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サブ3.5を急いだ理由

サブ3.5を急いだ理由
2012年2月香港国際マラソンで急性心筋梗塞を発症した。原因は極度の脱水。直近マラソンでトイレ待ちの行列に並んだところ整列時間を過ぎてしまい後尾に並ぶ破目になった。その悪夢を避けるため前日から水分を摂取しないという荒業で挑んだ香港。快調に走り始めたが僅か2キロ地点で突然胸が張り裂けるような押し潰されるような今までに経験したことのない鋭い痛みが襲った。無意識に胸を押さえた。間もなく心臓が停止しそうになるのを感じた。これが急性心筋梗塞だ。前日からの水分不摂取で体内の水分が不足状態に陥り、しかも香港は気温が高く湿度も高い。スタートロスの2分を取り戻すため最初からインターバルのような走りをした。2キロを7分で駆け抜け心拍と血圧が急上昇。冠動脈が突然詰まった。脱水に陥ると血液がドロドロになる。ドロドロになった血液中にあるコレステロールが固まり血栓をつくる。これが冠動脈を塞ぎ心臓に血液が行かなくなる。心臓が停止する。特にランニングのような激しい運動をしているときは血圧が高い。トレッドミルの経験がある人はわかると思うが、最大心拍数に近づいた時の血圧はゆうに200を超える。血圧が高い=血液の流れが速い。速い血流の中で血栓ができるので詰まるのも早い。
98%が詰まっていた。普通は意識がなくなり死に陥る。医師に言われたのは、いったん100%詰まった冠動脈が何らかの拍子に2%だけ開いた。2%でも血液が心臓に行けば、ごくごく稀に生きられる人がいる。それが運よく自分だった。そのかわりすぐに処置を施さないと心筋がドンドンと壊死して死に至る。結果40%の心筋が壊死した。
心筋梗塞の手術は二通り。一つは足のつけ根などの動脈からカテーテルを入れてバルーンやステントで詰まった箇所を広げるもの。ステントはそのまま放置する。松村邦洋、徳光和夫などはこの方法。胸を開かず比較的簡単にできる。
冠動脈が分岐するつけ根で詰まった場合はこの方法が使えない。バイパス手術になる。バイパスとはその名の通り冠動脈を迂回させるもの。つまり自分の他の部位の血管を冠動脈の代わりに使用。詰まった箇所を迂回させるために移植するのだ。この移植に使う自分の血管のことを「グラフト」という。私は2箇所迂回しており、1本は内胸動脈、もう1本は左足下肢(かし)静脈を使用した。動脈のグラフトは問題ない。耐久性は一生と言われている。問題は静脈。静脈は動脈に比べるとかなり細い。心臓に血液を送る動脈は負荷がかかるため太い。この太い動脈のかわりに細い静脈を利用すると圧力に耐えられなくなりいつか寿命を迎える。医師に聞いたところ静脈を使ったグラフトの寿命は個人差があるが10年~長くて20年。15年が一般的。血圧が高いとそれだけグラフトにかかる負荷が大きくなる。つまり寿命が短くなる。血圧をうるさく管理されるのはこのため。私の血圧は正常値だが、ランニングのような激しい運動をしているときは血圧が急上昇するので静脈のグラフトに悪影響を与えていることは明らか。練習するたびにマラソンレースに出るたびにグラフトの寿命を縮めていることになる。だからやみくもにレースに出ることはしない。基本になるフルマラソンが決まったら、その調整レースとしてハーフや30キロを入れるだけ。タイムトライアルや5キロ10キロのレースには基本は参加しない。
静脈の寿命が15年と仮定して、根拠はないがこれだけ走っていると寿命は半分の7~8年。つまり早ければ2019年~2020年に寿命を迎える。
グラフトの寿命が来た時の対処方法は、もう一度バイパス手術をするかカテーテルによるステント補強。そうなった場合ランニングを続けることは難しい。少なくとも記録を追い求めるような走りはできない。グラフトの寿命が8年とすれば2020年。つまり2020年の別大がラストチャンスになる。そのためには2019年春までにサブ3.5を出さなければならない。でも2020年までグラフトがもつ保証はない。だから余裕をもって2019年別大、2018年春にサブ3.5という目標を立てた。
別大はサブ3.5は今でなければならないと言った理由がここにある。
クラブのコーチには随分と心配をかけた。ポイント練習やり過ぎ、走り過ぎ、目標達成は今秋にしなさい、静岡出るな、かすみがうらもやめろ。何の心配のない健常者であるならば素直に言うこと聞いたはず。でも私には時間がない。心筋梗塞発症以来、「焦らず腐らず諦めず」コツコツと積み重ねてやっとここまで辿り着いた。走ることが可能になりサブ4にも復帰できた。3時間37分11秒というPBも達成できた。すべてが予想外。でもここまできたらサブ3.5になりたい。香港で達成するはずだったサブ3.5を現実のものにしたい。別大という大きな夢を叶えたい。
いつまでも走り続けられる訳ではない。いつか終わりを迎える。それは覚悟している。最後は自分の夢を叶えたい。細く長く生きるか(負荷を与えないファンランで長期に亘ってランニングを楽しむか)太く短く生きるか(負荷を与える走りで夢を実現する)を考えた時、迷わず後者を選んだ。自分の人生悔いなく生きる。精一杯生きる。その代り責任をもった生き方をする。すべてのリスクを理解して覚悟する。それが私の希望であり生き方だ。この決意は揺るがない。

