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40km練

2017年9月29日
新しいクラブに入ってからというもの、練習はインターバルとショートペース走(5000m~8000m)ばかり。20km、30kmといった距離走は皆無である。LSDすらやっていない。ジョグだけで終わりにするという軽い練習もない。常にスピード練…
確かに依然と比べるとスピードはついたように思う。短い距離ならキロ4分切りだって可能だ。5000mなら21分で走れる。しかし、どんなにスピードがついても不安が拭えない。持久力やスピード持久力があるのかわからない。長い距離を走っていないので富山マラソンを1ヶ月前にして不安が日ごとに増している。10月8日はDACの30km走(赤羽の荒川河川敷)だが、その30kmですらまともに走れるのかわからない。例年フルマラソンの2ヶ月くらい前から20km走を頻繁に入れて30km走もやる。そして1ヶ月から遅くても3週間前に40km以上走をやっているのだ。
今回は何もしていない。6月から7月にかけて40km走をたくさんやったがそれ以降はやっていない。富山まであと1ヶ月…
来週の30km走は既に富山の3週間前。いきなりプラス10km走って40kmという自信もない。そんな訳で今日久々に皇居で40km走を行った。6月からは織田フィールドと神宮外苑が主体の練習のため思わず懐かしく感じて写真を撮った。
1皇居

今日はスピード持久力を確認するのではない。フルマラソンを走るための脚づくり。ゆっくりと走り続けることで脚に負担をかけてフルマラソン用の脚として慣らすこと。そして持久力の確認。

永田町をスタートしてキロ6で皇居を走る。桜田門を入ったところでベンチに2リットルのペットボトル(水)を置いた。まだ走った距離は1.5km。
本当に久々と思えるほどの距離走、ロング走、LSDだ。
時折キロ6を切ってしまうので今日はスピードを出す練習ではないと自嘲して落とす。こんな繰り返しで4周目に突入した。疲れはない。
今日は正午から富山マラソンのマラソンバス申込みが開始される。富山駅前からスタート地点の高岡市役所まで全員座って行けるマラソンバスなのだ。黒部宇奈月温泉駅または富山駅から新高岡駅までの新幹線利用者には行政が交通費の一部を負担するらしい。新幹線利用だと新高岡駅からバスに乗らないとスタート地点へ行けないので、私は乗り換えなしで100%座って行けるマラソンバスを選択した。ただし先着1000名(40名乗りのバス25台分)なのでインターネットはパンクするだろう。ゆっくりと走りながら5分前にウエストポーチからiPhoneを取り出した。富山マラソンのホームページを開き申込みの準備に取りかかった。正午になるのと同時に「申込む」をタップしたが予想どおり繋がらない。キロ7以上にスピードが落ちて走りながら何度もタップすること30分以上。それでも繋がらない。
(だめか、新宿シティと同じだ。繋がった時には定員に達しましたなんてことになるんだろう。)
そう諦めかけた時にやっと繋がり幸運にも申込みを終えることができた。ほぼ1周、iPhoneやりながらの超ゆっくり走だった。

申込みが終えた後はキロ6に戻り、30km、35kmと難なく走り続けた。案外脚は大丈夫。特に疲れもなく攣りそうになることもない。本番もこんな感じならいいなあと思いながらの走りが続く。37kmになったところで少しペースを上げてみようかと考えた。
本番ならあと5kmで終わり。この時点で本番でもペースを上げられるよう、いや落ちないように今練習をしておかなければ…
少し重くなった脚を少しずつ早く回転させてキロ5前後にペースを上げた。意外にも大丈夫。本番もこうできればいいが、本番ではここまでの走るペースが全く違う。キロ6前後なんてそんな甘ったるいものではない。サブ3.5を目指すには4分50秒で30kmまで頑張りたいのだ。

自信は今日の朝までなかった。
でも今は…
今は”ない”から”来週の30km走の結果次第””に変化した。
また来週、その心境の変化について記したいと思う。
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もうすぐ富山マラソン

