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インターバル

2017年4月27日(木)
今日の練習会はインターバルで400m×10本。
4月〜6月の木曜日練習会はこのインターバルが主体。前回は1km×5本だった。マラソンシーズンがオフになった春はインターバル練習で心臓を強くし、速く走る感覚を身体と脳に記憶させた方がいいらしい。
しかし、既往性の心筋梗塞者が一番やってはいけないのがこのインターバルだ。完全な無酸素運動になり心臓にかなりの負担をかけて心房が拡大してしまう。不整脈になる危険がある。
八割がたやりたくない練習だが、だからと言って避けてしまうと6月までの大半の練習を休むことになる。Cクラスでやれば問題ないだろうという楽観的な思考で前回に続いて参加した。

Cクラスを先導するのはSコーチ。Sコーチはいつもワンクラス上げて走る決められたペースを守らないコーチ。今回もそうなのかと嫌な予感がした。
それを察知したのかどうかは定かでないがCクラス予定だった大半の人たちがDクラスの編成を希望。急遽NコーチがDクラスをつくって先導することになった。
Nコーチはペースが一定せず、どちらかというとSコーチとは真逆のタイプ。決められたペースより遅くなることが多いので私はSコーチに恐怖を感じながらもそのままCクラスに居残った。

予感は的中した。400mを95秒前後(キロ4分程度)がCのはずだが、85秒前後(キロ3分半程度)でBクラスと同等。
2本目も3本目も同じ。1本目が速ければ2本目から少し落とそうとするのがペースをつくるコーチの役目と思うが、不思議なくらい一定の速いペースが守られ5本目も6本目も同じだった。
前を行くBクラスとは時間差でスタートしているが、1本あたり10秒違うはずなので次第に差が広がるはず。しかし同じ85秒前後で走っているので一定の間隔を保ったままその差は広がらない。

400m走って次の400mを走るまでの90秒間で周りを見渡すと腰をかがめてハーハー苦しそうに顔をしかめる方が大多数。
自分は…というと、これが大丈夫なのだ。多少はハーハーするが10秒もすれば呼吸はほぼ元に戻り普通に会話ができる。腰をかがめることもない。結構余裕。俺ってすごいなあと勘違いしてしまう。
でもそれと心臓の問題は別。本来このインターバルは一番やってはいけない練習にかわりはない。
8本目9本目はSコーチの前に出て先頭で走り終えてしまった。ラストは意識的に落として中位でフィニッシュ。10本とも予定より速いペースであったが限界ではなく8割くらいの力配分か。

速く楽に走るコツがわかった。地面と足の反発を利用して地面を蹴り上げジャンプするイメージ。楽に速く心拍数もあまり上がらずに走れる。

この後皇居を+1周(桜田門までを概ねキロ5分ペース、桜田門~平川門を概ねキロ4分半ペース)してこの日の練習を終えた。
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ブログを始めた理由

突然思いついたように始めたランニング。とりつかれたようにはまり5ヶ月後の初フルでサブ4を達成。順風満帆な充実した生活だった。しかし、香港国際マラソンでまさかの急性心筋梗塞。マラソンはそこで終わるはずだった。
パイパス手術後に「もう一度走りたい」と決意して始めたランニングへの再挑戦。ウォーキング主体のリハビリに励んでいた頃に自分がやっていることを日記などに残したいと思うようになった。フルマラソンを走れるようになるまでの軌跡を記したいと考えたのだ。生きている証を綴るために。

