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23日ぶりのラン

2017年3月28日(火)
足(左腓腹筋)の痛みがとれたため、いよいよ今日から皇居でランニング。いつもの火曜日練習会は、前ラン・本ラン・後ランと皇居を3周+ランステから皇居までの2往復だが、今日は足の具合を確認するお試しランのようなもの。したがって1周限定だ。
実に静岡マラソン以来23日ぶりのランである。23日間走っていない間に体重は2.6kg増加。ランニングフォームさえ忘れかけているような気がして不安がよぎる。

しかしそんな不安はすぐに解消。皇居までの約1kmゆっくりジョグで足に痛みが走らないことが確認できたためだ。
初心者クラスでの参加。キロ7ゆっくりペース。身体は重いがキロ7が遅すぎるような感じで違和感はなかった。
今回は、何度も怪我を繰り返すことを避けるために走りたい気持ちを抑えて治療と療養に専念した。その甲斐あって本当にいい具合に快方に向かっているようだ。
前回整骨院へ行ったとき、肉離れした箇所が硬くなっているので徐々に柔らかくなるようほぐしていかなければならないと言われた。
アップ、ストレッチ、アイシング、マッサージ等自分でできることは自分でやって怪我をしない身体をつくっていかなければ…

今シーズンは大きな怪我を2回もやってしまった。人間失敗すれば同じ失敗を繰り返さないよう学習するので来シーズンは大丈夫だろう。
秋のマラソンまであと7ヶ月。7ヶ月はあっという間にやってくる。秋にはエンジン全開になるよう調整していきたい。

整形外科の診断では全治4週間だったため、最低でもあと1週間は無理せず控えめにやらなければと思う。
どんなにゆっくりでも、やっぱり走るって最高だ。

翌日目が覚めたらなんと筋肉痛だった。
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皇居復帰


3月23日(木)
今日はランの復帰ではなく、まずはウォーキングから始めてみようと思い皇居にやって来た。22日ぶりの皇居である。たとえランでなくても走り慣れた皇居に来ると自分の聖地に戻ったという不思議な感覚がある。
そして、2月に比べると随分暖かくなっていた。ネックウォーマーやグローブなどは不要でTシャツ1枚で走っているランナーもいる。
しかし、今日は走るわけではなくあくまでウォーキング。それなりに寒くない格好で平川門に来た。
ここへ来るとついついゆっくりでもいいから走りたくなってしまうが、そんなはやる気持ちを抑えて歩き始めた。

実は一昨日の練習会に復帰できる計画でいたが、怪我をした左腓腹筋を押すと痛みが残っていたためしばらく延期。今日歩いてみて疲れや違和感がなく、且つ週末に患部を押しても痛みを感じなければいよいよ来週からラン復帰をしようと思ったのだ。
そのために今日は無理をしてはいけない。絶対に走ってはいけない。あくまでウォーキング。

ついつい走ることが普通のことだと勘違いしていた今日この頃。走れることは決して普通のことではない。身障者の方。病気で走ることができない方。他にもいろいろな理由から走ることや歩くことができない、或いは制限されている方はこの世の中にたくさんいる。だからこうして歩けることに、怪我さえ治れば走れることに感謝しなければならない。
歩いていると自然に5年前を思い出す。

もう一度走りたい。もう一度フルマラソンを走りたい。世界で一番遅いランナーでいいからもう一度走りたい。そんな思いで来る日も来る日も毎日休むことなく歩き続けた。雨の日も、雪の日も、強風の日も、退院の日から一日も休むことなく歩き続けた。手術のために切り開いた胸骨をワイヤーでグルグル巻きにしていたため、上半身に力が加わると激痛が走った。骨がずれてつかないよう手術後半年間は胸部を固定するバストバンドというものを巻いた。少しでも上半身に動きが加わると痛みが走ったため、上半身は不動を保つよう直立で生活した。後ろを振り向くときは首を回すのではなく身体全体で方向転換。物を拾うときは上半身不動のまま腰をおろし、顔は下を見ることなく手の感覚で拾う。子供を見ると怖かった。とくにはしゃぎながら走っている子供に遭遇するとタックルされるのではないかという恐怖心でパニックになりそうだった。
ゆっくりでしか歩けないため、その速度はお年寄りと変わらない。夜の多摩湖自転車道を歩いていたら、突然前を歩いていた老女が立ち止まった。
「何をさっきからついてくる。私を襲うつもりか。」
歩く速度が同じで一定の間隔を保ち続けたため、危険を感じたらしい。こんな老女でさえも取っ組み合いの喧嘩になったら今は勝ち目がない。そこそこに反論すると追い抜く速度が出せないため、老女の姿が見えなくなるまで歩くのをやめた。手術をした心臓が張り裂けんばかりの恐怖だった。

そんなことを思い出すと今こうして歩いているだけでも感謝をしなければならない。歩けることは決して普通のこと、当たり前のことと思ってはいけない。当然走ることに関してはもっと感謝をしなければならない。人間、回復してくるとどん底の頃を忘れる悪い癖がある。欲ばかりが前に出て感謝を忘れる。神様が延命してくれた大事な命を常に感謝しなければならない。グラフトの寿命が尽きるまで、たとえグラフトの寿命が尽きたとしても感謝を忘れてはならない。

