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静岡を前に思うこと

静岡マラソンまであと12日。朝起きるとあと11日になる。毎年雨が降っている静岡マラソン。レースでの雨を一度も経験したことがない晴れ男が参加するからには、きっと富士山が見える良い天候に恵まれるだろう。雨が降らないことを祈るばかりだ。

目標は3時間45分。でも、実は3時間38分で走った夢を見た。正夢になったらいいと思うが、まだこのタイムで走り切るのは無理だろう。
ハーフまでは4'55"ペースで走り、30キロを2時間30分というのが第一の目標。それができなかった場合は、第二の目標として35キロを3時間。残り7.195キロをキロ6分以内で走れば3時間40分台前半。多少は遅れることを考えて3時間45分という計算なのだ。目標は机上では簡単にクリアできる。
しかし、練習のペース走よりも速く走るレースは思いのほか心臓にこたえる。毎回感じるが、25キロを過ぎて30キロが近づくとペースが落ち始める。心筋が壊死しているハンデなのかもしれない。残された心筋を強くして人並み以上の機能にしてきたが、やはり後半になると心臓が弱っているのを感じる。これが心筋40%壊死という現実なのだ。
胃に違和感が現れる。でも、これは宿命のようなもの。京都マラソンで感じた胃の違和感を思い出せば、最近感じる胃の違和感は随分と和らいできた。

フルマラソン前に感じる一番の恐怖はこの胃の違和感。おそらく心臓が限界に近づいたという信号なのだろうが、これからも上手くつきあっていくしかない。心臓がパンクしないように血管がパンクしないように自分で調整するしかない。
足が疲れて痛くて動かないなんていうのはどうってことはない。根性出して我慢して走ればいいだけだから。
でも、
胃の違和感は…怖い。死に直面するかもしれないので怖い。

今期は怪我があったことで秋口のレースは調整不足だった。冬に向けて多少は強度な練習ができたので心肺が強くなっていることを自覚する。それを信じて走る。胃の違和感が現れないことを信じて走る。和らいでいることを信じて走る。だって、スピードを上げても以前より楽に走れていることを実感しているのだから。

しかし、体調異変はほんの小さなオーバーペースの積み重ねで起こる。
先日のペース走は30キロまで5'12"
このペースであれば問題はなかった。このペースが最後まで持続できれば3時間40分台前半でフィニッシュできる。
そうすべきなのか?
後半は心臓が弱ってペースが落ちることを想定し、中盤までに貯金をつくるべきなのか?
悩むところだ。
今の答えはあわよくばもっと良いタイムも期待可能な後者だが…
いつか捨てレースをつくって前者を試してみたい。そう感じる静岡前の心境。

もうひとつの心境は、どんなに強がってみても恐怖心があるということ。フルマラソンは怖い。スタートを待っている時は、逃げ出したくなるくらいの恐怖心に襲われる。体調が急変するのではという恐怖心に襲われる。胃の違和感も思い出すだけでゾッとする。
これが素直な気持ち。だけど、マラソンはやめられない。
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本日の練習会2017.2.18

今日の練習会は5キロ3本。Aクラス20分、Bクラス23分、Cクラス28分。
Bクラス23分=4'36"/kmなのでいける気はするが不安がある。23分というのはあくまで目安で実際にはそれよりは多少速いはずだから。おそらく4'30"/km=22'30"で2本走り、ラストはフリーになるのだろう。
1本か2本なら頑張って走ってしまうが3本は怖い。
心拍数の問題もあるし、集団からひとりだけ遅れるのも迷惑がかかる。
一方Cクラスはだいぶ落ちて5キロあたりで5分も遅い。火曜日に一人で走った45Km走よりも遅いペース。静岡対策としては、キロ5分で3周するのがベストだが、練習会なので仕方ない。
予想では3周目をフリーで走らせてくれると思うので、ラストを23分切りにすればいいと考えた。悔しいがCクラスを選択した。