しかし、結局は何もしないまま時は流れて岡山でサブ4を達成した。2週間後のつくばマラソンでakiさんにランニング仲間が集うブログ村の打ち上げに誘われた。大勢の方が自分の走った軌跡をブログに残していることを知った。自分もやってみようと思った。
ただし、ブログの目的は人に見てもらうことではなく自分が死んだ後にこんなことを考えながら走っていたんだと嫁や親族など周りに知ってもらうため。心筋梗塞を起こしてまでもマラソンを諦めなかった自分の気持ちをこのブログを通じて感じとって欲しかった。身内には今の感情や気持ちといったものを言葉として上手く伝えられていない。
私がマラソンをすることを身内から反対されるのは当然のこと。それは自分でもよく理解している。ランニングクラブの練習日は機嫌の悪い嫁には近寄り難いほどのオーラが発せられる。マラソン大会が近づいたときは更なるオーラがあって家に帰りたくないと思ってしまうほど。
嫁は私がここまで努力しているということを知らない。強い精神力でガードしていることさえ知らない。命知らずの自分勝手な強情っぱりと思っているだけだろう。だから死んだ後でいいから真意を知ってもらいたいと思った。

とは言っても多少は他人の目にも触れたいもの。フェイスブックと連携させることも考え、フェイスブックに登録してみたが、よくよく考えるとそんなことをするとすぐに嫁の目にとまってしまう。だからフェイスブックは登録しただけで友達申請もしないまま何もせずに1年以上が過ぎた。

いつまでこのブログを続けるのかわからないが、いつか自分が死んだとき、このブログの存在を嫁に知って欲しい。

覚悟を決める

グラフトの寿命、右心房、左心房拡大傾向等々・・・ 現状抱えている問題。
既往性の心筋梗塞者の本来のあるべき姿とは何なのかを考えた時、すぐに出てくる答えはウオーキングなどの有酸素運動を行い食事制限など自制を続けて再発防止に努めること。
長く生きるということを基本に考えれば静かな生活を送ることである。
しかし、私がここまで復活できた裏側にはそれなりの覚悟がある。あえて激しい運動マラソンを継続する道を選択した訳であり、そこに至るには覚悟がなければできない。命を落としても納得する覚悟。後悔はしない覚悟。本望とする覚悟。死はいつも隣合わせ。いつも意識しなければならない。
心筋が40%壊死していることが判明し、残された60%で何ができるのかを考えた。マラソンを続けるにはあまりにもハンデが大きすぎる。壊死した心筋は回復することがない。数千万円をかければ大阪大学とテルモで研究を進めている心筋再生手術を受けられるがまだまだ道は開かれていない。残された60%の心筋を時間をかけて強化し、機能性をアップすることに努めた。ゆっくりジョグ、LSD、ビルドアップ、変化走、ペース走を繰り返し行うことで心肺機能を強化した。およそ4年の月日をかけてサブ4に復活。サブ3.5を目標にするところまで辿り着いたが、この1年は足踏み続き。それどころか過激すぎるトレーニングがたたって左右の心房に若干の異常が見られる。無酸素運動とされる領域でのトレーニングが多すぎたせいか心房が拡大してしまった。
命第一主義、健康第一主義として過ごすならば直ちにこの過激なトレーニングを中止してサブ3.5の目標を捨てることが正論。

それでいいのか?
答えはNo

バイパス手術から目覚めたときにまず最初に考えたことは
「もう一度走りたい」

「焦らない。腐らない。諦めない。」
強い意志で数々の成果を得てきた。

今の目標はまず3時間40分を切ること。
そしてサブ3.5

今の私の身体でのサブ3.5は、サブ4とは比べものにならないほどハードルが高い。
42.195キロ走るのに平均でキロ5分を切らなければならない。無酸素運動の時間がとてつもなく長く続く。
だから今まで以上に
「焦らない。腐らない。諦めない。」
の忍耐が必要だ。

無酸素運動を有酸素運動に変えるほどの更なる心肺機能の強化が必要だ。
地道なトレーニングで強くするしかない。

もう一度原点に帰って純粋に清らかな気持ちで励みたい。邪心を払拭したい。

サブ3.5
それは私のマラソン人生における最終章になるだろう。

不明

昨日は朝から一日中雨が降り続き、4月とは思えないほど寒い日だった。
天気予報を確認したところ20時には小雨に変わり、21時には完全にやむらしい。それを信じて家を出るときに皇居を走る準備をした。