しかしこの計画が崩れようとしている。それは怪我。静岡マラソンを決行したことによって悪化した右ヒラメ筋挫傷による皮下血腫、左は腸脛靭帯炎、中臀筋炎、大腿筋膜張筋炎…
これだけ調子が悪いと怪我を完治させない限り目標達成が難しい。かすみがうらに出走したところで良いパフォーマンスを発揮することは困難。目標達成どころか今後走れなくなることもあり得る。皮下血腫は散らす治療をするが治らなければ手術。あと1ヶ月少々で怪我を完治させ、且つ目標を達成できるようなトレーニングを行うことは至難。というか不可能。1月末から今日まで怪我でトレーニングすらできていない状態。更に怪我の状況を考えるとこれから1ヶ月間できるのはジョグのみ。
2020年にグラフトの寿命が訪れるという明確な根拠はない。確定もしていない。もっと寿命が長くなると信じて、クラブコーチのアドバイスを聞き入れて延期することにした。4月15日かすみがうらはDNS
2018年10月28日第4回富山マラソンでサブ3.5に切り替える。脚を完治させ、筋力のアップに努めてトレーニングをやり直す。焦らずにやっていく。

静岡マラソンDNFについては後日投稿する。
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コメント

ROADSKY #-

苦渋の決断、しかし諦めない

さぞ辛い決断だと思います。サブ4前後でうろうろしていれば怪我をすることもなかったかもしれません。しかし目標があるから頑張れる、目標があるから生きている、だと思います。諦めなければ、いつまででも挑戦は続き、「壁を越えたら壁」だと思います。そういう生き方だと思います。
私もこの年で夜の公園で走り込みをし、昼は昼で物凄い働いてます。自分が就職したときに私の年齢の人は午前中は二日酔いで会議室で寝ていました。
挑戦し続けるという生き方です。誰が尊敬してくれなくても、自分が自分に恥じることが無い、そういう生き方だと思います。病気の経験がそれをさらに研ぎ澄ましたのだと思います。

2018年03月08日(木) 22時53分 | URL | 編集

k.bunbunmaru #-

Re: 苦渋の決断、しかし諦めない

インターバル、レペテーション、ショートペース走などのポイント練習のし過ぎが怪我に繋がりました。ジョグやLSDなど脚づくりをしなかったのが怪我の原因でもあります。静岡は痛みに耐えてと思いましたが耐えることできませんでした。フルは根性だけでは走れません。心技体すべてが一致しないと目標は達成できません。来シーズン頑張ります。応援ありがとうございました。

2018年03月12日(月) 14時30分 | URL | 編集


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