ランの再開

明日は練習会。様子見でゆっくり走ってみようと楽しみにしていた。天候に恵まれた三連休も走りたい気持ちをぐっと我慢…

肉離れした左腓腹筋を押してみると痛い。右腓腹筋を押してみると痛くない。明らかに違うこの感覚。ランの再開はもう少し延期すべきか。

静岡マラソン完結編

2017年3月5日(日)午前8時20分
号砲が鳴り第4回静岡マラソンがスタートした。49秒後にゲートを通過。Bブロックからは2分くらいかかると考えていたので、予想よりも1分ほど早く脳の機嫌が一気に上向いた。
右手側が市役所、左手側が県庁という位置からスタートしてすぐに北街道を左折。最初の数百mは流れに沿ってゆっくりめ。次第に自分のペースで自在に走れるようになり、沿道にいるたくさんの方から応援を頂き気分が高揚。

行ってらっしゃい。
あと42キロ頑張ってくださいね〜

ありがとうございます。頑張ってきます。

こんなことは初めてだ。自然といきなり声援に応えることができた。これはやっぱりランナーズの特集コピーを読んだ影響だ。
1.jpg
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北街道を4キロほど走ったところで流通センター通りを左折。間もなく5キロ表示板が見えてきた。

5キロ
グロス24"24
ネット23"35

岡山では最初の5キロが25分02秒。一度も5キロ25分を割り込むことがなかった。それでも身体が重く心肺も余裕なく辛かったことを思い出した。

今日はフルマラソンとしてはこんなに速いペースで走っているがすごく楽。余裕を感じる。心筋梗塞後に走ったレースでは一番速いペース。ハーフより速いかもしれない。
(おいおい、ちょっと速過ぎるよ。最後までもたなくなるからペースを落とせ。4分55秒でいいんだ。)
同時に今シーズン取り組んできた強度な練習を思い出し、
(どうだ。これが俺の走りだ。恥じないだけの練習を積んできたんだ。俺だってこれくらいはできる。)
鼻高々になっている自分を感じた。身も心もすごくご機嫌だ。

脳の中にあるコースマップを取り出してみると7キロ〜13キロくらいにかけてが登りになっている。次の5キロとその次の5キロは少しペースが落ちるだろう。いや、落とすべきだ。落とさなくてはいけない。登りは心臓に堪える。ここで無理をしてはいけない。ペースを落として後半に温存しろ。心臓を労れ。

10キロ
グロス48"06
ネット47"17

落としたつもりが落ちていなかった。
(おい、速いよ。上げ過ぎると後半失速しちゃうよ。まじで落とせ。)
(だけど楽なんだよ。苦しくない。嘘じゃないんだ。楽なんだよ。)

心肺が強くなっていることを実感し、強度な練習をしてきた自分を誇りに感じた。いつも感じることだか練習は嘘をつかない。やればやっただけの成果を出してくれる。結果を形として残してくれる。でもこのペース、ホントに速過ぎはしないか。
(キロ5分でいい。焦るな。慌てるな。今は体力を温存しろ。後半にとっておけ。)
(だけど調子がいい。こんなに調子がいいのは初めてだ。今日はいいタイムが期待できるぞ。)

突然左足シューズの中に石ころのような異物が入った感覚があった。土踏まずあたりのため踏み潰すことはないが違和感でストレスを感じ始めた。
1石

2いし

3石

4石
ガラス瓶のかけらのようなものが薄いニューバランスRC1300のソールとインソールさえも突き破っていた。最後までこの状態で走り、怪我がなかったのが不思議。土踏まず付近だったのが不幸中の幸いか。


静岡中心地から東へ北へと郊外を走ってきたが、南西へと旋回してまた中心地に戻っている。
14キロでエネルギー補給のジェルを取り出してチビチビと口に入れた。どうもこの甘いジェルが苦手だ。毎回ウエストポーチに入れているが我慢して30キロあたりで1本食べるだけ。今回は記録を狙っているのでエネルギー不足にならないよう10キロ、20キロ、30キロ、35キロ、40キロで補給しようと考えていた。最初の1本、予定より遅れてしまった。次は20キロで補給しなければ…

3
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15キロ
グロス1'12"21
ネット1'11"32

15キロを過ぎて安倍川沿いを走った。風景は市街地から郊外へと変化して、何となく海岸が近いという雰囲気を味わいながら走った。
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最初からずっと途切れることなく暖かい声援を受けている。小さな子供からおじいちゃんおばあちゃんまで大きな声で声援をいただいた。その度にできる限り「ありがとうございます」と大きな声で感謝を口にした。確かに大きな声で「ありがとう」と言うと脳が活性化されて気分がいい。

20キロ
グロス1'37"07
ネット1'36"18

中間
グロス1'42"39
ネット1'41"50

ネットタイムでは直近のハイテクハーフより速いことに気がついた。(1'42"19)
(本気で目一杯走っているわけじゃない。15キロからは頑張ってペースを落としている。それなのにハイテクハーフより速い。来年のハーフは1時間30分台が狙えるぞ。)

ワクワク感が一層増して今日はどんな結果になるのだろうと楽しみながら走り続けた。
5
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南安倍川橋を渡り23キロが過ぎてもうすぐ24キロというところ。もう少しで海岸線に入るというところだった。

"ブチッ"

