富山マラソン(写真入り)
2017年10月29日(日)
横浜マラソンは台風の影響で中止になりました。富山は北に位置するため、今回の台風の影響は関東に比べるとかなり小さいようです。それでも昨日の夕方から雨になり、それなりの雨量が続いているのでずっと憂鬱でした。まだマラソンにおける雨の経験がありません。8年も走ってかなりの回数レースに出ていますがマラソンに関しては晴れ男なのです。いや、正確には雨降らない男なのです。朝起きて、雨がやんでいないか期待しながらカーテンを開けましたがそれは無理でした。やはり台風ですから…
6時から45台出発する高岡行きのマラソンバスに乗り込むため、遅くても5時50分にはこの富山のホテルを出たいところです。
今日のレースはadidasのオレンジノースリーブを着るつもりでしたが雨で身体が冷えるのではないかと不安になり、同じオレンジのTシャツに変えました。ワセリンを身体中に塗りたぐって雨をはじくよう処置をしました。念には念を入れてアームとゲーダーもつけて寒さ対策です。

(着るはずだったノースリーブ)
ホテルを出るときもバスの中でも高岡に着いてからもずっと雨が降り続いていました。重たい気分で男子更衣室で身体が冷えないよう時間待ちをしました。頭の片隅には横浜と同じように中止になれという弱気な自分が見え隠れしていました。
そろそろ8時が近づいたので荷物預けとトイレへ行くため外に出ました。霧雨に変わっていました。

整列のためスタートブロックに向かう頃には雨がやんでいました。さすがは晴れ男、いや雨降らない男です。台風なのにスタート前に雨がやむなんて奇跡です。直前のリスタート練習会で自分は晴れ男だからきっと雨は降らないよと大ボラを吹いていましたが、どうやらホラではなくなったかもしれません。
でも、モチベーションはさっぱり上がりません。DAC30キロ練習会で長い距離の練習が不足していることを痛感していたため、サブ3時間40分に目標を下方修正していました。それに加えて台風でマラソン自体が中止にならないかなあと考えてしまっていたので走る気力がないのです。雨の中など走りたくないのでどうせなら土砂降りで中止を期待していました。中止にならなくても土砂降りならDNSしようと考えていました。雨がやんでしまったこの状態では何の言い訳もできないのでスタートするしかありません。やる気なしのまったく緊張感のないスタート待ちでした。
今回は左足の腸脛靭帯が痛くて直前のリスタート練習会は途中でリタイヤしました。鍼をブスブスさしたり、指圧で柔らかくしたりと日夜応急措置を施しました。テーピングもバッチリしてあります。
その甲斐あってスタートしてみると違和感はあるもののまあまあ我慢できる範囲。なんとか20キロまでもってくれれば30キロまでは我慢できる。その30キロまではサブ3.5ペースで走って、後は足の状態に任せようと考えました。4分55秒前後のペースで30キロでいいのです。30キロをサブ2.5
あんなにやる気がなかったのにいざ走り始めるといつの間にかやる気が出ていました。やはりマラソンが、走ることが好きなのです。

リスタート、DAC、adidasでのインターバル成果から心肺余裕で楽に走ることができました。心拍数は140程度と有酸素運動の領域です。キロ4分半くらいで走りたくなるような気分に紅潮してきましたが、今日はスタミナと足を温存しなければなりません。今シーズンサブ3.5を達成するために抑えた走りで後半どのくらい余力があるのかを試して調整しなければならないのです。極端な失速だけはしたくないのです。Yさんから言われていた4分55秒というペースを忘れないよう頭に刻みました。4分50秒より遅く、5分よりは速く、…そうすれば自然と4分55秒くらいになるはずです。
富山の難関は何と言っても日本海を渡る新湊大橋。天気が良ければ青く澄み渡った日本海と前方にそびえる雪景色の立山連峰が楽しめますが、今日はあいにく何も見えません。19キロから概ね2キロに渡って続くこの橋は、天気が悪いとただの急坂です。きついと感じる以外の何者でもありません。徐々に6分半にまでペースが落ちてしまいそれまでの貯金を食いつぶす形になりました。
中間地点が見えた頃、あと半分かあと思いましたが冷静に考えると静岡よりも心肺がかなり楽です。水溜まりを避けながら走り続けているせいか足に疲労が出始めましたが心肺はかなり楽です。後半足がばてることを考えて、水溜まりを避けるジグザグ走行をやめてそのまま直線で突っ込んでもいいと判断しました。足はびしょびしょになりますが、その方が負担が少ないと…
25キロでサブ3.5ペーサーに追いつかれてしまいました。しばらく並走しましたが、30キロが近づくにつれて遅れ出しました。30キロで置いていかれました。

