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不安

不安なことがあります。勇気がなくて医師にも聞けません。
冠動脈バイパス手術でグラフトは内胸動脈と左足静脈を使用しています。グラフトとは、詰まった冠動脈を迂回させるために使った自分の血管です。つまり移植した血管のことです。
一般的に動脈のグラフトは10年。静脈のグラフトは5年〜7年が寿命と言われています。勿論個人差もあり、手術した医師の腕次第で倍の寿命になることもあります。
よく耳にするのは
「バイパス手術をすると寿命が10年延びる」
これは80歳だった寿命が90歳に延びるという意味ではありません。
バイパス手術をしなければ死亡していたものが、手術をしたためにあと10年は寿命が延びるだろうというもの。
冠動脈は動脈ですから当然太い血管です。内胸動脈も動脈です。問題は静脈。静脈は動脈に比べるとかなり細いです。したがって動脈の役割を担うには少々無理があります。
心筋梗塞を発症した者が注意しなければならないのが血圧、コレステロール、血糖値などなど…
高血圧は高い圧力で血液が流れるわけですから血管を痛めつけます。
私は高血圧ではありませんが、ランニングをしているときは全ての者が高血圧状態になります。つまりランニング中は常に血管を痛めつけている訳です。
グラフトの静脈の寿命を自ら短縮しているにままなりません。
これからサブ3.5を狙うにはスピード練習をしなければなりませんし、平均でキロ5分を切らないとサブ3.5 は達成できません。
バイパス手術から来年2月で丸5年。そろそろ寿命がきます。
もしグラフトの寿命が来たらどうなってしまうのか?
冠動脈バイパス手術は2度できるのか?
人生に終止符を打たないようランニングをやめる潮時なのか?
不安です。
人生に終止符を打つ危険があるのなら、これから生きていくうえで障害が起こってしまうなら、血管を痛めつける行為ランニングを慎むべきか?
サブ3.5は絶対に達成したい。
しかし、その代償がどうなってしまうのかわかりません。
不安です。
ランニングは続けて命を落とさない方法はないものなのか?
せっかくここまで復活したのです。
サブ3.5を達成して生き続けたい。
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第2回おかやまマラソン

2016年11月13日(日)
下痢止めの薬を飲むべきか?1日2回服用の下痢止め薬。昨日はお昼過ぎから2回飲んだおかげでだいぶ良くなっていた。
説明書を読むと服用後は眠くなるので車の運転はしないようにと注意書きがある。
マラソンレース前に飲んで眠くなったらどうしようという不安があったので飲まない方がいいのか?
レース中にカフェインをとって脳を起こすことはよく聞くが、睡魔が襲うものをとるのはどうなのだろう?
今は治ったように感じる下痢は薬のおかげだろう。これを飲まなければまた再発するかもしれない。
飲むべきか飲まないべきか…悩んで悩んで悩んだ挙句、薬は飲まないことにした。
大きな賭け。脳を眠らせたくなかった。下痢は治ったと信じたい。

Aブロックに整列する前に何度もトイレに並んだが、大きな物は出なかった。

よっし、大丈夫だ。安心しよう‼️

今日の岡山は気温が20℃以上になる予報でマラソン日和とは言えない。
2週間前の大阪よりも暑いだろうし上空を見上げても快晴だ。

8時過ぎにAブロック内に整列し、スタートの8時45分が来るのをひたすら待った。
岡山県知事、岡山市長、岡山陸協会長、有森裕子さんなどのスピーチが終わり、号砲と共に手を振りながらスタート。

Aブロックなので何も障害になるものはなく、速く走ろうがゆっくり走ろうが思いのまま。
今回の作戦は最初抑え気味に走って10キロからペースを上げる。20キロから若干落ちるが落ちるペースを最小限に食い止めて35キロ通過タイムを3時間以内にすること。このとおりにいければ3時間45分は余裕で達成できる。40分台前半も十分可能。