あと1ヶ月余りで富山マラソンである。今年で第3回だか前2回は払込みまで済ませて不参加だった。一昨年は隔週で富山、おかやま、つくばになってしまったため渋々富山を断念。昨年は大阪が当選し開催日が重なっていたため2年連続で富山を断念。富山に対しては申し訳ない気持ちで一杯だ。今年は三度目の正直で初出場ということになる。
富山マラソン最大の難関は20km過ぎに訪れる高低差50mの新湊大橋。心臓にハンデがある者としては、この心臓破りの急坂新湊大橋が不安だが、日本海の景色を楽しんで走ればクリアできるだろう。苦しいと思えば苦しくなるし、景色が綺麗だと思えば苦しさなんて忘れる。
では目標はどうなのか。シーズン始めのマラソンは記録が望めない。10月は本格的なマラソンシーズンではなく、気温の関係もありそれが顕著になる。冬に向かって調整が上手く進み徐々に好記録が出る。年明けの2月から3月といったところがベストパフォーマンスができる時期だ。
ランニングクラブの練習も10月レースに照準を合わせるようなことはしていない。春から夏はスピードを高めるインターバルが中心でこれからようやく距離走に入るところ。10月からのDACは毎週土曜日が30km走。つまり、せいぜい11月からのマラソンにスレスレ対応できるといった調整方法。10月のマラソンはこれから始まるシーズンに向けての予行演習。42.195kmに耐えうる持久力とスピード持久力を確認するためのレースでどちらかというと練習感覚なのだ。当初はそんな思いでいたので富山の目標は3時間40分前後と考えていた。
当初は…当初はということは今は違うということか。その通り。今は違うのだ。
何と予期せぬ方から来年3月の静岡マラソンで私のサブ3:30達成をサポートしてもいいとう申し出があったのだ。サポート、つまりペーサー。大変有難く嬉しい気持ちで一杯。どう感謝の意を表していいのか迷ってしまうほど。
でも、これに甘えていいものなのかが疑問だった。ペーサーになるということは、そのレースは自分のためのものではなく人のために捨てるということを意味する。大事なレース。しかも3月に行われるレースは十分に記録が狙える。
その方が言うには、ペーサーになるにはいくつかの条件があるのだそうだ。それを聞いて少し安心した。
第一は11月のつくばマラソンで国際陸上競技連盟が発表している国際マラソン参加標準記録の3時間10分を切り、大阪国際女子マラソンのエントリー資格を得ること。(2018大阪国際女子を走る)
第二は上記が達成できなかった場合、来年1月の新宿シティハーフマラソンで東京マラソンの準エリート資格を獲得し、且つ東京マラソンで国際マラソン参加標準記録を突破すること。
以上二点がいずれも達成できなかった場合は、静岡でのペーサーは取りやめて自分のレースとして挑み、国際マラソン参加標準記録3時間10分の突破を目標にするといったもの。
つまり、自分の今シーズンの目標を達成した場合に限り静岡で私のペーサーをしてくれるとのこと。彼女のベストタイムは2017名古屋ウイメンズの3時間23分。このレベルでの14分短縮は容易なことではない。1kmを約20秒短縮しないと3時間10分を切ることはできない。普通なら最低でも2年かけて狙う記録だ。将来的にはサブ3を達成できる力を持っているので単なる通過点になるのだろうが、1年で達成するという難しい目標を是非ともやり遂げてほしい。
そして、私は他力本願でペーサーに頼るのではなく、自分の力で富山でサブ3:30を達成してしまおうと急遽思いついたのである。私が早めに達成してしまえば彼女は変なプレッシャーを感じることなく自分のことに集中することができる。彼女がサブ3:10を達成できるか否かは私の結果にも大きく左右されるのだろう。だから富山で達成して自分のことに集中してもらわなければならない。
富山に対する私の自信…それは次回記すことにしたい。正直なところ自信は…?