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30キロ 2:29’41
今日はサブ3.5が目標ではないので無理にペースを維持することはやめて、3時間40分以内を計算した走りに変えました。心肺は余裕ですが腸脛靭帯が少し変です。
DACの岡崎コーチが言っていたフルをキロ5で走る人がキロ4のインターバルを繰り返すことでフルのキロ5が凄く楽に感じる。確かにその通りだと実感しました。今までのフルマラソンの中で今日が一番楽な走りです。心拍数も上がらず腸脛靭帯を除けばすべてが余裕です。走りながら今シーズン中にはサブ3.5は必ずできると確信しました。大事なときに怪我が多いので怪我をしない足づくりをしなければなりません。

all sports
35キロを過ぎてからは腸脛靭帯が痛くて何度も膝がカックンカックンと落ちてしまう始末。その度に最後までもってくれと祈りました。ウエストポーチに入れたPちゃんのお守り写真、川越八幡宮の足のお守り、静岡マラソンの時にもらったYさんからの激励文、そしてミラノが待ち受け画面になっているiPhoneを触ってもう少しだぞと祈りました。記録のことはあまり考えまないようにしましたが、ペースが5分半を超えないことを心がけました。心肺的にはもっと速く走れるのですが、5分半ペースだと腸脛靭帯の影響なのか膝が落ちてしまうので次第にそれより遅くなりました。
40キロで自己ベストを確信しました。思わず泣きそうになってしまいました。香港国際マラソンで突然襲った急性心筋梗塞。バイパス手術で九死に一生を得た代償として心筋40%壊死という現実が残されました。たった数段の階段上り下りから始めたリハビリ。そしてウォーキング。医師も理学療法士も走ることなんて無理、考えない方がいいと…
それでも絶対に走ってみせると決めて、走るためにウォーキングをして、スロージョギングで心肺を強くしていきました。世界で一番遅いランナーでいいからもう一度走りたいという夢は、5年8カ月経って考えられないほどに速く走れるようになりました。そんなことが自然と頭に浮かび、スライド写真のように次々とあの頃の光景が映し出されます。涙こそ流れなかったものの目の前が曇って見通しが悪くなりました。
もうすぐ生まれるこの記録は心筋梗塞から復活後のベストではありません。正真正銘の自己ベストです。過去の自分を超えようとしているのです。もうすぐ、もうすぐ、あと195m…
グロス3:37’28
ネット3:37’11
初めて何度もガッツポーズをしながらフィニッシュしました。小さい頃から感情を表に出すことが苦手でガッツポーズなんてしたことがありません。考えられない行為です。でも感情が、感情が抑えられません。控えめですが小さく何度もガッツポーズをしました。
フィニッシュ後にトイレの片隅で一人静かに泣きました。

all sports 後から見ると大きなガッツポーズ
今の自分があるのは良くも悪くも心筋梗塞のおかげです。心筋梗塞が私の心を変えてくれました。心筋梗塞とマラソンが私を強くしてくれました。
「先の見えない努力でも、諦めなければ夢や願いは叶う」
「焦らない 腐らない 諦めない」
の賜物です。
まだまだ課題は沢山ありますが、3月の静岡で必ずサブ3.5を達成します。
リスタート、DAC、adidas、、、これからも一生懸命練習に通います。
11月25日の大阪はネットタイムで富山超えを目指します。
富山マラソンでサブ3.5は達成できませんでしたが、私の人生の中で記憶に残る素晴らしい一日でした。