左足から聞こえた音。間髪入れずに左膝が落ちて一瞬のうちに体がぐらつき倒れそうになった。
なんとか倒れないよう体勢を立て直したが左足は地面を蹴れる状態ではない。引きずっていた。
しかし、本能的に歩くことも止まることもしないで腕を振り続けた。
(なんでだよ〜 なんで?こんなに調子がいいのになんで?30分台出ると思ったのになんで?)
一瞬で絶望に変わった。
(あと18キロ、いやそれ以上、18.5キロも残っている。無理だろう?やめようか?走れないよ。)
ついさっきまで、あと18キロ少々で終りだ。とポジティブ思考だった感情は、あと18.5キロもある…という感情に変わってしまった。
ウエストポーチからエアーサロンパスを取り出して音が鳴った左ふくらはぎにジェット噴射し続けた。もちろん引きずり走りをしながら…
体は歩こうとか立ち止まろうなどとは反応せず、何があっても走り続けるという方向に自然と反応していた。
エアーサロンパスは大阪マラソンで貰ったサンプル品のためすぐに使い切ってしまった。もう何もない。処置をしたければ救護に飛び込むしかない。それは嫌だ。立ち止まることになる。休むことになる。どんな状態になろうが1秒とて無駄にすることはできない。
どんな状態になっても
"1秒でも速く走る努力をする"
"1秒でも長い間走れる努力をする"
がポリシーだから。
7
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25キロ
グロス2'03"04
ネット2'02"15

海岸が海が見えた。海岸線を走る美しいコースに変貌した。
気持もポジティブに変貌した。
⑧肉離れ
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(仕方がない。こうなってしまったものは仕方ない。言い訳なんかしちゃダメだ。できるところまでやろう。できる限りのことはやろう。この海岸が見えなくなるまで頑張ろう。35キロで海岸沿いの走りは終わる。あと10キロ頑張ろう。綺麗な海を綺麗な富士山を楽しもう。)

なんとか足を引きずりながら走れる限界の速度を模索しながら走りを試みた。痛みが我慢できて少しでも速く走れる限界の速度を模索した。この時点ではキロ5分50秒程度が限界速度。これを超えると我慢できないほどの激痛が走る。超えなくても激痛にかわりはないのだが、なんとか我慢できる限界速度。たくさんのランナーに次々と抜かれた。悔しいが仕方ない。
(これでいい。こんなこともあるよ。仕方ない。悔しいけど仕方ない。今日は記録は無理だ。記録だけがマラソンじゃない。終わるまで走り続けることがマラソンだ。だから痛くても歩いちゃダメだ。お前ならできる。あんなに練習したじゃないか。できる。)

去年静岡マラソンを走ったTDAさんに海岸沿いの給食、石垣苺が美味しいので食べてくださいと言われていた。その苺畑が目に飛び込み、同時に給食の石垣苺も発見した。しかし、苺にだけ人だかりがあって走りながら取るという行為はできそうになく、止まらなければ取れないと感じた。止まることは許されなかった。且つ止まるとこの足は二度と走れなくなると感じていたから。止まったら終わり。痛みに耐えられず走れなくなる。走りを諦めない代わりに苺を諦めた。

左正面に富士山がどうだと言わんばかりにそびえ立っていた。静岡マラソン4回目にして初公開富士山の光景だ。
やっぱり富士は日本一。
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30キロ
グロス2'31"22
ネット2'30"33

苺畑の前でおばあちゃんが
クエン酸ですよ。元気が出ますよ。
とトレーに乗せた紙コップを差し出してくれた。
とっさに
ありがとうございます。
と受け取り飲み干した。
飲みやすいように氷を細かく砕いてあり、すごく冷えた美味しい美味しいさっぱりした炭酸の効いたCCレモン。
見ず知らずの人にこんなに気遣ってくれて感謝でいっぱいだ。
飲み終わった瞬間に元気が出た。

ありがとうございます。美味しいです。
大きな声で後方のおばあちゃんに聞こえるようお礼を言った。

たくさんやった練習を思い浮かべた。誰にも恥じないだけの練習をしてきた。誰にも負けないくらいの距離を走ってきた。あと10キロ程度だ。皇居2周程度だ。走れないはずがない。痛いのは何かの錯覚だ。お前ならなんなく走れる。
⑩11時37分
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35キロ
グロス3'02"30
ネット3'01"19

最後と思われる給食の苺も取れずに美しい海岸線に別れを告げた。これから清水駅へ向かってマラソンで一番苦しいと言われる残り7キロに挑む。足のアクシデントから早10キロ以上も走った。
そして、いつも鬼門としている37キロまであと2キロだ。あと2キロ頑張ろう。
⑨11時28分
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足の激痛は相変わらず静まることはなく一層痛みを増している。
37キロはすぐに訪れた。いつもは35キロを過ぎると時間が止まったような感覚で1キロどころか100mですら長く感じる。しかし今回はそんな風には感じない。足は痛くてたまらないが苦痛はない。激痛が走っているが苦痛は走っていない。気分だって落ち込んではいない。30キロも35キロも目標としていた通過タイムに届かなかったが落胆はない。それどころか爽快な気分だ。今日を乗り越えれば自信になるぞ。そう思った。
⑪12時3分
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1キロ毎にラップは確認しているが、あのとき以来タイムは確認していない。たまにはこんなマラソンがあってもいい。今日はタイムなんて気にせず走ろうじゃないか。足が痛くたって激痛が走っていたって別に命を失くすわけではない。心臓の危険に比べればたいしたことはない。楽なもんだ。
心拍数はどんどん下がり120を表示している。今回は心臓に優しいマラソンになった。心筋梗塞再発の危険がない実に優しいマラソンだ。足は少々痛いが心肺だって余裕のよっちゃん。
それとは反比例して、激痛を我慢して走れる限界のスピードはどんどん遅くなっている。キロ7分にも迫る勢いで遅くなっている。必死で我慢して落ちる速度をおさえようと頑張った。