1周目のCクラスは28分より速く26分前半だった。引っ張ったNコーチが速過ぎてしまって申し訳ないと謝っていた。

2周目も若干速くてジャスト27分。でも、これでも前回の45km走よりゆっくりペース。

3周目に入るときにNコーチにラストは上げたいので先に行くことを告げてスパートした。予定通り23分切りができればと平川門からの登りを踏ん張った。概ね4'40"程度。1キロが過ぎたあたりからペースを上げ、半蔵門の下りで更に上げた。4'20"を切るくらい。5'00"なら心拍数140程度で問題ないのだが、やはり4'20"を切ると心拍数は155を超える。この速度で140にならないものかと思わずため息が出てしまう。もっともっと速く走りたい。心拍数が上がらないで速く走りたい。欲の塊で醜い自分が現れてしまったがいつもいつも思うこと。きっとBはもっと速く走ったのだろう。

このスピードは上げ過ぎだ。Cを選択した自分に悔しさはあったが、Cで正解だったと安堵の気持ちがあった。そんなことを考えながら桜田門を通過し、大手門が見えてきた頃時計を確認すると4'44"に落ちているではないか。慌ててペースを上げて4'30"に戻し、このままのスピードで平川門を過ぎたベンチを目指した。
平川門の手前100mあたりでOMコーチがベンチ前で待っているのが見えた。
(最後だ。ダッシュしよう。)

「ナイスラン、ナイスラン‼︎ すごいじゃない。すごくいい走りですよ。」
満面の笑顔でハイタッチを要求された。自然と嬉しくなってしまった。よくわからないけど自分も笑顔になっていた。
22分中盤、Bクラスと同等くらいか。

「ブンブン丸さん、何分で走ったんですか?すごいですよ。」
「ちょうど4'30"ペースです。」
「Bクラスの方が良かったじゃない。ブンブン丸さんはBですよ。でもホントにここまでよく戻してきましたね。あの時のことを思い出すと考えられないですよ。よく頑張りましたよ。」

静岡まであと15日。今日のラスト1周を脳に記憶させて
3:45'00"
をクリアしたい。
いや、クリアする。

45k+2k走

2017年2月14日
今日は休暇で皇居をひとり孤独に45k+2k走を行った。+2kとはPUMAランステから平川門までの往復距離。
本音はキロ5分でどこまで走れるか試してみたいのだが、集団走ならいざ知らず孤独走でそのペースは難しい。

という訳で5分半で30キロ=2:45'00"
その後はキロ6をオーバーしないことを目標に掲げた。勿論あと19日に迫った静岡マラソン対策だ。

今年はこの時期土日にいろいろと用事が入り、どうしても時間のかかる40キロ以上のロング走ができないでいた。今週末まで待ってしまうと2週間前のロング走になって疲れを抜かなければならない時期に逆行してしまう。今日がラストチャンスと考えていた。
フルマラソンを走り切るための脚づくりと目標に向かった調整ができているかの確認だ。
雑誌などではフルマラソン対策として30キロ走を取り入れるよう書かれているが、私の理念では30キロでは足りない。30キロはマラソンの本当の苦しさ、辛さを味合う前の段階。練習でもレースでも少し辛抱すれば30キロにはすぐに到達してしまう。
「マラソンは30キロを過ぎてからがマラソンだ」という名言があるとおり、30キロを過ぎると悪魔が訪れる。第一段階の衰えがやってくるのだ。35キロでは極端な脚の衰え、気持ちの衰えが襲い自分に勝つことが困難になる。思考能力が低下して頑張ろうという気持ちが薄れる。脳に酸素がいかなくなることが原因らしい。だから練習で30キロ以上走ることでこの状態をつくり出して自分に勝つ訓練をしなければならないのだ。30キロを過ぎてからが真の練習なのだ。

