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本日の練習会

火曜日は初心者クラスとファストクラスの練習会。いつものように練習が始まる前に皇居を1周したが、神保町に戻る時間がなかったたため平川門で皆が来るのを腹筋をしながら待った。
寒さのため汗が冷えて身体は硬直状態に…

キロ7分ペースで桜田門まで走り、広場で股関節やハムストリングの筋トレとストレッチ。それが終わった後は、またキロ7分で平川門までゆっくりラン。
正式な練習会はこれで終わりだが、この後もう1周「後ラン」と称して合同自主練が始まるのが常。

まずはキロ5分半程度で半蔵門まで。ここから徐々にペースは上がる。桜田門までは4分50秒ペースで走ったが、私が先陣をきってペースを上げた。Nコーチがヒタヒタとついてきて間もなく抜かれた。でも、それは想定内。自分でペースをつくるより誰かについて行った方が楽なのだ。Nコーチの2〜3m後ろをピタリとついて意地でも離れるものかと思った。何度か時計を確認したが3分30秒〜3分50秒ペースの間で推移し、それ以上遅れることはない。息もさほどあがらず先週木曜日に続いて不思議な感覚。1.5キロ程度なら3分台で走れることがわかってきた。2キロ3キロと続けばいいのだが…

Nコーチはまさか私がついてくるとは思っていなかったようでビックリした表情。2〜3年のうちにサブ3.5を目指したいと話したら”今期達成できるよ”とおだてられた。

今期はサブ3.5挑戦の基礎づくりの年にしたい。
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今の自分を見つめて

自分のブログを断片的に読み返して感じたこと。
最近の自分は走ることに関して感謝の気持ちがなくなってしまった。走ること。走れることが当たり前のように感じている。数年前はもっと謙虚だったはずだ。
自分の身体のことは勿論、自分以外のランナーに対してもっと優しい気持ちがあったように思う。
サブ4に復活してからの1年、どこか有頂天になっている。どことなく傲慢な自分を感じる。
これではいけない。
初心を忘れてはいけない。
感謝を忘れてはいけない。
優しさを忘れてはいけない。

人には優しく自分には厳しくあれ。

そして、走ることに没頭するあまり自分の身体のことを忘れるな。

そんなに急いで記録ばかりを追い求めてどうするんだ?

徐々に徐々に行こうじゃないか。
今までそうやってきた。

焦らない
腐らない
諦めない

今の自分は
諦めたくないから
焦ってる
急いでる

本日の練習会

今日のRC練習会は15キロビルドアップ。ABCの3クラス構成でBクラスを予定していたが、館林の中学生がジョギング後に急性心筋梗塞で亡くなったニュースが脳裏から離れずCクラスに下げるべきか悩んだ。自分も同じ運命を辿るのではないかという恐怖心からくるものだ。

Bクラスは5キロ毎に25分、24分、フリーとビルドアップしていく。一方Cクラスは30分、29分、フリーとかなり楽なペース。あまり負荷がかからないため突然死のリスクは減る。
直前まで悩んだが、Cクラスではたいした練習にならない。3月5日の静岡マラソンを意識するとやはりBクラスを選択すべき。誰にも話さなかったがBクラスにする代わり2周10キロでやめようと決断した。どうしても突然死の悪夢が脳裏から離れない。

本日Bクラスを先導するのはFコーチ。速くなったり遅くなったり変化の激しいNコーチやいつも1クラス上のスピードになってしまうSコーチと違ってペースは正確。
そうはいっても皇居は歩道が狭い箇所があり、一定区間は減速を余儀なくされるので同じペースで5キロという訳にはいかない。平川門から半蔵門までが登り坂と狭い歩道でやや減速。半蔵門から平川門までの3.3キロをペースアップという具合。つまり5キロ毎のビルドアップといっても変化走付きビルドアップである。
1周目は予定よりやや速いペースで走り2周目に突入。平川門から登りと人混みでダウンしたペースを半蔵門から取り戻すべく明らかにペースが上がった。4'30/km台。
しかし笑ってしまうくらいに苦しさを感じず、どうしてこんなに楽なのかと不思議に思った。
2周でやめるので桜田門からの約2キロをさらにビルドアップして集団から離れるつもりだった。
Fコーチに「2周目で終わりにするのでここからベースを上げて帰ります。」と言うべく最後尾から抜け出して先頭に行った。凄く楽だった。時計を見ると4'30/km台なのに呼吸が乱れることもなく余裕の心肺。
これでやめていいものかと一瞬の迷いがあり、Fコーチの横に並んだはいいものの何も言えない。
(もう1周走ろう。無理をしない程度に2周目と同じペースかやや落としてもいい。静岡が待っているんだから…)
そう考え直して走る位置を徐々に中堅へと下げた。
同時にFコーチのペースも4'45/km程度に落ちた。