たくさんやった練習を再び思い出した。キロ4分の走り。キロ4分10秒の走り。キロ4分20秒の走り。キロ4分30秒の走り。俺はあの走りができる。だからこの程度の走りで弱音など吐く奴ではないとポジティブになった。
(楽じゃないか。こんなにゆっくり楽に走っているじゃないか。)

左足は地面を蹴ることができずに引きずり続け、右足にはかなりの負担がかかっている。右足は足裏が痺れて痺れ過ぎて感覚がわからない。麻痺している。右足さえも引きずるように走っているのか。限界が近いのか。
(いや、限界なんかじゃない。俺には限界はない。可能性は無限大だ。)
どこまでもポジティブだった。

清水の市街地が近い雰囲気が漂い始め、徐々に応援する人が増えてきた。
旦那さん頑張って~
(エッ、俺のこと?)
ありがとうございます。頑張りま~す。

40キロ
グロス3'33"45
ネット3'32"56

小さな子供がメガホン片手に声援を送っていた。腹の底から力を込めて
頑張れ~頑張れ~
完走できるよ~

ありがと〜う
天にも届くくらい大声で返した。
サンキュー
後方からもお礼の言葉がこだました。

お帰りなさ〜い
お疲れさま〜
よく頑張りましたね〜
ゴールまでもう少しですよ〜

ありがとうございま〜す
ありがとうございま〜す

あと500mだ〜頑張れ〜

ありがとうございま〜す

42キロの表示板が見えた。
(よっし、あそこからダッシュだ。)
⑫12時7分
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ダッシュを試みたが激痛に耐えることができずゆっくりとフィニッシュを迎えた。

フィニッシュ
グロス3'47"49
ネット3'47"00
13
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地面に頭がつくくらい深々とお辞儀をした。マラソンの神様、今まで出会ったたくさんの方にありがとうを言った。その中には今回応援メッセージとご機嫌脳のコピーをくれたYEさんも入っている。このご機嫌脳を読まなければ今日は途中棄権していただろう。

マラソンの神様はPちゃんであることを大阪マラソンで感じていた。天高く、ブンブン丸の遥か後方から見守っている気配を感じとったのだ。もちろん静岡にもPちゃんは来ていた。

メダルとタオルを受け取り記念撮影
静岡F
この後歩行困難になり医務室へ直行。

肉離れ
整形外科で診断の結果
腓腹筋断裂全治4週間。ミラノちゃんも心配しています。

何一つとして目標達成ができなかった静岡マラソン。しかし、やりきった感は今までのどの大会よりも強い。
最後まで諦めなかった納得できる大会。来シーズンに繋がることは間違いない。

目標達成はできなかったが去年の東京マラソンの記録を1分10秒だけ短縮。
神様は大幅な記録更新を認めてくれない。少しずつしか認めてくれない。それでもいい。一歩一歩少しずつ努力して、少しずつ記録が短縮される。それでいい。

1秒でも速く走りたい。
1秒を無駄にするな。
これが俺の原点だ。

怪我を治してまた一歩一歩努力する。
来シーズンは3時間30分台で走ることができるよう努力し続ける。

ブンブン丸の挑戦は終わらない。

肉離れの原因と展望

肉離れの原因を探る。
①疲労が抜けず筋肉が硬直していた。
②日頃のストレッチ不足で柔軟性がない。
③スピード持久力が不足している。

おそらく上記3項目すべてが当てはまる。
月間300キロ近く走っているわりにラン前後のストレッチを怠っている。結果、筋肉が硬直して常に張りが強い状態。長年この状態が続いているため、張っているのが当たり前になり違和感を感じない。怪我をしやすい身体になってしまった。疲労骨折に続いての肉離れは猛反省しなければならない。
股関節も硬く肩甲骨も腕を回すだけでゴリゴリと音を立てる。これではいけない。やはり常日頃からストレッチやアイシングを行ってケアを徹底すべき。
そしてスピード持久力。考えてみればハーフマラソンはキロ4"50ペースで走っているが、それ以上の距離をハーフマラソン以上のペースで走ったことは心筋梗塞前を除くと皆無。静岡直前の練習においてもロングペース走はキロ5"10少々。つまり静岡で走ったスピードに耐えられるだけの練習を積み上げていないため、ハーフの距離を過ぎたところが腓腹筋の限界だった。心肺は余裕があってもスピード持久力に耐える筋力が未熟だった。
キロ4"30で走れたと騒いでみてもそれはビルドアップによるせいぜい5キロの区間。キロ4"00で走れたと騒いでみてもそれは変化走によるたった1キロの区間。キロ3分台だと騒いでみてもそれは変化走のラスト500mだとかインターバルでの話。
キロ4分台(後半)で30キロまで走ることを目標にするならば、練習で30キロペース走をキロ5分ペース(2時間30分)で行わなければスピード持久力とそれに伴う筋力は養成されない。
来シーズンの課題が明らかになった。怪我をして学ぶ。これを成長の糧にしよう。