5キロを25分10秒ペース。10キロを50分20秒。10キロを過ぎたらキロ5分を切る計算だった。
しかし身体が重い。お腹がゴロゴロして張っている。走り始めてすぐに42キロも保たないと感じた。
2キロのラップは9分50秒。スタートに約10秒かかったのでネット9分40秒。つまりキロ4分50秒。しかしキロ5分以下はこの2キロまでだった。

有森さんの母校就実高校前を走り、桃太郎大通りを岡山駅方向に進んで市役所筋へ。去年は気持ち良く走ったこのあたり。今年は…

(あーやめたい。棄権したい。)

腹筋に力を入れることができず身体も足も重い。腕を振るのでさえかったるい。
(どうなってしまったんだ。身体も気持ちも言うことを聞いてくれない。)

周りの景色も応援を楽しむ余裕も一切なく最後まで走れるのか不安ばかりが駆け巡った。
「たった4時間弱の辛抱だ。3時間45分程度の記録出せないはずがない。」
そう呟きながら走った。しかし一向にスピードは上がらない。

追い討ちをかけたのは左足親指だった。どうも昨日買ったドイツ製のハイソックスが靴擦れならぬソックス擦れを起こしているようだ。シューズは練習で何度も履いているものなので合わないはずがない。ソックス以外に考えられない。
一旦止まって脱ぎ捨てたい気持ちになったがそんな勇気はなかった。

中間地点が近づくにつれてお腹の具合いが悪くなってきた。最後まで保つことはないだろうと思ったが、できれば30キロの岡南大橋を過ぎるまでは走り続けたかった。

そんな思いは虚しく25キロの給水を過ぎたところで限界が来た。とうとう1回目のトイレへ。
この1回で終わればいいが、何回も続くようだと目標どころかサブ4すら危ういのではないか…

去年はあまりきついと感じなかったおかやまマラソン。今回はやけに坂が気になっていた。(川が多く橋を渡るための坂)


去年は気合十分で駆け上がった岡南大橋。今年は意気消沈してうつむき加減で走るのがやっと。後ろから来たランナーさんに追い抜きざま「頑張りましょう」と声をかけられハッとした。
そんなに辛そうなのか❓

やっとの思いでてっぺんまで登りつめ、下りは一気にペースアップといきたいところだがそんな元気もなくしばらく走って2回目のトイレ。

旭川沿いを走りそろそろ岡山城🏯が見えるなと期待したが、見えた記憶がまったくない。余裕がないのだ。

お腹がゴロゴロ少しでもガスを噴出しようものなら一気に汚いものが出てきそうですぐにでも棄権したい。

(あー、1週間後の神戸にしておけば良かった。つくばでも良かったな。)

そんな気持ちとの闘い。

この不甲斐ない走りはランナーズアップデートで見られている。情けない走り。あまりに遅いのでどうしたのだろうと思われているかもしれない。
41キロ地点には嫁と姪がいる。応援してもらいたい。
だからDNFだけはやってはいけない。目標タイムには届かなくても最低限サブ4だけは達成したい。
なんとか頑張らねば…

そんな思いが励みになった。一生懸命走った。

(サブ4? もういいよ。サブ4じゃなくてもいいよ。)
(ダメだ。最低でもサブ4だ。長い人生のうちのたった4時間弱我慢できなくてどうする。)

トイレから出るとそんな葛藤の繰り返し。37キロ〜38キロ付近でまたしても3回目のトイレ。
ここで一度は諦めかけた。トイレの中で時計を見て
(まだいける。これが最後のトイレならまだいける。最後まで諦めるな。)

トイレから出るとその度に遅れを取り戻すべく懸命に走った。
最悪でもサブ4は守れ‼︎
景色など見ている余裕はない。申し訳ないが応援に感謝する余裕すらない。

40キロ表示が見えて時計を確認してホッとした。あと2.195キロ、もう1回トイレさえ行かなければサブ4はできる。
右手の時計はくるっと反転して内側を向いていた。しかし、元に戻す気力すらなかった。