18時30分アスリートQランニングクラブ(4月から名称が変わった。PUMAとの契約を打ち切ったらしい。これでアミノバイタルから数えて4回目。いったい何回変わるのだろう。)のランステに到着。雨はやむ気配がなく激しく降り続いていたので暫くは様子を見ることにした。前ランは当然のことながら中止。

19時30分が近づくと予報どおり雨足が弱まり、この程度なら問題ないというくらいまでになった。
動きづくりの筋トレは雨を想定して室内で済ませて初心者クラスの練習が始まった。皇居は追い越すことも追い越されることもなくガラガラの状態で走りやすい。桜田門に到着した頃は完全に雨がやんだが、動きつくりは終了しているためノンストップで平川門へ。

2周目の後ランはただでさえ少ない参加者が更に減って4人。半蔵門まではおおよそ5分ペース。検査結果のこともありこれ以上はペースを上げない方が無難という考えがちらつきそのままのペースを保つつもりでいた。
しかし下りに差し掛かった影響から徐々にペースが上がり始めてぶっちぎり状態になってしまった。肉離れの影響も感じないほど快適に走った。

この時期からこんなに飛ばしていいのだろうか?

どのくらいの負荷で練習をしたらいいのか、まだ質も量もまったく理解してなく手探り状態だ。
悩ましい…

焦り

心臓はほぼ拳くらいの大きさで右心房、右心室、左心房、左心室の4部屋で構成されている。全身を流れ戻ってきた血液は右心房→右心室→肺へと流れ、肺で酸素を取り込み二酸化炭素を放出する。酸素を取り込んだ血液は左心房→左心室→全身へと流れる。心房は隣の心室へ血液を送る役目のため壁は薄い。心室は血液を送り出す役目のため壁が厚い。特に左心室は全身に血液を送り出すため発達する。
心房が拡大する主な原因は高血圧。高い圧力に耐えるために壁が厚くなり大きくなってしまう。もう一つの原因が既往性の心筋梗塞者が激しい運動をした場合。何故なのかは少し考えればすぐにわかる。激しい運動をすると必然的に心拍数と血圧が上昇する。マラソン中は常に高血圧状態になっている。私は普段の血圧は正常値であるが、激しい運動つまりランニング(マラソン)をしており、練習中もレース中も常に高血圧状態にさらされていることになる。ゆっくりペースのジョギングならば問題ないだろうが、この1年半は4分台での練習が当たり前。このままでは生命の危機か。先行き不透明であるため、練習方法を改善すべきか不安と迷いが生じてきた。心房が拡大すると不整脈から心不全、あるいは心房細動そして突然死へと繋がる。昨年末からはサブ3.5を視界に入れるべく、練習内容を強度に設定してきた。おそらくそれが原因で今回の検査結果になってしまったのだろう。焦りすぎたのかもしれない。グラフトの寿命を気にするあまり、2年でサブ3.5を達成したいと考えていた。時間がないという焦りがあった。サブ4までは時間をかけてやってきた。
焦らない
腐らない
諦めない
の集大成だった。

今回のサブ3.5もやはり同じようにやるべきだろう。
いつまでにという期限を定めるのではなく、
焦らない
腐らない
諦めない
の結果がサブ3.5

このまま突っ走ってしまうと不本意な結末になってしまう。

不安

2月3月と連続でおよそ1年ぶりに大学病院での検査があった。結果は異常なしということで聞いていた。大学病院の担当医から、現在月一で通院している病院宛に各種検査結果を糊づけされた封書で頂いた。今週末にその病院へ行くためそのまま渡すべきものだが、中身が気になって破けないよう綺麗に開封してしまったのだ。

ドキッ
右心房左心房拡大
徐脈

何も異常はない。すごくいい結果です。と大学病院の担当医から報告を受けていたはず…
何だこれは…

5年前の心筋梗塞で左右心房が拡大したのか、それともその後拡大したのかわからない。本来は見てはいけないもの。この疑問と不安をどう解決すべきなのか?
もし最近拡大してきたのであればマラソンを続けることは赤信号が灯る。
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