今日は足の具合がよろしいのでウォーキングでもと考えていたが、今しっかり治しておかないと後々後悔することになる。完治しないうちに動かして再発なんていう失態を犯してはいけない。ここは踏みとどまって我慢するしかない。
整骨院ではジャンプしてふくらはぎに痛みや違和感がなければゆっくりジョグから入っていいと言われた。目安は1週間後。
ゆっくりジョグを2週間ほど続けて徐々にスピードを上げてみろとのこと。何事もいきなりやってはいけないのだ。徐々にだ。
あと1週間、ストレッチなどを徹底して焦らず準備にとりかかろう。
気持ちは10月以降に始まるフルマラソンを見据えている。
あと7ヶ月

ああ退屈だあ〜腓腹筋断裂(肉離れ)その後

静岡マラソン後に整形外科で腓腹筋断裂(肉離れ)と診断されて3日間は懸命に患部のアイシングをした。3日間は冷やす。その後は温める。患部は包帯やテーピングで固めるというのが肉離れの治療法らしい。初期の治療を誤ると、または怠ると治ってからも少し走ると痛くなるとか、何度も繰り返し同じところを肉離れすることになるらしい。最初が肝心なのだそうだ。
初期の治療(病院)は静岡県に行ったのだが、実は松葉杖を出すと言われたのだ。日曜日は嫁とトイプードルのミラノと待ち合わせ、熱海温泉に泊まることになっていた。松葉杖など借りてしまったらそんな大怪我をしてと口論になる。マラソンをやめろに発展することは必至。だから必死に松葉杖はお断りした。
嫁には正直に怪我のことは話したので、今回は疲労骨折の時とは違って治療に専念できている。
しかし、全治4週間とは話していないので、そろそろ活動するふりをすべきか悩みどころ。

静岡の整形外科の医師から東京の整形外科に転院できるよう紹介状やレントゲンのデータなどを貰った。
インターネットで調べると整形外科へ行っても整骨院へ行っても治療法は同じということだったので、現在はかかりつけの鍼灸整骨院で超音波治療を中心に行っている。経過は良好だ。治癒力が高いらしく痛みもなくなった。

患部を触られて
痛いですか
と聞かれたので
痛いけど大丈夫
と答えた。

痛いのは大丈夫ではない
と言われてしまった。

痛みに強いので、少々の痛みは我慢できてしまう。受け答えが難しい。

明日から皇居を歩こうか。
身も心も退屈だ。

出陣静岡マラソン

2017年3月5日(日)午前8時20分
号砲が鳴り第4回静岡マラソンがスタートした。49秒後にゲートを通過。Bブロックからは2分くらいかかると考えていたので、予想よりも1分ほど早く脳の機嫌が一気に上向いた。
右手側が市役所、左手側が県庁という位置からスタートしてすぐに北街道を左折。最初の数百mは流れに沿ってゆっくりめ。次第に自分のペースで自在に走れるようになり、沿道にいるたくさんの方から応援を頂き気分が高揚。

行ってらっしゃい。
あと42キロ頑張ってくださいね〜

ありがとうございます。頑張ってきます。

こんなことは初めてだ。自然といきなり声援に応えることができた。これはやっぱりランナーズの特集コピーを読んだ影響だ。

北街道を4キロほど走ったところで流通センター通りを左折。間もなく5キロ表示板が見えてきた。

5キロ
グロス24"24
ネット23"35

岡山では最初の5キロが25分02秒。一度も5キロ25分を割り込むことがなかった。それでも身体が重く心肺も余裕なく辛かったことを思い出した。

今日はフルマラソンとしてはこんなに速いペースで走っているがすごく楽。余裕を感じる。心筋梗塞後に走ったレースでは一番速いペース。ハーフより速いかもしれない。
(おいおい、ちょっと速過ぎるよ。最後までもたなくなるからペースを落とせ。4分55秒でいいんだ。)
同時に今シーズン取り組んできた強度な練習を思い出し、
(どうだ。これが俺の走りだ。恥じないだけの練習を積んできたんだ。俺だってこれくらいはできる。)
鼻高々になっている自分を感じた。身も心もすごくご機嫌だ。

脳の中にあるコースマップを取り出してみると7キロ〜13キロくらいにかけてが登りになっている。次の5キロとその次の5キロは少しペースが落ちるだろう。いや、落とすべきだ。落とさなくてはいけない。登りは心臓に堪える。ここで無理をしてはいけない。ペースを落として後半に温存しろ。心臓を労れ。

10キロ
グロス48"06
ネット47"17

落としたつもりが落ちていなかった。
(おい、速いよ。上げ過ぎると後半失速しちゃうよ。まじで落とせ。)
(だけど楽なんだよ。苦しくない。嘘じゃないんだ。楽なんだよ。)