あと1キロで初めての身内の応援だ。そう思うとワクワクした。応援のときは笑顔で颯爽と走り過ぎたい。その前に余裕の表情でハイタッチしたい。
力を温存すると言うと言い訳になるが、JRを越える陸橋の手前からてっぺんまでは歩こうと考えた。歩いて足を休ませて嫁と姪の前では軽快でいたい。ここを越えて信号を右折、数百m走れば2人がいるはずだ。

考えたとおり実行した。坂のかなり手前からてっぺんまで歩いた。下りになるのと同時にゆっくり走り始めた。信号を右折して車道の一番左側に寄り徐々にスピードを上げた。遠くの方に姪がいるのがわかった。左手を思い切り大きく振った。わかったようだ。嫁はカメラを構えていた。
生まれ初めて交わす身内とのハイタッチ。姪とのものだ。嫁はカメラを構えたまま。
予定時刻より10分以上遅れたが何とか面目は保てただろう。
41岡

サブ4もトイレも大丈夫と確信できたのでスピードを落としてゆっくりフィニッシュ地点の陸上競技場に向かった。

グロス3時間57分10秒
ネット3時間57分01秒

5大会連続のサブ4ではあるが、サブ4の中では最も悪い記録。
そして目標の12分遅れで終えたおかやまマラソン。
悔しいが人生もマラソンも山あり谷あり。いろんなことがあるさ。言い訳にしか聞こえないかもしれないがそれでもいい。
次の静岡では目標達成できるようしっかりと練習に励みたい。
勿論怪我をしないように。そして体調管理にも気をつけて過ごしたい。

岡山入り

2016年11月11日金曜日
仕事を早めに切り上げて夜新幹線で岡山へ向かった。この日は岡山駅前のサウナに泊まり、土曜日からビジネスホテルに2泊する。嫁は実家の尾道へ水曜日から里帰り。土曜日の夕飯時に岡山で合流することになっていた。
実は金曜日の仕事中からお腹の調子が悪く、移動中の夕方からとくに酷くなりはじめて不安を抱くようになっていた。

11月12日土曜日
25年ぶりくらいに泊まったサウナのカプセルホテル。周りの音が筒抜けで何度も目を覚まし、お世辞にも快適に眠れたとは言えない。
目覚まし時計が鳴る前の5時に起床してしまい、まずはトイレへ一直線。酷い下痢だった。
朝風呂に入ってすぐに朝食(1泊朝食付き2,800円という激安料金)をいただき再びトイレへ。

8時30分から足ほぐしとテーピングのためにインターネットで見つけた「しあわせます」という接骨院を予約していたのでそれに間に合うよう早めにチェックアウト。

この後とんでもないことが発生してしまった。時間に余裕があったのでコーヒーでも飲もうとお店を探しながら岡山駅の東西連絡通路をうろついていた。ガスをした瞬間、情けない汚い話だがお漏らししてしまったのだ。目の前にセブンイレブンがあったので即座にブリーフを購入してトイレへ直行。履いていたブリーフはゴミ箱に捨てて履き替えた。

病院へ行くレベルかもしれないと感じた。明日の本番が思いやられる。

接骨院へ行った後は10時オープンのEXPO会場ジップアリーナへ
岡(1)

Aブロックのゼッケンを渡され、それを眺めているうちふつふつと身体中から闘志がみなぎった。
岡(4)
明日は3時間45分だ!!