今週の練習

9月12日から16日まで5日連続で練習会に参加しました。
12日火曜日はリスタートの1000mインターバル。私の前でペーサーをしているのは、今年4月に資生堂を引退したばかりの会津コーチです。引退後も資生堂に勤務し、夜はリスタート、ハリアーズ、adidasで市民ランナーのコーチをしています。
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13日水曜日午前は前日夜に引き続きリスタートの練習でした。この日は400mインターバル。2日連続のインターバルで疲れ気味なのか、若干腰が落ちています。私の前を走るのは片岡純子ヘッドコーチの旦那さん。リスタート石川代表です。作新学院野球部出身でフルマラソンは2時間40分で走ります。
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14日木曜日はDAC、SWAC、チームM×Kの合同練習でこの日も1000m7本のインターバル。SWACには体験入部をしているのでその時お世話になったコーチ陣等、見覚えのあるお顔が多数…
ラスト1本はフリーという設定でしたので最終のトラック1周400mだけペースを上げました。3日連続のインターバルで疲労感ありありでしたが81秒(1キロ換算3分23秒)で走ることができました。練習後は400m×4のリレーが行われ、楽しいひと時を過ごすことができました。

15日金曜日はadidasの東宮御所3周(10キロ)ビルドアップ。この日はサブ4が目標の中級者レベルでしたので設定ペースは緩めです。しかし、ラスト1周はフリーということで皆さん飛ばすことが予想され、それなりの覚悟を決めました。なぜならば男子の顔ぶれを見ると半数は上級者でしたから…
3周目は14分50秒(1キロ換算約4分30秒)ほどで走ることができ、起伏のきついこのコースとしては満足できるものでした。4日連続のガチ練は身体にかなりの負担を感じます。インターバルが主体なので走行距離は多くないものの、心肺への負担がかなり大きいです。本来やってはいけないインターバル。でも、サブ3.5を達成するためには避けては通れない道。いつまでも走れるわけではありません。いつかグラフトの寿命が訪れます。カテーテルか2度目のバイパス手術かわかりませんが、そうなったらもう走ることはできないでしょう。少なくとも記録を狙うような走りはできなくなります。だから、そうなる前に目標を達成しておく必要があるのです。そのチャンスは調子のいい、体調のいい今なのです。今が勝負なのです。どう考えてもやはり私には時間がないのです。今を逃したら死んでも後悔が残ります。今、できる範囲で精一杯やらなければならないのです。着実に心肺は強くなっています。走力もアップしています。信じられないほど強くなっています。それを日々感じながら走っています。
香港の悪夢がなく、同じように5年半の努力を重ねていたらどんなことになっていたのか考えることがあります。正直悔しさがありますが、何のハンデもなければここまで努力することはなかったかもしれません。ランに飽きてとうの昔に辞めていたかもしれません。心筋梗塞が私を強くしてくれました。ここまで頑張れたのはランに惚れたということもありますが、心筋梗塞のおかげでもあります。心筋梗塞なんぞに負けてたまるかという闘争心が強くありました。「ありがとう心筋梗塞」と言って自分を慰めるしかありません。一生消えない心筋梗塞の傷跡。一生友達、ライバルでいなければなりません。友達として上手につき合っていきますが、普通の友達と違うのは再会してはならないということです。
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16日土曜日はリスタートの代々木公園クロスカントリー。5日連続の練習会ガチ練が終わりました。明日は台風ですので走れるかわかりませんができたら走りたいです。

来週は火曜日から木曜日の3日間で5回の練習会を予定しています。火曜日リスタート、水曜日朝7時adidasと9時10分リスタートのはしごラン、夜DAC、合計3部練。木曜日adidasです。まだまだやります。

最近の練習

2週間のアメリカ旅行からくる時差ボケと疲れ、トレーニング不足によるパフォーマンスの低下はある程度予測していましたが、帰国から5〜6日間はそれが顕著に見られる結果になってしまいました。帰国の翌日参加したリスタートは2000m×3本のインターバルでしたが2本目の途中がついていけず遅れをとりました。(3本目はついていけました。)その2日後に参加したadidasのビルドアップでは、中級レベルだからと安心していましたが突如上級レベルに変更され、残り1kmから遅れをとりました。予想どおりではあったもののやはりそのショックは計り知れないものがあります。せっかく2ヶ月かけてレベルアップしてきたものが一瞬で消え失せたような悲しい出来事でした。体重増と時差ぼけの疲れからくるものと自分を慰めた1週間でした。

しかし、いつまでもこんなで体たらくでいるわけにはいきません。一日も早く8月初旬のパフォーマンスに戻していかなければならないので自覚をもって練習に挑むよう心がけました。
その甲斐あって今は戻りつつあります。体重は減ったり増えたりの繰り返しですが減少傾向にあります。9月2日の土曜練(リスタート)から設定ペースに遅れずついていけるようになりました。