心肺が強くなっていることを実感し、強度な練習をしてきた自分を誇りに感じた。いつも感じることだか練習は嘘をつかない。やればやっただけの成果を出してくれる。結果を形として残してくれる。でもこのペース、ホントに速過ぎはしないか。
(キロ5分でいい。焦るな。慌てるな。今は体力を温存しろ。後半にとっておけ。)
(だけど調子がいい。こんなに調子がいいのは初めてだ。今日はいいタイムが期待できるぞ。)

突然左足シューズの中に石ころのような異物が入った感覚があった。土踏まずあたりのため踏み潰すことはないが違和感でストレスを感じ始めた。
1石

2いし

3石

4石
ガラス瓶のかけらのようなものが薄いニューバランスRC1300のソールとインソールさえも突き破っていた。最後までこの状態で走り、怪我がなかったのが不思議。土踏まず付近だったのが不幸中の幸いか。


静岡中心地から東へ北へと郊外を走ってきたが、南西へと旋回してまた中心地に戻っている。
14キロでエネルギー補給のジェルを取り出してチビチビと口に入れた。どうもこの甘いジェルが苦手だ。毎回ウエストポーチに入れているが我慢して30キロあたりで1本食べるだけ。今回は記録を狙っているのでエネルギー不足にならないよう10キロ、20キロ、30キロ、35キロ、40キロで補給しようと考えていた。最初の1本、予定より遅れてしまった。次は20キロで補給しなければ…

15キロ
グロス1'12"21
ネット1'11"32

15キロを過ぎて安倍川沿いを走った。風景は市街地から郊外へと変化して、何となく海岸が近いという雰囲気を味わいながら走った。
最初からずっと途切れることなく暖かい声援を受けている。小さな子供からおじいちゃんおばあちゃんまで大きな声で声援をいただいた。その度にできる限り「ありがとうございます」と大きな声で感謝を口にした。確かに大きな声で「ありがとう」と言うと脳が活性化されて気分がいい。

20キロ
グロス1'37"07
ネット1'36"18

中間
グロス1'42"39
ネット1'41"50

ネットタイムでは直近のハイテクハーフより速いことに気がついた。(1'42"19)
(本気で目一杯走っているわけじゃない。15キロからは頑張ってペースを落としている。それなのにハイテクハーフより速い。来年のハーフは1時間30分台が狙えるぞ。)

ワクワク感が一層増して今日はどんな結果になるのだろうと楽しみながら走り続けた。
南安倍川橋を渡り23キロが過ぎてもうすぐ24キロというところ。もう少しで海岸線に入るというところだった。

"ブチッ"

左足から聞こえた音。間髪入れずに左膝が落ちて一瞬のうちに体がぐらつき倒れそうになった。
なんとか倒れないよう体勢を立て直したが左足は地面を蹴れる状態ではない。引きずっていた。
しかし、本能的に歩くことも止まることもしないで腕を振り続けた。
(なんでだよ〜 なんで?こんなに調子がいいのになんで?30分台出ると思ったのになんで?)
一瞬で絶望に変わった。
(あと18キロ、いやそれ以上、18.5キロも残っている。無理だろう?やめようか?走れないよ。)
ついさっきまで、あと18キロ少々で終りだ。とポジティブ思考だった感情は、あと18.5キロもある…という感情に変わってしまった。
ウエストポーチからエアーサロンパスを取り出して音が鳴った左ふくらはぎにジェット噴射し続けた。もちろん引きずり走りをしながら…
体は歩こうとか立ち止まろうなどとは反応せず、何があっても走り続けるという方向に自然と反応していた。
エアーサロンパスは大阪マラソンで貰ったサンプル品のためすぐに使い切ってしまった。もう何もない。処置をしたければ救護に飛び込むしかない。それは嫌だ。立ち止まることになる。休むことになる。どんな状態になろうが1秒とて無駄にすることはできない。
どんな状態になっても
"1秒でも速く走る努力をする"
"1秒でも長い間走れる努力をする"
がポリシーだから。

25キロ
グロス2'03"04
ネット2'02"15

海岸が海が見えた。海岸線を走る美しいコースに変貌した。
気持もポジティブに変貌した。
(仕方がない。こうなってしまったものは仕方ない。言い訳なんかしちゃダメだ。できるところまでやろう。できる限りのことはやろう。この海岸が見えなくなるまで頑張ろう。35キロで海岸沿いの走りは終わる。あと10キロ頑張ろう。綺麗な海を綺麗な富士山を楽しもう。)

なんとか足を引きずりながら走れる限界の速度を模索しながら走りを試みた。痛みが我慢できて少しでも速く走れる限界の速度を模索した。この時点ではキロ5分50秒程度が限界速度。これを超えると我慢できないほどの激痛が走る。超えなくても激痛にかわりはないのだが、なんとか我慢できる限界速度。たくさんのランナーに次々と抜かれた。悔しいが仕方ない。
(これでいい。こんなこともあるよ。仕方ない。悔しいけど仕方ない。今日は記録は無理だ。記録だけがマラソンじゃない。終わるまで走り続けることがマラソンだ。だから痛くても歩いちゃダメだ。お前ならできる。あんなに練習したじゃないか。できる。)