岡(2)

今年は疲労骨折に足底筋膜炎、ハムストリングの張りと怪我に悩まされ続けている。そんなことをお店の人に話したら、ドイツの医療メーカーが開発したというハイソックスを勧められた。怪我の予防は勿論のこと、怪我のサポートにもなるという。日本メーカーのものとは機能が違うという説明で特に足底筋に効くらしい。2週間前の大阪で随分痛みと闘った苦い記憶が蘇り高価ではあったが購入してしまった。左足底筋と疲労骨折した右脛骨のサポート。明日はこれを履くしかない。
テーピングもしていることだしこれで万全だ。
ソックス


お腹のほうは病院へ行くことも考えたが、とりあえず薬局で下痢止めの薬を購入することにした。

嫁と姪とは17時30分岡山駅で待ち合わせをしている。18時に岡山駅西口にあるお好み焼き「もり」へ一緒に行くためだ。
昨年はEXPOの後に岡山後楽園や岡山城などの観光をしたのだが、今回はお腹の調子が悪く歩き回りたくなかったのでホテルに早めにチェックイン。待ち合わせ時刻までゆっくり過ごすことにした。

お腹は薬局で買い求めた一番効く強力な下痢止め効果でだいぶ良くなった。

嫁、姪と夕飯を共にして2時間ほどで解散。
今夜の岡山はマラソンの影響でホテルが満室状態。嫁と姪は倉敷美観地区内のホテルに泊まる。
私も当初岡山市内のホテルが取れなかったため、同じ倉敷を予定していたのだが、直前で岡山に空きが出たため運良く宿泊することができたのだ。


マラソンを始めて明日が何レース目かは数えないとわからないが、嫁が私の勇姿を初めて見に来る。(姪と一緒)41キロ付近の岡山済生会病院付近で応援してもらえるのだ。
ランナーズアップデートの検索方法を教え、35キロ地点と40キロ地点の通過タイム(通過時刻)からいつ頃目の前に現れるかを予想して応援するように教えた。例えば35キロ~40キロに30分を要していたらキロ6だから概ね40キロ通過タイムから6分後だと…
しかしキロ5とかキロ6とか説明してもマラソンをやっていない人からすると何のことかよくわからないらしい。
目標タイムは3時間45分・・・スタートが8時45分なのでフィニッシュは12時30分。そこから引き算をして「12時20分前後」に41キロ付近(岡山済生会病院)を通過するからランナーズアップデートを気にしつつ、その時刻が近くなったら目を凝らして見ていてくれとアドバイスした。

「無理そうなら途中でやめていいからね。応援しているからと我慢して走らなくてもいいからね。やばいと思ったらすぐに棄権して。いつでもやめて。無理して済生会病院まで来なくていいから。やりすぎると今度こそ死んでしまうからやめて。」
「わかったわかった無理はしない。いつも無理して走ってないから大丈夫。心臓の調整をしながら走っているから大丈夫。」

いよいよあと12時間ほどでおかやまマラソンの号砲が鳴る。
41キロ付近の予想通過タイムを申告した以上は守らなければ…
初めての応援で多少のプレッシャーを感じていた。

おかやまマラソン2日前

おかやまマラソンを2日前にしての決意。

今年2月の東京マラソンの記録を更新する。

2016年東京マラソンの記録とは、
3時間48分10秒である。

あれから9ヶ月。
順調に進んでいれば10月30日の大阪で達成していた記録。しかし35キロで急激なペースダウン。とくに40キロ以降は無残な落ち込みようだった。

おかやまではどうするか⁉️

我慢しかない。
ほんの4時間弱だ。
あと何十年もあるであろう人生のうちのわずか4時間弱。痛みは我慢するしかないし、我慢できるはず。
我慢できないはずはない。
大阪以上に痛くなる可能性はあるが全て想定内。次の大きなレースは3月4日静岡マラソンまでないので、思い切ってやってみるしかない。

第一関門として30キロの通過タイムをキロ5分ペースで2時間30分。
これを達成できなかったときは第二関門として35キロ通過タイムを3時間。
有言実行できれば3時間40分台は確実にできるはず。
足がどうなろうと絶対にやる。
不安はあるが徐々に闘志が湧いてきた。