3周目はフリーなので他の人たちは一気にペースを上げた。私はそれとは逆に意識的にベースを落とし半蔵門までキロ5分。しかしいつもの癖でこの半蔵門の下り坂からペースは上がる。桜田門からはさらに上がる。本気で走っている訳ではないのでかなり楽なもの。このペースで余裕を感じる走りを体感すると嬉しさで自然と満面の笑みがこぼれる。本気で目いっぱい走ってみたいが中学生の記憶が蘇り自嘲した。やはり恐怖心が拭えない。

N瀬コーチがタイムを計っていて23'13でフィニッシュ。ペースダウンするつもりが結果的にはビルドアップをしていた。しかしBクラスでは最下位。

今日はなぜこんなに楽に走れたのかが不思議。最下位といっても本気で走った訳ではなく、余裕を残しての走りなので悔しさはない。むしろ良い練習ができた満足感に満ち溢れていた。中学生が「僕の後を追わないで」と見守っていたのかもしれない。

最近のニュース

先日群馬県館林市の中学校で野球部の練習中に生徒が亡くなった。死因は急性心筋梗塞。既往性もなく至って健康だったそうだ。

練習が始まる前に1.5キロのジョギングを行い、終わった直後に気分が悪くなり休んでいたそうだ。そのまま意識がなくなりAEDで蘇生を試み119番。ドクターヘリで栃木県の病院へ運ばれたが既に心肺停止状態で死亡が確認された。

こんなニュースを耳にすると既往性の自分はいつまた同じような事を繰り返すのかと不安を感じる。
いつ、どこで、何が起こるかわからない。1秒後には自分も同じ運命を辿る可能性を否定できない。恐ろしい。

皇居では負荷をかけた練習をしている。再発が起こっても不思議はない。むしろ必然的か。

どんなにおとなしく、注意深く、用心深く生活を送ったところで一寸先は闇の世界。ならば自分のやりたい事をやって悔いを残さぬ生活をした方がいいのか。

いくら考えても答えは出ない。それは先の事はわからないから。神のみぞ知る。恐山のイタコに亡くなった両親を呼び出してもらい私の最期はどんなふうになるのか聞いてみたいくらいだ。

亡くなった中学生のご冥福を心よりお祈りします。

検査

現在4週間隔で町医者に通院し、そのうち3回に1回は心電図・心臓超音波・血液検査等を受けている。昨日の通院時に12月中旬に受けた検査結果の報告があった。

主に肝臓や心筋の破壊を指標とするGOTとGPTが高く、これらが高いためにγ-GTPも基準値を超えていた。また、筋肉破壊の時に高くなるCKも基準値超え。

各々の基準値と前回今回の数値は以下のとおり。

(GOT)基準値10〜40.前回 23.今回58
(GPT)基準値5〜40.前回21.今回61
(γ-GTP)基準値70以下.前回 21.今回 73
(CK)基準値62〜287.前回156.今回304

医師が神妙な顔つきで肝臓の数値に異常があります。何か思い当たることはありますか。と聞いてきた。
肝臓に異常が出たのは今回が初めて。アルコールは飲めなわけではないがあまり好きではないので普段は口にしない。

もしかしてマラソンの影響か?