去年静岡マラソンを走ったTDAさんに海岸沿いの給食、石垣苺が美味しいので食べてくださいと言われていた。その苺畑が目に飛び込み、同時に給食の石垣苺も発見した。しかし、苺にだけ人だかりがあって走りながら取るという行為はできそうになく、止まらなければ取れないと感じた。止まることは許されなかった。且つ止まるとこの足は二度と走れなくなると感じていたから。止まったら終わり。痛みに耐えられず走れなくなる。走りを諦めない代わりに苺を諦めた。

左正面に富士山がどうだと言わんばかりにそびえ立っていた。静岡マラソン4回目にして初公開富士山の光景だ。
やっぱり富士は日本一。

30キロ
グロス2'31"22
ネット2'30"33

苺畑の前でおばあちゃんが
クエン酸ですよ。元気が出ますよ。
とトレーに乗せた紙コップを差し出してくれた。
とっさに
ありがとうございます。
と受け取り飲み干した。
飲みやすいように氷を細かく砕いてあり、すごく冷えた美味しい美味しいさっぱりした炭酸の効いたCCレモン。
見ず知らずの人にこんなに気遣ってくれて感謝でいっぱいだ。
飲み終わった瞬間に元気が出た。

ありがとうございます。美味しいです。
大きな声で後方のおばあちゃんに聞こえるようお礼を言った。

たくさんやった練習を思い浮かべた。誰にも恥じないだけの練習をしてきた。誰にも負けないくらいの距離を走ってきた。あと10キロ程度だ。皇居2周程度だ。走れないはずがない。痛いのは何かの錯覚だ。お前ならなんなく走れる。

35キロ
グロス3'02"30
ネット3'01"19

最後と思われる給食の苺も取れずに美しい海岸線に別れを告げた。これから清水駅へ向かってマラソンで一番苦しいと言われる残り7キロに挑む。足のアクシデントから早10キロ以上も走った。
そして、いつも鬼門としている37キロまであと2キロだ。あと2キロ頑張ろう。

足の激痛は相変わらず静まることはなく一層痛みを増している。

37キロはすぐに訪れた。いつもは35キロを過ぎると時間が止まったような感覚で1キロどころか100mですら長く感じる。しかし今回はそんな風には感じない。足は痛くてたまらないが苦痛はない。激痛が走っているが苦痛は走っていない。気分だって落ち込んではいない。30キロも35キロも目標としていた通過タイムに届かなかったが落胆はない。それどころか爽快な気分だ。今日を乗り越えれば自信になるぞ。そう思った。

1キロ毎にラップは確認しているが、あのとき以来タイムは確認していない。たまにはこんなマラソンがあってもいい。今日はタイムなんて気にせず走ろうじゃないか。足が痛くたって激痛が走っていたって別に命を失くすわけではない。心臓の危険に比べればたいしたことはない。楽なもんだ。
心拍数はどんどん下がり120を表示している。今回は心臓に優しいマラソンになった。心筋梗塞再発の危険がない実に優しいマラソンだ。足は少々痛いが心肺だって余裕のよっちゃん。
それとは反比例して、激痛を我慢して走れる限界のスピードはどんどん遅くなっている。キロ7分にも迫る勢いで遅くなっている。必死で我慢して落ちる速度をおさえようと頑張った。

たくさんやった練習を再び思い出した。キロ4分の走り。キロ4分10秒の走り。キロ4分20秒の走り。キロ4分30秒の走り。俺はあの走りができる。だからこの程度の走りで弱音など吐く奴ではないとポジティブになった。
(楽じゃないか。こんなにゆっくり楽に走っているじゃないか。)

左足は地面を蹴ることができずに引きずり続け、右足にはかなりの負担がかかっている。右足は足裏が痺れて痺れ過ぎて感覚がわからない。麻痺している。右足さえも引きずるように走っているのか。限界が近いのか。
(いや、限界なんかじゃない。俺には限界はない。可能性は無限大だ。)
どこまでもポジティブだった。

清水の市街地が近い雰囲気が漂い始め、徐々に応援する人が増えてきた。
旦那さん頑張って~
(エッ、俺のこと?)
ありがとうございます。頑張りま~す。

40キロ
グロス3'33"45
ネット3'32"56

小さな子供がメガホン片手に声援を送っていた。腹の底から力を込めて
頑張れ~頑張れ~
完走できるよ~

ありがと〜う
天にも届くくらい大声で返した。
サンキュー
後方からもお礼の言葉がこだました。

お帰りなさ〜い
お疲れさま〜
よく頑張りましたね〜
ゴールまでもう少しですよ〜

ありがとうございま〜す
ありがとうございま〜す

あと500mだ〜頑張れ〜

ありがとうございま〜す

42キロの表示板が見えた。
(よっし、あそこからダッシュだ。)
ダッシュを試みたが激痛に耐えることができずゆっくりとフィニッシュを迎えた。

フィニッシュ
グロス3'47"49
ネット3'47"00

地面に頭がつくくらい深々とお辞儀をした。マラソンの神様、今まで出会ったたくさんの方にありがとうを言った。その中には今回応援メッセージとご機嫌脳のコピーをくれたYEさんも入っている。このご機嫌脳を読まなければ今日は途中棄権していただろう。

マラソンの神様はPちゃんであることを大阪マラソンで感じていた。天高く、ブンブン丸の遥か後方から見守っている気配を感じとったのだ。もちろん静岡にもPちゃんは来ていた。