足が…足が…

15キロを過ぎた。
あと27キロか。まだ3分の1しか走っていない。考えたら気が遠くなる。

スピードが微妙に落ちた。瞬間的なスピードを確認すると5分を超えている。そのたびに意識的に上げて4分台を取り戻すよう踏ん張った。
左足底は痛みから痺れに変わり、右ハムストリングは今にもつりそうな嫌な感じ。足を上げると腿を上げるとハムストリングがつってしまうような気がする。

足の状態が悪いのは最初からわかっていたのでエアーサロンパス80ml缶をポーチにしのばせていた。
半分も走っていないが使うべきか悩んだ。本音は35キロ以降の一番辛い終盤までは使いたくない。こんなところで使ってしまうと先々が不安だ。
しかし足がつったら終わり。走れない。だから早め早めに対策をとった方がいいかもしれない。

右ハムストリングの違和感が増し、かばいながら走ると左ハムストリングまで違和感が現れる。
18キロでとうとうポーチに入ったエアーサロンパスに手がいった。ジェット噴射したのだ。
気休めかもしれないが精神的には楽になった。

淀屋橋〜本町〜心斎橋〜難波と御堂筋を戻り、難波を右折してエアーサロンパスをジェット噴射した頃、右前方に京セラドームが見えてきた。もうすぐ20キロだ。
右折して大正橋を渡り京セラドームを通過する。しばらく走ったところに折り返し地点がある。この折り返し地点が癖者で足が痛い自分にとって小さな回転は体力を消耗する。こうして再び京セラドームに戻った頃、ようやく20キロを迎えたのだ。

必死に5分を超えないよう、5キロラップが25分以下になるよう踏ん張ったが一歩届かず。

15キロ〜20キロのラップ25分02秒
20キロ通過タイム
ネット1時間40分40秒
グロス1時間45分23秒

なんとかスレスレだが、走り始めたときの20キロ目標タイムはクリアした。

このまま中間点まで頑張ろう。あと1.1キロだ。
その次は25キロ、25キロまで頑張ろう。今はもっと先のことは考えたくない。

満身創痍だ。予想はしていたがこんなにまで足が痛いとは想定外。
左足底は痛過ぎて痺れすぎて感覚が麻痺するくらい。麻痺して痛みがわからなくなるのならいいがそうではない。

痛い
痛い
確かに痛い
気のせいだと思いたいが間違いなく痛い

右ハムストリングも…

でも、でも負けない
大阪初のサブ4
最低でもサブ4
神様と約束したサブ4は必ず守る

諦めたら終わり
絶対に諦めない
どんなことがあっても諦めない
負けない

今諦めたら後で後悔する
あとたった2時間頑張れば終わるんだ
長い人生のたった2時間だ
2時間で終わる


しかしどんなに強い精神力を保とうとしても痛いものは痛い。
ペースは少しずつ落ちていた。

30キロを2時間35分…なんとか守りたい。

ラップを確認するのが恐かった。ズルズルと落ちているのがわかるから恐かった。

今回の大阪は、応援を楽しんでいる余裕などどこにもない。毎回応援を楽しみにしていたが、大阪独特の面白い応援を楽しみにしていたが今は違った。
沿道に目を向ける余裕がまったくない。
ハイタッチに応えると体力の消耗が激しく申し訳ないが苦痛に変わる。足が痛いのに加え、身も心も苦痛に変わる。
だから歩道側は走らず常に中央分離帯側を走った。必然的に給水も取り損なう。
Dスタートで給水が混み合うことを予想して、初めてボトルポーチを身につけた。しかし後ろに手を回してボトルを取る動作がしんどくて持参した水分さえも満足に飲んでいない。

プーマの応援もスタートしてすぐのところと9キロと、あと何キロだっけ?
もう忘れてしまった。何キロ地点に応援があるのかさえ忘れてしまうほど余裕がない。
プーマの応援も気がついたら過ぎていたの繰り返し。