大阪マラソンを走った翌週土曜日に20キロ走を行い、その翌週がおかやまマラソン。岡山が終わった後も20キロ走や32キロ走、15キロビルドアップ・15キロ変化走の前に5キロTTを入れたりと、かなり身体に負担をかけ続けている。
記憶を辿ると11月13日おかやまマラソンが終わった後の2週間でおよそ150キロ走り、12月も検査前の2週間で200キロは走っている。強度な練習をしている。検査日2日前の12月15日には5キロTTを走った直後に15キロビルドアップ。
疲労骨折が治った後は休養らしきものをとった記憶がない。

「お酒は飲まないですよねえ。」
「はい、飲みません。」
「風邪をひきませんでしたか?風邪薬を飲むと肝機能の数値が高くなることがあります。」
「12月に確か風邪をひいて病院で処方された薬を飲みました。」
「おそらくそれが原因ですかね。」
「検査日はいつでしたっけ?」
「12月17日です。」
「17日?風邪は12月初期にひいたような?」
(風邪で病院へ行ったのは12月1日。薬は5日間飲んだだけ。飲み終わってから10日以上経っているから違う。もしかして走り過ぎか?フルマラソン2本出ているし、その後も休養せずにかなり走っている。だけどそんなこと言えない。)
「2月4日にK大学病院へ行くことになっています。その時に検査がありますが。」
「その結果表を次回の通院時に持ってきてください。そしてK大学病院の先生に今回の結果表を見せてどうして肝機能の数値が高くなってしまったのか聞いてみてください。」
「わかりました。」
(大学病院へ行くまでは少し練習量を減らして身体を休めてみるか。その時の検査で基準値を超えていなければ走り過ぎってことだろう。Fコーチが言っていたフルマラソン後は1カ月身体を休めた方がいい。次のレースまで1カ月は間隔をあけろ。やっぱり正解だ。フルマラソン後は内臓に相当なダメージがあって回復するまで時間がかかると言っていたっけ。筋肉痛がないから大丈夫と毎週のようにレースに出る市民ランナーがいるけど、筋肉痛がなくても内臓は弱っているので回復に努めた方がいいと。内臓は筋肉と違って異常があっても訴えない。とくに肝臓は沈黙の臓器だと。やっぱり元SB食品の選手。間違ったことは言っていない。)

静岡マラソンを3月に控えているため極端な練習量の軽減はできないが、2月4日までは少し休養を入れることも念頭にしたい。
ある意味今の自分は実験台。次の検査でどんな結果が出るかこれからマラソンを続けるうえでの指標にしたい。

ちなみに肝機能の数値が高くなるのは脂肪肝・中性脂肪なども原因の一つであるが、私はほぼ正常下限値である。

(中性脂肪)基準値50〜149.前回56.今回56

ハイテクハーフとこれからの期待

ハイテクハーフ出陣前の記念撮影
赤羽
中央で達磨のように着膨れしている

10時00分上流コーススタート。
公式ホームページでは、目標タイムが速い順に10時00分・10時15分・10時30分各々上流と下流コースに振り分けたと書かれている。
10時ジャストのスタートは初参加2012年以来5年ぶり。当時の目標申告タイムは1時間30分台前半。翌年は心筋梗塞後の初ハーフで制限時間いっぱいの2時間30分が目標申告タイムで10時30分スタートだった。一昨年2時間が切れたため(1時間53分)昨年からようやく10時15分に。今年は念願だった10時ジャストに昇格。奈落の底から徐々に這い上がってきた証でもあるこのスタート時間の歴史は感慨深いものがある。

今回で6回目の参加になるこの大会。その中で一番寒い気温2℃
心筋梗塞再発リスクが高まるこの気象条件は十分DNSをする理由になるが、ここまできたらスタートするしかない。

10時ジャストはガチランナーが多いので早めに並んだ方がいいとのアドバイスがありプーマの人達と30分前から準備した。
ネックウォーマーを目のあたりまで上げてグローブの上から手に息を吹きかけた。身体は寒さで硬直。隣にいたeriさんに「俺、この位置は前過ぎるよ」と弱音を吐いた。