午後2時に2Lのペットボトルを抱えてPUMAランステを出た。ゆっくり走って平川門へ向かった。

これから長い長いロング走が始まる。しばし辛抱と心に決めてスタートした。
最初の登り1キロは5'30"ペース。まあまあいい感じ。半蔵門を過ぎて下りに入り一気にペースアップしたいところだが、これから4時間以上もかかる長旅なので控えめに。
桜田門〜大手門と過ぎて1周終了ポイントの平川門。26分を若干オーバーするタイム。

2周目はいつ給水をするか悩みながらの走り。2周終了でとるべきか。はたまた3周終了まで我慢するか。なぜならば、立ち止まってしまうことで今のペースが狂うのを嫌ったのだ。
2周が終わり平川門へ到着したが給水はせずにそのまま走り続けた。

3周目も給水のことばかり考えていた。既往性の心筋梗塞ということを考えると脱水は絶対に避けなければならない。絶対に水分補給はするべきなのだ。
しかし、あと1周我慢すれば20キロ。15キロで止まるのと20キロで止まるのでは精神的にかなり違う。残り距離が短く感じてぐっと楽になる。そんな気がして20キロまで我慢したいと葛藤が続いた。
走るペースも一定で全く落ちる気配は感じられない。いつもは皇居を4分台で練習しているためか、5'10"〜5'20"がこんなに楽だと感じるのは新しい発見だった。

結局4周目に突入。4周終わったところで必ず給水するぞと自分に言い聞かせながら走り続けた。

4周が終わりペットボトルを両手に持ってガブガブと3分の1ほど一気飲み。飲み終えて休むことなく再びランを開始。

5周目も給水のタイミングを考えていた。一つの区切りとなる30キロ6周終わったところでと決めた。つまりあと2周。
その頃から左足親指に違和感が出始めた。静岡用に買ったニューシューズが靴擦れっぽい。このまま最後まで走ると皮がむけるのではという不安の中、親指に力をなるべく入れないように踵重心で走るよう調整していた。

気がつくと、不思議なことにビルドアップしているようだ。5周目、6周目とタイムが僅かだが速くなり、30キロは2時間36分。
いよいよこれからが今日の練習の真骨頂。どんなことがあってもキロ6はオーバーしないぞと固く誓った。気持ちも脚も負けないように頑張ろう。

ハムに多少の違和感が表れてレースの再現に似た状態。しかし、いつもと違うのはスピードは落ちたものの極端なペースダウンではない。残り距離を意識して自分の脚が自然につくり出したペースダウンの感じ。事実時計を何度確認してもキロ6に迫ることがない。常に5分半未満で継続できている。強いメンタルも持続できている。残り10キロを5分半ペース=55分で走りたいという強い意志が芽生えた。

30キロ〜40キロのタイムは54分。キロ5分半以下である。
ここまで走って今日の目的は十分に果たせたと感じたが、もう1周走ればフルマラソンより長い距離。ラスト5キロをなんとか30分未満で走ろう。
自分で自分を激励し、どうにかこうにか29分。45キロのサブ4を練習で達成してしまった。

静岡への自信に繋がる収穫多きロング走。勿論練習史上最速の45キロ走である。懸念は靴擦れをかばった走りで足底筋膜炎のような状態になってしまったこと。あと2週間少々でしっかりと身体のケアをして静岡を迎えたい。

別大に出たい

今日は別府大分毎日マラソン。(通称:別大)我がRCからもたくさんのメンバーが出走したのでランナーズアップデートを片手にテレビ応援をした。

5年前の今日2012年2月5日(日)も別大だった。香港国際と別大は同日開催だったため、どちらにするか悩んだ。つまりあれから5年経ったいうことだ。悪夢から5年。
本当は別大に出るつもりで準備をしていたが、エントリー直前に私の決意を揺るがした嫁の一言があった。

「別府だったら行かないけど、香港だったら行きたいな」

制限時間3時間30分の別大を完走すれば必然的にサブ3.5
別大は、サブ3.5の目標を達成するか途中リタイアかという究極の結果しかない。別大でプレッシャーに負けない自分を試し、自分の走力を確認し、そして目標達成をしたかった。最高の舞台だった。