20キロ〜25キロのラップ26分12秒
25キロ通過タイム
ネット2時間06分52秒
グロス2時間11分35秒

大国を過ぎて30キロも過ぎればそろそろ住之江だ。応援の多い場所だ。

25キロ〜30キロのラップ27分37秒
1キロに直すと5分31秒少々…やはり落ちた。足はもう限界だ。つりそうだ。ちぎれそうに痛い。

30キロ通過タイム
ネット2時間34分29秒
グロス2時間39分12秒

なんとか30キロまでは目標通りに来た。平均でキロ5分09秒ペース。
足さえ故障していなければキロ5分。2時間30分も夢ではないと感じた。悔しいが仕方がない。

このまま最後まで25キロ〜30キロのラップでいければ3時間40分フィニッシュ。このペースで行くことはできないのか?

もしかしたら神様が助けてくれるかもしれない。
奇跡があるかもしれない。

30キロからは苦痛以外の何者でもなかった。心拍は余裕だが、スピードを落とさないと足がつる危険があった。肉離れの経験はないが、プツンと音をたてて筋肉が切れる感じがした。そうなったら走れない。そうならないようにごまかしながら進むしかない。落とさざるを得ない。

そしてあまり給水をしていないせいか頭がボーっとしてきた。一瞬目眩がしてフラフラっとした。

やばい。
水だ。水を飲まないと…
次の給水所で右側に寄り、スポーツドリンク2カップ、水2カップと立て続けに取って補給した。余った水は頭にかけた。

せっかく昨日大阪森ノ宮で買ったボトルポーチYURENIKUIは何の役にも立たなかった。ほとんど飲んでいない。やはり慣れないことはするものではない。

30キロ〜35キロのラップ29分21秒
35キロ通過タイム
ネット3時間03分50秒
グロス3時間08分33秒

足のつりを抑えるためにはこのスピードが限界だ。何度もエアーサロンパスをジェット噴射し続けた。そろそろ使い切ってしまうのではないか?
不安だ。今は「苦しいときの神頼み」ならぬ「痛いときのエアーサロンパス頼み」なのだから。
使用頻度が増しているのでポーチには戻さず手に持って走るかポケットに入れた。

あと2〜3キロで大阪マラソン最大の難所南港大橋だ。プーマの応援もある。記憶では南港大橋を渡り切れば38キロ。終わりが見える。なんとか足がつらずにもって欲しい。
周囲には足がつって動けないランナーが数名…
エアーサロンパスを貸してあげたいが自分の分で精一杯。差し上げるほどの残量はない。

ゆっくりゆっくり足を気づかいながら走った。走るというより進むという表現が合っている。

遂に現れた。南港大橋だ。
歩かずに登り切れるだろうか?
いや、歩いたらダメ。
歩いたらマラソンにならない。

つらずに登って降りれるだろうか?
ここでプーマの応援がある。
しかしそんなことはすっかり忘れていた。
体力を消耗する歩道側は避けて真逆を進んだ。

第3回大会ではここ南港大橋で感動のOか本さんの応援があった。今思い出しても嬉しい嬉しい応援だった。

1、2、1、2…
大阪マラソン攻略コラムに南港大橋は足元を見て、1、2とかけ声をかけながら走れと書いてあったのを思い出した。
そのとおりにやった。
しかし登り切るまで何度唱えなければならないのかと嫌気がさし、1から100まで数えることにした。何度か繰り返しあっという間に登り切ってしまった。
あとは降りるだけ。
ここを降りれば38キロ。大阪マラソンは4キロ少々で終わりを告げる。
もう少しだ。
下りはスピードを上げたかっがハムストリングが超限界で無理…
上げてしまうとつってしまい動けなくなる。このペースで行くしかない。心拍数はどんどん下がっていく。
気持ちも心肺も余裕なのに足が言うことを聞かない。どうにもならない。
俺の足よ、なんとかなれ…(祈)