カウントダウンすることもなくいきなり号砲が鳴り、慌ててランニングウォッチのスタートボタンを押した。
流れに沿って走るつもりはないので、左端に寄って"どうぞ抜いてください"とばかりに小さくなった。まわりにいたプーマの人達はもうどこにいるのかわからない。この流れに沿って走ってしまうとキロ3分台ペースなのでとんでもないことになる。2キロで潰れて回復するまで時間がかかり乱れてしまう。マラソンは自分のペースで走らなければ最後までもたないのだ。

1キロ通過ラップ4分28秒
2キロ通過ラップ4分44秒

これでも速い。今日の目標はキロ4分50秒ペースで1時間42分台。
もう少し落とした方がいいと思いながら左手に持っていた寒さよけのレインコートを罪悪感の中草むらに投げ捨てた。

3キロ通過ラップ4分42秒
まだ速い。4キロに近づいた頃中央を見ると(ずっと左端を走っていた)3m〜4m前にeriさんが見えた。そして、その後方左端をBさんが走っていた。

5キロ6キロ7キロと進んでもその差はあまり変わらない。それでも5m〜6mは開いたか?
9キロが過ぎ、中間地点になるまでに堤防の登り下りがある。そこでペースはいったん落ちるはず。

10キロ通過ラップ5分00秒
予想どおり若干落ちた。

中間地点をeriさんが折り返し、すぐに自分に気づいてくれて軽く右手を挙げた。Bさんともすれ違ったがBさんは気づいてくれない。

少しベースを上げればすぐに2人の横に並べるくらいの差だったが、無理をせずに自分のペースを守ることにした。余裕を残さなければ。

中間地点を折り返し、もう一度堤防の登り下り。あとは4分50秒台でどこまで走り続けることができるかで目標の1時間42分台の可否が決まる。

一番だれたのが14キロ〜17キロあたり。それまでBさんはオレンジの長袖Tシャツおじさんと抜きつ抜かれつのデッドヒート。その様子を私は後方からずっと眺めていた。オレンジおじさんはBさんを抜いたかと思うとすぐにBさんに抜き返され、あっという間に私にも抜かれる。そうかと思うとまたすぐに私を抜いてBさんも抜く。その繰り返し。いつの間にか私はそのオレンジおじさんをターゲットにしていた。

しかし、14キロ過ぎからペースが落ちて反対に Bさんは上がったようで少しずつ差が開いてしまった。
追い討ちをかけたのは河川敷内に車が入るためランナーがいったん停止を求められたこと。冗談じゃないよと思い憤慨したが止まるしかなかった。ペースがすっかり乱れてズルズルと落ちた。

俺の貴重な時間を返せ。

(もう1時間42分台は無理だろう。昨年超えはできなかったか。今年はいいや。仕方ないよ。怪我もあったし。)
そう考えながら走っていたが、今持ち直さないと後で後悔することになる。
(言い訳してんじゃないよ。12月あんなに練習したじゃないか。別に心肺が限界なわけじゃない。脚が限界なわけでもない。気持ちだ。気持ちだよ。気持ちの問題だ。)

マラソンを始めた2009年当時を思い出した。レースに出ることが不安だった。目標どおりに走れるのか。それどころか制限時間内で走ることができるのかが不安だった。どうしたらいいのかわからなかった。不安を払拭するために何をしたか。それは練習だった。ひとり孤独にたくさん走り、その結果不安はいつしか自信に変わっていた。
これだけ練習したのだから目標を達成できないはずがない。

”不安なときは走れ”
それが当時のスローガン

”マラソンは己との闘いだ。楽をしたいという己の気持ちに勝つことだ。敵は己の心に中に潜んでいる。”

昔を思い出した。自分は今、楽をしたいと考えている。
(楽をしちゃダメだ。自分に負けたらダメだ。今日必ず1時間42分で走れ。今諦めなければできる。必ずできる。今からでも遅くはない。12月あんなに練習したんだ。あんなに走ったじゃないか。できないはずがない。)

少しずつペースを上げ、再び4分50秒台に戻した。いつしかオレンジおじさんは後方へと消えて二度と見ることはなかった。

1キロ毎のラップ確認は必ずしていたがタイムの確認はしなかった。見ないようにしていた。途中で弱い気持ちに負けてペースが落ちたのでタイムを確認するのが怖かったのかもしれない。

