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第6回大阪マラソン

2016年10月30日第6回大阪マラソン
ランナー受付のため、前日にコスモスクエアのインデックス大阪へ向かった。やはり東京の次に大きな3万人以上が参加する大会とあってたくさんの人人人・・・
MIZUNOブースは会計に20分待ちという大盛況。
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昨日整骨院で両足ハムストリングにテーピングをしてもらったのだが、予想外に長いテーピングだったため毛を剃っていないところがあり、体毛の濃い私の足ではテーピングが浮いてしまい用をなしていない。
しかたなくMIZUNOブースでテープを買い求めて貼り方を詳しく聞いた。
調子が悪いのは右ハムストリングと左足底筋だが、バランスを考えて両足のハムストリング、両足の足底筋(足首も固める)、疲労骨折した右足脛骨とガチガチにテーピングで固める予定。

すごく不安だった。こんな思いをしてまでマラソンに出たくはないのだが、大阪は私にとって特別な場所。復活の原点。元気になった姿を大阪マラソンの神様に見ていただきたくて強行出場を決意したのだ。他の大会だったらおそらくDNSだろう。でもDNSした方がどんなに気が楽か…逃げ出したいくらいに憂鬱だが逃げてはダメ。大阪マラソンの神様の前でどうしてもサブ4をお見せして元気になった報告をしたいと思っていたのだ。何が何でも最低でもサブ4。是が非でもグロスサブ4。サブ4でなければダメだ。疲労骨折による練習不足だけでなく、かばって走ったことが原因なのか今まで痛めたことのないところまでおかしくなりまさにトリプルパンチ。
しかし弱音など吐いてはいけない。必ずサブ4で報告する。固い固い決意なのだ。



30日の最低気温は7℃まで冷え込む予報だったため、宿泊先ホテル近くの心斎橋ユニクロで1,280円のフリースを買い求めた。もったいないがこれを着て整列し、スタート直前に脱ぎ捨てるためだ。百金のレインコートでは寒さを凌げないだろうし、血流が悪くなって万一心筋梗塞を再発したら取り返しがつかない。それを考えたら1,280円なんて安いものだ。

7時に森ノ宮駅に集合し、プーマ東京の会員さんと合流。荷物預け近くの場所でプーマ大阪、神戸の会員さんと記念撮影をした後各自自分のブロックへと自然解散。
私のブロックDはまださほどランナーは並んでいなかった。

昨日下見で距離を測ったらスタートラインまでおよそ400m。いったい何分かかるのか?
グロスでサブ4をお見せしなければならないので、この足の状態を考えたらスタートできるまでの7分(予想)はイライラするに違いない。
スタート1時間前に整列し、時が来るのを不安げに待った。去年のおかやまと違って闘争心のようなものがまったくない。1年でこうも変化してしまうものか…

結果は後日改めて公開することにして、まずはフィニッシュ後のスナップ写真を…
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大阪マラソンの神様へ

記録は気にしない。
ゆっくりでいい。
冬に向けた調整。
足の調子を確かめながら走る。

それが今回の大阪マラソン。
昨年に引き続きおかやまマラソンのAスタートが決まったのでガチで走りたいのはおかやま。
記録を気にしたいのがおかやま。

大阪はDブロックで記録が望み薄。
足の調子も思わしくなく、おかやまを走る前に足が悪化しないよう無理な走り方をしてはいけないのだ。
本来ならDNSでもいいくらい。

しかし、大阪は思い入れのある大会。
2012年第2回大阪マラソン(チャレンジラン)で復活の狼煙をあげた。
冠動脈バイパス手術からわずか8ヶ月後のことだった。
そのとき大阪マラソンの神様に誓った。
「いつの日かここ大阪で必ずフルマラソンを走ります」と…
それは翌年に実現。4時間50分かけて完走した。
大阪は復活の原点。
大阪無くして私のマラソン復活記は語れない。
昨年当選していればサブ4復活のステージは勿論大阪だっただろう。
ここまで復調できた自分をどうしても大阪マラソンの神様に見ていただきたい。
見ていただくためには最低でもサブ4。グロスでサブ4。ネットでは駄目だ。あくまでグロスでサブ4だ。