9月2日リスタート
雨で参加者激減

9月2日リスタート①
コーチに挟まれサンドウィッチ状態

9月5日火曜日夜:リスタート練習会
9月6日水曜日朝:リスタート練習会
9月6日水曜日夜:DAC練習会

さすがに2日で3回練習会に参加すると疲れを感じますが、すべてガチ練ですので精神的には強くなったと思います。心肺も強くなったと思います。6日夜のDACは2000m+400mを3本のインターバルでした。最終の400m(トラック1周)を69秒(1キロ換算2分53秒)で走ることができました。体験入部でとてもついていけないと感じていた八木プロジェクトの集団をごぼう抜きすることができてとても爽快な気分になりました。僅か400mですが、心筋梗塞後初めて全力疾走をしました。すごくすごく気持ちの良いもので苦しさなど感じませんでした。

”俺は今ここまで走れるようになったんだ”
という誇りのようなものを感じ、心の中でガッツポーズをしました。表現のしようがないほどの嬉しさです。本来やってはいけない全力疾走。たった1回くらいならいいでしょう。神様、いいでしょう?たった1回です。

何も起こらずほっと胸をなでおろしました。倒れてからでは遅いので全力疾走は次から控えたいと思います。
ついつい、”ラストは死に物狂いで走れ”という激に反応してしまったのです。
死に物狂いが本当に死んでしまっては困ります。

ダック
DAC

アリゾナ旅行

8月お盆明けから約2週間アメリカ旅行を楽しんできました。最初にサンディエゴに泊まり、飛行機でフェニックスに移動した後はずっとレンタカーでした。セドナのヴィラを拠点としてレッドロックトレイルなどを楽しみ、夜は宿泊したヴィラの周りをぐるぐるとジョグしました。1周400mで織田フィールドと同じです。朝は時間に余裕のある時、セドナの中心地までの往復ジョグも楽しみました。もちろんどこを見渡してもレッドロックばかりなので素晴らしい景色です。
セドナ1
セドナでレッドロックトレイル

セドナ

モニュメントバレーへレンタカーのJEEPで行く途中、若干遠回りをしてページのアンテロープキャニオンやホースシューベントにも立ち寄りました。砂漠の中の直線道路をひた走る大移動でアメリカ大陸が広大なことを感じました。北海道がとてもちっぽけなものに感じるほどアメリカはでっかいです。ナビを入れると120km先を右折なんて日本では考えられません。
アンテロープキャニオン
アンテロープキャニオン

ホースシューベント
ホースシューベント

神秘的なモニュメントバレーでは沢山の赤い岩山(レッドロック)を目の前に車で走りました。この地域には今でもインディアンが居住しています。
モニュメントバレー
モニュメントバレー

アリゾナは砂漠とレッドロックの大自然。日昼は暑いのですが湿度が低く乾燥しているため汗はほとんどかきません。でも、夜になると急に冷え込んで夏といえども12℃ほどまで下がります。気温差が激しく、半袖半ズボンのまま一日を過ごすと体調を崩すので注意が必要でした。

旅の最後はサンフランシスコに連泊して大都会の坂と港を楽しみました。サンフランシスコハーフマラソンを開催中、飛び入り参加OKと言われましたが残念ながら観光中なので…
アリゾナに比べるとここはたいへん寒く、日本から持ってきたダウンジャケットが活躍しました。夕方近くになると急に冷え込むため、リュックにダウンを入れて観光しないと寒さで凍えることになります。
物価は極めて高いです。サンドウィッチとドリンクだけといった簡単な朝食や昼食でも一人25ドルほどかかります。夕食は当然のことながら2倍以上になります。

たいへん楽しく2週間の休暇を過ごしましたが、やはりアメリカ旅行。気になるのは帰国後の体重です。毎食気をつけて控えめに食べましたつもりですが、やはりそれでも増加は避けられません。1.6kg増でした。フラッグスタックで18oz(約510g)のステーキを完食したのが思い出です。重くなった体重を走り込んで減らさなければならないので憂鬱です。
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