35キロ〜40キロのラップ32分02秒
40キロ通過タイム
ネット3時間35分52秒
グロス3時間40分35秒

あと2.195キロ
たったの2.195キロ
されど2.195キロ
長く長く感じる2.195キロ

ブンブン丸よ頑張れ。
もう少しだ。
歩かずによく頑張った。
お前マラソンやって根性ついたな。

ほっとしながらゆっくりゆっくり大阪の大地を踏みしめた。

40キロ〜42.195キロのラップ15分22秒
フィニッシュタイム
ネット3時間51分14秒
グロス3時間55分57秒

ラストスパートをかける余裕などこの足にはない。ゆっくりペースでフィニッシュを迎え、自然に万歳ポーズができた。

終わった瞬間ランナーの邪魔にならない場所に移動して深々と大阪マラソンの神様にお辞儀をした。

奇跡は起こらなかった。
プーマのNコーチが言うようにマラソンに奇跡は起こらない。
練習がすべて。

練習不足で挑んだ大阪マラソン
記録など出るはずはなかった。

神様は助けてはくれなかった。
でも神様は見守ってくれた。
大阪マラソンの神様は、ブンブン丸を最後まで見守ってくれた。

大阪マラソンの神様はブンブン丸の守護神である。

タイムマシンに乗ってもう一度10月30日午前9時に戻っても、これ以上の走りはできない。結果は同じだ。
何の悔いもない。
あそこでこうすれば良かったという「たられば」は一切ない。
今できる精一杯の走りをした結果がこれ。
今日はこれ以上の走りをすることは不可能だ。

もう一度フィニッシュゲートに向かって深々とお辞儀をした。

2週間後の岡山でもう一度同じ目にあうのかと思うとぞっとする。(笑)

神様見てますか

昨シーズンのおかやま、つくば、東京で感じた感情の高ぶりはまったくと言っていいほどなかった。スタート前の緊張による心拍数の上昇さえもない。
あの独特な闘争心はどこへ行ってしまったのか?

8時55分
車椅子マラソンがスタートし、いよいよあと5分に迫っていた。
あまりにも気合いが入らない自分に憤りを感じ、ポンポンと両手で軽く頬を叩いた。

一昨年のFブロックでは聞こえなかった号砲が、ここDブロックでは微かに小さく聞こえ、同時にマラソンウォッチの計測ボタンをプッシュした。
時計は左右に2個つけている。右手は心拍数が最も正確に計測できるといわれているポラール製。勿論胸につけた心拍センサーで計測する。(c3fitの着圧ノースリーブの心臓部分にボタンで取り付けるもの。ベルトと違って走行中背中に回ってしまうことがないので安心。違和感もない。)ポラールの心拍計は医療用としても使われているくらい信頼性が高いが、マラソン用としては不満がある。表示方法が気に入らないのだ。そのためエプソン製の脈拍を測れるマラソンウォッチも左手につけてタイムやラップの確認は左手で、心拍数の確認は右手で行っている。

号砲が鳴っても暫く微動だにしなかった。
やっと一歩二歩三歩と歩き始めた。ゆっくりゆっくり歩き始めた。4分43秒かけてスタートラインまで到着。予想より2分ほど早かったが、ここを過ぎてもまだまだかなりゆっくりと歩くだけ。ようやくスロージョグのような感じで走る真似ができるようになり、走っていると実感できたのは号砲から10分経過したあたりだろうか。

この遅れはどのくらいで取り戻せばいいのだろう?
足の調子は悪いので飛ばし過ぎると潰れるはずだ。

悩みながら走っていたが、瞬間的なスピードを確認するとキロ4分10秒程度のこともあり、概ね4分30秒以下で走っている。3キロ〜4キロのラップも4分30秒程度だった。スタートしたとき、最初の5キロは思うように走れないからグロス35分で行ければ上等と考えていた。しかし予想に反して30分54秒。