来週は鍼治療を水曜日と金曜日の2回予約している。ハムストリングと足底のテーピングも頼んだ。大阪で恥ずかしくない走りをするために…
30キロを過ぎたときに足の状態がどうなっているかが不安。今は10キロ以上走ると左足底筋が痛みから痺れに変わる。
大阪マラソンの神様に復活した姿を見ていただくために神頼みをするのはいささか心苦しいが、"苦しいときのなんとか"やらをやってみたい気がする。
でも、きっと一生懸命頑張っている姿を見ていただくことで力が湧いてくるはず。

大阪マラソンの神様へ
今回の大阪で必ずサブ4を達成します。4大会連続のサブ4です。元気になった姿をお見せします。それが私から大阪マラソンの神様に対するお礼です。

忘れかけていたこと

10月11日火曜日
プーマ練習会は皇居2周で自主的にとりやめ。理由は右ハムストリングに加えて左足底筋にも痛みがあるため。足底筋膜炎だけにはかかりたくない(長引くため)ので悪化しないうちに練習を中止した方がいいと判断。
翌日に鍼と指圧、低周波、赤外線治療を行いテーピングで固めた。

10月13日木曜日
プーマ練習会は2キロ✖️3本のインターバルでABCDの4クラス編成。Bクラスで参加したいところだが足のことを考えてCクラスに落とした。

10月14日金曜日
eriさんに付き合ってもらって1周1.2キロの日比谷公園を10周12キロのペース走。キロ5分を超えないように走るのが目的で、結果は多少のばらつきはあるものの平均4分45秒〜50秒以下で走り切った。
なぜこのペースで日曜日の小松菜マラソンが走れなかったのか不思議だった。
距離は短めのペース走だが、キロ5分を切る感覚を脳と身体に刻むことができたのでとても有意義だった。
右ハムストリングと左足底筋はテーピングをしていたためか多少の違和感はあるものの問題は生じなかった。

走っていて感じたこと。
キロ5分を切ると呼吸が多少荒くなる。話はできる程度だが、ハーハーと息づかいが周囲に漏れる感じ。
一方一緒に走ったeriさんはまったくそのような気配がない。いったいこの差は何なのか走りながら考えた。
ハッと気がついた。いつの間にか最近は普通の人と同じ感覚で記録のことばかりを考えている。心筋が4割死んでいることなど頭の片隅にも無くなってラン中に心拍数を確認することすら少なくなってしまった。
「そうだ。心筋は6割しかないんだ。俺の心筋は6割しかない。その6割で走っている。ハーハーするのは当たり前だ。それが自然なんだよ。」
むしろこの程度で済んでいることを幸運だと思わなくてはならない。ここまで来るにはいろんなことがあった。これからもきっといろんなことがあるだろう。良いこともそうでないことも…
でもこれからもすべてを乗り越えて進化し続けたい。そのためにはやはり心臓を大切にしなければならない。もう一度何かがあったら終わり。焦らないでやらなければ…
(そんなに急いで何をしているんだ。慌てるな。人生まだ先は長い。焦らず気長にやろうじゃないか。)
この息づかいが少しでも小さくなるよう少しづつ心肺を鍛え続ける。きっとできるはず。
焦るな。継続することが何よりも重要なのだから。

焦らない
腐らない
諦めない

これが自分の原点だ。

まさかの1時間50分

2016年10月9日
小松菜ハーフマラソンはあいにくの土砂降り雨。家を出る時は降っていなかったが、8時30分東大島駅に着くとかなり激しい雨が…

予報では前線が通過するのが午前中で午後にはやむらしい。それはきっとマラソンが終わる頃。
今日は初めての雨中レースを覚悟しなければらならない。気持ちはかなり重く心の中まで土砂降り雨のようだった。

疲労骨折が癒えたばかりでどの程度走れるかがわからず、目標設定に苦労した。当初は復帰後のベスト1時間41分〜42分台を設定していたが、それは練習不足で不可能だ。設定は下げるしかない。前日にキロ5分ペースを1秒でも上回ればと考え、1時間45分台に。易しいはずだった。