21キロの手前で時計が見えた。1時間41分38秒を刻んでいた。
(やばい。時間がない。42分台だめだったか。)
一生懸命走った。もう一度よく考えたらあと1分少々ある。勘違いに気がついて安心しながらFINISHUに向かった。

グロス1時間42分24秒
ネット1時間42分19秒

いつものように深々と神様に頭を垂れた。

後で気がついたこと。
今季は一度も心拍数を確認することなくレースを走っており、この日も心拍計付きウォッチはつけているだけで一度も見ようとしなかった。レース後に心拍計のデータを確認したところ

走行距離21.2キロ(実際は21.0975キロ)
1時間42分25秒(実際は24秒)
キロ4分50秒ペース
平均心拍数141

えっ、141…
このペースで21キロ走って141…

いつもは危険と知りながら160超えが当たり前だった。

途中でペースを上げたわけでもなく、ペースを落としたわけでもなく、ほぼ一定のペースで走り切ったハーフマラソン。
キロ4分50秒で21.0975キロ…
それでも141
心拍数制限が140なのでほぼジャスト。

確実に心肺が強くなっていることに気がついた。この感じでもっともっと地道に練習を重ねればハーフマラソンのサブ100(1時間40分切り)ができるかもしれない。

自信と期待と嬉しさで歓喜したハイテクハーフであった。

今のスローガン
"人の倍走れ"

健常者と肩を並べて走りたいならば同じ練習をしていてはいけない。
人の倍走れ。
それができなければ差はドンドン広がる。
倍走っても追いつくことは難しい。
広がる差を少しでも小さくしろ。
悔しかったら走れ。
速く走りたければ走れ。

第18回ハイテクハーフマラソン

2017年1月8日
6年連続となるハイテクハーフマラソンに参加した。降雪も予想されたくらいの寒波の中でのレース。会場に到着した8時30分赤羽荒川河川敷の気温は2℃で霜が降りていた。数日前までの予報では朝から雨。しかし、一度もマラソン大会での雨を経験していないつきに見放されることはなく、なんとか曇りでお天気はもつようだ。
寒さの中でのゴルフが禁止されているくらい(12月〜3月は原則禁止)既往性の心筋梗塞者にとってこの日の天候は危険が伴う。寒さで冠動脈が縮むので再発リスクが高まるのだ。
雨ならばDNSしようと心に決めていたが、運が良いのか悪いのか雨は午後から降るようなので走るしかない。恥ずかしいが厚着をして出場することにした。発熱する着圧ハイネックに起毛つきのハイネック、その上にTシャツを着てネックウォーマー。ウインドブレーカーを着るか迷ったがさすがにそれは回避した。

大会の詳しい内容は後日書き記すことにしてまずは結果から。
今シーズンはハーフもフルも一度も昨シーズンを上回る記録が残せず半ば諦め気味。そして、できればDNSしたかったというメンタル面の弱さが加わって自信というものは全くなかった。
唯一心の拠り所にできたのは、岡山のあとから徐々に強度を増し、12月から本格的に始めたきつい練習に耐えたこと。

グロス1:42'24"
ネット1:42'19"

昨年のこの大会のネットが1:43'02"
今シーズン初めて昨シーズン超えをした。

2017年新年ラン

2017年新年の初ランは元日の朝食後に行った。
ここは栃木県と福島県の県境に位置する那須温泉。那須岳の麓、要するに山。走るとなれば登るか下るか二つに一つ。往路で下りを選択すれば復路は登り。往路で登りを選択すれば復路は下り。
那須は年に何度も訪れている勝手知ったる場所。いつもの癖で往路は下りを選択する。途中まで下って別荘地の中を横に平坦に走るのが馴染みのコースだが、昨年末から負荷をかけようというのが信念。ひたすら下ってひたすら登るという走りを選択した。
何km下るかで辛い登りの距離がおのずと決まる。下りは勢いに任せて速く走れるが抑え気味に5'10/km程度で6km進んだ。もっと先へ進んでもいいのだが、復路が辛くなるだけなのでこの辺でやめておこう。
下りが嫌いだという人もいるが私は大好きだ。それは楽に速く走れるから。一方、やはり登りは嫌いだ。それは疲れて息が切れるから。

