならばそれに賭けようと前向きに取り組んだ。

"世界で一番遅いランナーでいいからもう一度走りたい"

この夢はすぐに実現した。バイパス手術からわずか2ヶ月後、超スロージョギングで0.5キロ〜1キロが可能になった。
8ヶ月後には大阪マラソンチャレンジラン。最下位ではなかった。世界で一番遅いランナーという大きな夢を超えた。
11ヶ月後にはハーフマラソン。
1年8ヶ月後には大阪マラソンでサブ5
2年後には東京マラソンでサブ4.5
そして3年9ヶ月後におかやまマラソンで待望のサブ4
その後もつくば、東京と走るたびに復活後のPBを更新。(2016東京はネットタイムで更新)

もうこれが限界だ。これ以上の記録は望めない。サブ4を達成してからの2レースではそんな思いがあった。
しかし、走るたびに少しずつ速くなっている。コツコツと積み重ねた練習の成果だ。諦めなかった不屈の魂だ。

もっと速くなりたい。健康体だった頃のPBを更新する。
サブ3.5を最低ノルマとして挑んだ2012年香港国際。あの頃の自分を超えたい。
3時間40分切り。PB更新。サブ3.5…
自分は既往性の心筋梗塞者。それを理由に心のどこかで限界を作っていた。本音は直前よりも直近の方が速くなりたいということ。10秒でも例え1秒でもいいから速くなりたい。
健常者ではないからこれが限界だと自分を自制してきた。これ以上やったら生命が危ないと自制してきた。しかし、それは間違いではないか?
限界は作らない。
勿論無鉄砲に走って自分の生命を粗末にするのではない。
今までやってきたことをリピートするだけだ。
一歩一歩少しずつトレーニングすることで心臓は少しずつ強くなる。昨日より今日。今日より明日、明後日、1ヶ月後、1年後と強くなる。

当面の目標はサブ3.5
しかし、それが終着駅ではない。単なる通過点。

自分で自分の限界は作らない。

焦らない
腐らない
諦めない

の精神を持続して限界に挑戦する。
可能性は無限大。
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