横浜マラソンは台風の影響で中止になりました。富山は北に位置するため、今回の台風の影響は関東に比べるとかなり小さいようです。それでも昨日の夕方から雨になり、それなりの雨量が続いているのでずっと憂鬱でした。まだマラソンにおける雨の経験がありません。8年も走ってかなりの回数レースに出ていますがマラソンに関しては晴れ男なのです。いや、正確には雨降らない男なのです。朝起きて、雨がやんでいないか期待しながらカーテンを開けましたがそれは無理でした。やはり台風ですから…
6時から45台出発する高岡行きのマラソンバスに乗り込むため、遅くても5時50分にはこの富山のホテルを出たいところです。
今日のレースはadidasのオレンジノースリーブを着るつもりでしたが雨で身体が冷えるのではないかと不安になり、同じオレンジのTシャツに変えました。ワセリンを身体中に塗りたぐって雨をはじくよう処置をしました。念には念を入れてアームとゲーダーもつけて寒さ対策です。

(着るはずだったノースリーブ)
ホテルを出るときもバスの中でも高岡に着いてからもずっと雨が降り続いていました。重たい気分で男子更衣室で身体が冷えないよう時間待ちをしました。頭の片隅には横浜と同じように中止になれという弱気な自分が見え隠れしていました。
そろそろ8時が近づいたので荷物預けとトイレへ行くため外に出ました。霧雨に変わっていました。

整列のためスタートブロックに向かう頃には雨がやんでいました。さすがは晴れ男、いや雨降らない男です。台風なのにスタート前に雨がやむなんて奇跡です。直前のリスタート練習会で自分は晴れ男だからきっと雨は降らないよと大ボラを吹いていましたが、どうやらホラではなくなったかもしれません。
でも、モチベーションはさっぱり上がりません。DAC30キロ練習会で長い距離の練習が不足していることを痛感していたため、サブ3時間40分に目標を下方修正していました。それに加えて台風でマラソン自体が中止にならないかなあと考えてしまっていたので走る気力がないのです。雨の中など走りたくないのでどうせなら土砂降りで中止を期待していました。中止にならなくても土砂降りならDNSしようと考えていました。雨がやんでしまったこの状態では何の言い訳もできないのでスタートするしかありません。やる気なしのまったく緊張感のないスタート待ちでした。
今回は左足の腸脛靭帯が痛くて直前のリスタート練習会は途中でリタイヤしました。鍼をブスブスさしたり、指圧で柔らかくしたりと日夜応急措置を施しました。テーピングもバッチリしてあります。
その甲斐あってスタートしてみると違和感はあるもののまあまあ我慢できる範囲。なんとか20キロまでもってくれれば30キロまでは我慢できる。その30キロまではサブ3.5ペースで走って、後は足の状態に任せようと考えました。4分55秒前後のペースで30キロでいいのです。30キロをサブ2.5
あんなにやる気がなかったのにいざ走り始めるといつの間にかやる気が出ていました。やはりマラソンが、走ることが好きなのです。

リスタート、DAC、adidasでのインターバル成果から心肺余裕で楽に走ることができました。心拍数は140程度と有酸素運動の領域です。キロ4分半くらいで走りたくなるような気分に紅潮してきましたが、今日はスタミナと足を温存しなければなりません。今シーズンサブ3.5を達成するために抑えた走りで後半どのくらい余力があるのかを試して調整しなければならないのです。極端な失速だけはしたくないのです。Yさんから言われていた4分55秒というペースを忘れないよう頭に刻みました。4分50秒より遅く、5分よりは速く、…そうすれば自然と4分55秒くらいになるはずです。
富山の難関は何と言っても日本海を渡る新湊大橋。天気が良ければ青く澄み渡った日本海と前方にそびえる雪景色の立山連峰が楽しめますが、今日はあいにく何も見えません。19キロから概ね2キロに渡って続くこの橋は、天気が悪いとただの急坂です。きついと感じる以外の何者でもありません。徐々に6分半にまでペースが落ちてしまいそれまでの貯金を食いつぶす形になりました。
中間地点が見えた頃、あと半分かあと思いましたが冷静に考えると静岡よりも心肺がかなり楽です。水溜まりを避けながら走り続けているせいか足に疲労が出始めましたが心肺はかなり楽です。後半足がばてることを考えて、水溜まりを避けるジグザグ走行をやめてそのまま直線で突っ込んでもいいと判断しました。足はびしょびしょになりますが、その方が負担が少ないと…
25キロでサブ3.5ペーサーに追いつかれてしまいました。しばらく並走しましたが、30キロが近づくにつれて遅れ出しました。30キロで置いていかれました。