当時の別大は、制限時間が3時間30分というだけで3時間30分以内の記録証明書は不要。つまり自己ベストが3時間30分をオーバーしていてもエントリーはできたのだ。(現在は3時間30分以内の記録証明書が必要)

嫁の一言で香港にしようと心が変わり、憧れの別大は封印した。1年後でもいいと思ったから…

もし別大に出ていたら…

考えないようにしてきたが、ふと心をよぎることがある。

もし香港ではなくて別大に出ていたら…
同じ日ではあるものの気象条件(香港は気温・湿度が高い)が違う。スタート時間(香港7時・別大12時)も違う。当然当日の体調の整え方も違う。もしかしたら急性心筋梗塞にはかからなかったかもしれない。かかっていたとしても別府は日本。早い処置でバイパス手術を行い、心筋4割壊死なんてことはなかったはず。せいぜい1割程度の壊死だったかもしれない。

しかし、それを言ってしまうと嫁を責めることになる。だから口にしたことはない。今、このブログで吐露するのが初めて。そんな事を考えただけでも罪だ。

別大に出ていたら今頃どうなっていた…?

香港だったから、海外だったから強行に帰国した。
日本だったら…?
医師に言われるとおり素直に処置を施していただろう。
でも、香港を選択したのは自分。香港で治療を拒否して帰国を選択したのも自分。海外旅行保険に加入しなかったのも自分。全てが自分の責任。考えたところで時間は戻らない。壊死した心筋も戻らない。

後悔はしていないが、心のどこかに
”たられば”
があるのは事実。

別大=速いランナー
そんなイメージがあるのでエントリーできるだけでも羨ましい。

あの時、香港に行かず別大に出ていたら…
香港と同じ運命で2キロ地点で急性心筋梗塞にかかっていたとしてもそれはそれで仕方ない。
別大という大きな大きなステージに立ってみたかった。
そんなことを考えると胸が張り裂けそうになる。

5年前に手術から目覚めて自分の状態を知った時、
たとえ走れるようになったとしても別大は絶望的だと思った。
夢の夢のそのまた夢の遠い夢の世界。
生まれ変わらない限り別大はありえない。
走れるようになったとしても制限時間スレスレの歩くような速度で走っている自分しか想像できなかった。
それでもよかった。再び走ることができるなら…

しかし、不可能だと思っていたサブ4を達成した。
そして、今の目標はサブ3.5だ。
諦めなければ努力次第で夢は叶うということを知った。


サブ3.5になれば別大にエントリーできる。
別大は夢ではない。
もはや夢ではない。
目標だ。
目標に変わった。

別大に出たい。
絶対に出る。
諦めない。

いつまでにという期限はわからないが、必ず出る。

検査結果と知人の死

およそ1年ぶりに大学病院へ行き検査をしてきた。心配していた肝機能は正常値。おそらく15日間で2本走ったフルマラソンの影響で数値が上がっていたのだろう。来季からは最低1カ月は間隔をとった方がよさそうだ。

新たに指摘されたのは心拍数。平常時44なのだ。1年前は起床時が40前半で活動を始めてからの安静時が50前半。
医学的に見ると安静時60以下は除脈といって好ましくない。
スポーツ選手はトレーニングによって心臓が強くなるので、1回に送り出す血液の量が多く心拍数が少なくてすむ。いわゆるスポーツ心臓といわれるもの。高橋尚子選手などマラソントップアスリートは30前半と聞いたことがある。
私は心筋梗塞発症前が40前半。今の心臓は概ねその頃に戻ったということなので問題ない。むしろ嬉しいこと。心臓の大きさも肥大化されているわけではなく問題なし。(除脈で心臓に問題がある場合は肥大化する)
それで最近のスピード練習を楽に感じていたのかもしれない。

