別大に出たい
今日は別府大分毎日マラソン。(通称:別大)我がRCからもたくさんのメンバーが出走したのでランナーズアップデートを片手にテレビ応援をした。
5年前の今日2012年2月5日(日)も別大だった。香港国際と別大は同日開催だったため、どちらにするか悩んだ。つまりあれから5年経ったいうことだ。悪夢から5年。
本当は別大に出るつもりで準備をしていたが、エントリー直前に私の決意を揺るがした嫁の一言があった。
「別府だったら行かないけど、香港だったら行きたいな」
制限時間3時間30分の別大を完走すれば必然的にサブ3.5
別大は、サブ3.5の目標を達成するか途中リタイアかという究極の結果しかない。別大でプレッシャーに負けない自分を試し、自分の走力を確認し、そして目標達成をしたかった。最高の舞台だった。
当時の別大は、制限時間が3時間30分というだけで3時間30分以内の記録証明書は不要。つまり自己ベストが3時間30分をオーバーしていてもエントリーはできたのだ。(現在は3時間30分以内の記録証明書が必要)
嫁の一言で香港にしようと心が変わり、憧れの別大は封印した。1年後でもいいと思ったから…
もし別大に出ていたら…
考えないようにしてきたが、ふと心をよぎることがある。
もし香港ではなくて別大に出ていたら…
同じ日ではあるものの気象条件(香港は気温・湿度が高い)が違う。スタート時間(香港7時・別大12時)も違う。当然当日の体調の整え方も違う。もしかしたら急性心筋梗塞にはかからなかったかもしれない。かかっていたとしても別府は日本。早い処置でバイパス手術を行い、心筋4割壊死なんてことはなかったはず。せいぜい1割程度の壊死だったかもしれない。
しかし、それを言ってしまうと嫁を責めることになる。だから口にしたことはない。今、このブログで吐露するのが初めて。そんな事を考えただけでも罪だ。
別大に出ていたら今頃どうなっていた…?
香港だったから、海外だったから強行に帰国した。
日本だったら…?
医師に言われるとおり素直に処置を施していただろう。
でも、香港を選択したのは自分。香港で治療を拒否して帰国を選択したのも自分。海外旅行保険に加入しなかったのも自分。全てが自分の責任。考えたところで時間は戻らない。壊死した心筋も戻らない。
後悔はしていないが、心のどこかに
”たられば”
があるのは事実。
別大=速いランナー
そんなイメージがあるのでエントリーできるだけでも羨ましい。
あの時、香港に行かず別大に出ていたら…
香港と同じ運命で2キロ地点で急性心筋梗塞にかかっていたとしてもそれはそれで仕方ない。
別大という大きな大きなステージに立ってみたかった。
そんなことを考えると胸が張り裂けそうになる。
5年前に手術から目覚めて自分の状態を知った時、
たとえ走れるようになったとしても別大は絶望的だと思った。
夢の夢のそのまた夢の遠い夢の世界。
生まれ変わらない限り別大はありえない。
走れるようになったとしても制限時間スレスレの歩くような速度で走っている自分しか想像できなかった。
それでもよかった。再び走ることができるなら…
しかし、不可能だと思っていたサブ4を達成した。
そして、今の目標はサブ3.5だ。
諦めなければ努力次第で夢は叶うということを知った。
サブ3.5になれば別大にエントリーできる。
別大は夢ではない。
もはや夢ではない。
目標だ。
目標に変わった。
別大に出たい。
絶対に出る。
諦めない。
いつまでにという期限はわからないが、必ず出る。
5年前の今日2012年2月5日(日)も別大だった。香港国際と別大は同日開催だったため、どちらにするか悩んだ。つまりあれから5年経ったいうことだ。悪夢から5年。
本当は別大に出るつもりで準備をしていたが、エントリー直前に私の決意を揺るがした嫁の一言があった。
「別府だったら行かないけど、香港だったら行きたいな」
制限時間3時間30分の別大を完走すれば必然的にサブ3.5
別大は、サブ3.5の目標を達成するか途中リタイアかという究極の結果しかない。別大でプレッシャーに負けない自分を試し、自分の走力を確認し、そして目標達成をしたかった。最高の舞台だった。
当時の別大は、制限時間が3時間30分というだけで3時間30分以内の記録証明書は不要。つまり自己ベストが3時間30分をオーバーしていてもエントリーはできたのだ。(現在は3時間30分以内の記録証明書が必要)
嫁の一言で香港にしようと心が変わり、憧れの別大は封印した。1年後でもいいと思ったから…
もし別大に出ていたら…
考えないようにしてきたが、ふと心をよぎることがある。
もし香港ではなくて別大に出ていたら…
同じ日ではあるものの気象条件(香港は気温・湿度が高い)が違う。スタート時間(香港7時・別大12時)も違う。当然当日の体調の整え方も違う。もしかしたら急性心筋梗塞にはかからなかったかもしれない。かかっていたとしても別府は日本。早い処置でバイパス手術を行い、心筋4割壊死なんてことはなかったはず。せいぜい1割程度の壊死だったかもしれない。
しかし、それを言ってしまうと嫁を責めることになる。だから口にしたことはない。今、このブログで吐露するのが初めて。そんな事を考えただけでも罪だ。
別大に出ていたら今頃どうなっていた…?
香港だったから、海外だったから強行に帰国した。
日本だったら…?
医師に言われるとおり素直に処置を施していただろう。
でも、香港を選択したのは自分。香港で治療を拒否して帰国を選択したのも自分。海外旅行保険に加入しなかったのも自分。全てが自分の責任。考えたところで時間は戻らない。壊死した心筋も戻らない。
後悔はしていないが、心のどこかに
”たられば”
があるのは事実。
別大=速いランナー
そんなイメージがあるのでエントリーできるだけでも羨ましい。
あの時、香港に行かず別大に出ていたら…
香港と同じ運命で2キロ地点で急性心筋梗塞にかかっていたとしてもそれはそれで仕方ない。
別大という大きな大きなステージに立ってみたかった。
そんなことを考えると胸が張り裂けそうになる。
5年前に手術から目覚めて自分の状態を知った時、
たとえ走れるようになったとしても別大は絶望的だと思った。
夢の夢のそのまた夢の遠い夢の世界。
生まれ変わらない限り別大はありえない。
走れるようになったとしても制限時間スレスレの歩くような速度で走っている自分しか想像できなかった。
それでもよかった。再び走ることができるなら…
しかし、不可能だと思っていたサブ4を達成した。
そして、今の目標はサブ3.5だ。
諦めなければ努力次第で夢は叶うということを知った。
サブ3.5になれば別大にエントリーできる。
別大は夢ではない。
もはや夢ではない。
目標だ。
目標に変わった。
別大に出たい。
絶対に出る。
諦めない。
いつまでにという期限はわからないが、必ず出る。
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