エイッとUターンして今まで背を向けていた方向に転換した。車ではさほど気にしたことのないこの道の登りだが、いざ走るとなると大変だ。さっきまでの軽快な足どりが嘘のように重くなった。速度が落ちるのは仕方ないが、最後まで休まず止まらず走り通そう。
最初はコンビニで一度くらいは休憩をと考えていた。しかし、新年初ランは心を鬼にして走り通すことで決意を変えた。

息づかいの激しい音が自分でも聞こえるくらいにゼーハーしていた。
恐る恐るラップを確認すると5'40/kmをやや切るペース。思ったほど落ちてはいない。

登り始めて2kmほど。あと4kmも登り続けるのかと思うとゾッとした。電柱を数えてあと10本まで頑張ろうという作戦をとることにした。

1本、2本、3本…9本、10本
よっし、あと10本だ。あと10本頑張れ。

の繰り返し。

歩いてもいいかな
と思うのだが、なんとか歩かずホテルまで頑張ろうという気持ちが勝って汗が滴り落ちた。額、顎からポタポタと真冬とは思えないくらいの汗の量。

電柱10本は数え飽きたので好きな番号16本まで増やして頑張ることにした。

1本、2本、3本…14本、15本…
なかなか16本目がない。

あった。16本目があった。でもかなり先だ。あそこはホテルの前だ。
そんな感じで歩かず最後まで走り切る(登り切る)ことができた。

翌日2日も同じことを繰り返し、3日は自宅に戻っていたのでいつもの多摩湖自転車道を変化走。正月三が日の合計はおよそ40kmになり休暇を終えた。

2016年の締めくくり

2016年12月30日に10人ほどのメンバーで東京マラソン新コースLSDを行った。
神保町交差点をスタート地点にしたため全コースを走る訳ではない。概ね35kmくらいか…

平川門に8時30分集合。準備体操をしてからゆっくりと神保町交差点へ向かいLSDが始まった。

プーマ会員以外の方が多く、皆がどの位の走力なのかよくわからない。
6"00/km程度で走っていたが、速すぎるという苦情があって7"00/km近くにまでペースは落とされた。足への負担が増してトレーニングになるかもしれない。
信号待ちや8kmに1回程度とった休憩で乳酸が溜まり足がパンパンだ。
同じように新コースLSDを走っている集団と何度もすれ違った。

この新コースは疲労骨折で走れないときに自転車で1回。9月に3人でLSDを1回。合わせて3回目になるため十分に熟知している。月1回をノルマにした40km走と月間走行距離を400kmの大台に乗せたいがための距離合わせで参加したようなもの。

この日の最高気温は7℃という予報だったため沢山着込んでしまった。しかし、やはり走るとゆっくりでも暑くなる。そして休憩すると一気に汗が冷えて底冷えするという繰り返し。

ランステは各自がいろいろなところを利用しているためバラバラ。年末ということもあり15時でクローズしてしまうところが…
そんな訳で品川まで走るのは無理ということになり、可能な限り走って14時までには終了しようということになった。このペースでこの頻度の休憩をとっていると25kmくらいで終わってしまうのではないだろうか?

門前仲町で深川にぎりと豆大福を食べたあとは少々ペースが上がり(休憩をとらなくなった)30kmくらいはいけるなかという希望が出てきた。しかし、乳酸が溜まっているのか足がかなり重い。

銀座は人通りが多くて走ることができず、数寄屋橋を過ぎるまでは歩いた。
ペニンシュラホテルを右手に見ながら左折して増上寺まで走ってUターン。フィニッシュ地点の東京駅和田倉門へと向かいLSDを終了した。

全員で記念撮影


30km少々の走行距離で12月の月間400kmに満たなかったため、一人皇居2周をプラスすることにした。
これで401.1km
心筋梗塞発症前、およそ5年ぶりの400km超えで2016年を締めくくった。
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