不安だったグラフトの寿命について聞いてみた。静脈を使ったグラフトは個人差はあるが10年〜15年。では、時期がきたらどうするのか。

カテーテル検査でグラフトの状況を確認する。
①ステントを入れる方法
②バイパス手術
この二つから選択することになる。バイパス手術を経験している者は、最初の手術で胸が癒着しているので簡単にはできない。グラフトになる静脈にも限りがある。中には3回やった人もいるそうだが2回が限度か。次にやるとしたら右足の静脈しか残っていない。

とりあえずはグラフトの寿命がきても命を落とすことはなさそう。しかし、ステントは複数入れるだろうしフルマラソンを続けることには無理があるのかもしれない。
一生涯マラソンを続けたいという自分の夢は危険信号か?
限られた時間の中でのサブ3.5挑戦ということだろう。

そんなことを色々と質問したことが関係して、3月下旬トレッドミルをすることになった。
トレッドミル=心肺機能検査
という認識でいたが、グラフトがどんな状態になっているか概ね想像がつくのだそうだ。
ランニングでグラフトをいじめ続けているので10年はもたないだろう。
あと5年はもってくれ。
"頑張れ、俺のグラフトよ"



病院帰りに用事があって久しぶりに姉に電話をした。私より3歳年上の知人が亡くなっていることを聞いた。すぐに電話で確かめた。
お客さんのところで気分が悪くなり嘔吐をし、いったん休ませてもらうために横になったそうだ。しかしそのまま意識がなくなった。死因は急性心筋梗塞。私の父の最期とよく似ている。父も昼食後に気分が悪いと横になった。そして嘔吐をし、苦しそうに大きく息を吸いそのまま目を閉じて二度と開けることはなかった。35歳での早すぎる急性心筋梗塞突然死だった。
知人が亡くなったのは、昨年11月下旬東京で観測史上初の降雪があった日。突然寒波が襲った日。
寒い冬は血管が縮むため心筋梗塞で亡くなる方が多い。
亡くなった知人は私に会うと決まって私の身体を心配してくれた。
マラソンをやることに疑問符をつけながらもほどほどに無理しない方がいいと助言もいただいた。

信じられない。
まさか心筋梗塞で亡くなるなんて。
一寸先は闇
誰もが1秒後にはどうなっているかはわからない。

心筋梗塞で亡くなった訃報を聞くたびに、なんて自分は運のいい奴なんだろうと思う。

せっかく助かった命。ランなどやっていていいものなのか考えこんでしまう。

岡山県のマラソンで33歳男性が死亡

1月29日に開催された岡山県井原市のマラソン大会で33歳男性が死亡した。

その男性は10キロの部に参加し、ゴール後に着替え休憩スペースの体育館に移動。
ゴールから1時間15分後に見回りをしていた体育館職員が壁際で荷物を枕にして横になっている男性を発見。既に心肺停止状態で、運ばれた病院で死亡が確認された。

このようなニュースを耳にすると人ごとではないと寒気を感じる。

死因は現在調査中とのことだが、心臓にトラブルが発生したのは間違いないだろう。
急性心筋梗塞や低体温症からくる心不全などが考えられる。
冬に行われるマラソンでは、汗をかいたという自覚が少なく水分補給をおろそかにしてしまいがち。つまり脱水の危険があるのだ。脱水になると血液がドロドロになり血栓ができて動脈を塞ぐ。つまり、心筋梗塞や脳梗塞のリスクが高まる。(とくに心筋梗塞)私の急性心筋梗塞発症理由はまさにこのケース。

そして、もう一つ注意しなければならないのがクールダウン。
マラソンで温まっていた体温が走り終えたことによって急激に冷やされる。気温の低い冬は汗が一気に冷えて低体温症になり、心臓の働きが鈍る。つまり、心不全のリスクが高まる。

トレーニング後のクールダウンはしていても、レース後のクールダウンを怠っている人はかなり多いはず。命にかかわることなので、水分補給とクールダウンには特に注意したい。
マラソン中はエイドで適度な水分補給をして、ゴール後にもう一度水分補給を。そして十分なクールダウン。

亡くなった男性のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
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