all sports
30キロ 2:29’41
今日はサブ3.5が目標ではないので無理にペースを維持することはやめて、3時間40分以内を計算した走りに変えました。心肺は余裕ですが腸脛靭帯が少し変です。
DACの岡崎コーチが言っていたフルをキロ5で走る人がキロ4のインターバルを繰り返すことでフルのキロ5が凄く楽に感じる。確かにその通りだと実感しました。今までのフルマラソンの中で今日が一番楽な走りです。心拍数も上がらず腸脛靭帯を除けばすべてが余裕です。走りながら今シーズン中にはサブ3.5は必ずできると確信しました。大事なときに怪我が多いので怪我をしない足づくりをしなければなりません。

all sports
35キロを過ぎてからは腸脛靭帯が痛くて何度も膝がカックンカックンと落ちてしまう始末。その度に最後までもってくれと祈りました。ウエストポーチに入れたPちゃんのお守り写真、川越八幡宮の足のお守り、静岡マラソンの時にもらったYさんからの激励文、そしてミラノが待ち受け画面になっているiPhoneを触ってもう少しだぞと祈りました。記録のことはあまり考えまないようにしましたが、ペースが5分半を超えないことを心がけました。心肺的にはもっと速く走れるのですが、5分半ペースだと腸脛靭帯の影響なのか膝が落ちてしまうので次第にそれより遅くなりました。
40キロで自己ベストを確信しました。思わず泣きそうになってしまいました。香港国際マラソンで突然襲った急性心筋梗塞。バイパス手術で九死に一生を得た代償として心筋40%壊死という現実が残されました。たった数段の階段上り下りから始めたリハビリ。そしてウォーキング。医師も理学療法士も走ることなんて無理、考えない方がいいと…
それでも絶対に走ってみせると決めて、走るためにウォーキングをして、スロージョギングで心肺を強くしていきました。世界で一番遅いランナーでいいからもう一度走りたいという夢は、5年8カ月経って考えられないほどに速く走れるようになりました。そんなことが自然と頭に浮かび、スライド写真のように次々とあの頃の光景が映し出されます。涙こそ流れなかったものの目の前が曇って見通しが悪くなりました。
もうすぐ生まれるこの記録は心筋梗塞から復活後のベストではありません。正真正銘の自己ベストです。過去の自分を超えようとしているのです。もうすぐ、もうすぐ、あと195m…
グロス3:37’28
ネット3:37’11
初めて何度もガッツポーズをしながらフィニッシュしました。小さい頃から感情を表に出すことが苦手でガッツポーズなんてしたことがありません。考えられない行為です。でも感情が、感情が抑えられません。控えめですが小さく何度もガッツポーズをしました。
フィニッシュ後にトイレの片隅で一人静かに泣きました。

all sports 後から見ると大きなガッツポーズ
今の自分があるのは良くも悪くも心筋梗塞のおかげです。心筋梗塞が私の心を変えてくれました。心筋梗塞とマラソンが私を強くしてくれました。
「先の見えない努力でも、諦めなければ夢や願いは叶う」
「焦らない 腐らない 諦めない」
の賜物です。
まだまだ課題は沢山ありますが、3月の静岡で必ずサブ3.5を達成します。
リスタート、DAC、adidas、、、これからも一生懸命練習に通います。
11月25日の大阪はネットタイムで富山超えを目指します。
富山マラソンでサブ3.5は達成できませんでしたが、私の人生の中で記憶に残る素晴らしい一日でした。

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