メダルとタオルを受け取り記念撮影
静岡F
この後歩行困難になり医務室へ直行。

肉離れ
整形外科で診断の結果
腓腹筋断裂全治4週間。ミラノちゃんも心配しています。

何一つとして目標達成ができなかった静岡マラソン。しかし、やりきった感は今までのどの大会よりも強い。
最後まで諦めなかった納得できる大会。来シーズンに繋がることは間違いない。

目標達成はできなかったが去年の東京マラソンの記録を1分10秒だけ短縮。
神様は大幅な記録更新を認めてくれない。少しずつしか認めてくれない。それでもいい。一歩一歩少しずつ努力して、少しずつ記録が短縮される。それでいい。

1秒でも速く走りたい。
1秒を無駄にするな。
これが俺の原点だ。

怪我を治してまた一歩一歩努力する。
来シーズンは3時間30分台で走ることができるよう努力し続ける。

ブンブン丸の挑戦は終わらない。

静岡マラソンスタート前

2017年3月5日(日)
公言した目標は3時間45分。しかし、内に秘めた理想の目標は3時間38分。なぜなら強度を増した練習の成果で多少スピードを上げてもへばりがこない心肺機能になっていることを実感できているから。

キロ5分以内で30キロまで走ることが第一の目標。つまり30キロをネットで2時間30分以内。(可能ならグロスでも)これができれば35キロは多少ペースが落ちても2時間57分〜58分が可能。残り7.195キロを概ね40分で走れば3時間38分は達成できる。心臓の調子が極端に悪くならない限り、計算上は楽に達成できるのだ。
ただ怖い。心筋梗塞からの復活フルは今回が11本目。その中でこの静岡が一番恐怖心を抱いている。突然倒れて今度こそ死んでしまうのではないかという恐怖心が拭い去れない。
いくらポジティブでご機嫌脳になろうとしても、香港のトラウマが消えないのだ。

目覚し時計は5時にセットしていたが、その必要がないくらい早くに目が覚めた。昨夜コンビニで買ってきたおにぎりとバナナ2本を食べて炭水化物でエネルギー補給した。合わせて粉末とゼリー状のアミノバイタルも摂取した。

6時10分に静岡駅南口にあるホテルを出てゆっくり20分ほど歩いてスタート地点の駿府城公園へ行った。

今年で4回目の静岡マラソンだが、毎年雨で一度も富士山が見えたことがないらしい。しかし、晴男ブンブン丸が参加すれば天気は保証付だ。まだ一度も雨レースがない。快晴で18℃というマラソンとしては暑すぎる予報だった。

整列開始が7時20分。様子を見ながら7時40分頃Bブロックの中に潜り込んだ。まだ気温は5〜6℃とかなり寒い。スタート直前に脱ぎ捨ててもいいように着古したゴルフ用のフリースを羽織っているので周りのランナーに比べると寒さはしのげている。
大きめのウエストポーチの中には150ml水素水3本と120mlの小さなペットボトルに入れたアミノバリュー2本、エネルギー補給用のジェル5本が入っている。特に水分は心筋梗塞を再発させないための必需品。使う使わないは別として(いつも飲まないので宝の持ち腐れ)水分はいつでも飲めるよう身につけていないと不安なのだ。ほかにも御守りやらiPhoneやらエアーサロンパスやらたくさん入っているのでかなり重い。しかし、これらはすべて自分の命を守るもの。どれ一つとして削ることはできない。

こうしてスタートを待っている時が一番怖い。しかし、今回はご機嫌脳になるために声援を受けたらありがとうを連発するつもり。後半のハイタッチにも応えるつもり。そんなことを考えていたら恐怖は和らぎアレヨアレヨと号砲が鳴ってしまった。

静岡マラソン応援メッセージ

静岡マラソンを前にPUMAのYEさんからランナーズの特集コピーと応援メッセージを頂いた。

フルマラソンに向けてこれからどんな苦難が起こっても立ち向かい、乗り越える覚悟を決めること。ポジティブシンキングで苦しくなったらたくさんやった練習を思い出すこと。楽しいことを考えること。マラソンが終わった後の自分へのご褒美を考えること。沿道の声援に大きな声で「ありがとう」と応えること。ハイタッチに気持ちよく応えて常に笑顔でいれば、自然にご機嫌脳になってプラス思考になるというもの。

応援メッセージは、誰よりも努力しているのだから自信をもって走ってください。そして、変だなと感じたらいつでも歩いてください。歩きは決して諦めではなく勇気です。また一緒に練習しましょうというもの。

涙が出た。とても嬉しい応援メッセージである。レース中に違和感を感じたら歩く勇気が持てた。自分の最終目標は静岡ではない。サブ3.5でもない。少しでも長い間走ること。
「1秒でも長く走れ」
「1秒でも長く走りたい」
調子は良い。練習ではスピードを上げても楽な走りができている。
3時間45分を目標として公言しているが、正直なところ3時間38分もできるのではないかと密かに思っていた。
ただ、怖いのだ。エントリー時はあんなに楽しみにしているフルマラソン。ワクワクしているフルマラソン。いざ近づくと心臓が張り裂けそうになるくらいに怖い。今度こそ死んでしまうのではないかという恐怖心が芽生えるのだ。香港のトラウマだ。
そこはポジティブシンキングで乗り越えよう。
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