足の方はどうかと言うと、これはおそらく最悪な状態。梅雨空のようにどんよりと重く、右ハムストリングの張りはいつつっても不思議ではないくらい。左足底は地面を踏むたびに蹴るたびに嫌な痛みが走る。

このペースはこの足の状態では速過ぎる。キロ5分15秒程度がいいのかもしれない。
しかし、いつどうなるかわからない爆弾を抱えているようなもの。行けるところまでガンガン行って落ちても落ちても食い潰さないだけの貯金をつくった方がいいかもしれない。

20キロ通過タイムをどのくらいにしよう?
ネット1時間40分(グロス1時間45分)…つまりキロ5分ペース。
ハーフまではこのペースを守りたい。
ハーフはネット1時間45分台…グロス1時間50分台。
30キロは…?
30キロは少し落ちるだろう。
30キロはネット2時間35分(グロス2時間40分)…キロ5分10秒ペース
その後は?
その後は予想すら難しい。この足がもってくれる保証はどこにもない。もしかしたらハーフでいっぱいいっぱいかもしれない。

難波〜心斎橋〜本町〜淀屋橋と御堂筋を走り大阪市役所が近づいてきた。8.8キロチャレンジランのフィニッシュ地点だ。まだ誰もフィニッシュした者はいない。

2012年第2回大会は、このレーンに誘導されて復活の狼煙をあげた。4年前のことだが鮮明に思い出す。
生まれて初めて神様に深々とお辞儀をしたのはここ大阪だ。

5キロ〜10キロのラップ24分40秒

13キロ過ぎ
大阪証券取引所が目の前に見えてきた。上空は青空で日射しも眩しいほど。つけていたサングラスをはずして上空を見上げた。

さすがは大阪だ。
今年も気温が上がったな。
快晴だよ。

今一度上空を見上げ、どこまでも透きとおるように青い空を見渡した。

そのときだった。
突然気配を感じたのだ。
優しい優しい気配を…

もう一度上空を見上げたが何も見えない。
再三見上げたが何も見えない。
しかし感じるものがある。

突然右目左目と相次いで一雫の涙が流れ落ちた。
拭うこともしなかったが、汗にまぎれ込んで隣を走っているランナーには気づかれていない。
ごく自然に流れた不思議な涙。
あっという間に頬を流れ落ちた…

間違いない。
神様だ!
大阪マラソンの神様だ!

もう一度上空を見上げても広い広い青空を見渡しても青い空と白い雲以外は何も見えない。
でも、ブンブン丸を見守ってくれる神様がいる。
ここにいる。

大阪マラソンの神様…

アー、生きていて良かった。
走り続けていて良かった。
諦めなくて良かった。
大阪に来て良かった。
大阪マラソンを走って良かった。

神様、神様見てますか。
ブンブン丸の勇姿を見てますか。
こんなに元気になったブンブン丸を見てますか。
どうですか。フルマラソンなのにキロ4分台ですよ。
どこからどう見ても心臓の手術をした大きなハンデがあるようには見えないでしょ。
ありがとうございます。
感謝でいっぱいです。
今日は本調子ではありませんが、大阪初のサブ4でご挨拶します。
最後まで見守ってください。
約束は必ず守ります。


神様はそっと上空から見守っているだけで手助けはしてくれない。

ブンブン丸が頑張る姿
ブンブン丸が一生懸命走る姿をそっと見ているだけ。

努力をした者
腐らさなかった者
諦めなかった者だけが感じるであろう不思議な不思議な感覚…

神様、ブンブン丸は復活しましたよ。
どうです‼︎
4年前のチャレンジランとは別人でしょう。
3年前、2年前の走りとも全然違うでしょう。


10キロ〜15キロのラップ24分47秒
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