小さな大会なので着替えのテントもなく荷物置場も野ざらし。この雨では全てがびしょ濡れになるのは間違いない。ますます気が重くなった。

付近の道路は川のように雨水が流れ、傘をさしてもささなくても関係ないよと言わんばかりの雨音。
一人参加なら「もういいや」と帰ってしまうところだか、今日は私がお誘いして二人で参加しているのでそんなわがままは許されない。覚悟を決めなければならないと感じた。

10時25分
10キロがスタートし、次のハーフが整列開始。まだまだ雨は降っている。
百金のレインコートはしばらく着たままで走ろう。

10時30分
小雨になった。レインコートを脱ぐか迷ったが着たままでスタート。4分20秒〜30秒ペースで最初の折返しまでおよそ600mを走った。
(これは意外といけるかもしれないぞ。でもこのペースは速すぎる。中盤までもたなくなってしまう。3キロまでは5分10秒に落とそう。3キロを過ぎたら4分台だ。)
ペースをきっちり5分10秒に落とした。それは3キロまでのはずだった。

1キロほど走ったところで雨がやんだのでレインコートを脱ぎ捨てた。
前を走る晴れ女さんがパワーを発揮したのかもしれない。(笑)

3キロにさしかかった。しかし何故か足が重い。股関節周りも硬い感じがしてスピードが乗らない。そして最近違和感のある右ハムストも気になる。もう少しだけゆっくりいこうという悪魔の誘惑に負けて5キロからペースを上げることにした。

その考えは甘かった。3キロを過ぎてから5分14秒〜18秒ペースでそれ以上速くなることがない。変だな変だなと思っているうち5キロ地点に到来。そこからペースを上げたつもりでいたが、時計を確認すると事もあろうに落ちている。一瞬目を疑った。
(4分台の間違い?)
いや、間違いではない。時計はしっかり5分30秒前後のペースを表示している。

ペースを上げろという気持ちはあるのだが上げたつもりでも上がることがなく、時間と距離だけが進んでいく。
今までのマラソンで最悪に足と身体が言うことを聞かないレースだった。
心拍数を確認するといつもより上がっていない。それはそうだ。ペースがかなり落ちているのだから心肺は余裕があるはず。苦しくはないからまだまだスピードは上げられるはずだ。

折返しでeriさんとすれ違う度にエールを交換した。その度にこの無様な姿を晒して恥ずかしさが込み上げてくる。そして彼女もまた満足した走りでないことはわかっていた。私同様怪我で満足な練習ができていない。本調子ならもっともっと離されていいはずだ。

15キロを過ぎて目標を1時間50分切りに変えた。
しかし、それさえも危ういことは感じとっていた。なんせ気をぬくとすぐにペースが5分30秒にまで落ちてしまうのだから…
絶望的な状況だった。
18キロを過ぎ、あと3キロを少しでもペースアップしなければと思い必死で自分の尻を叩いた。

少しは上がった。やっと4分台かと感じて時計を見ると5分15秒前後。
19キロを過ぎてやっと4分50秒台に…
しかし長続きすることはなくすぐに5分02秒〜03秒に逆戻り。

20m〜30m先を行く背の高い男性をターゲットに最後までには抜きたいと思ったがなかなか追いつくことができない。
(もういい。一人抜いたからって何だ。今更頑張ったところで関係ないよ。)
弱い自分が現れて心が折れそうになる。
(せめて最後は頑張ろう。あの男性は何としても抜かなくてはダメなんだ。今諦めたら何も残らない。)
最後の意地。力を振り絞りフィニッシュ数m前で何とか抜いた。
しかしその男性はハーフではなく30キロの方だった。
「何をそんなに頑張ってるの?俺は関係ないんだよ。」といった表情でそのまま前方に走り去っていった。

1時間50分23秒
今年1月のハイテクハーフより7分30秒も遅いタイム。
今の自分の現状が痛いほど良くわかった。たった2ヶ月半〜3ヶ月のブランクでこうも落ちるものなのか。
まずはスピードの体感が狂い持久力が落ちている。そして粘りがなくなったというか気持ちが弱くなっている。
おそらく自然と楽に走れるスピードで走ろうとしているのだろう。苦しいけど我慢して頑張ろうという気力が失せているのだ。
この4年8ヶ月の間ずっと順調に進んできたのでショックがかなり大きい。
良いことばかりは続かないことはわかっている。しかし、いざそこに直面してしまうとため息ばかりが口につく。

もう一度自分を見つめ直して強い心で初心から練習するしかない。
目の前に迫っている大阪や岡山を考えるよりも来年3月の静岡までに復活できるよう鍛え直すことが先決だ。
怪我で練習できなかったブランクをほんの1ヶ月で取り戻すことは現実的ではない。年内のレースは静岡に向けたロングのペース走として捉え、必ず復活することを誓う。

ご一緒くださったeriさん、雨の中ありがとうございました。不本意なタイムだったでしょうが女子総合2位おめでとうございます。

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逃避

大阪マラソンのスタートブロックが決まった。Dブロックだ。2年前に参加した時はFブロックでスタートまでにおよそ9分30秒を要した。その2ブロック前ということはおそらく7分程度はかかるだろう。
最低でも3時間51分〜52分で走らないとグロスでのサブ4は厳しい。

今年は疲労骨折の影響で練習量が極端に少なく、また追い込んだスピード練習やレース感覚でのペース走もできなかった。秋のマラソンはまったくもって記録は期待できないだろう。
最低でもサブ4という小さな目標さえクリアできない可能性もある。
マラソンは練習をしなければ結果が出ることは絶対にない。まぐれは出ないスポーツだから…

心筋梗塞からの復帰後、出るレース出るレースすべてその度にネットでの記録を更新してきた。至極順調に復活への道を歩んでいる。健康体だった頃の記録更新も視界に入っている。ある意味順調すぎたのかもしれない。

サボって練習不足になったわけではなく、怪我が原因で練習ができなかったので仕方のないことなのだが、今回ばかりは復帰後の連続記録更新は途絶えるだろう。
それが凄く怖い。最初から負ける(復帰後の自分の記録に)とわかっているレースに出ること。目標どおりにいくはずのないレースに出ることがたまらなく怖い。自分の走りはこんなものじゃないんだと言い訳をしている自分が見えてきてすごく気が重くなる。逃げ出したくなる。走らない方がいいのではと逃避したくなる。

復活を目指していた頃は挫折感と劣等感があった。
もう走れないかもしれない。走れたとしても昔の自分に戻れることはないという挫折感。心臓が40%も壊死しているのだから他の誰よりも自分は劣っているという劣等感。
この二つを克服するために何をやったのか?
それは「恥をかけ」だった。
練習でもレースでも常に遅かった。速く走ることはできないこの体。しかし何故速く走ることができないのか?周囲で走っている人は理由を知る由がない。ただの運動音痴と見られているに他ならない。
それでも走りたかった。どんなに馬鹿にされようが走りたかった。恥をかくことに慣れるため、積極的に恥をかきに行った。
だから、いつも自分の中には闘争心がみなぎっていた。今は恥をかいているが、いつか復活するんだ。今はたくさん恥をかいているが来年は少ししか恥をかかないかもしれない。再来年はもっともっと減るかもしれない。

そうなるように俺は必ず復活する。

結果として恥をかいていないことに気がついた。
挫折感と劣等感から脱却して復活するために闘争心と忍耐力か養われた。何事にも負けない強い精神力。

鋼のメンタル

ある程度の復活を遂げてしまった今、それなりの満足感があり、このへんで休んでもいいのではないかという甘えが芽生えている。
レースに出て目標を達成できなかった時の現実の自分に遭遇することが怖い。
今までずっと成長してきたのにどうしてここで止まってしまったのと思われるのが怖い。
ほんの少しのつまづきで、どんな言い訳をしようか逃避しようとしている自分がいることに気がついた。

もう一度鋼のメンタルに戻ろう。
何のために小松菜ハーフ、大阪、おかやまに出るのか…
今冬のフルマラソンで限りなく3時間40分に近づくためだ。数年後にはサブ3.5を達成するためだ。

今冬に向けたロングのペース走として、しっかりと目標を切り替えて小松菜、大阪、おかやまを走ることに納得出きればモチベーションは上がる。
今は記録ではない。何のために走るのかを見極めて納得できた時、闘争心に火がつく。
大阪で火がつくようにしっかりと気持ちの整理をする。
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